嵐の日
朝、薄暗い内に起きてまず一日分の食事を作って朝食。次に洗濯。それを干す。
それからカイルと一緒に掃除をしたあと昼まで翻訳作業。
昼食の後はなんだかんだ理由をつけてカイルをお使いに出し、一人でなんちゃって畑作業。と同時にもしかしたら地下には魔法も及ばないかと思って、塀際で脱出トンネルを掘ってみる。それを夕方まで続ける。
カイルが戻るまでにちゃちゃっとお風呂を済ませて身ぎれいになってから洗濯物の片づけ。
夜は夕食と縫物仕事、家にある布を切った繋いだり刺繍したりしてなんとか売り物になりそうな小物を作ってみている。小銭くらいにはなって欲しい。
目が疲れたら就寝……の前に入手してもらった聖典をベッドで熟読した後、寝落ちする。
と、そんなスケジュールが私の生活となった。
もうちょっと翻訳の時間がとれると現金が手に入るのになー。
などとお姫様生活を18年もやったというのに簡単に前世の思考に戻ってしまっているのが我ながら悲しい。
そんなふうに、私の掌がすっかり家事仕様になって来た頃だった。
その日は朝からひどい雨と風だった。
カイルを外には出せないし、畑仕事もできないので午後は翻訳に集中する。
もったいないけどあまりにも暗いので魔石ランプを昼から使用。
外では雷も鳴り始めた。
するとノックの音がした。
翻訳仕事中は気が散るから離れていてと頼んである。なので、こうして接触してくるのは珍しい。
「あの……エミリア。お願いがあるんだけど……」
開いたドアからなんだかびくびくしたカイルが顔を出した。
「君の邪魔はしないから、今日はこの部屋の中にいていいかな」
「? まあ……構いませんけど」
カイルはふにゃりと弱々しい笑みを返してきた。
何なんでしょう。
そして私は仕事に戻り、カイルは部屋のソファに腰かける。
しばらくして。
窓の外が大きく光ったかと思うと、ものすごい衝撃音がした。
雷がどこかに落ちたらしい。この感じだと近所かなー。
ガタン、と今度は室内で音がする。
振り返れば、カイルがローテーブルを倒してソファの上で頭を抱えて丸くなっていた。
「どうしましたの⁉」
思わず駆け寄って背中に触れる。その体はがたがたと震えていた。
また雷が響くとビクッと飛び上がりそうになる。
……なるほど。そういうこと。
「カイル、貴方、雷が怖いの?」
尋ねれば無言で何度もうなづき返す。
そうか。怖いのか。怖いならしょうがない。
私はソファの隙間に体をねじ込んで無理やり腰を下ろす。そうしてカイルの背に手を当ててぽんぽんと体を叩き続けることにする。
前世の弟たちにはこうしていたっけな。
「……ねえカイル。貴方が買ったこの屋敷は頑丈そうだから雷が落ちても被害はありませんわよ、きっと。それでももし火事にでもなったら貴方の水魔法で消してしまえばいいのです。もし屋根が壊れたら……わたくし達で直すしかありませんわね、さすがに大工仕事はあまり経験がないのですが……庭の木って木材になるのかしら?」
なんでもいいから何かしゃべって気を逸らそうと思うのだけど。うーん。この人の気を引く話題って何だろう?
と考えていると顔を上げたカイルと目が合った。
「……歌って、くれないか」
「へ?」
「王宮にいた頃はこういう日にはエミリアはよく歌ってただろう? あと変な踊り? も一緒に」
「……」
見られていたのか。そりゃそうか。
確かに。城にいた時、こんな嵐で雷の日にはきっと誰にも聞こえないと思って、一人部屋の中で前世の推しの曲を歌いまくっていた。
いいストレス発散になってたんだよー!
前世では時間とお金に終われる日々の中で推しの存在だけが希望で救いだった。今世だって、最初に主神イーラーに萌えたのは彫像が前世の推しにちょっと似ていたからだ!
ああ。しかし。恥ずかしい。
「君の歌を聴いていると雷が気にならなくなる。おかしな動きを目で追っていると怖いという気持ちが薄れるんだ」
そうは言われましても。
うーんうーんと私は悩んだ。そして思いついて顔を上げた。
「わかりました。でもわたくしだけ恥ずかしいのは嫌ですから貴方も協力するように」
「協力……って何を?」
「まずは曲のリズムに合わせて手拍子。その後は私の指示に従って魔法ランプを振ったり手を振ったり何かその辺の物を振り回してもらったりしますわ」
「その辺の物……?」
「いいからまずはやってみましょう!」
開き直った私は部屋の中央に立った。
左手にエアマイク。軽い発声練習。
どうせ正解を知られてないんだから下手くそだろうと気にしない!
