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Shall we dance?

 初めに言っておこう。これから話すのは、ただの現実逃避である。


 特別な存在というのは、案外そこらじゅうにいるものだ。

 人より頭が良いだとか、人より身長が高いだとか、運動神経が良いだとか。

 訂正、例の出し方に不備がある。特別な存在とは何も人より優れている奴のことを言うのではない。逆もまた然り。それに話し上手だとか社交的だとか、そもそも比べようもない特別だってこの世界には存在する。むしろ特別ではない者を探すことが難しいくらいだ。


 人は一様にして同様ではない。


 かく言う俺、桜庭寅。身長体重、加えて学歴や親の年収に至るまでド平均の俺にすら、特別は存在する。例を挙げればきっとキリがなくなるだろうが、強いて言うならばそう、人を寄せ付けないことか。


 街を歩けば人の波は割れ、電車じゃ座席に近づくだけで空席が計3席もできてしまう。高校では俺に話しかけた奴は勇者なんて呼ばれてた。誰が魔王だ。


自慢じゃないが、俺は高校3年間、一度も学友とまともに会話したことがない。


 と言うのも、学校という機関では、会話したくはなくとも必ず業務連絡という形で話さなければならない状況が訪れるものだ。だからそういう時は決まって俺のいない場所でじゃんけん大会が繰り広げられ、負けた一人がその他大勢が影から見守る中、死ぬほどひきつった顔で連絡事項を伝えてきた。


 端から見ればただの生け贄。


 大概、そういう役回りは男子が担うのだが、時たま女子が選出されて、半泣きでこちらに向かって来た時は流石に可哀想な気持ちになったな。でもね、本当に泣きたいのは俺の方なんだよお嬢さん。


 ちなみにその子の名前は確か「ゆうきゆうな」、後の勇者である。


 つくづく学友共の阿保さ加減には呆れさせられたものだ。口で伝えるのが嫌なら、紙にでも内容を書いて机に貼り付けておけばいいものを。

 

 言っておくが俺は暴力事件を起こしたわけでも麻薬密売をしたわけでもない。成績だって平均をキープしていたし、授業をバックレたことなど一度もない。シルエットだけを見ればただの善良な一般市民だ。

  

 ならどうしてここまで人に避けられるのか。


 理由は至極単純。顔が怖いからである。


 眉間には深いシワ、苦虫を噛み潰したような不快感極まりない表情。鋭い目つき。もちろん当人は無表情のつもりだ。


 しかし、この無表情が見つめただけで、ヤンキーすらも逃げ出し、ともすればおばあちゃんが卒倒する。本物のヤクザの集会に連れていかれそうになったこともあったか。


 この父親譲りの、泣く子も泣き喚くこの強面こそがすべての元凶なのである。いや元凶というと、少し語弊があるな。俺は存外、この面構えを忌み嫌っているわけではない。


 本当に嫌いなのは、人を外見でしか判断できないような連中。 


 まあ俺の顔面の話は置いておくとして。


 何が言いたいかと言うと、要は誰もが持っている「特別」は必ずしも自身が望んでいるものではないということだ。


 特別は平等であっても、公平じゃない。手にしたものに満足する者もいれば、望まぬ特別を強いられ、苦しむ者も少なからず存在する。


 たとえその特別が、誰もが羨む「才能」だったとしても。

 

 真面目な話、俺がナントカ組の組長とか、海軍総隊長だったら、この強面にも箔がつくものだが、一市民にとって煩わしいものであることには変わりない。


 どうしたって必ず「求めよ、さらば与えられん」になるとは限らないということだ。


 さて、この脈絡のない文章も、これから起きる七転八倒の災難もすべて、誰かの「特別」の前触れとするのなら、果たしてその先は望まぬものか、それともーー。


 

