襲撃
「まあ! まあ! ほんとに湖が白い!」
「ミアさん落ちてしまいます!」
馬車の中から身を乗り出した私をヘレナ様が必死に押さえてくれる。
ミアとは旅の間の私の偽名である。ほんとはさんづけも微妙だけどヘレナ様が落ち着かないらしい。
景色の中にせっかく見えた目的の場所はすぐに木々に隠れてしまった。
「あとどれくらいで着きますの?」
「この山を越えたらすぐだと聞いておりますが……」
ヘレナ様は手元の資料を見て確認してくれる。
旅に出てから私はずーっと落ち着かない。
なにしろこの世界に生まれてから旅どころか、王都を出たのだって初めてなのだ。
見るもの全部が珍しくて楽しい。建物も自然の風景も前の世界とは微妙に違って好奇心が止まらない。
私に絵心があればスケッチしまくりなのに!
この世界の庶民の暮らしに触れるのも初めてだった。慰問は数回したことがあったけど、それだと見せたいものしか見せてくれないしね。
初めて話す街の人、旅宿の人。初めて見る生活区域、食べ物。嗅いだことのない空気。
このテンションに二週間もつきあってくれてるヘレナ様はありがたい。
ついでにこの状況で一つ発見だったのはお姫様衣装がどれだけ身動きに負担だったのかということ。
神子の側仕えの衣装はどこにも硬い所がなくて前世のワンピースに近い。顔までかかるベールはちょっと邪魔だけど、王族色の銀髪と孔雀色の目を隠すのにちょうどいい。
こんなに体が軽いのが嬉しくて、ついひょいひょいと余計な動きをしてしまうのでヘレナ様は私の行動にすっかり敏感になってしまった。隠密の護衛騎士がついてても、それだけでは不安だそうな。
一応私は側仕え見習いということになっている。なので私がヘレナ様の身の回りのお世話などをするのだけど、私が移動する時には必ず他の人が付き添うようにときつく言い渡されているらしい。
別に危険なことはしませんよ。
今ちょっと揺れたら危なかったかもしれないけど。
「ウル湖の白い色には美肌の効果があって、それを目当てにダリアが降臨していたという説があるのですよ」
「そうなのですか。ではなんとしてでも水浴びをする計画を立てなければなりませんね、乙女心として」
「姫様のような美しいお方が水浴びをしていたらそれこそ神々が迎えに来てしまうかもしれませんよ」
ヘレナ様はくすくすと笑う。冗談だと思われてるようだ。私の本気度を知らせなければ。
「わたくし、一応天幕を持ってきたのですよ。とても小さい物を」
「天幕……?」
「湖のほとりの水際に張ります。そうして目隠しをした上で、ささっと水を浴びたらどうかと」
「姫様! なんてことを! ……いえ対岸からも見えないように出来たらありですかしらね?」
「ですよね!」
私たちはきゃっきゃと手を取り合ってはしゃぐ。
そうこうしている内に馬車は山を下り、草原に出た。
「もうじきに到着ですよ」
言われて窓から外を眺める。
緑一色に囲まれた道の先に灰色の塀で囲まれた街が見える。その形も王都とは違って、古い絵画で見るような古風な造りで興味深い。
なんだかもう、ずっと夢の中にでもいるみたいだ。自分がほんとに聖地をこの足で踏めるなんて、こんなに近くまで来ていてもまだ信じられない。
そんな風に私が感動していると、ふいに、ヘレナ様がきょろきょろ辺りを見回した。
「……何かしら」
そう言って自分の額に指を当てる。
「どうかしましたか?」
「いえ。……いいえありえない。どうしてこれがこんな所に……!」
何の話かと尋ねようとした時だった。
馬車の外が、ものすごい光に包まれた。
なんだかわからないけど思わず頭を抱えて身を伏せたあと、私はゆっくりと目を開く。
「! ヘレナ様!」
隣のヘレナ様は気を失っていた。
誰か呼ばなきゃ!
馬車の扉に手をかけると、それは外側から勝手に開いた。
馬車の中に黒づくめの男の人が乗り込んでくる。
とっさに私はヘレナ様を抱えて奥にずれる。
「誰か! 来てください! 賊ですわ!」
返事はない。この馬車はヘレナ様を護るために結構な数の護衛がいた筈だ。私の護衛騎士も近くにいる筈。それらの気配がまるでない。
じゃあ仕方がない。
「か、金目のものなら後ろの馬車に積んでありますわ! 差し上げますから馬車ごと持って帰って下さい。あ、人は置いて行って下さいませね」
目元以外はすべて布で覆われた男の人の表情は全く読めない。でも、動く気配はない。
ということは。やはりこの人の目的はヘレナ様。
私は必死に頭を動かす。ここで私がヘレナ様を騙ったところで人相風体が違いすぎるだろう。……いやでも顔は隠してるしいけるかも?
ヘレナ様を逃がした後で正体を話して大金を支払うことで見逃してもらう。よし、そうしよう。
「……わ、わかりました。わたくしがヘレナです、おとなしく従いますから他の人は……」
「違う」
男の人が目だけで笑うのがわかった。
ダメか。ああ。どうしよう。どうしよう。
すると、男の人の手が何故か私へと伸びてきた。そのまま私の体は相手に抱きこまれてしまう。
「君は、エミリアだ。……ああ。ようやくだ。やっと、この手で君に触れられた」
謎の言葉を聞いた次の瞬間には、私は意識を飛ばしていた。