3.ハーメルンの制度設計
◆1 必須タグ
◆2 文字数
◆3-1 感想
◆3-2 Good/Bad
◆4-1 評価をめぐる2つの軸
◆4-2 評価バー
◆4-3 評価をめぐる言動
◆5 「ハーメルン」という名称
ハーメルンというサイトの根源は、「【小説家に】にじファンサービス終了【なろう】5」に求めることができる。
新しくサイトを作る、という発言を聞いて本気にした人はどれくらいいたのだろうか。そもそもだ、にじファン作品の移転先について語っていたスレで、そういった話が一度も出てきていないわけがない。だがいつも語られるのは厳しい現実だった。理想郷がどれほどの苦労を以て運営されていたのか……、3月15日の大規制にあって個人サイトを立ち上げた連中がどうなったか……。
まして受け入れるのはにじファンの作品、原作の大幅なコピーといった盗作行為の横行が問題視されていたような場所だ。移転先を求めた作者達は現在進行形で多方面に迷惑をかけていて、そこに最低限のマナーすら見受けられない信者達の群れがついてくる。罰ゲームか何かじゃないか? 誰がそんな気苦労を背負い込めるものか。
興味はあるし、少しの期待もするが、それだけだ。というかそんな真偽も不明な情報出されて本気で信じてしまうようでは、2chなんて場所でやっていけるわけもない(キリッ
まぁそんな斜に構えた思考でいたのも僅かな間だけだ。書き込みが1つ増える度にスレは熱を帯びていく、本気で作る気なのかもしれないという希望が芽生えていく。
1つの契機を挙げるとすれば、「盗作」「規約違反」「馴れ合い」「駄目作」(にじファンがどう思われていたか端的に分かる)といったものを防ぐべきという意見に対して、「代わりに色々考えてもらえると」と委託した発言だろう。
そこからはもうスレの流れが速い。各々が「にじファンで起こっていた問題点を解決するにはどうするか」という視点で、「僕の考えた最強の小説投稿サイトのシステム」を言い合い、その意見を検討する流れが生まれていった。
本稿ではそうした流れの中でどのようなシステムが形作られていったか、サイトの源流にどのような思想があったのか、という点を見ていきたい。
◆1 必須タグ
ハーメルンで小説を投稿する場合、「R-15」「R-18」「ボーイズラブ」「ガールズラブ」「オリ主」「神様転生」「残酷な描写」「アンチ・ヘイト」と「転生」「憑依」「性転換」「クロスオーバー」計12種の必須タグから、作品が含む要素をチェックする必要がある。なろうで言えば今の「登録必須キーワード」6種にあたる。
念頭にあったのは今は無きすぴばる小説部の住み分け機能であり、上記のような地雷要素を含むワードに対して、簡単なチェックで検索から排除するために作られた。2017年5月には後半の4種が追加されたが、「追加は行わない」と明言されている機能である。
(なろうにも昔から「警告キーワード」4種が存在していたが、「登録必須キーワード」6種を設置し詳細検索画面での除外は2016年5月~、現在の詳細条件設定化は2018年7月~のこと。ハーメルンでの名称は2017年5月までは「警告タグ」だったが、その後「必須タグ」と改められた)
ハーメルンにおいて唯一の住み分け機能であり、ここに設定したタグについては「評価する際のガイドライン」により、規約上の保護を受ける。
ただまぁそもそもからしてスレ住人達の「にじファンみたいなアンチ・ヘイト作品の氾濫はけしからん」とでも言うような思考から生じているので、元サイトあるいはpixiv的な住み分け意識は希薄。「アンチ・ヘイト」タグさえ入れておけばどんな作品を投稿しても許される、というわけでもない。このあたりの無形の空気とでも言うべきものは、FAQに「一応」書かれている。
基本的に完結までの作品内容を鑑みて連載当初から付けておくべきものであり、作品の途中でこれらの要素を追加した場合は大荒れとなりやすい。
