田口くんが爆発した。
田口くんが爆発した。
わたしの前の席で突然、弾け飛んだのだ。
「せ、せんせい……! た、たっ、たた田口さんがッ!!」
誰かの声で、はっと眠気が吹き飛んだ。
気付けばわたしの机は、赤い血でぐちゃぐちゃになっていた。
教科書とノート、お気に入りの筆箱その中身も、全部。
クラスは騒然としていた。
ひぃぃ、と生徒が飛び出していく。
教室には、田口くんだった物が散らばっている。
異様な光景の中、悲鳴がけたたましく響いていた。
「きゅ、救急車……!? お、おい! 田口ィ!」
わたしは顔に付いた血を拭った。
手のひらはべっとりと赤くなっていた。
それを眺めながら、ぼんやりと思う。
わたしにかかったこれは、この飛び散った物たちは。
「田口くん……なんだね」
田口くん。
あまり喋ったことはない。
クラスの陽キャにいつもいじめられていたのは知っている。
でも、それだけだ。
わたしは彼について、何も知らない。
そんな田口くんが今日、爆発した。
「あんた、大丈夫だった!?」
「へぇーきでーす」
「目の前で人が爆発するなんて……なんでまた」
「そんなの知らないよ」
「とにかく、汚れ落としなさい。あぁそんなの、クリーニングに出せるかしら……」
「じゃ、部屋いくね」
「ちょっと! 制服脱ぎ——」
心配する母をよそに、そそくさと自室に駆ける。
扉を閉めて、ようやく落ち着いて息を吸った。
わたしは興奮のまま、血まみれの制服を脱ぐのも忘れ、スクールバックを学習机の上に置く。
一呼吸置いてから、ゆっくりとチャックを開ける。
バッグ中には、わたしの机の上に落ちた、あの赤黒い物体。
「持って帰っちゃった……田口くんの内臓……」
爆発の後、わたしはどさくさに紛れて内臓をバッグに流し入れた。
あの騒動の中だ。誰もわたしを見る人などいない。
血の匂いはかなりするけど、この制服だって同じだ。
中からそっと内臓を取り出す。
田口くんのそれは、ぐにゃりとしていた。
理科で人間の臓器は習ったけど、ぐちゃぐちゃすぎてどの臓器かわからない。
少なくとも、脳や心臓ではなかった。
「どこだろ……この色、このツヤ……腎臓?」
もっと真面目に生物の授業を受けていればよかった。
わたしは内臓を机に置く。べちゃっと生々しい音がした。
そして、じっくりと眺める。
これが田口くんの中に入っていたと思うと、不思議だ。
これがわたしの中にも入っていると思うと、奇妙だ。
「もしもし、田口くん……わたしです。聞こえますか?」
内臓に話しかけてみる。
言葉は返ってこなかった。
触ってみても、ピクリともしない。
死んでしまった田口くんの内臓は、何も喋らない。
わたしには『超能力』がある。
それがこれ。
「そのお肉、悪くなってるから食べないほうが良いよ」
「あら、ありがと。いつも思うけど、なんで分かるのよ?」
「ん、なんとなく。そう言ってる気がした」
「変な子」
わたしは肉と話すことができる。
死んだ肉が放つ言葉を拾うことができるのだ。
まぁ、彼らの言葉はたいていこんな感じ。
【おい!オレを食うならあっちからのほうが焼きたてだぜ!】
【あたしを食ったら腹痛くなるわよ?】
【へん!人間ごときに食われてたまるかってんだ】
【いやだよぉ〜食べられたくないよぉ〜】
肉は実に自由だ。
焼き肉の食べ放題なんかに行けば、100個近くの肉と会話する。
寿司屋なんかも大変だ。海は広いので、言葉が通じなかったりする。
肉はグローバルなんだと『超能力』で知った。
実際、わたしはこの能力が嫌だったりする。
肉と話が弾んでも、結局は食べて終わりの一期一会だ。
「しっかし、クラスメイトが死ぬなんて……悲しいなぁ」
父親がビールを飲みながら言う。
すでに酔っているのか、軽く泣いていた。
「その、田口くん? って子は、なにか病気でもあったの?」
「なんも知らない」
「俺だったら、ショックで2日は寝込むな」
「あたしは1週間ね」
わたしはあまりショックを受けなかった。
だって、田口くんと接点もなかったのだから。
ニュースでどこかの誰かがが死んだって報道してても、何も思わない。
食べようとする肉が「死にたくなかった」と泣き出しても、何も思わない。
わたしにとって、死はただ、それだけ。
「そのお肉、とってもおいしいよ」
でもどうして、死んだ田口くんの肉とは会話ができないのだろう?
