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美学生 水咲華奈子Ⅰ -たった一人の目撃者-  作者: 茶山圭祐
第1話 たった一人の目撃者
3/5

事件編《後編》

        *


 3時限目が始まって30分が経過した。

 授業をサボっていた土生田と永森は、他の部員に聞こえないようにヒソヒソと話をしていた。

「あいつ帰ってこないなぁ。まあ、あんなことになってんだから、オドオドしてんだろうけどな」

 土生田は戸惑っている能勢を実演しながらあざ笑う。

「ああ、そうだ。スペアタイヤもパンクさせとくんだったよ」

「スペアはまずいだろ。レッカー呼ぶことになっちゃうよ」

 それを聞いて土生田は心底残念な表情をしてみせた。

「何で気付かなかったんだろうな。スペアのこと」

「でも、スペアはトランクだから無理だろ」

「そういえばそうだな。そこまでやったら犯罪だな」

「今の時点で充分犯罪だよ」

 2人は、能勢にとっては全く笑えないボケとツッコミをしていた。

「ちょっとジュース買ってくるわ」

 タバコを咥えた土生田は、そう言って火をつけながらドアへ向かった。

 全くいい気味だ。こんなに気分が晴れやかなら、もっと早くに行動を起こしていればよかった。少しためらい過ぎたか。ただ1つ残念なのは、能勢の驚く顔を見られないことだ。今度またいたずらするときは、そういうことを考えて計画しよう。

 土生田は帽子の脇から白い歯を出してニヤニヤしながら部屋の外に出ると、タバコを一服吹かして歩を進めようとした。すると、後ろから透き通った声をかける女がいた。振り向くと、自分よりも少し背の高い女だった。

 土生田は深く被った帽子をずり上げると、その女の身体を舐め回すように見てしまった。

 艶のある漆黒のロングヘアーにサングラスを頭に乗せている。まずそれが最初に挙がる特徴だろうか。暖かそうな真っ白なニットのワンピースを黒いベルトで締めて引き締まったウェストを強調している。襟はVネックで開いているので綺麗な両肩と鎖骨をわずかに見せている。ワンピースのスカート部はマイクロミニスカートのごとく短く、黒のストッキングに包まれた長い脚を自慢するように露出させている。左手首には小さな腕時計、右足首にはシルバーのアンクレット。容姿から判断すると遊び人のように見えるが、どことなく落ち着いた雰囲気が漂っている。

「すみません、ここ映画鑑賞サークルですか?」

 その言葉を聞くや否や、土生田の胸はときめいた。

 こんな美人が俺らのサークルに入ってこようとは。しかも、いつも派手なミニスカートを履いて男の目を引きつけていたあの麗香なんて問題にならないほど抜群なスタイルだ。これはもう、新入生歓迎会を開くしかない。誰が入部を拒むものだろうか。

 土生田はあからさまに笑顔になって口の動きが滑らかになった。

「そうだよ。入部の手続きはすぐに済むから遠慮しないで。どうぞ、どうぞ」

 土生田は彼女を部屋に入るよう促した。しかし、彼女の第2声で肩を落としてしまった。

「ありがとう。でも、入部じゃないんです」

 何だよ、じゃ何しに来たんだよ。土生田はそう言ってやりたかったが、美人なのでやめた。代わりに優しく尋ねた。

「ここは映画鑑賞サークルだけど、どうしたの? 興味を持ったとか?」

 土生田はまだ諦めがついていなかった。

「映画は好きだけど、入部じゃないの。ここのサークルの人にちょっと聞きたいことがあって」

「えっ? なになになに? 気になる人でもいたの? 紹介するよ」

 入部は無理かもしれないが、この女性との繋がりは保とうとした。

「ううん、そういうわけじゃなくて……」

 じゃ、一体このサークルの何が聞きたいのだろうか? 入部でも男でもないとしたら、一体何なのか? 土生田は他に思い当たることがないか考えてみた。だが、何も浮かばない。