また明確に分けられるものならよいのだが、判断をしにくい内容に関しては「アンチ・ヘイトは念のため」「アンチ・ヘイトは保険」のように謎の慣例も生まれており、本来はかなり重い意味だったはずの言葉に関する扱いが揺らいでいる部分もある。
◆2 文字数
ハーメルンでの最低文字数は1000字である。にじファンの頃(2009年12月10日以降のなろう)は最低200字であったことを考えると、それなりにハードルを高く設定したと言える。前話で「現在のハーメルンよりもかつてのにじファンの時の方が年間投稿数が多かった」と述べたが、そのカラクリはこれだ。
……実際のところハーメルンも最初期は200字制限での投稿が可能であったのだが、そのほとんどは当時無制限に使用できた低評価を大量に食らって青や緑で埋没していった。
また1000字で投稿可能とは言っても、空気としてそれを許容するかは別問題だ。まずFAQにおいて「当サイトでは最低でも2500字程度での投稿を推奨」と明記されている。念頭にあったのはシルフェニアがにじファンの集団移転に耐えかねて設定した最低文字数、あるいは理想郷で一時期設定していたラインだろう。
古く個人サイトの時代においては、作品のファイルをメールで送って管理人に掲載してもらう、というのが基本であり、あまりにも短いテキストを何回も送り付けるというのは忌まれる行為であった。そのため「5kb」(≒2500字)を下限とするといった風にルールを設定する場合もあった。
またこうした数字は「最低限小説としての体を成す」と考えられたラインでもある。最低限必要な描写を入れていき、話のまとまりを作るとすれば、自然とそれくらいにはなるだろう? あまりに短すぎては物足りなさが強いだろう? という意識は(ラインをどこに設定するかは個人差があるにしろ)作者読者問わず持っているものだと思う。
スレにおいては5000字! 10000字! と結構無茶苦茶を言っていたのもいるが、少なくともにじファン時代の200文字制限は参入障壁が低すぎる、という認識は大勢だったと見ていいだろう。モラルも何もない連中を最低限の篩にかける必要性と言う点で、管理負担を軽減しサイトの統制をとる上で、たとえ投稿数が減ろうが不可欠な制限と言える。
まぁそんなわけで当時のハーメルンというサイトは「平均文字数」という意識が強い。サイト開設時は平均文字数だけ優先的に求められて、総文字数なんてなかったくらいに強い。ランキングでも検索画面でも、原作名と評価バーの次くらいに平均文字数を見られる……と、これは勝手に思っているくらい強い。
これは無形の空気と言うべきものだが、平均文字数が1000文字台だと基本的に見向きもされないと思っていいだろう。よほどの流行原作とかならまだしも、いかに高更新であろうとカバーしがたい部分だ。2000文字台は人によって判断が揺蕩うところだろうが、今年大成功した作品もある以上、「2500字ライン」さえ超えているなら不利だのなんだの言えるものではないかもしれない。
◆3-1 感想
感想に対する考え方としては、一致したものがあったと思っていいだろう。それは「にじファンのように作者が感想を削除するのは不健全」「肯定的な感想ばかりで満たされた空間で作者や信者集団が増長した」という思いである。
……こんなことを言われると、良識的な作者も読者もムッとしてしまうかもしれない。しかしにじファンという場所、閉鎖発表の混乱期は問題の大きさが違ったのだ。
ろくにサイトの情報も伝えないまま移転を勧め、その場所でのルールを守っていないせいで叩かれたにも関わらず、「あそこのサイトはよくない」と言い合う信者連中。ポイントを集めた大物だと、「運営による処分」を受けた作品であるのにも関わらず大量の擁護が付き、さらに彼らは運営に対して挑発的な言動を繰り返して、不服従の態度を見せる。……なんてのを具に見てきたのが2chスレ住人なのだ。
