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1、最近あいつが襲ってくる。






「ドアが閉まります。ご注意ください。」

 気の抜けた車掌のアナウンスが流れた瞬間、私は覚悟を決めた。

 死ぬ覚悟を、決めた。




 電車はゆっくりとしたスピードで、ウィーン、スーン、フィーンといった音を出しながら進んでいく。それを聞きながら、目を閉じた。

 闇だ。暗い、暗い、真っ暗闇。

 わー、怖いなって思うと、どんどんどんどんどこどんどん怖くなって。

 心臓が高鳴る。この高鳴りが、私の身体のどこかしらの神経をいたずらして、込み上げる吐き気。手足が痺れる。息がうまくできない。まるで、海の中に投げ出されたみたいに、苦しい。

 ああ、死ぬんだ。そう思うと、居ても立っても居られなくなって、込み上げる吐き気がリバースに変わらないよう、一生懸命ストップさせる。

 車内アナウンスが次の停車駅を告げ、ホームに滑り込むように電車がゆっくりとスピードを緩める。そして、ドアが開いたと同時に、私は自らの身体をホームに放り出した。

 たまらず、その場で立ちすくみ、口元を押さえ、歯を噛み締め、必死に込み上げる吐き気を元に戻そうとし、でも、間に合いそうにないと思った瞬間、吐き気に拍車がかかって……。

 必死に耐えながら、あまり頭を動かさず、目だけでトイレの表示を探した。トイレのマークの横にある「改札外」の文字。ダメだ。神は私を見放した。そう思った。

 しかし、それと同時に、吐き気はスーッと、霧でも晴れたように失せ、朝食べた6枚切りのトースト1枚と、ココアは胃に留まり、代わりにフーッと安堵の息が漏れた。

 そして、ホームのベンチを見つけ、千鳥足で近づき座ると、ため息と疲れ、冷や汗がドッと出た。

「ももさん、今日もダメでしたか。」

 周りを気にせずそう呟いた。


 電車に乗れなくなってしまった。

 乗った瞬間に、今みたいに物凄い不安に襲われ、吐き気が込み上げ、実際に吐いてしまうこともあった。つい最近のことだ。

 初めのうちは、疲れているのだろうと思っていた。きっとテスト勉強で寝不足が続いたせいだろうと。それくらいの、軽い事態くらいにしか思っていなかった。

 ビタミン剤を飲んだり、栄養ドリンクを飲んだり、早めに寝たり、ジョギングをしてみたりと、いろいろ試してみたけど、結局どれも効果はなく、今日もこうして途中下車。

 一体どうしてしまったのだろう、私の身体は。わからない。わからないから、人は悩むんだ。


 電車を何本もやり過ごし、それからここだと思ったタイミングの電車に飛び乗った。それは、「ドアが閉まります。ご注意ください。」の車掌のアナウンスとほぼ同時のタイミングだった。

 車内で私のことを見ていた人は、さぞ驚いたことだろう。ホームのベンチに座っていた女子高生が、駆け込み乗車を試みるサラリーマンと同じタイミングで電車に飛び乗って来たのだから。

 普通、ホームで電車を待つ人は、ドアが開き、人が降りた後のタイミングで乗るものだ。

 そんな普通じゃない私は、周りの好奇な目を少し感じながらも、しょうがないと割り切って再び目を閉じたその瞬間。ドアが閉まる音が聞こえ、3秒間の静寂の後、ゆっくりと動き出した電車。

