出会い①
「はっ!」
いかんいかん。どうやら眠ってしまっていたようだ。昨日はパーティから出ていくよう言い渡されたこともあって殆ど寝られなかったからだろうか。
とはいえ、こんな森の中でぐうぐうと眠りこけてしまうのは我ながら呆れる他ない。しかも一人で。この辺りに手強い魔物は殆ど出ないとはいえ、無用心も良いところだ。
あたりはもう夕暮れ。さて、今日は適当に宿でもとって今後の予定でも立てようか。こんな事態は想定していなかったが、それでも冒険者を続けたい。やはり未知への憧れに勝るものは無いと思う。
ただ、元金等級の冒険者とはいえ、今の私と組んでくれる人間なんているのだろうか?私は名誉に対する固執は殆どないので、初心者とでも組むべきか。
そんなことを考えているうちに、辺りが静かになっていることに気づく。いつの間にか、鳥の囀りが聞こえなくなっている。頬を撫でる風が妙に嫌らしく感じた。魔物の気配がするのだ。私は身を構えて、周囲を警戒する。
「こんな時に限って出くわすとはね……」
グルルルと獣の様な唸り声を上げながら、茂みの中より巨躯が現れる。朽ち果てた立木に不気味な顔を持つ魔物、ゴーストレントだ。5メートルは裕に超える長大な樹木の体に悲痛に歪んだ人間のようにも見える表情。何度見ても慣れない。
基本的にこの森には弱い魔物しかいないが、コイツは例外だ。巨体に見合うパワーとタフネスを持ち、俊敏さでも私を上回っている。凶暴かつ執念深く、逃げ果せるとも到底思えない。
ただ勝てない相手ということは決してない。ギラードやエアリーと何度もこの魔物を狩っている。故に弱点などは把握済み。一人でも捌ける筈だ。
「やるしかないようね……」
手のひらに魔力を込める。向こうは威嚇こそしているが、まだ襲ってくる気配はない。ならばこちらから先制攻撃を加えるまでだ。私は昆虫の精霊を使役して、攻撃に転じる。
「穿て!突撃命令!」
放たれた無数の精霊達はゴーストレント目掛けて、一斉に飛び立つ。弾丸のように枯れ木のような身体を貫いていく。
「グギャアァ!」
魔物は攻撃を受けて、怒りのあまり咆哮を上げる。
確かに手応えは感じた。私は攻めるのがあまり得意ではない。仕留めるには時間がかかるだろう。牽制射撃は程々にして、次は弱点となる攻撃を撃ち込む必要があるだろう。
しかし、こちらが次の手を打つより先に相手は触手のような枝をしならせながら、打ち据えて来る。私はそれを腕を交差させるようにして防ぐ。完全に衝撃を往なすことができた。
「その程度!」
普通であれば、これだけ体格差のある相手から渾身の一撃を受ければ、弾き飛ばされるだろう。身を守っていたとはいえ、耐性は大きく崩すに違いない。
だが、この世界には結界の存在がある。人間を含めた、全ての生き物が生まれつき持っているものだ。結果は弱点を突かれない限り、受けるダメージを大きく抑えてくれる効果がある。相手の攻撃に耐性があれば尚更のことだ。
私の結界は虫紋と空紋と呼ばれているものの二つ。
虫紋は少し珍しいが、特定の組み合わせでない限りあまり強くないとされている。空紋は数こそ多いものの、比較的強力なものだ。
私が昨日まで所属していた《空の団》は全員空紋持ちで集まっていた。特定の魔物を狩りやすくする為だ。無理してまで苦手な相手と戦う必要性は薄い。
ただし、この二つの結界は、お世辞にも噛み合わせが良いとは言えない。言葉を選ばずに言えば劣悪極まりない。どちらも耐性を持つ範囲が被り、得意な相手があまり増えてない。その上、互いの弱点を全くカバーできておらず、弱点の攻撃が非常に多い。
それどころか、岩の攻撃に対して多重に結界の弱点を突かれてしまう。岩を用いる攻撃はごくありふれたものなので、私は常にその危険に晒されながら戦うことを強いられている。この弱点の疲れやすさが私自身は持久力にそれなりの自信があるのに対し、本質的に長期戦そのものが苦手な理由だ。
ただ、今回の相手は草紋持ち。巨体から繰り出された攻撃を華奢な私がいなせたのは、結界が草属性を二重に軽減しているからだ。相性はこちらが有利。
それに草紋持ちはこちらの虫紋や空紋を弱点としている。
ただ、ゴーストレントは霊紋も併せ持っている為に虫を使った攻撃は別段有効な訳ではない。なので空紋のスキルを当てなければ、こちらがジリ貧になってしまうだろう。魔物は人間よりずっと体力が多いのだ。ならば、ここで仕掛ける!