一次創作と二次創作の違いという面だってあるだろう。一次創作であれば「自分には合わない」で終わりの話であるが、二次創作というものは原作が存在し、そのファンがいて初めて成立する分野だ。オリ主様が大好きな原作を食い物にして、女性キャラ達をアクセサリーのように侍らせていく、なんて内容は本来ファンの大多数に疎まれて当然の内容である。しかしにじファンの感想欄ではそうした感想は全て削除されてしまうものであり、結果としてオリ主様の活躍に対する称賛ばかりが残る、というのが現実だった。
感想欄の表面上は小綺麗に取り繕えていても、にじファンで人気だった作風に対する嫌悪感というものは、広く内面で燻っていたのである。そんなロクでもない駄作者どもとそれを崇める信者ども、なんて悪感情を明け透けに言えるのが2chという場所であり、そこで培われた思想は現在に至るまでハーメルンの根底に強く影響を与えている。
そうした中で「にじファン的な」作者と対照となる、良識と自覚を持った健全な作者像として(ある種理想化されて)語られた場所がArcadiaである。
理想郷の注意事項はなかなかに強烈だ。何せ「厳しい感想、批判的な感想を許容できる方だけが投稿して下さい」「この掲示板では感想を糧にしてもっと上を目指そうという方が投稿して下さい」である。当然ながら作者による感想の削除など出来ようはずもなく、作者という存在に要求されるハードルは非常に高かった。まぁその上で継続的に大量の投稿があったというのがまた凄いところなのだが。
このあたりはハーメルンにも部分的に引き継がれたとも言えるし、穏当な形にされたとも言える。「『批判禁止』と書いてある作品に批判感想を付けることは問題ありません。感想を付けられたくない場合は『小説情報の編集』から『チラシの裏』に投稿場所を変更して下さい」である。
合わせて言うとハーメルンのブロック機能は、なろうのミュート機能と同様、あくまで「非表示化」止まりだ。作者自身が批判感想を見ないようにするということはできるものの、ブロックされた人が感想を書いたり、後述する「評価」をつけること自体は可能となっている。
ハーメルンでは批判を含む感想を削除し、それらを恣意的に排除することは不可能だ。たまに後書き等で牽制している人を見たりもするが、その行為に正当性は無い。一方で感想に返信する義務は無いと明言されているなど作者に多くを求めることは無く、チラシの裏では感想拒否を設定できるようにするなど、理想郷と比べればかなり緩められている箇所もある。
理想郷に関することをついでに述べておくと、あちらには「感想はいらない等の前書きがある場合には、管理者の判断によって削除する場合があります」という注意事項があり、そうした意識が残っている人も多いのか「予防線」行為は嫌われる。
作品のタグやあらすじに「駄作」「駄文」「初投稿」「処女作」「豆腐メンタル」とか書いてあったら冷笑を以て迎えるだろうし、それで評価を甘くしてくれるなんて効能は無い(まぁ実際は多すぎて「書いたところで無視される」程度が妥当か)。「嫌いな人はブラウザバックをお願いします」「何でも許せる人向け」とか書いても、規約的な拘束力を持つものではなく、文化的にも尊重されるものではない。
結果としてハーメルンの感想機能は、「作者が感想を削除することは認めない」「批判感想は排斥されない」という形のシステムに落ち着いた。……と書くと、実際の今のハーメルンの空気とあまりに違くね? そんなに殺伐とはしてないよね? と思う人も多いだろう。
というわけで次項は感想に関する重要事項、Good/Bad機能についてである。
◆3-2 Good/Bad
ユーザは作品に書かれている感想1つ1つに対して、「良い感想」と思ったらGoodを、「感想として相応しくない」と思ったらBadを送ることができる。
念頭にあったのはYouTubeのコメント欄であり、ハーメルンではBadがGoodの3倍以上かつ、Badが5票以上入った感想は非表示化、という形で運用している。2015年3月以降は作者側でこの機能を無効とすることも可能ではあるが、ほとんどの作品では有効で使っている機能だ。