「なに? 部長は今日はいないけど」

「このサークルの人なら誰でもいいんだけど」

「じゃあ、俺でもいいの?」

「うん。誰でもいいから誰か出てこないかなぁって思ってたら、あなたが出てきたんでよかったです」

 こういうのを運命の出会いと呼ばずして何と呼ぶのだろう。

「どんな話? なんか楽しみだな。君をこのサークルに興味を持たせる自信はあるよ」

「ちょっと話が長くなると思うけど……」

「ああ、じゃ座って話そう。タバコの灰も落ちそうだし」

 土生田は彼女を引き連れ、足取りも軽やかに学食へ向かった。



「何か飲む?」

 帽子を机の上に乗せた土生田は、目の前の美女に対し気を使っているのが自分自身にもよくわかった。

「ありがとう。それじゃ、ジャスミンティーお願いします」

 彼は自分の缶コーヒーと指定の飲料水を買うと、彼女と向かい合って座った。

「ああ、そうだ。まだ名前言ってなかったね。俺、土生田篤。よろしく」

「わたし、水咲華奈子。よろしくね」

「カナちゃんか。よし、覚えた」

 席に座ると、水咲の色っぽい顔付きがよく見えた。左右対称に整った綺麗なまゆ毛。長いまつ毛に、薄っすら塗ったピンクのアイシャドウ。全体的には薄化粧であるが、真っ赤な口紅にグロスを塗っているので光を照り返して艶めかしく見える。

 土生田は、彼女がジャスミンティーの缶の蓋を開ける際に、ピンクのマニキュアを塗った綺麗な爪が割れてしまうのではないかと心配しながら見つめていた。

「それで、話って何かな? すっごい気になるんだけど」

 土生田は水咲の目をじっと見つめた。

「映画鑑賞サークルに2年生の能勢さんているよね?」

 能勢と聞いた瞬間、土生田の表情が曇った。

「いるよ。俺と同級生。あいつが何か?」

 彼女は脚を組むと土生田の質問に答えた。

「彼ね、毎日車で通学しているんだけど、今日、誰かにタイヤをパンクさせられたみたいなの」

 土生田は驚きの色を隠せなかった。まさか、初対面の女から自分の悪事をこんな形で報告されるとは思ってもみなかったからだ。

「パンクさせられてた? なんで?」

「理由はまだ分からないんだけど、タイヤがぱっくり裂けてたの。刃物で裂かれたみたいな」

 今まで綺麗な女だと思っていたが、次第に変な女へと印象が変わっていった。

「それで、どうしてカナちゃんがそんなこと言いに来たの?」

「能勢さんが学生課の人に、車をパンクさせられたって叫んでいたのを聞いて、興味があってついてったんだよね。そしたら……。大学は単なるいたずらだっていうんだけど。わたしは、これは能勢さんの車目的のイタズラじゃないかって説明したら、またこんなことあったらかなわないから、犯人を見つけられるんだったら見つけてくれって頼まれちゃって」

 水咲は頭をかくと髪をかきあげた。

 あんたに犯人なんか見つけられんのか? 目の前にいるのがそうだよ。と言ってやりたかったが、さっきからいい匂いのする香水が漂ってくるし、何よりも綺麗だからやめた。

「なんで、能勢の車目的のイタズラだと思うの?」

「能勢さんの車だけイタズラされているの。他にも車はたくさんあるのに。なんか変じゃない?」

 なるほど。確かにあれだけの台数があるのだから、能勢の車だけにイタズラをするのはおかしい。

「しかも能勢さんの車って、駐車場の一番奥に停めてあったの。犯人はわざわざそこまで足を運んできてイタズラしたってことになるんだよね。能勢さんの車目的っていうのはそういうこと」

 確かに言われてみればそう見える。いい勘している。単なる無差別なイタズラではない。だが、土生田としては無差別だろうがなかろうが、そんなことは大した問題ではなかった。それが断言できたところで、犯人が分かるはずがない。自分がやったなんて証拠は残していないからだ。

「それで、犯人はうちのサークルにいると思ったんだ? でもどうしてそう思うの? この大学に何人いると思う? 怪しいやつなんてたくさんいるよ」

 土生田にとっては、こちらの方が疑問だった。

「能勢さんの車目的だとすると、能勢さんに恨みがあった人間だと思わない? 見ず知らずの人間が突然ある人に対して恨みを抱くっていうのは考えにくいよね。やっぱりある程度同じ時間を共有して、お互い相手を知っていて、それで何かをきっかけに恨みを買う。サークルは同じ時間を共有できる場所の1つだから、そうかなぁって思って。あっ、ゼミも考えられるんだけど、ゼミは3年からだからね」