 悲観的観測終わり。いささか詭弁が過ぎた。


 俺が見ず知らずの女の子に膝枕をされている状況を理解する間に、秒針が3周するのは容易だっただろう。


 この状況を自身が望んでいたかどうかは定かではない。ただ率直に感想を述べるとするならばーー

 

 「異常事態だ…」




 「ん…あ、起きました?」


 耳元で声が聞こえた。


 「なんだ、もう朝か……」


 あまり寝た気がしない。

 

 はて、いつの間にボイスアラームを設定しただろうか。聞き覚えはないが、爽やかな朝にはぴったりの耳ざわりの良い音だ。


 まだ冴えきらない目をこすり、さて携帯はどこだと在り処を探す。


 そのまま身体を起こそうとすると、ふいに後頭部を鈍痛が襲った。


 「痛ッ……」


 金属バットで殴りつけられたような痛み。

 

 にしても痛い。心なしか寒気もする。


 お世辞にも優れているとは言い難い体調に、ため息が出た。


 いつの間に俺は虚弱体質になってしまったんだ。健康だけが取り柄だったはずなのに。


 まあいい。今日は大事をとって学校を休もうか。うん、そうしよう。たかが頭痛と侮るべからず。何かの病気の兆候かもしれないからな。


 そういえば、本来あるはずのふかふかなベッドの感触がない。寝ぼけて床にでも転げ落ちてしまったか。だがそれにしては、頭にはウレタン製高反発枕のような柔らかい感触がしっかりとあるのだ。


 何かおかしいなと、疑念を感じつつも目を見開いた寅。


 次の瞬間、息をする事を忘れた。

    

 右手で黒い髪をかきあげながら覗きこむ、少し幼さの残る輪郭に頬をうっすら薄紅色に染めた女の子。

 

 あまりに透き通った白い肌のせいか触れれば消え失せてしまいそうなほどの儚さで、しかし精彩を放つ大きなアーモンド型の瞳。


 見上げた先に、いつもの見慣れた天井はなく、寅の目に映ったのは一人の少女だった。


 「おはよーございます」


 えっと、どちら様?


 一瞬、時間が止まったんじゃないか。いや違う。俺の思考が停止した。


 あれ、ここ、俺の部屋だよな。


 寅は辺りを見回す。


 気が付けばそこは、寅の部屋ではなかった。部屋というか、室内ですらなかった。何処かの公園。寅自身、そこに見覚えはない。辺りの茜色に暮れた様子から察するに、時刻は午後5、6時頃。


 そして、後頭部に感じる温かい感触。時が経つにつれ目が冴えてくるにつれ、確かに感じ取れる太ももの柔らかな感触や目の前に突き出された美少女の顔。


 寅は今、見知らぬ少女の膝に頭を乗せ、超至近距離で彼女の顔を見上げていた。


 これ大丈夫? 警察飛んでこない?


 こんな時、素直に喜べる奴は脳内がお花畑の奴くらいだろう。喜びよりも何よりも、俺が真っ先に感じたのは恐怖だった。


 寅は事の経緯を考える。


 といっても、行きつく答えなど一つしかない。


 そうか、これは夢だ。如何にも思春期の少年が創造しそうな夢。そうでないと説明がつかない。


 「明晰夢」と言うのだったか。自身がこれを夢であると認識できている夢を。


 そして、フロイト大先生によると、人が見る夢には自身の潜在的な願望が表現されているらしい。ということは、俺は日ごろ女の子に膝枕されたい願望があることになっちゃうんだけどフロイト先生助けてください。


 しかし、こういうシチュエーションならば女の子は普通、知人かテレビの中の人か、少なくとも俺の知っている人物であるはずなのだが、俺はこの子に全く見覚えがない。

 

 普通の人なら、まぁただ忘れているだけだろうと納得できるのだろうが、今回に限って、俺に限ってはそうではなかった。


 俺には女の友達がいない。というか、友達がいない。理由はさしもの通りだ。逆にこれだけ人から敬遠されていて友達がいます、というのも変な話だろう。自分で言ってて泣きそうになるな。