これに関しては完全に「荒らし対策」である。作者によって感想が削除されるというのは不健全と思いつつも、しかしそれ無くしてどうやって感想欄の秩序を保てばいいのか。作者と信者のことばっかり述べてきたが「○○をヒロインにしてください!」「あああああああ」「(ここには書けないような罵倒)」みたいのだって多かったのがにじファンであり、いちいち全部管理人対応ではとても手が回るはずもない。
にじファンで見てきた「作者様」に対して強い不信感を抱きつつも、実際削除する以外にどうしようもない連中だって多く、さらに理想郷を荒廃させつつあった行き過ぎた「読者様」のことも苦々しく思っていた。そして理想郷の管理人が不在がちで、「管理者側の存在がいつも対処できるわけではない」という認識も強かっただろう。
結論としては「ユーザの多数意志によって、不適切な感想は排除する」という方向性を持つことになったのである。また他者の感想に対してBadと意思表示する機能があることで、「感想を投稿する際のガイドライン」で禁止されている横レスの発生を軽減する、安全弁的な役割もいくらか担っているかと思う。今やハーメルンの感想欄は、ランキング以上にアクセス数を集める謎の人気コンテンツだ。
ただまぁどんなシステムだって100%うまくいくわけじゃない、というの実情だ。ハーメルンというサイトが始まる当初から再三にわたり、この機能が「信者を生み出す原因にもなる」という懸念は出ていた。感想欄に常駐し他者の感想を監視する信者集団の形成、感想を読みに来る集団でのウケを意識した書き込みをし、相互にGoodを送り合う馴れ合い的な利用、という面では助長した趣がある。
一定のお気に入り数を獲得している作品であれば、少しでも否定的なニュアンスを含む感想は大量のBadを入れて叩き出す、という流れはよくあることだ。このあたりは意識高い作者だと、隠されている感想だから身構えてたけど「そんな『悪い』感想じゃないよね?」と読者達とのギャップを感じたり、批判的だけど真っ当な「厳しくもためになる感想」だった、なんて思いを溢しているのはたまに耳にすることである。
とはいえそうした解決の難しい点はあれど、それ以上に荒らし対策として非常に強力に作用していることが重要であり、全体としては利点が欠点を上回っていると言うべきだろう。個人的な思いを述べるとすれば、常に自分で感想欄をチェックして削除の要不要を考えるというのは結構な心理的負担であり、ありがたいことだ。そこまで創作に対する意識が高いとは言えない身にとって、あまりに短かったりためになるものではないとしても、肯定的な感想がたくさん来るというのは純粋に嬉しいものである。
なお作品で「読者達にとっての地雷展開」を踏み抜いた場合、ここで挙げたことは全て反転するという点もお忘れなきよう。投稿する度に「この展開が気に喰わない」という感想に大量のGoodがつき、作者に対しての強大な圧力となって襲いかかってくるパターンもよく目にすることだ。ある時期最大の話題作だった赤評価作品の感想欄が連日大荒れ、数日の間に4段階ぶち抜いて緑まで急落する、なんて状況でも完結まで持っていける作者は心底凄いと思う。
◆4-1 評価をめぐる2つの軸
ハーメルンの評価システムを説明する前に、なろうの評価システムにも触れておきたい。結構長い上に今のユーザ達には関係も薄い内容なので、次の空白行まで読み飛ばしてもらっても構わない。
小説家になろうは当初「平均点方式」をとっていた。まだなろうが「ユーザ登録」ではなく「作者登録」だった時代であり、作者が自身のレベルを確認することを目的に評価を相互に送り合い、その平均点を求めるシステムである(現在では平均点順作者一覧のみが当時を偲ばせる)。
しかしその方式は制度疲労を起こしていた。作品数が2万を超えると300pt満点の中では同点多数という状況であり、ランキング(旧)としても参考にしにくい。作者側で評価を取り消せたことによる「不正得点操作」、正当な理由を述べずに低評価を行う「荒らし行為」の増加と、問題への対処を迫られていたのである。