 なかなか鋭い。この読みも外れていない。確かにおっしゃるとおりだ。

「でもさ、こんなのはどう? 能勢を恨んでたんじゃなくて、能勢の乗ってる車種に恨みがあったってのは?」

 我ながらなかなかいい閃きだ。しかし、例えどんなに優れた閃きでも、覆されたら意味がない。

「それがね、能勢さんと同じ車は他に2台あったんだけど、それらはみんな無傷だったの。やっぱり能勢さんに恨みがあったと考えた方がしっくりくるんだよねぇ」

 能勢が恨まれていないことを覆すことは困難なようだ。

「わたし、サークルの会長やっているんだけど、やっぱりサークル内にもグループができちゃうのよね。仲のいい同士が集まっちゃって」

 なんだ、彼女すでにサークルに所属しているのか。なら、うちのサークルに入らないわけだ。土生田は1人でそう納得した。だけど、彼女の所属しているサークルが気になった。

「なんのサークルなの?」

「名探偵研究会。知ってる? その会長やってるの。よかったら今度覗のぞきに来て。いつでも歓迎するから」

 水咲は土生田と同じように勧誘してきたが、彼女の所属するサークルは聞き捨てならない。

「あのサークルの会長なんだ?」

「うん」

 水咲は満面の笑みだった。その笑顔がまた美しい。

「ということは、推理するとか得意なんだ?」

水咲は首を振る。

「推理クイズとか小説の中の犯人を突き止めたりするのは得意なんだけど、本物の事件の犯人を捜すなんてやったことないよ。単にミステリーが好きなだけ」

「でも、大学から頼まれたんでしょ?」

 すると、水咲は再び首を振った。

「犯人を見つけられるなら見つけてくれ、っていう感じなの。だから、あんまり大学は積極的ではないの。どちらかというと、見つけられないと思っているみたい。学生だって何千人もいるし。わたしだって警察じゃないからね。無理だと思ってるよ。当たり前だけど」

 大学が積極的でないのはよく分かる。事件と言えるほどの事件ではないし、警察が捜査するわけでもないのだ。

「そりゃあ、そうだよ。一学生の車をイタズラされたくらいで、大学は動かないよな」

「だからわたしは、個人的興味でやってるようなもんなんだよね。ただわたしは、どんなに小さな事件でも何か手掛かりがあるんじゃないかなって思ってるの。この事件もそう難しくはないと思うよ」

 何だか嫌なことを言ってくれる。『どんな小さな事件にも手掛かりがある』っていうのはまだしも『この事件はそう難しくない』と言われた日には、気分は傾くだろう。

「うちのサークルに犯人がいるとするなら、一体誰なんだろう?」

「能勢さんと仲が悪い人か、普段あまりしゃべらない人か。映画鑑賞サークルのメンバーは全部で何人いるの?」

「23人かな。もちろん、メンバーはいつでも募集中だよ」

 なんだかいい感じだ。端から見れば仲のいい男女に見えるだろう。いや、もっとよく言えば、恋人同士に見えたっておかしくはない。土生田のタイプであるだけに、彼女を狙ってしまおうかと少し考えていた。だが、それは次の水咲の言葉でもろくも崩れ去ったのである。

「土生田さんは、能勢さんと仲はいいの?」

 水咲は笑顔だった。しかし、土生田にはその笑みが不気味に感じられた。まさか出逢ってすぐにそんな質問をしてこようとは。

 ここで嘘をつくのはよくない。みんな知っていることだ。調べればいずれわかってしまう。だから、土生田は正直に答えた。

「俺は、仲のいい方ではないね」

「そう」

「ということは、俺も疑われるのかな?」

 と、土生田は何気なく鎌をかけてみた。しかし、彼女はただ笑みを浮かべるだけだ。

「話はそれだけなんだけど、他のメンバーにも話聞きたいんだよね。土生田さん、協力してもらえる?」

 鎌かけは見事にかわされてしまった。

 どうやら本気で犯人を捜そうと思っているらしい。メンバー全員と話をするつもりなんだろうか。それはそれで面白い。受けてたってやろうじゃないか。まさに名探偵気取りだ。サークルに恥じない会長っぷりを見せてもらいたい。