翌日登校すると、学校中が騒然としていた。
「誰か死んだらしいぜ」「なんか爆発したとか」「田口?誰だそれ」「いじめられてたらしいよ」「爆発するいじめ?」「やば」「ま、死んでも誰も悲しまねーよ」「それよりソシャゲのイベント手伝ってよ」「金ねぇ〜」「小テストだっる」
生徒が死んでも、学校は「田口くんへの黙祷」だけしか行わなかった。
それだけで、田口くんの爆発の話題は終わった。
いつものホームルームが終わり、授業がどんどん終わっていく。
「おい、豚」
昼に弁当を食べようとしたとき、声を掛けられた。
顔を上げると、クラスの陽キャたちがわたしを囲っていた。
田口くんをいじめていた奴らだ。
「これ、食ってみろよ」
母親の作ってくれた弁当の上に、ゴキブリが落ちてきた。
まだ生きているのか、足がぴくぴくと動いている。
陽キャたちのニヤニヤとした笑い方はゴキブリよりも気持ち悪い。
「イヤだ」
「そう言うと思ったぜ、豚がよ」
男子に髪を掴まれ、ずいっと顔が近づいてくる。
ろくに歯も磨いていないのか、息は臭い。
「田口が死んじまったんでな。オレたち遊び相手が居ないんだよ」
「あたしたちのために、いじめられてくれない?」
彼らははっきりと「いじめ」と言った。
わたしは陽キャたちを睨む。
だけどそれをしたところで、彼らは喜ぶだけだった。
ぱん、と平手打ちが飛んでくる。
「バァーカ、勝てると思うなよ陰キャ」
「ゴキブリ、食べろって!」
「そぉれっ、食ーえ! 食ーえ!」
陽キャが騒ぎ立てる中、助けは来なかった。
周囲の誰もが、黙々と昼ごはんを食べている。
関わったら次は自分の番だ——そう読み取るのは簡単だった。
「イヤって言ってるでしょ」
わたしは陽キャを軽蔑している。
いじめをするのが最低というより、自分の暇を自分で解決できない浅はかさ。
自分で自分の機嫌も取れない、愚かさ。
他人をいじめる奴らなんて、しょせんそんなもの。
「いいから食えっつってんだろゴミ!」
手から奪われた弁当を、顔に押し付けられた。
ぐちゃぐちゃとした中に、硬い感触がした。
あーあ。
うちの母親のご飯、けっこう美味しくて好きなのに。
異変が起きたのは、田口くんの内臓が「肝臓」だとわかった時だった。
「でね、奴らがわたしにゴキブリを押し付けたの。もー気持ち悪かった」
わたしはあいかわらず、田口くんの内臓に話しかけていた。
この『超能力』をもってしても、内臓は一言も喋らなかった。
だから、一方的に話をした。
たいていは言う価値のない愚痴ばかりだったけど。
「田口くんがいなくなったのに、なんで学習しないんだろ。バカだよね」
わたしがそうこぼしたときだった。
ひゅ、と内臓から音がした。
ものすごく小さな、本当にかすかな音だった。
その音が『超能力』で拾ったことは、すぐにわかった。
田口くんの内臓が、喋っている!