そこで2008年1月27日に導入されたのが「無制限加点方式」である。システム的な違いはあるものの現在と同様、他者から送られた評価が単純加算されていくと思えばいい。「同点作品を少なく」することでランキングの効果を高め、低評価を受けても平均点と違って「減点がない」ことで、「荒らし対策にもきわめて有効」と謳うシステムが導入されたのである(一応平均点も「参考評価」として残されはした)。
その後は2009年9月30日の大規模リニューアルにより、1人につき最大10pt(5pt/5pt)を送ることができる、ほぼ現在と同じシステムへと移行する。「評価合計+ブックマーク件数×2pt」の時代であり、「平均点方式」は(読者の目に入る場所からは)消滅。純粋な合計ptの多寡を競い合う「無制限加点方式」の時代である。
他者の評価ポイント平均を求めようと思えば、検索画面で評価pt/評価人数すればいいだけなのでまぁできなくはないのだが、なろうにおいて読者一般がそんなものを気にしてpt付けとかしていないだろうという話である。ランキングでも小説情報でも非表示であるし。
日本最大の小説投稿サイトとして運営するにあたり、はっきりとptで順位がつき、荒らしに強い「無制限加点方式」というのが強く求められた、ということなのだろう。特に書籍化という実利と欲望が絡み合う魔窟である現在のなろうで、ランキング等に絡む形で他者の減点が可能な「平均点方式」なんて採用しようものなら、血で血を洗う惨劇が展開されるのは想像に難くない。
長々と語ってしまい申し訳ないが、以上がなろうにおけるptシステムの変遷(の要約)である。正直以下の内容にはあんまり関係ないが、「平均点」「無制限加点」の2単語だけフワッと覚えていてくれれば嬉しい。
◆4-2 評価バー
ハーメルンにおいて小説を探す場合、まず目に飛び込んでくるのは「色」だろう。全作品はユーザ達から受けた評価の平均点が全ユーザに対して可視化されるシステムとなっており、その平均点によって分けられた色付きのバーは、単なる数字の羅列よりも遥かに強烈に、明確に視覚を刺激し、脳に訴えかけてくる。
主観で語らせてもらうと、赤・橙はまぁいいが、黄は怪しいものも混じっていて、黄緑・緑・青ともなれば最早ランキングで目にすることもない、という感じのアレだ。Amazonカスタマーレビューの星が念頭にありながらも、そこに色分けを加えることで数段過激にしたようなシステムである。
全ユーザは1作品につき最大10ptの評価を行う権利を有する、という部分はなろうと同様なのであるが、ハーメルンでの低評価は効力がまるで違う。なろうで最低評価の2ptを送られるというのは、まぁ嫌に感じる人もいるだろうが、現実に大多数が参考とする「総合ポイント」を考えると純粋な加点に過ぎない。
一方ハーメルンでは「平均点」を採用している都合、低評価を受けた際の影響は大きい。9pt*5や8pt*5は当然平均点9ptと8ptとなり赤であるが、このうち一つでも1ptに変えてみれば平均点7.4ptの橙に6.6ptの黄、といった具合に極端に下がる場合すらある。その上「0pt」評価まで存在するのだ。このあたりは作者にはどうしようもない所であり、厳しい一面と言うべきか。
まぁ何故このようなシステムへと至ったかといえば、ここまで読んできた人ならもう大体感づいているだろうが、にじファンに蔓延していた作風への反発である。劣化させられる原作キャラに、オリ主様のハーレムに組み込まれる女性キャラ達、捏造的なアンチ・ヘイトSEKKYOUの横行……、それに対して「こんな二次創作があっていいはずがない!」という思いはありながらも、にじファンの機能としてそれらはどうしようもなかったのである。
自分達がいくら醜く、見るに堪えないと思っていても、それらは確かに一定の集団の欲求を即物的に満たしてくれるものであり、スレ的な「いい雰囲気の作品」よりも遥かにポイントを稼ぎやすく、にじファンのシステム下で高い評価を受けていたのが実情だった。……そんなわけで彼らは以下の考えに至る。
「無制限加点方式」のみに頼ったランキングでは、こうした最低系の作品の氾濫を止めることはできない。