そうして私はカイルの前で、前世の推しの私が考える最高のセトリでライブを始めるのだった。
結局、ライブは夜まで続いた。
たぶんカイルも楽しんでくれたんじゃないかなと思う。
私の指示に合わせて一生懸命手拍子したり体を動かしたり声を出したりして、途中から雷の音にも反応しなくなってたし。
花道に見立てて部屋中を走り回る私を意味のわからないカイルはただついて回ったり。
タオルがないから上着を脱いで振り回してもらったらあちこちなんか破壊したり。
歌いながらこっそりちぎってた紙を紙吹雪のようにばら撒いたらけっこううけて貰えたり。
二人ライブはそこそこに盛り上がって終わった。
声はがらがら、体も疲れ切ってそのまま倒れこんだ私をカイルがソファまで運んでくれる。
「……昔ね。師匠が僕の魔力と自然の雷のどっちが強いだろうって思いついたんだ。そうして嵐の日に屋根の上に僕を魔法で縛り付けた。嘘か本当かわからなかったけど、雷は全部僕に向かってくるよって言われてね。まだ防御魔法も習ってなかった僕は泣きながら一晩中空に向かって攻撃魔法を打ち続けたんだ。……結局師匠の思うような実験にはならなかったみたいだけど」
まるで当時の自分自身にそうしているかのように、カイルは脱いだままだった上着で私の体をくるんでくる。
「死ぬのも怖かったけど……自分を守ってくれると思ってた人がそうじゃなかったっていう絶望感の方が大きかったかな。あの時の、突然足元がぱっくり割れてどこかに落ちていくみたいな感覚が体に染みついていて、雷の音を聞くとどうにもならなくなるんだ」
でも、とカイルは続ける。
「いつだったかの嵐の日にね、初めて君の歌を聴いた時、自分の体から力が抜けていくのがわかったんだ。まるで魔法みたいだと思った」
あーあー本物の推しの歌はこんなもんじゃないんだよとかそれは曲自体がいいんじゃないかなとか言いたいけど、たぶんそういう話じゃないので言わないでおく。
なんだか気持ちがもぞもぞするのでとりあえず私はそっぽを向いた。
「貴方もずいぶん大変でしたのね。お互いやっかいな養育者に育てられてしまったってことかしら」
「そうだね。陛下と師匠の変態比べなら負けないと思うよ」
「結構です。勝ちたくありませんわそんなもの」
「……うん。僕もだな」
カイルの言葉に思わずちょっと吹いてしまう。
少し笑ってから私たちはふと目と目が合った。
そこで突然私は今の状況に気付いてハッとなる。
夜中に、一室で、自分に好意がある男性と二人きり。
これはまずいんじゃないか。雰囲気を変えなければ。
「こ、今度は貴方も一緒に歌いましょう? 次の雷が鳴るまでに曲を覚えること。たくさんあるから少しずつ教えるわね」
「僕が……歌う⁉」
「貴方いい声ですもの。きっと素敵に歌えるわ」
「いい声……」
あら嬉しそう。あまり言われたことがなかったのかな。
「まずは覚えやすそうな短めで穏やかな曲がいいわね。最初に私が歌ってみて、貴方にそれを追いかけてもらって……!」
話す私の唇に、突然、カイルの人差し指が当てられた。
「うん。わかった。だから続きは明日考えよう。今日はもうしゃべらないで。声がひどいことになってる」
ぽんぽんと、さっきのお返しみたいに肩を叩かれる。
「明日の朝は喉にいいお茶を用意しておくね。もうこんな時間だし、少し遅めに起きてもいいかな。……今日はありがとう。エミリアと出会えて本当に良かった」
言ってカイルは書斎を出ていく。
完全に扉が閉まってから、私は自分の口に手を当てた。
顔が真っ赤になってるのが見なくてもわかる。
うわあ。なんだこれ。こんなことくらいで動揺するな自分!
こういうのに経験値ってほんと重要だよね。耐性がなさすぎるー。
それから私は赤い顔をカイルの上着で隠して逃げるように自分の寝室へと戻ったのだった。