自由だ
天国はここにあった。
ここはスター公爵家別邸。
屋敷に夫人が二人いるという混乱を招かない為に、私は同じ敷地内にある離れに住まうことになった。
形だけとは言え本妻の私が母屋を追いやられることに、惨めな思いをしないようにとロザリンデ様の心づくしですべてが快適に整えられている。素晴らしい。
王城ではありえなかったきれいな花や美術品やおいしい食べ物に囲まれた穏やかな日々。ドレスはあいかわらず暗い色が好きだけれども。
療養中ということになっている私は一日のほとんどを趣味の時間に費やした。
勉強もない。具合も悪くならない。侍女たちは話しかければふつうに会話をしてくれる。
こんなに楽しい暮らしはこっちで生まれてから初めてだった。
週に何度かはロザリンデ様が離れに顔を出してくれる。一緒にお茶をしながら、勉強では学べない世の中のあれこれや今社交界で起きていることなどを教えてもらう。
ロザリンデ様はバラの花のように華やかで太陽のように眩しく温かで、もうほんとに出来ればお姉さまと呼ばせて頂きたいくらい素敵な人だ。
たまに嫡男のケント様やルイス様を連れてきてくれる。
ケント様は私やルイス様と同じ銀色の髪をした活発なお子さんだ。ルイス様を巻き込んで離れの使用人全員と庭でかくれんぼ大会を開いたりする。もちろん私も参加して、今生では生まれて初めての子供の遊びがちょっと楽しかったりした。
そんな素晴らしい暮らしの中でも、月に一度の神殿通いだけはこっそり続けさせてもらっていた。
今日も私は人目につかない完全防備のお忍び姿で、王都の中心にある大神殿へ向かう。
「姫様」
使用人口から入った私を出迎えてくれたのは神子のヘレナ様だ。
この国の神殿に仕える人間には神官と神子がいる。神官はなろうと思えば誰でも可能な役職だけど、神子は違う。
神子は皆、生まれた時に額に神々の祝福の印があって、その祝福された神の属性に沿った特殊な能力を持っているのだ。
神殿は保護という形で彼らを集めて身分を与えている。市井に放っておくとその力を狙われて危険だかららしい。
集められた神子たちの力は平等にこの国の為に使われることになる。
ヘレナ様は大地の神ロロ様の祝福を受けている。様々な能力の中でも鉱物や魔石の感知に長けていて、資源の発見などができるらしい。
私とは10こほど年齢が離れてるけど、最初に対応してもらった時からなんだかものすごく気が合って、私がここへ来る度に相手をしてくれる担当になっている。
一応お忍びで来ているのでおえらいさん方には会わずに真っすぐ私たちに与えられた部屋に向かう。
護衛の人も侍女の人も廊下で待ってもらって扉を閉める。
そしてヘレナ様がつややかなチョコレート色の髪を翻して勢いよく振り返った。
「姫様! 本日は姫様にお話ししたい重大な情報があるのです」
ヘレナ様はどこかから取り出した一枚の紙をテーブルの上に乗せる。
「先日発表された、古文書研究者による新説です。発見したのは聖典とは関りのない一般の古文書研究者なのですが……」
「なに。何なのかしら」
「古文書によると。どうも、かつて我が国にいた馬の毛色はほとんど金色一色だったのではないか……と思われる書き込みがあったそうなのです」
「……まあ」
私の脳内でヘレナ様の言葉の意味が巡った。
「ということはですね。これまで主神イーラーの髪色と言われていた馬の毛色というのが……」
「茶でも黒でも灰でも白でもなく金色一択の可能性があると……?」
「そうなのです!」
ヘレナ様がテーブルを叩いた。私は叫びそうになる自分の口を押さえつける。
「信じられない……これで主神の髪色論争に決着がつくというの? ああ大変。各派閥の方々はどうされているのかしら? いえ、待って待って。そうしたらこれまで主神の色として作られてきたグッズ……じゃないお守りの数々をすべて総入れ替えしなければならない? なんてこと! では私のドレスも金色に入れ替えて……!」
「落ち着いて下さい! おそらくですが。これから髪色についてしばらくは激しい論争が繰り広げられるでしょう。ですが頃合いを見て結局は金色も、そうであった可能性の一つとして受け入れられるのではないかと、私個人的には予想致します」
ヘレナ様の冷静な分析に私はすがるような目を向ける。
「つまり他の色は排除されずに新たに増えるだけ……?」
ヘレナ様はにやりとし、こくりとうなづいた。
よし、と私は拳を握る。
「素晴らしいわ! では早速新しいお守りを作りましょう!」
私、全色推しでよかったー!