ユーザ達の手で「減点評価」を行って、そうした作品が持て囃されることを防がなければならない。
二次創作を評価するためには「平均点」という指標を併用することが適切である。
こんな感じだ。ハーメルンの評価システムの根底にあるのは、決して「ポイントを入れて作者を応援しましょう!」なんて思考ではない。彼らが求めたものは、にじファンに溢れていた最低系作品に対する痛烈なカウンターとしての「減点評価」であり、ユーザ多数意志による小説投稿サイトの「自浄作用」である。
そんなわけでハーメルンは「無制限加点・平均点併用方式」とでも言うべきシステムを持つこととなり、特に平均点に対する意識は強い。小説家になろうにとって「加点方式」は、荒らしを無力化させてユーザと投稿数を増やし、日本最大の小説投稿サイトとして安定的に運営にあたる上で有効に作用した。一方でハーメルンにとって「減点方式」は、投稿が減ってしまうということを認めつつも、それでも二次創作の質を保つ上で不可欠な存在であった。両者の間にある違いはシステム的な優劣ではなく、適応と言うべきものだろう。
作品検索やランキングを通じて作品を読み、その内容に対して「適切と思う評価」を下す。そこには「サイト全体で見た時にどの程度の位置に置くべきか」と選ぶ人もいれば、「この作品にこのバーの色は適切ではないと感じる」と、極端なものを選ぶ人だっている。こうした評価基準は「評価する際のガイドライン」以上のことを公式が示すものではなく、ユーザ各人の良心に従って行動すべきものである。
作者にとっては都合が悪い面も見えるが、少なくとも低評価を一方的に排除できるようなシステムが導入される、などということはありえないだろう。低評価を受けるのが嫌なのであれば「(評価文字数に)0以外を設定すると、新しく評価が付く可能性が著しく減少します」を承知の上で、「無言で低評価を入れられたくない場合は評価の際の一言の最低必要文字数を設定して下さい」を行う、ないしチラシの裏に投稿するというのが作者に求められることである。
そしてユーザもまた自覚ある行動を取らなければならない。「こんな創作があってはならない」と感じたのであれば低評価を適切と思う形で用いることも可であるが、一方でそれを濫りに用いることは投稿の敷居を無駄に高め、サイト全体の荒廃に至らしめる可能性があることは認識しなければならないだろう。
◆4-3 評価をめぐる言動
ここから先は無形の空気と言うべきものの話である。「作者が高評価を呼びかける/低評価を牽制する」発言は許容されるものなのかどうか? という点だ。
なろうでは利用規約14条15項により「特定の作品に対する評価を依頼する文章」を出すことに一定の制限をかけている。一方のハーメルンでそうした評価依頼行為を禁じた条項は、「感想を投稿する際のガイドライン」上で見られるのみである。他者の作品の感想欄やメッセージで「私の作品も評価してください!」とか「低評価送ってきたみたいですが付け直してください」とかやらない限りは、少なくとも規約やFAQに反するものではない。
一方でそれは伝統的に「こんなやり口ってありなのか?」と白い眼で見られ、「ポイント乞食」などと蔑まれてきたものでもある。にじファン時代であれば、「あいつの作品よりポイント低くなったら、投稿やめる」と宣言して大量のポイントを稼いだものの、結局なろう規約により削除された、という事件もあったことだ。
作品の質に対して不相応にポイントを得ていると嫌悪感を覚える人、評価システムそのものを毀損する行為と考えて毛嫌いする人、そういう人達が一定数いることだけは理解しておきたい。
今年も前書き後書きとかで、「赤になればもっとやる気出るのになぁ……(チラ」とか、再三「本当にこの作品の続きを読みたい人は! 『高 評 価』をお願いします!」とか、「低評価で『〇〇』って送られてきたんですけど、ほんとこういう奴ってなんなんですかね」とかやっている人達を見てきたのではあるが、なかなかのチャレンジャー達だな?
