0. 働き者のプロローグ
「お疲れ様でした。また討伐依頼があったら積極的に受けにきてください」
「飲みに付き合ってくれるなら考えてもいいぜ。身内だけで飲むのも飽きてきたしな」
「依頼の対価は依頼書に明記してあるものだけですよ」
「わーかってるって、相変わらずお堅いな。じゃ、またなー」
ワイワイ騒ぐ冒険者の集団を軽くあしらいながら、こっそりため息をつく。定時後に取引先と飲み会なんて億劫に決まっている。そういう仕事の取り方は今どき流行らんだろう、と僕は思う。
本日最後の報酬受け取り手続きを終え、見送りのためにギルドの外に出ると、近所の酒場からいい感じに酔っ払った大人達の笑い声が聞こえてくる。
早春の冷えはだいぶ和らぎ、夕方を超えても息が白くならなくなった。ここに来た頃より外にいる人が増えたように感じるのも、きっと気温が上がってきたからだろう。
エントランスにクローズの札をかけ、ずり落ちたメガネを定位置に戻し、腕まくりをして片付けに取り掛かる。
「お疲れ様シオちゃん。大型案件が片付いてホッとしたわね」
カウンターの向こうから、ギルドマスターのエアリアさんに声をかけられた。指を組み腕を伸ばす様子を見ると、だいぶお疲れのようだ。
「本当ですね。依頼期限にも間に合ったし、受けてくれた冒険者パーティに感謝です」
シオと呼ばれた僕は、依頼を受けにきた冒険者の忘れ物……もとい、落としていった土や葉、小石なんかを掃除する。
この世界は僕がいた日本という国よりも道が整備されていない。安全靴のように底の分厚い冒険者用の靴は、どうしたって色んなものを踏む。毎日朝晩掃除をしても、毎日必ず汚れる。
時々モンスターのカケラがくっついていて、最初の二週間は悲鳴を上げていた。
それでなくとも依頼要件がモンスターの一部分なこともあるので、見たことない生き物の爪だの目玉だの肉塊だのを数十件も見ていれば、床に落ちる程度の何らかの物体には驚かなくなった。慣れとは恐ろしいものだ。
そう、僕が生まれたのは地球の、日本という国で。
この世界……「アルスター」の、元々の住人ではない。
自主残業をして日付を超え、横断歩道を朦朧としながら自転車で渡っていた。
車もひと気もない交差点。きちんと青信号であることは確認したつもりだが、もしかすると点滅していたかもしれない。
ものすごいスピードで左折してきた車のヘッドライトが僕を照らし、気付いた時には、ひしゃげた我が愛車が視界の端に見えた。
その後、多分僕は命を失ったんだと思う。
思うというのは、今意識と肉体を持ちながら生活できていることで、死んだ……という実感がないからだ。
元の世界に未練はない。天涯孤独の身だったし、仮にこのまま戻ったとして、僕が轢かれた事故はどうなったんだろうとか、仕事はどうなっているとか、家の手続きは、葬式は、時間軸は……とか、考えるのが面倒なことの方が思い浮かぶ。
もちろん、生まれ変わったことに驚いたし、混乱したし、どうしたらいいのかわからなくて自棄になりそうにもなった。
だがアルスターに転生する者のおおまかな条件を教えてもらい、目標ができた。
行くところがないならとエアリアさんが住み込みで働くことを提案してくれたので、ありがたく受けさせてもらい、こうして働きながら目標達成に向けて日々真面目に生きている。
「ところでシオちゃん」
「はい?」
「その身体にはもう慣れた?」
「……………………どう、でしょう」
アルスターへの転生条件のひとつ。『強い願いを持って死んだ者』。
おぼろげながら、確かに僕は死の間際に願ったことがある。
そして転生時、願いを元にした姿や能力を持っている、ということだったのだが……。
「…………女性になりたいと思ったことはないんですけどね……」
足元を見えづらくする大きな脂肪の塊を恨めしく見つめ、本日何度目かのため息が漏れた。