心の中で喝采を叫んだ。
今生での私は神話推し活動をしている。
私とこの世界の神話の出会いは確か6つの時だったと思う。それまで物語らしい物語に触れてこなかった私は、神話の講義の物語の世界に一気にのめりこんだ。
もともと私は前世から愛されるより愛したい派だった。なのでこの趣味活動さえあればドレスも宝石も家族の愛情もなくても心は十分潤っていた。
そしてヘレナ様はそんな時に出会った同士だ。
大好きな推しと、同好の士。それさえあれば大満足で生きていける性分なのである。
「金色が映えるお守りって何かしら? さすがに本物の黄金を使っては高価すぎるわね。じゃあ黄色か何かを代用にして……」
「その前にまずは金色の髪をした主神イーラーの姿を確認したいですね」
「ああ! そうね! では絵師の確保を! ああでも人気の画家は既に各派閥に押さえられているでしょうね……」
「はい……」
派閥に押さえられてしまうと、その画家はその派閥の指定以外の髪色の絵は描けなくなってしまうのだ。
そうだわ、と思いついた。
「以前陛下に頂いた新進気鋭の作家の作品というものの中に、とてもきれいな人間を描く人がいたの。その方に頼んでみたらどうかしら」
「陛下の……というと趣味が悪いとおっしゃっていた……」
「ええ。とっても美しい男だか女だかわからない人間の顔をした、体は魔獣の生き物の絵だったわ」
苦笑いしてみせる。
「ともかくその方に一度描いてもらってみましょう。最悪顔だけはイメージが確認できるかもしれないし」
お試しでこんなことができるなんて、お金があるって素晴らしい。
こんな感じで一通り騒ぎ終わってから、少し落ち着いたところで私たちはお茶をすることにした。
しゃべり過ぎでからからになった喉を潤していると、早々にカップを空にして二杯目を注ぎながらヘレナ様が口を開いた。
「それにしても。出発の前に姫様とこのお話ができてよかったです」
「出発……ああ、もうそんな時期なのね」
思い出す。ヘレナ様は年に何か月か、その能力を使う為の出張に出られるのだ。
依頼があった土地に出向いて土の中の資源を確認したりするそうだ。
「何日も馬車に揺られていくのでしょう? 神子の務めは本当に大変ね」
「ええ、まあ。ですが今年はウル湖のある領地へ行くのですよ。それだけは本当に楽しみで」
「ウル湖⁉ 主神イーラーとその妻ダリアが出会ったというあのウル湖⁉」
「ええ! そのウル湖です!」
ある日主神イーラーが地上へ散歩にやってくると、同じく空から降りてきて湖で水浴びをしていた命の神ダリアに一目惚れしてしまう。
なんやかんやあって神々は結ばれて、世界にたくさんの神を産み落としたのだ。
いわばそこは神話の世界では聖地中の聖地なのである。
羨まし過ぎる。私なんて絵画でしか観たことないのに。
なので思わず口に出していた。
「……わたくしも行きたい」
するとヘレナ様は急に大人の顔を作ってくる。
「そうですね。いつか神々のお導きがあれば姫様もきっと訪れる機会がありますわ」
そうじゃなくて!
「ヘレナ様と! 一緒に行きたいのですわ! 二人でウル湖の砂を集めたり、湖畔に咲く花を加工できないか一緒に考えたり、夜中にこっそりみ、水浴びをしてみたりとかそういうことがやりたいのです!」
「姫様……! そんな……考えただけで興奮して頭に血が上りそうな提案を次から次へと……!」
一瞬で元に戻ったヘレナ様が口に手を当ててぷるぷると震えている。
そうだよね。同士と聖地巡礼なんてこんなに楽しそうな妄想が他にあるだろうか。
よし。決めた。
「どうせわたくしは屋敷の中で寝込んでいることになってるのです。半年ぐらいいなくなっても誰も気にしないしバレませんわ! わたくしルイス様にお願いしてみます!」
「ではお許しが出たら姫様は私の側仕えとして紛れ込ませましょう! 親戚の娘が見習いに入ったとでも言っておきますわ。その程度の融通ならきかせられますから!」
ヘレナ様はこんなだけど意外と神殿内で権力はあるのだ。
私たちは悪だくみに向かってがっちりと握手を交わした。
屋敷に戻ってから、私はルイス様たちから泣き落としで許可をもぎ取る。
そうして私は夢の聖地巡礼へと旅立つことになったのである。