「田口くん……田口くん!?」
「………ね。………んね」
「ね? なに、聞こえない! もっと大きな声で話して!」
内臓に説教をする。
反省したのか、少しずつ声が大きくなっていった。
そして、彼が発した途切れ途切れの言葉を拾って、わたしは口にした。
「ご、め、ん、ね……?」
内臓が沈黙する。
わたしに伝わったことを理解したのだろう。
言っている意味がわかったところで、田口くんの意図はわからない。
「なんで謝るの。田口くんは悪いことしてないでしょ」
「だ、け、ど、い、じ、め、が」
「どうでもいいってそんなの。わたしはなんにも気にしてないから」
どうやら田口くんはわたしに「申し訳ない」と思っているらしい。
自分が死んだというのに、他人の心配をしている。
なんて優しい人なのだろう。
それと同時に、その優しさがいじめられた原因であるのが、悲しかった。
「田口くん……ふふ」
わたしは田口くんの内臓に触れた。
やっぱりぬるぬるしていて、ぐちゃぐちゃだ。
「やっと田口くんと話ができた」
「う、ん」
「なんで今まで話せなかったんだろう」
「か、ん、ぞ、う」
「肝臓?」
臓器をまじまじと見る。
赤黒くて、つやつやしていて、よく見ると三角形をしている。
たしかに理科の授業で習った肝臓は、こんな形だった。
「なるほど。『沈黙の臓器』ね」
「い、ま、も、が、ん、ば」
「頑張って話してくれてるんだね。ありがとう」
わたしは改めて、田口くんの肝臓に触れた。
肝臓はもう働いてはいないけど、田口くんであることは確かだ。
「わたしたち、あんなに席が近かったのに、何も話さなかったね」
「ご、め、ん」
「謝んないでよ、もう」
わたしは口元が釣り上がるのを感じた。
内臓が肝臓だとわかったこと。
初めて田口くんと話せたこと。
それが、たまらなく嬉しかった。
「田口が死んだ理由、教えてやろうか?」
体育の授業の後、わたしは校舎裏に連れて行かれた。
陽キャたちが笑いながらわたしを蹴り飛ばした。
顔や腕、足は狙わず、見えないところだけを蹴る。
いかにもいじめらしい暴力だった。
「あいつ、なんで爆発したと思う?」
「……しらない」
「勝手に喋ってんじゃねーぞ、豚がよ!」
男子に思い切り蹴られる。
みぞおちとかに入ると、とても痛い。
痛いけど——田口くんはこの何百倍も、痛かった。
死ぬほど、痛かったのだ。
「俺たち、田口をおもちゃにするのも飽きてたんだよ」
「言うこと聞くだけじゃあ面白くねぇなって」
「したらさー、こいつがマジヤバいやつネットで買ったの!なんだっけ?」
「小型爆弾だよ。遠隔操作で起爆できるやつ」
「まじやべぇよな! 持ってきたときビビったもん」
「爆弾がネットで買えるとか、日本終わってるわ〜」
自分たちだけで盛り上がる陽キャ。
聞かされるわたしの身にもなってほしい。
「で、オレたちはこいつを田口に飲ませることにした」
「あんときの田口に笑っちまったよな。『いいよ!』って」
「めっちゃ笑顔で草生えたわ〜」
「ユーチューブだったら『この数分後、死にます』ってテロップ入ってたぜ」
ゲラゲラと下品な笑い声。
話ついでにわたしのことを蹴る。
「どうせならつまんねぇ授業のときに爆発させようってなってさ」
「スイッチ押す時、マジ震えたわ。ほんと貧乏くじ引いたって思った」
「それはお前が賭け麻雀に負けたからだろ、自業自得!」
「でも、お前は押した!」
「そう、俺は押した!」
「そしたら?」
「そしたらぁ!?」
「爆発したのは、田口くんでした!」
ヒャーハッハッハッ……。
声を揃えて笑い声が上がる。
どうやら笑えるところなのだろう。
つくづく、こういう奴らの頭は理解できない。
「つー感じで、田口は爆発したってワケ」
「誰にも言うなよ? もし誰かにチクったりしたら、殺すからな」
「捕まるぐらいなら、お前殺してからムショに入るわ」
「だったらこいつにも爆弾飲ませて脅そーぜ!」
「あの爆弾、クソ高かったんだからな? お前らも金払うならいいぞ」
「じゃー無理だな。俺アップルウォッチ買っちまったし」
「やべっ、次の授業始めるべ」
「ちゃんと出席するとか、優等生になっちゃう〜」
満足したのか、去っていく陽キャたち。
ひとりになって、わたしは口の中に溜まった血を吐き出した。
べちゃりとした、赤い血。
田口くんのそれとは比べ物にならないほど、鮮やかな色をしている。
「田口くん……こんなクソ野郎たちの相手、してたんだね」
この自分の痛みなんかよりも。
田口くんが生きていた頃のことを思うと、胸が死ぬほど痛かった。
いじめはその後も続いていた。
体育着が破られた。弁当を捨てられた。筆箱に精液を入れられた。トイレで水を掛けられた。髪を切られた。殴られた。蹴られた。
でも、ぜんぶ、どうでもよかった。
わたしには憩いの場がある。
わたしと話してくれる、唯一の友達がいる。
「ねぇ、田口くん。してほしいことってある?」
「してほしいこと、かぁ……」
田口くんの肝臓は、ようやくスラスラと喋られるようになっていた。
わたしがそう特訓したからもあるかもしれない。発声練習とかさせた。
肝臓を特訓したのは、きっと世界でわたしだけだろう。
「こうしてきみと、はなせるだけでも」
「でも、田口くんは動けないし……何もできないでしょ」
「そうだけど……そうだなぁ……」
うーんと唸る肝臓。
たしかに彼の立場で考えてみれば、当然かもしれない。
わたしが肝臓だけになったら、いったい何を望むだろうか?