「おお、いいよ。協力するよ。じゃあ、部屋戻る? 今日は全員は来ないと思うけど、今なら何人かいるからさ」

「あっ、いいのいいの。今日来ている人だけで」

「そう。それよりさ、ほんとにうちのサークルに入るつもりはないの?」

 土生田は立ち上がりながら、念の為もう一度聞いてみた。もしかしたら、この短い間に気持ちが変わったかもしれないからだ。

「実はわたし入学当初、映画鑑賞サークルに入ろうかどうか迷ったことがあったの。映画好きだから」

「そうだったの? なんだ、そのまま入っていれば、もっと早くに出逢えたのに」

 水咲も立ち上がり、2人は学食を後にして再び元来た道を戻った。

 自分が疑われているかどうかは分からなかったが、それはさておき土生田は嬉しかった。まあ、こんな出逢いでもよしとしよう。遅かれ早かれ、結局は出逢う運命だったんだから。

「カナちゃんは、どんなジャンルの映画が好きなの?」

「アクション映画。大画面で見るのはやっぱりアクションでなきゃね」

「おお、俺と同じ考え方だ。気が合う!」


        *


 土生田と水咲は映画鑑賞サークルの部屋の前まで戻ってきた。

「どうしよっか。どうやって話す? 1人ひとり呼んで話す? それともまとめて話す?」

「うーん、できれば1人ひとりがいいな。手間かかるけど」

「まさに聞き込みってやつだな。いいよ、俺が1人ずつ呼んできてやるよ。ちょっと待ってて」

 部屋の扉を開きながら、土生田は考えていた。一体、彼女は何のためにそこまでしているのだろう。

 大学のため? 自分のため? その答えは彼女に直接聞かずして自力で導き出すことは難しそうだ。自分にはない思考だからだ。彼女を理解できる人間がこの大学にいるのだろうか。美人な女ではあるが不思議な女だ。

 土生田がまず最初に連れ出したかったのは永森だった。彼は、悪く言ってしまうと共犯だが、ただ付き合ってもらっただけだ。彼は何も悪くない。だが、こうなってしまった以上、口裏を合わせてもらう必要はある。だから連れ出す前に打ち合わせをしておかなければならない。

「永ちゃん、ちょっと」

 永森は土生田の顔を見ると驚いた表情をして見せた。

「おっ、何やってたんだよ。ずいぶん遅かったじゃん」

「実はちょっとまずいことがあってさ」

 土生田は声のトーンを落とし、周りの人間に聞こえないように永森に囁いた。永森は神妙な顔つきで耳を傾けた。

「さっきそこで、水咲っていう女に会ったんだけど、この女がさ、能勢の車をパンクさせた犯人をなぜか捜しているんだよ。大学に言われたのか何なのか知らねぇんだけど」

「マジかよ?」

「それで、犯人はこのサークルの中にいるんじゃないかって勘ぐっててさ、これから1人ひとり聞き込みするって言うんだぜ」

「なに? その女、大学の関係者かなんか?」

「いや、学生だよ。名探偵研究会の会長だって」

 そこまで土生田は簡潔に水咲の素性を説明した。

「それで永ちゃんにもその女と話をしてほしいんだけど、今日見たことは何にも知らないことにしてくれよ。頼む」

「ああ、そりゃそうだろう。でないと俺も犯人になっちまうからな。任せておけよ。シラをきりとおしてやるよ」

「さすが永ちゃん。話が分かる。じゃ、頼むぜ。あっ、それと、その女かなり美人だからびっくりするなよ。俺もう、目つけちゃったもんね」

「そういうところは相変わらず抜け目ないな」

 土生田は少し心がすっきりした気分で部屋の外で待っている水咲の元へ彼を案内した。

「こちらが水咲さんで、こっちが俺の友達の永森。中で話す?」

「いや、大丈夫よ。すぐに終わらせるから」

 土生田は、これから数十人と話をしなければならない水咲に対して気を使ってみたが、意外にもあっさり断られてしまった。さっきの自分の経験からそんなにすぐに話が終わる気がしないのだが。

