籠の鳥
次に目覚めた時にはどこか室内のベッドの上だった。
慌てて全身をチェックするけど特に異変はない。
場所を確認しようと首を回したところで。ベッドの脇で椅子に腰かけてこちらを見ている男の人と目が合った。
顔を覆っていた布は無くなってる。ふわふわの黒髪、大きな黒目。少し犬っぽい感じの美形のお兄さんだ。
「おはようエミリア」
うん。この少しかすれた独特の声はさっきの賊と同じ。
私は精一杯平静を装ってみせた。
「おはようございます。ここはどこですか?」
「王都だよ」
「王都⁉ わたくし、そんなに長いあいだ意識を失くして……」
「違う。君が眠ってからまだ半刻も経っていない」
つまり転移魔法を使ったということか。
あそこへ行くのに馬車で二週間かかった。ただでさえ一部の人しか使えない転移魔法だけど、その上にこの距離をこんな短時間で戻れる人なんて聞いたことがない。
とんでもない魔法の使い手じゃないの……!
絶望的な状況にめまいがしそうになる。でもここはぐっと堪えた。
「あの、申し訳ないのですが、緊張して喉が渇いてしまいました。お話を進める前に何か飲み物を頂けるかしら? できれば温かい物を」
「! わかった。お茶でいいよね? 君が好きな茶葉を買ってあるんだ」
言いながら男の人は部屋を出ていく。
何故私の好みを知っているのかとかそんなことはどうでもよくて。
足音が遠ざかるのを確認して私はベッドを飛び降りた。
真っすぐに窓に向かう。そこはバルコニーになっていた。
下は庭。斜め前方には門扉が見える。よし。
側仕え用の服でよかった。バルコニーのてすりの上に立った私は左手でスカートを押さえる。
そして右手でつけていたペンダントをぎゅっとつかむと、思い切りよくその場から飛び降りた。
一瞬胸元が熱くなって体の周りに空気の層のようなものができる。その層に包まれてみごと地面に着地成功した。
このペンダントは一回使い捨ての護身用魔道具だ。まあ使ってみたのは初めてなのだけど。壊れてなくてよかった。
ともかく体を起こして門に走る。
けど。門は開かない。というか、鉄柵の門の筈なのに何故かそこに壁のような反発がある。
家の前には人通りもあったので声をあげてみる。
「どなたか! 助けて下さい! 騎士を呼んで! 人が監禁されています!」
「聞こえないよ。ここは認識疎外の魔法をかけてある。君の声は届かないし、君がここから出ることもできない」
振り返る。そこにあの男の人が立っていた。
私は門を背にくっつけて精一杯距離を取る。
「貴方……何なのです?」
「僕はカイル。元王家の影だよ。エミリア、君の担当だったんだ」
そう言って男の人……カイルと名乗った相手は自分のことを話し始めた。
「12才の時にこの仕事に就いてね。その日から12年間、僕はずっと君を見ていたんだ」
なんてことないように言われてぞわっとする。
「つまり貴方はわたくしの影の護衛だった……ということですか?」
「うーん。どうだろう。時々君に危害を加えたからね。ああ、もちろん陛下の命令でやったんだよ? 君が誰かと会おうとする度に毒を仕込んでいたのは僕だ。君がひどく苦しまないよう、でも三日くらいは寝込むような調合をするのに苦労したよ。あと、君と親しく話そうとする使用人たちを報告して配置を変えさせたのも僕だ」
「……」
何故だか嬉しそうな相手に私はどん引きだ。
「公爵家にもついていくつもりだったんだよ。でもあっちの家の護衛に追い払われちゃってさ。ひどいよね。僕と君の仲なのに」
どんな仲。
「でも結局こうして僕は君を正式に手に入れたのだし。すべてがうまくいってよかったよ」
にこにこ笑顔で気になることを言った。
「正式に……?」
「そう。実は陛下から君の暗殺命令が出ていてね。それは絶対に嫌だから君を連れて逃げますって上司に報告したら、だったら君を僕にくれるから、これから一生君を表に出さずに二人で生きていけって送り出してくれたんだ。そうだ言ってなかったね。君は今後ここを一歩でも出たら僕の力不足と判断されて命を狙われるから、気をつけてね」
思考が止まった。
なんだか今理解不能な説明をされ続けているような気がする。
「本当は公爵家を出たらすぐ君を回収するつもりだったんだけど……旅の間、君があんまり楽しそうだったから。ついついあそこまで引き伸ばしてしまったよ。僕はこれから一生君に甘いまま生きていくんだろうな」
照れたような顔をするな。
いやそんな話じゃなくて。
「……陛下にわたくしを殺す理由はないわ」
大事なことを否定してみた。
「うん。変態オヤジの考えなんて僕にだってわからない」
カイルは肩をすくめる。
どういうこと。
理解しようと必死に頭を動かす。
この人がごくごく一部しか知らない情報を知っていることは確かだ。
そして陛下を変態オヤジと表現したことにものすごーーく説得力がある。
つまりそれは、この人の言葉には信ぴょう性がある、ということで。
陛下が私を殺そうとした。
事実が、頭に入って来る。
……なんだか。
腹の底からふつふつと湧き上がってくるものを感じる。
「どうしたのエミリア、」
伸ばされた手をパンッとはじき返す。
それから私はくるりとカイルに背を向けて、スカートをたくしあげると壁のような門扉を靴底で思い切り踏みつけた。
「……あのクソバカ変態オヤジ!!」
信じられない。
信じられない信じられない!
ずっとおとなしく苛められてきてあげてた。それが皆の為になると思って、私に与えられた役割なんだって思って! ずっと! 我慢してたのに! なんで今になって!
正直あんなヤツ嫌いだった。愛情だって期待してなかった。けど、それでも何かしらの繋がりはあるのかと思ってた。
まさか命までどうでもいいと思われてるとは思わなかった!
ガンガンと蹴ってやる。
しばらくして後ろから声がした。
「……泣いてるの?」
私は顔をこすってカイルを睨みつける。
「泣いてないし! 別にあんな変態オヤジに殺されかけたって傷つかないし! というかもう言いなりになる気もなくなったから! わたくしは今すぐここから出て自由に生きていくことを決めましたわ! こんな壁、すぐにぶち壊してやりますです!」
もう一度足を上げると、後ろからふわっと体が抱き込まれた。
「もう止めて。壊れるのは君の足の方だよ」
「止めるなですわ誘拐犯!」
「聞いてエミリア。僕は君の嫌がることは何もしない。君はこれまで通り、ただ僕に見られて暮らしていればいいんだ。城にいるのも公爵家にいるのもここにいるのもたいして変わらないだろう? ここを出る以外の君がしたいことは僕がなんでも叶えてあげる」
私を抱える腕にさらに力がこもる。耳元に熱い息がかかった。
「エミリア。僕は君を愛しているんだ」