また生きたい? それともちゃんと死にたい? このままでいたい?
「あのさ。ふたつもあるんだけど……」
「えー? どっちかにしてほしいな」
「じゃあ……うん、きめた」
はっきりと田口くんは「願い」を言った。
「ふくしゅう」
わたしは何回かまばたきをした。
「復習?」
「ちょっとちがうね。えいごでいったら『リベンジ』だ」
リベンジというのは、つまりは『復讐』。
田口くんが望んでいるのは、復讐。
「ぼくのかわりに、ふくしゅうしてほしい」
「ちょ、ちょっとまって! 復讐って、誰に」
「決まってるよ。クラスメイト全員に」
なるほどたしかに、理にかなっている。
ずっといじめてきた奴らに、自分を殺した奴らに、自分を無視した奴らに、死んでも復讐したいというのは。
でも復讐って、なにをするの?
「わたしが、みんなに復讐すればいいの?」
「そう。たいへんなおねがいだとはわかってる」
「……どうしてもしてほしい?」
「しぬほどしてほしい」
死んでるじゃん、というツッコミは黙っておく。
あの優しい田口くんがそう言ってしまうのだから、いじめとは悪だ。
とにかく、わたしの答えとしては。
「いいよ。田口くんのために、復讐する」
ありがとう、と肝臓が笑ったような気がした。
わたしは復讐の準備を進めていった。
自分で稼いだお金を使いながら、田口くんから知識をもらいながら。
ふたりで「あーだこーだ」準備する時間は楽しかった。
学園祭の楽しさってこういうことなんだ、とわかった。
いじめは続いていた。
どんどんエスカレートしていって、ついには病院にも行った。
でも「転びました」と嘘を付いた。
何をされても、何があっても、わたしには田口くんの復讐がある。
田口くんの復讐は、わたしの復讐で。
ズキズキと痛むこの傷たちは、わたしの喜びだ。
田口くんが死んだ夏が終わった。
すぐに秋がやってきて、すぐ冬になった。
そして今日、その時は来た。
「いよいよだね、田口くん」
教室の前で、わたしはスクールバッグを握りしめた。
この中には、田口くんが入っている。
「こころのじゅんびはだいじょうぶかい?」
「もちろん。この日のために、お金も時間も使ったんだから」
心臓がドクドクと脈を打つ。
今にも爆発しそうな勢いだ。
「じゃあ……よろしくね」
田口くんのかすかな声に押され、わたしは扉を開けた。
クラスメイト全員が一斉にこちらを見た。
担任がチョークを持ちながら、睨むようにしてわたしを見た。
「おい、遅刻だぞ。なにしてたんだ」
そんな言葉をきっかけに、奴らが騒ぎ出す。
「おいおい、不良かよあいつ!」
「遅れたくせに謝れないの?」
「さすが豚! ゴキブリ女!」
「てかマジ早く消えろよ。目障りだし」
「なんか顔色わりーし、病気じゃね?」
「もう1回病院行って来いって!」
最後まで口を開けば暴言ばかりだ。
けど、そんなものは本当にどうでもいい。
「…………」
わたしは教卓の前に行き、スクールバッグを開ける。
中からひとつの箱と、田口くんの肝臓を取り出した。
「おいおい、なにあれ?」
「キモッ! 生肉!?」
「くっせぇんだけど! 早くしまえブス!」
箱と肝臓を教卓に優しく置く。
わたしは前を向いて、じっくりと息を吸った。
「うるせぇぞクソ人間ども!!!」
バン、と最全席の机を蹴る。
傍観者だった男子生徒は、怯えた目をわたしに向けた。
「誰かを除け者にしねぇと生きていけねぇゴミカスが!!」
「あぁ? 何ナメたこと言って——ふがッ!?」
近づいてきた陽キャに椅子を投げつける。
教室は再び騒然とした。
誰もがわたしを「異物」とみなしていた。
「いい加減黙れよ、クソガキが……」
黒板の前で担任が面倒くさそうに言う。
そのふるまいに、死ぬほど腹がたった。
わたしは担任のネクタイを引っ張り上げた。