 彼女の希望により、廊下に永森と水咲を残してドアを閉めた。

 いったい永森はどんなことを聞かれているのだろう。自分と同じ事を聞かれているのだろうか。ドアに耳を当ててどんな会話をしているのか聞き取りたかったが、部屋には他のメンバーがいるのでそうもいかなかった。

 次第に気持ちがソワソワしてくるのが自分でも分かった。永森が話を始めたのは何時か覚えておこうと腕時計を覗き込んだときだった。ドアがスッと開いて永森が入って来た。

「えっ? もう終わり?」

 1分ほどで帰還した永森に、丸くした目を見せ付けることしかできない土生田だった。永森もこんなに早く終わると思っていなかったのか、キョトンとした目で戻ってきた。

 我に返った土生田は永森が何か発する前に聞いていた。

「何聞かれた?」

「今日、能勢の車のタイヤがパンクさせられてたんだけど、能勢と仲の悪い奴はいないか? って」

「そ、それだけ? それで、なんて答えた?」

「もちろん最初から最後までシラ切りとおしたさ。能勢って車で来てたの? 全然知らなかった。仲の悪い奴? それもまったく知らないなぁ、ってね」

「さすが」

 永森の回答は簡潔かつ完璧だった。水咲に何の情報も与えることなく帰ってきてくれた。彼こそ自分にとって親友と呼ぶに相応しい。だが、それだけで話が終わるというのはどうも解せなかった。オレのときは、無駄話もあったが、少なくとも30分は喋っていたのに、なぜ永森はたったの1分なんだ。

 ところが、この解せない気持ちはこれだけではおさまらなかった。このあとも、何も知らない連中に不思議がられながらも水咲の尋問が続いたのだが、十数人全員がたったの1分で部屋に戻ってきたのだ。

 土生田はこれについて悩まずにはいられなかったが、できるだけプラス思考でいるようにした。オレとは学食で喋っていたから話も長くなったんだ。それに、きっとオレにちょっと気があったからだ。そう、きっとそうだ。

「お疲れさん。今はこれで全員。この時間授業に出ている奴がいるから、まだ話できてないのは何人かいるよ」

 1人聞き込みを終えた水咲に土生田が終了報告をしたとき、ちょうど3時限目終了のチャイムが鳴った。廊下はたちまち騒がしくなった。

 彼女は特段疲れた様子もなく、いつもどおりの笑顔だった。

「ありがとう。助かったよ。残りは次の時間でいいよ」

「ああ、次の時間はオレが授業あるから」

「じゃあ、残りはわたし1人でやれるから大丈夫」

「なんか分かった? めぼしい奴いた?」

 土生田はあえて明るく尋ねてみた。

 水咲は髪をかきあげながら嬉しそうに答えた。

「何となく、分かっちゃったかなぁ」

 自分の身体から血の気が引くのを感じた。土生田はここで初めて、ほとぼりがさめるまで彼女とはしばらく距離を置こうかと思った。

 彼女の推測が当っているとするならば、彼女は目の前のこのオレを疑っているということになる。

「分かった? だれだれ?」

 土生田はそれでも明るく振舞って聞いてみた。もしかしたら教えてくれるかもしれない。

「うーん、まだ言えないなぁ。だって証拠がないんだもん」

 水咲の言葉で気付かされた。そうだ、証拠はないのだ。現場には何の手掛かりも残していない。能勢の車がパンクしたって事実だけしかないのだ。

「やっぱ無理なんじゃない? 犯人見つけるなんて。証拠なんてないでしょう? 難しいねぇ。あっ、俺、次授業あるからこのへんで。またなんかあったらおいでよ。いつでも協力するから」

