愛はない
ああ、やっぱりそうなるんだ。
目の前でいきなりいちゃつき始めたカップルを見て私はこっそりため息をついた。
ここは王都にある公爵家別邸の夫婦の寝室。
時刻は深夜。昼に挙式を終えたばかりの新婚初夜の始まりというタイミングだ。
その場所へ、先ほど私の夫となった人、従兄で公爵子息のルイス・スター様は何故か1人の女性を伴って現れた。
「エミリア。私は今後一切君を妻として扱うつもりはない。私が愛する女性は生涯彼女ただ一人だ」
こう宣言して、二人は熱い抱擁と口づけを交わし始めたのである。
突然だけど私には前世日本人の記憶がある。
ある日横断歩道を渡ろうとしていたら、信号を無視してきたでっかい車にはねられて意識が飛んだ。
次に気づいた時には私は真っ白い空間に一人で立っていた。
『ごめんね、間違えちゃった!』
頭の中に声が響いた。
声の主は軽ーい感じで話し始める。
自分はとある世界の管理人であること。
その世界の流れが最近停滞してきてしまったので、ここらでひとつ異世界から異分子を投入して活性化を計ろうと試みたこと。
なのに。
計画に必要な人物を連れてくる際に、無関係な私をうっかり巻き込んでしまったと。(ちなみに本来の目標は私の斜め前を歩いていたお兄さんだったらしい)
一度死んでしまったものはもうどうにもならない。でもあまりにも申し訳ないのでせめて自分の世界でいい感じに生まれ変わってもらおう、ということにしたのだそうだ。
『あんまり贔屓が過ぎると私のミスが目立っちゃうかもしれないから。ほどほどにいい感じにしておくね!』
ああ、そうですか。
『とにかく死ぬまでお金か愛情のどっちかには不自由しない設定にしておきます』
どっちかかー。
『こっちの世界も悪い所じゃないのよ。それじゃいってらっしゃい! エンジョイライフ!』
という感じで今世に送り込まれて早18年。
私はこの国の王様の一人娘として生を受けた。
なのに物心がつく前に両親は揃って事故死。ひどすぎる。
跡を継いだ叔父様は私にみじんも愛情を持っていなかった。
というか苛められていた。それもとてもわかりにくいやり方で。
それでも物と教育は与えられたので、これまでさほど不自由のない暮らしを続けてこられたのだ。
そうしてなんとか今日の嫁入りまで辿り着いたのだけど。
温かな家庭とか、ちょっとだけ期待してたからがっかりが大きい。
そうだね。公爵家はお金持ちだもんね。お金があるなら愛情はないのね。
でも、まあ、仕方ない。私はこういう設定なのだ。
準備万端で薄い夜着を着ていた自分が恥ずかしい。近くにあった厚いガウンをそそくさと羽織った。
そんなこちらに気づいているのかいないのか、ようやく抱擁を終えたルイス様は話を続ける。
「エミリア。確かに私は君に親切にしていた。そのせいで勘違いをさせてしまったのならすまないと思う。だが私がそうしていたのは母からの頼みと、親族であるという責務からだ。けして君自身への特別な感情ではない。それを理解してほしい」
「わかりました。では、わたくしの為の寝室をご用意くださいませ。そしてこの部屋はどうぞお二人でお使いになって」
すんなりと受け入れた私にルイス様は一瞬ぽかんとした。でもすぐ失望したように首を振る。
「ここをやり過ごして後で伯父上に泣きつけばどうにかなるとでも思っているのか」
「いいえ。わたくしに異議はないと申しております。どうぞルイス様の思う通りになさって? ですがそのことでこれから公爵家が立たされるお立場については貴方様自身でなんとかなさって下さいね。そちらの女性の方については……」
ルイス様に並んだ相手の顔を見て、私は言葉を止めた。
「……ロザリンデ様?」
「はい」
うっすらと頬を紅潮させ、しっかりこちらを見据えてうなづき返すその人。
知ってる。
まぶしい金色の巻き毛に吸い込まれそうな濃紺の瞳のゴージャスな美女。ルイス様の妻、だった人である。
でも。
私は開けていた口を一度閉じて、もう一度開けた。
「貴女様が、何故こちらに? その……家を出た、と聞いておりますが」
ルイス様の前妻は護衛騎士と不義を働いて屋敷を叩き出されたと聞いている。
するとルイス様は険しい顔でロザリンデ様を再び抱き寄せた。
「ああ、確かに離縁はしたとも。そうしなければ王家の力で妻を排除をすると伯父上に脅されてな!」
「ええ!」
びっくり過ぎた。
「君が! 君を溺愛する伯父上に頼んだのだろう! その……君が私を慕い、どうしても妻の座が欲しいと願ったらしいな! そんな我儘のせいでロザリンデは……!」
「慕ってません!」
思わず声を上げてしまった。
待って。待って待って。話が見えない。
私たち三人は顔中に疑問符を浮かべながらお互いを見た。
「……少し確かめ合いが必要なようですね。とりあえず一度、落ち着きましょうか」