まぁ実際こういうのが多用されるようになってきていることから分かるように、一定のお気に入り数を集めてさえいれば、あるいは旬の原作で凄いキャッチーな内容を書けさえすれば、短期間で大量のポイントを獲得できるブースト手段ではある。「一部の人間からどう思われようと構わない」という意志のもと、リスク管理に自信があるのならば有効なテクニックの1つ、と言えるのかもしれない。
基本的には「高」とか「低」とか付けず、「感想・評価お待ちしています」といった表現に止めるのが、穏当で波風立てないやり方かと思う。
◆5 「ハーメルン」という名称
現在使われている「ハーメルン」というサイトの名称は、「arcadiaを語るスレ 133」に由来する。
当時の理想郷スレは2週間で1スレ消費する程度が本来のペースだったのだが、にじファン閉鎖騒動に絡む移転の激増と対立の激化から、3日に1スレというペースへと極端な加速を見せていた。
そんな中で「にじファン避難所(仮)」の製作が進んでいることが理想郷スレで話題に上がり、1人が作る人に関して「私は彼を心の中で、ハーメルンの笛吹きと呼んでいる」と発言したのだ。
これはドイツの「ハーメルンの笛吹き男」伝承を元にした「作る人」=「笛吹き」という見立てであり、「理想郷を荒らし回る『にじファン難民』=『鼠』をまとめて引き連れていき、そのまま溺死させてくれる人」とでも言うがごとく、スレの流れの中でにじファン難民に対する強烈な毒の籠った皮肉として用いられたのである。
(ただこれはあくまで当時の2ch理想郷スレにおいて、複数人の会話の流れの中でそういう方向へ向かった、というものである。最初の発言者はその後「本当に応援していたのですよ。皮肉ではなく…。」と言葉を残していることだけは念押ししておきたい)
とまぁ元はなかなかにきつい表現だったのだが、それも「【作る人】にじファン避難所(仮)【製作中】」の中で、「にじファン難民」=「子供達」という再解釈がなされた。
伝承の「子供達は洞窟に連れて行かれ、以後姿を見せなかった。」という部分を、「外のサイトに行く気持ちが無くなるほど熱中できる場所」として肯定的に表現し、良好な空気のサイトとして続きますように、という願いを込めたものへと昇華したのだ。
稀にハーメルンの呼称に「洞窟」という表現を用いる人がいるのはこのためであり、一般に洞窟と言われて連想するような「薄暗い」「じめっとした」という、マイナスイメージを与える蔑称の類ではない。
ただその後2chのハーメルン本スレでは長く「【通称は】【洞窟】」と付けていたのだが、時が経つにつれ「洞窟という表現よりも『ハメ』の方が楽」だとか「doukutuとha-merunじゃ手間が変わらないし……」という流れの中で、サイト開設から丁度3年ほど経った2015年7月には廃止された。
以上ハーメルンのシステムがどのような背景から成立したのかという点に着目して、それが現在の「空気」にどのような影響を与えているかということの言語化を試みた。まぁ実際は「一部の」空気に過ぎないと言うべき部分もある。2012年末までのハーメルン登録者数はせいぜい3万に満たない程度だったのに対し、現在のユーザー数は28万ほどと10倍まで伸びている。そこに当時の気風というべきものが、どれほど残っているだろうか?
2chに関しても影響があったのは最初期の、ほんの僅かな期間に過ぎないものであり、現在の作る人との関係はサービスの利用者達とサービスの提供者、というものでしかない。それが8年以上続いているのである。
今までダラダラと書き連ねてきた内容は、そこにどんな願いが込められていようと「昔の出来事」「ただの空気」でしかなく、最も重要なのは作る人の「最新の裁定」である。
スレの言葉を借りれば「個人運営サイトにおいて運営とは神である」というのが大前提だ。にじファンの頃のように、運営へと不満をぶつけ敵対的な言動に及ぶなど許されることではない(ただ「機能提案」など、システムの範囲内での行動を妨げるつもりもない)。示された方針に従って粛々と行動するのが、あるべきユーザの姿である。