 土生田は次の授業を口実に水咲から一旦離れることにした。また来週にでも会えればいいや。

 カバンを取ってくるため一度部屋に引っ込むと、次の授業と同じ永森を引き連れて部屋を出た。

「じゃあね、カナちゃん。入部はいつでもできるからね」

「あっ、土生田さん、ちょっと待って」

 その場から逃げようとした土生田は、まさか水咲に呼び止められるとは思わなかった。今の心中を読まれたのかと勘違いするほどのタイミングの良さだ。

「土生田さんは、今日は授業はあったの?」

 その質問にどういう意図があるのだろう。土生田は不審な表情で答えた。

「今日は1時限目と4時限目なんだけど、1時限目は遅刻しちゃった。それが何か?」

「ふうん。じゃあ、ずっとサークル部屋にいたんだね。どうもありがとう」

 もう少し前に質問されていたら、なぜそんなことを聞くのか問い質していたに違いない。だが、今は早くそこから離れることしか頭になかったので、土生田は何も言わずに退散することにした。

 彼女とは事件と関係なく出逢いたかったなと、つくづく思う土生田だった。


        *


 土生田と永森は誰よりも早く教室にやって来た。土生田は授業を聞く気はさらさらなかった。出席の返事をしたら、すぐに教室を抜け出す計画にいた。この授業はいつもそうすることに決めている。だから、彼は一番後ろのドアのすぐそばに座っていた。永森は5時限目も授業があるので、この授業は出るつもりだ。

 出席をとる授業だからか、学生も毎回よく出てきている。席は間もなく教室の4分の3ほどまで埋まりつつあった。

「あの水咲って女、いい女だけど、ちょっと気味わりぃよな」

 先程から水咲の話題で尽きなかった2人は、教室に入っても永森の言葉をきっかけに話が続行した。

「そうなんだよ。実はあんとき見られてたのかな?」

「いや、それはないね。それは俺が断言してやってもいいよ。あんとき、よーく見張ってたけど、確かにだぁれもいなかったぜ」

 永森は自分の仕事は完璧に遂行したと力強く主張した。

「そうだよな。誰もいなかったよな。やっぱ全然違う奴を犯人だと思ってんだよな」

「そうだよ。怪しい奴なんて他にもいるからな。犯人特定するなんて難しいぜ」

 永森の言うことは非常に励みになったが、さっきの水咲の最後の質問が気になった。あれはもしやアリバイを聞かれたのではないか? ずっと部屋にいたのかどうかを。やっぱり疑われている? いや、そんなわけがない。なんにもボロを出していないのだ。どこに落ち度があった? 

 土生田は、少なくとも今日1日はプラス思考でいることにしてもう何もかも忘れようと誓った。

 4時限目開始のチャイムが鳴った。しかし、すぐに教授はやってこない。教室は引き続き賑やかだった。

 10分後、ようやく教授がやってきた。すぐに出欠をとり始めるが教室は静まる気配がなかった。学生は百人ほどいるため、出欠をとり終えるのに多少の時間を要する。その間、授業は始まらないので学生は好き放題なのだ。

 それから15分ほど経ってから土生田の名前が呼ばれ、

「それじゃ、明日!」

 そう永森に別れを告げると、うるさいとも言えるその教室から抜け出した。

 カバンを肩にかけ廊下を歩き始めると、突然、土生田の腕にまとわりつく者がいた。水咲だった。彼女は嬉しそうに土生田と腕を組んできた。

「捕まえた。授業サボるの?」

 土生田は思わず立ち止まると帽子を取った。どういうつもりなのだろうか。まるで恋人同士のようではないか。

「あっ、カナちゃん。どうしたの? まさか俺を待ってたとか?」

「あったり! さっきみんなに話を聞き終わって今来たとこなの。よかった、間に合って。土生田さん帰っちゃったらどうしようかと思った」

 冗談で言ったつもりが本当に待っていたとは。これは俺に気がある証拠か? 

「じゃ、一緒に帰る?」

 土生田は笑顔で促す。ところが、彼女は立ち止まって動かなくなり一緒に帰ろうとはしなかった。

「ちょっと待って。土生田さんに話したいことがあるの」

「なに? もしかして、やっと俺らのサークルに興味が出たとか?」

「まぁ、いいからいいから」

 問いかけをはぐらかされた水咲に引き続き腕を組まれ、土生田は近くの空き教室に連れ込まれた。



 第1話 たった一人の目撃者~事件編《後編》【完】

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