「テメェも同罪だぞ、クソ教師」
「うぐッ——」
「田口くんの死を流しやがって。授業だけやってれば教育者なのかよ? えぇ!?」
引っ張り上げた担任を、最全席の『優等生』に投げつける。
ヒッと悲鳴を上げる女子生徒たち。
「それから、傍観者のカスども!! テメェらも同罪だからな。助けないで見捨てたザコのくせに、わたしを異質な目で見てんじゃねぇぞ!!」
再び机を蹴る。
生徒が机を引いていき、わたしの周りには誰もいなくなった。
陽キャたちはニヤニヤしながらスマホを向けている。心底どうでもいい。
とにかくこれで、準備は整った。
「……田口くん、もういい?」
わたしがそう言うと、クラスがどよめいた。
もう死んで居なくなった人の名前だ。
そんな奴を呼ぶなんて、頭がおかしくなったのだ、と。
「ありがとう。ちょっとスッキリしたよ」
田口くんはそう言った。
しかし彼の復讐はまだ終わっていなかった。
復讐は、これから始まるのだ。
「もうじきだ。きみにはおせわになった」
「ううん。田口くんとまた会えて、嬉しかった」
クラスメイトが「あいつ、アレと話してるぞ」「あれが田口?」「おい、あれって……」「内臓、だよな……?」と囁いている。
「さ。はやくにげて」
「いやだ。わたしもここにいる」
「だめ。いって」
「いやだ! 田口くんと一緒にいる!」
「なんで」
田口くんは焦ったように声を発した。
時間がない中、わたしは静かに思いを告げた。
「だって、田口くんのことが、好きだから」
あんなに興味なかったくせに。
生きているときに一度も話してなかったくせに。
死ぬ前に一度も話さなかったくせに。
彼が死んでから、彼のことを好きになった。
「ねぇ」
「なに、田口くん?」
「ぼくさ。『ふたつ』おねがいがあるって、いったよね」
「そうだったね」
「いま、つかっていい?」
時間がないはずなのに、この空間はまるで永遠だった。
この教室は時間が止まっていて。
この教室には誰もいなくて。
わたしと田口くんだけが、ここにいる。
「いいよ」
そう思ってしまうほどに、わたしは今、たまらなく幸せだった。
「きみに」
彼の言葉を捉えたその瞬間、わたしは目を疑った。
田口くんの肝臓に、彼の顔が見えたのだ。
いじめをやり返さないような、優しくて穏やかな表情がそこにあった。
あまり覚えていなかった生前の田口くんが、ゆっくりと口を開いた。
「僕の分も、生きてほしい」
そう言って悲しく微笑んだ田口くんに、わたしはキスをした。
口にキスをしたつもりだったけど、生臭くて、生肉のような感触で。
最初で最後の、田口くんとのキスだった。
「ありがとう」
わたしは教室を飛び出して扉を閉めた——その直後だった。
ボンッ、と爆発が起こった。
嘘のように派手な音がした。
窓ガラスが割れ、扉が吹き飛んだ。
爆風がやってきて、わたしは廊下の壁に叩きつけられた。
息が詰まる。
頭を揺さぶる激痛に、気を失いそうになる。
「う、うぅ……」
朦朧とする意識の中で、わたしは顔を上げた。
教室は、机と椅子と赤黒いものでぐちゃぐちゃになっていた。
爆発で何もかもが吹き飛んでいた。
そして、教卓の上に居た田口くんは——もう、そこにはいなかった。
「田口くん……よかったね」
彼の復讐は成功した。
『クラスメイトを爆弾で吹き飛ばしたい』という願いを叶えた。
わたしはふらふらと立ち上がり、教室に入った。
生臭さと煙臭さが混ざり合った、古い家庭科室の臭いがした。
「田口くん……もう、死んじゃった?」
どこにもいない田口くんへ語りかける。
彼の声は、返ってこない。
彼は本当に死んでしまったのだ。
血みどろの床に座る。
ふと溢れ出した涙を、手の甲でこする。
「わたし……好きになったあなたの分も、生きるから」
教室でひとり、わたしは泣きながらくしゃみをした。