 ああ、これで私はまた、次の駅までの2分間、この閉鎖された空間に閉じ込められるんだと思った。

 いや、思ってしまった。思って、しまった! と思った。また吐き気が……遅かった。

 込み上げ、込み上げ、ああ、漏れてしまう。

 目を閉じて、つり革を思いっきり握りしめる。手に痺れを感じて、ああ、間違いない。あの症状だと思った。

 いや、思ってしまった。また思って、しまった! と思った。吐き気……やっぱり遅かった。

 早く着け! そして、一刻も早くトイレへ行かせてくれ! 涙目で願った。でも、願えば願うほど、時は長く感じる。

 楽しみな遠足や夏休みが遠く感じるのは、待つからなんだ。だから、待っちゃいけない。待っていると、この苦しみからはなかなか解放されない。


 そんなことを繰り返し、繰り返し、校門を通過した時には、腕時計は10:07を示していた。

 大遅刻。でも、大遅刻の大とは、一体何と比べて大なのか考えながら、上履きに履き替える。

 履き替え終わった時、その答えが見つかった。

 普段の遅刻の分数との差だ。つまり、普段の遅刻が10分なら、2時間遅刻は、大遅刻になるということ。

 でも、私はここ最近、ずっと2時間の遅刻をしているなあと思いながら、教室までの階段を上る。

 そして、教室に着く頃には、今日は大遅刻じゃなくて、私にとってはただの遅刻に過ぎない。そう結論付いていた。




「お、豊島。また遅刻か。」

 マンガの世界なら先生がそんなことを言って、クラスメイトは私を見ながらゲラゲラ笑って、そんなみんなに応えようと何か言うんだろうけど、生憎、先生はドライ。クラスメイトからは冷たい視線を送られる。そして、そもそも私にはそんなスキルは備わっていない。

 ただ黙って席に着くだけ。そして、机に伏して、授業が終わるのを今か今かと待つ。

 私の症状は、電車の中だけではない。

 授業中の閉鎖された空間の中でも発作が起きるようになっていた。

 例えば今、この状況で吐き気が襲ってきたらどうしよう。トイレに行こうにも行けない雰囲気だ。手を挙げて、「トイレに行っていいですか?」と言うのも恥ずかしい。

 それに、それが毎回だと周りからの目が痛い。だからと言って、リバース寸前になって、トイレを出たとして、それが間に合わない可能性だってある。

 だから、必死に耐える。本当はいけないけど、授業中にミント系のタブレット菓子を食べながら、何とか口の中のリフレッシュを試みる。

 それで一時期は良くなる。でも、時間が経つと、甘いのが口の中に残って、更に吐き気が増す。


 ホント、どうしてこうなってしまったんだろう。いつから私はこんなにも精神的に弱い人間になってしまったんだろう。

 心の病なのか、身体の病なのか、わからない。病院に行けばきっと判明するんだろうけど、行く勇気もない。

 誰にも言えない。誰かに言ったところでどうせ、「考えすぎでしょ?」とか、「やる気がないだけなんじゃない?」とか、言われるのがオチだ。目に見えている。

 結末が目に見えるほどつまらない小説はない。


 こんな地獄が、死ぬまでずっと続いたらどうしよう。

 死ぬまで苦しんで、死んだ先の世界で私は幸せになれるのだろうか。

 いやいや、死後の世界で幸せになって何が楽しい?

 そもそも、死後の世界が存在するという確証はどこにある?

 人生は一度きりで、この一度きりを楽しめなくてどうする?

 でも、こんな状態でどう楽しめばいい?

 わからない、わからない、わからない……考えるだけで込み上げる吐き気。

 もういっそぶちまけてやろうかとも思う。ぶちまけちゃえばそれですべてが終わる。そんな結末も見えている。

 でも、頭ではわかっていても、いざとなると心にある理性が必死にそれを食い止めようとする。

 だから、苦しむんだ! このクソッ!




 こうして悩みに悩んだ結果、私の頭の中に一つの答えが導き出された。

 こんなに苦しいなら、いっそのこと死んでしまえばいい。死んで楽になってしまえばいい。

 そうだ、死のう。でも、どうやって?

 わからない。それに、死ぬ覚悟も持てない。

 死ぬ覚悟ができるまでのこの苦しみを、この先、私はどう抱えて生きて行けばいいんだろう。

 生きることはこんなにも難しいことだったっけ?

 これは、一生懸命生きるということをサボっていたことにより、降りかかった疑問であり、私はサボった分を取り返すために、とりあえずまずは一生懸命生きてみようと心に決めた。




 一生懸命?

 一生懸命ってなんだ?

 何が一生懸命?

 努力をすること? 我慢をすること?

 我慢? 何を?

 ああ、そうか。この吐き……気……の……うぇっ……。




 急に席から立ちあがり、先生を始め、クラスメイトの好奇な視線を刺されながら、私は教室を抜け出した。

 廊下を走り、トイレに駆け込む。そして、誰が閉めたかわからない便座カバーを乱暴に開け、大きく口を開いた。

 何も出て来ない。トーストも、ココアも、何も。

 酸っぱい唾液が口の中を濡らし始め、ああ、これが吐く寸前なんだとわかると、手足が痺れ、冷や汗が額を滲ませた。

「お……おうぇ!!」

 しかし、嗚咽しか出なかった。だらんと締まりの悪い唇から、糸を引いたよだれが白い便器の上に垂れる。

 そんな情けない姿を見て、思わず便器に抱き着いて泣いた。

 もう、もう、もう、嫌だ!! 死にたい!!

 ……死んでしまいたい。でも、死ねない! 死にたい!







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