「空気の刃よ、敵を切り裂け!空烈風刃!」
魔力を高め、空気を刀のように両の手に形成、交差するように発射する。魔物は巨体をくねらせ、慌てて避けようとするが、放たれた刃は鋭く獲物を切り裂く。命中した刃が腕のように伸びた枝の一本を撥ね飛ばす。
断末魔の叫びをあげ、ゴーストレントが土煙を上げて地に倒れ伏す。どうにか勝てたようだ。ほっと溜息をつき、その場を後にしようとしたその瞬間、私の足元に何かが飛びつく。
「なっ!?」
先程切断した腕状の枝だ。幽霊のモンスターは体の一部が切り離されても、独立して動くというのは有名な話だが、嘘や誇張表現とも言われていた。私は他愛のない冒険者連中の与太話として聞き流していたが、こうして自分が被害に遭ってしまっては信じる他ない。足に魔力を込めて振り払うも中々離れてくれず、出力を抑えたエアブレードを当てることで足から離れ、ピクリとも動かなくなった。
「全く…………って、あれ?」
私が分離した腕に四苦八苦しているうちに、倒れた筈のゴーストレントがいなくなっている。はっとした時にはもう遅かった。背中に強烈な衝撃が走る。
「ぐっ!!」
私は咄嗟に受け身を取り、向き直る。空間の裂け目のようなものから、ゴーストレントが半身だけ覗かせていた。どうやら奴は亜空間に逃げ込み、残った一本の腕で殴りつけて来たようだ。
この行動自体は霊体のモンスターによく見られるものだが、まさか仕留め損なった上に、ここまでの力が残っているとは想像だにしなかった。
「グォォォォォォン!!」
魔物は空間の裂け目から這い出し、咆哮を上げる。耳をつんざくような音で一瞬こちらの自由が奪われるが、すぐさま反撃の構えを取る。相手は怒り狂ってこそいるが、体力はあまり残っていない筈だ。
もう一度、攻撃を当てさえすれば完全に沈黙するだろう。ならばこちらの取る行動は一つしかない。私は再度、両の手に魔力を込める。
「空烈刃………っ!?」
こちらが咆哮に気を取られ、耳を塞いでいる間に奴は攻撃の準備を済ませていた。それも、あろうことか、岩を従えるかのようにいくつも宙に浮かせて、こちらを見据えている。このまま技を撃っても相手の攻撃が最初に命中してしまうだろう。何とか、身を捻って回避を試みる。が。
「ぐっ……!」
先程の不意を突かれた一撃で、背部に突き刺さるような痛みが生じる。私はよろめき、回避行動が取れなかった。必死に足捌きで対応しようとするが、間に合わない!
「ガァァァァァア!!」
魔物が唸り声を上げると共に岩の礫が弾丸のように降り注ぐ。その奔流に飲み込まれ、無数の岩の弾丸が身体を鋭く、一切の容赦無く襲いかかる。大きく弾き飛ばされ、大木に打ち付けられた。私は吐血した。
「かっ…………はっ…………」
威力だけでいえば先程の攻撃に劣る筈だが、私の結界を二重で貫通し、必殺の一撃と化している。
本来、魔物は自分の得意な属性のスキルばかりを使う。故にゴーストレントは岩の技を使うことは非常に稀。しかし、野生の勘だろうか。賢く、戦闘経験の豊富な個体は、こちらの繰り出した攻撃からある程度の弱点を絞り込んでくることがある。この個体の選択は最適解だった訳だ。
以前も、こういったことが無かった訳ではない。
ただ、岩の技が使われることがあっても、耐久力に優れるエアリーが私のみがわりになってくれていたのだ。故にゴーストレントが岩のスキルを持つことを失念してしまっていた。
「あっ…………あっ…………」
声が、出ない。呼吸も満足に出来ない。
動かなければ次が来る。その次は無いだろう。待っているのは死なのだから。それでも手足は言うことを聞いてくれない。死にかけの虫のようにもがくことで精一杯だ。
ゆっくり、ゆっくりと魔物が近づいてくる。視界に映るもの全てがスローに感じる。恐怖は無い。ただ、冷たい死の実感だけがあった。冒険者をやる以上、覚悟の準備はしていた。ただ、誰にも看取られず、ひっそりと死んでいくことになるとは思っていなかっただけだ。
「…………」
思い出が走馬灯のように蘇る。エアリーは優しかったなぁ。ちょっと口うるさいところがあるけど、誰よりも親身に私のことを考えてくれてたっけ。
ギラードだって昔は優しかった。ただ、いつからか強さに執着するようになって、笑わなくなってしまった。彼は別れ際に何て言っていたのだろうか。
そうだ。
私には最後にやらなければならないことがある。私が二人と初めて出会ったこの平和な森で、これ以上、この魔物による犠牲者を増やす訳にはいかない。この命、タダでなんかやるもんか。
私は、ゴールドランクパーティ《空の団》のクインシーだ。
仲間の顔に泥を塗る訳にはいかない。せめて、最後くらい、一人でやり遂げてみせる。
この魔物を、道連れにする。
「…………死霊の先導」
私の周りに人魂が浮かび上がる。このスキルは所謂攻撃技という類いのものではない。自分が死ぬ時に相手の魂も道連れにしてしまうというものだ。
勿論、人間の命は二つと無い。この技を使う時、それ即ち死を意味している。だから、どんな相手でも生命力に関わらず命を刈り取るという効果自体は強力でも、外れスキルの筆頭とされていた。できれば、仲間を護る為に、格好良く使いたかったな。ただ、この魔物を放っておけば、大きな被害が出るだろう。
私はもう、どのみち助からないのだ。思い出の場所や人の安全を守る為なら、喜んで命を差し出そう。
「かかって来なさいよ、デカブツ!」
掠れる声で魔物を煽る。発言の意図は理解していないだろうが、無事に挑発として受け取ったようだ。こちらに近づくスピードが上がる。最後は腕状の枝で串刺しにするつもりのようだ。思わず、息を飲む。どろりとした、血の味がした。
私は眠るように、静かに目を瞑った。
次回より、一日一本の投稿を予定しています。