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  作者: さば缶
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微小な軍隊の襲撃

 深夜の街は薄暗い街灯を頼りに、わずかな人影が行き交うだけだった。

しかし、この静寂は決して平穏をもたらすものではなかった。

人々は外出時に肌を露出しないよう全身を覆い、耳の奥に響くあの羽音を聞くたびに息を詰める。

最初の感染事例は、市内の病院に搬送された一人の男性だった。

「虫刺されで重症化なんてありえない」――そう思われていたが、患者は高熱を伴う異様な意識混濁を起こした。

血液を採取すると、未知の金属粒子が体内で活動していることが判明し、そのときはまだ誰もが奇妙な病原体だろうと軽く考えていた。


 だが、さらなる被害がすぐに連鎖的に起こった。

刺された人間は高熱だけでなく、脳や筋肉の機能を侵されるようになり、短期間で急激に衰弱する。

市内のあちこちで同様の症状が多発するにつれ、ようやく医療機関や行政が動き出したが、問題はその原因がただの蚊ではないという点にあった。

研究所の三神は、改造された蚊がどうやって人間を蝕むのかを解析しようと躍起になっていた。

採取した試料を調べると、蚊の唾液腺には細菌のような生物兵器ではなく、微小なナノマシンが混在していた。


 感染した患者の血中にも同じナノマシンが残されており、これらは神経伝達物質や細胞間信号を混乱させているらしかった。

さらに驚くべきことに、ナノマシンはネットワークを形成するように人間の脳内シナプスの一部を介して暗号信号を送受信していた。

「これは生物と機械を融合させた完全なハイブリッド兵器だ」三神は唇を噛み締めながら、顕微鏡の映像を上田に示した。

「まるで誰かが、もしくは何者かが、人間を意のままにしようとしているようだ」


 さらに驚くべき発見があったのは、地下鉄の廃駅に調査チームが踏み込んだときのことだった。

ここは数年前の大規模工事の際に封鎖され、地図からも消されていた場所だ。

手元の懐中電灯が散乱する廃材や錆びついたレールを照らすと、奥には人工的な防音扉が設置されているのがわかった。

扉の向こうには巨大な空間が広がり、中心に奇妙な培養装置が鎮座していた。

装置は透明なドーム状で、内部の緑色の培養液に無数の蚊が卵の状態で沈んでいる。

その卵にはすでに金属が組み込まれており、装置の端末を調べると、異質なコードで制御された成長プログラムが起動中だった。


 実際の成長工程はこうだ。

まず卵の段階で蚊の胚に金属粒子を浸透させ、孵化と同時にナノマシンが生物の組織に組み込まれる。

同時に暗号信号をやり取りしながら、個体ごとに制御コマンドを受け取り、集団で連携して動くようプログラムされている。

まるで目に見えないネットワーク軍隊が潜んでいるかのようだった。


 問題はそれらが地下施設だけにとどまらないという点だ。

街の空き倉庫や使われなくなった下水道を拠点に、新たな培養装置が複数稼働している形跡があった。

行政は自衛隊と協力して順次、装置を破壊して回ったが、蚊の被害は減るどころか拡大傾向にあった。

「僕たちの破壊行為そのものが、やつらを警戒させているのかもしれない」

ある晩、上田は研究所で地図をにらみながらそう呟いた。


 実際、街の夜空にはこれまで以上に多くの蚊が飛び回り、人々の外出はほぼ不可能な状態に陥った。

銃器や殺虫剤で駆除しようにも、数が膨大な上に機械的な防御反応があるため、すべて駆逐できない。

しかもごく一部の蚊は、人間の体内で増殖したナノマシンを再回収するようにも動いていた。

刺された被害者の症状は重篤化しやすくなり、それによる死亡者も日に日に増えていく。


 ある夜、三神は決死の覚悟で自作のEMP発振装置を携えて廃駅へ向かった。

EMP――これは瞬間的に強力な電磁波を放射し、電子機器や回路に過負荷を与えて機能を停止させる技術を指す。

通常は核爆発の副次的現象として知られているが、近年では軍事レベルの研究によって爆発を伴わずに電磁パルスだけを発生させる方法も開発されつつある。

三神はそれを簡易化し、携帯サイズにまで縮小した試作機を組み上げた。

電磁パルスを放って機械部分だけでも機能停止させられれば、ただの弱い蚊に戻せるかもしれないと考えたのだ。


 しかし、蚊のナノマシンは通常のEMPでは完璧に破壊できないほど対策が施されていた。

それでもなんとか大量の蚊を一時的に停止させることには成功し、三神は急いでその死骸を回収して研究所へ持ち帰った。


 徹底した解析の末、三神は新たな結論に達した。

ナノマシンの核となる制御チップは低周波と高周波の混合信号でのみ動作しており、チップ自体に自己修復機能が組み込まれている。

それを完全に壊すには、生体組織の活動を抑制する強い気圧変動と、特殊な周波数の音波を同時に当てる必要があった。

そうしてナノマシン側の自動修復を混乱させ、最終的に機能不全を引き起こす――理論上は可能だが、大規模な装置が必要になる。


 この解決策を実行するため、政府の衛生部門は市内各所にある大型ホールや地下施設に集音スピーカーと圧縮ガス装置を設置した。

夜間に全市一斉で装置を稼働させる大作戦が立案され、住民たちにはその時間帯に防音室やシェルターで待機するよう指示が出された。

「ほんの一瞬でもタイミングを間違えれば失敗だし、蚊が飛び散ってしまう」上田は作戦前に息をつめる。

三神は頷き、「でもこれしかない。人間がこの街を取り戻すには、ここまでやるしかないんだ」と静かに言い放った。


 そして決行の夜。

街中のスピーカーが一斉に超高周波を流し、続いて低周波へと移行しながら特定のパルスを刻む。

大気が振動し、嫌な耳鳴りが街を覆ったと同時に、圧縮ガス装置から高圧空気が放出され、一帯の気圧を乱高下させる。

建物の隙間や暗がりにいた蚊たちは突如として制御不能に陥り、次々に地面へ落下していった。

金属的な羽根をかすかに震わせながらも、ほとんどの個体は二度と飛び立つことはなかった。


 翌朝、街はかつてないほど静寂に包まれていた。

数日後の調査によると、各地の培養装置もナノマシンとの通信が断たれたせいか、稼働が停止していた。

一方で、依然として未知のコードを含むチップが散乱し、街の地面には無数の蚊の死骸が転がっている。

回収されたチップの解析には長い時間がかかるだろう。

それでも、今は一先ず人々が外を歩けるようになったことに、ささやかな安堵の声が上がる。


 夕暮れ時、三神は研究所の屋上から街を見下ろした。

かつての羽音は聞こえない。

だが、その静寂があまりにも不気味なことにも気づいていた。

一度、ここまで巧妙に組み上げられた生体兵器が現れた以上、今回の殲滅作戦だけで完全に終わるとは限らない。

「僕らは乗り越えたけど、あれを作った者の真意はまだわからない」

そうつぶやきながら、三神は遠くの空を見つめた。

いつか再び襲来があるなら、その時こそ真の答えを見つけなければならないと思いながら、彼は屋上を後にした。


 その晩、街角の暗がりで金属の羽根を細かく震わせる数匹の蚊が、かすかな音を立てて飛び立った。

廃ビルの一室へと逃げ込んだ彼らは、ほとんど人気のない部屋の奥で卵を産み落とす。

未だ絶えず、あの緑色の培養液を思わせる金属光沢が、その卵の表面をかすかに染めていた。

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