 加えて生まれついでのこの目つき。名は体を表すとは言い得て妙。威嚇する虎のような眼光鋭い猫目が近づくものすら寄せ付けず、交友関係を3割増しで軽薄にしている。


 そんな日頃人と関わる機会の極端に少ない俺が、歩くだけで人が振り返るような眉目秀麗、容姿端麗の彼女を見かけたとして、果たしてその事を簡単に忘れるものだろうか。


 凛々とした少女の姿に、目をぱちくりさせていると、彼女の口元がふと動いた。


 「なーにじろじろ見てるんですか」


 春風に融けるように澄んだ声。


 「そりゃあ目の前にこんな豊満なバストを突き出されたら目が離せなくなる気持ちも理解できますけど、私も年頃の女子なので羞恥心の一つくらいは持ち合わせてるんですよ。てゆうか、あんまり見てると通報しますよ?」


 そして挑発的な内容。開始早々いいパンチ打ってくるじゃねぇか。


 俺の夢のくせに、この高圧的な態度はなんだ。どうして俺に冷たいんだ。もしかして俺はMなのか。


 にしても女子という生き物は、どうしてこうも自意識過剰なのだろう。見てもないのに見たと言ったり、触ってもないのに触ったと言う。そんなだから痴漢冤罪が無くならないんだ。


 それに一部の阿呆な奴が意味もなく騒ぎたてるから、本当に被害に遭ってる人が言い出しづらくなって、結局されるがまま。その薄っぺらな行動に傷ついているのは同じ女子だというのが、何故分からないのだろう。

 

 というニュースを思い出して少し気分が悪くなる。


 だがこういう人には変に下手に出てはいけない。むしろ堂々としていた方がいい。(お昼のニュースより)


 それに本当にこれが俺の夢の中なら、俺がここの王様だ。言い返すくらい造作もない。今度生意気な口を聞いたら、ここから追い出してやるさ。


 「胸なんか見てねえ。というかそんな胸があるのに、真下からお前と目を合わせられているのはどうしてなんだろうな」


 そう口にした瞬間、寅の視界は途端に光を失った。同時に激しい痛みが両眼球を襲う。


 「うぎゃあああああ」 


 幕間。寅の目に再び光が戻るまで、あと3分。


 話が違うじゃないか。速攻で攻撃してきたぞ。一生恨むぜ、ミヤネさん。


 俺の両目、これ失明したんじゃないのか。衝撃が眼球を通り越して頭の中まで響いてきたぞ。一瞬で、それも的確に俺の視界を奪う技術。さてはこの女、二本貫手のスペシャリストか。


 なわけあるか、暴力反対。


 あまりの痛さに、早計な発言を少しだけ後悔した。


 そしてふと気づく。自分が痛みを感じてしまっていることに。

 

 自分の頬をつねるまでもない。意識もはっきりしていた。何より彼女から受けた極悪目潰しによる激痛が、すべてを物語っている。


 結論を言おう。これは夢ではなかった。


 この時、俺がどれほど絶望したかはご想像にお任せする。


 夢でないとすれば、俺は何処かも分からない公園で、こんな夕暮れに、少女に膝枕をされているという不可思議極まりない状況を現実だと認めざるを得なくなってしまう。


 それが何を意味するか。正解は、何も分からないである。


 本当にこれが夢でないとして、誰がこんな馬鹿げた状況を理解できようか。いやできないね。だって今、俺は頭真っ白だもの。


 頼むから夢であってくれ、そして夢なら早く覚めてくれ。


 そしてただ一つ、確実なのは先程の一件で彼女の怒りを買ったことだ。


 「ぱんぱかぱーん」


 視力の回復を待たずして、少女は訳の分からないファンファーレをさも気怠そうに歌った。

 こういうSEは大概、良い知らせの前置きとして使われそうなものだが、彼女の声色からは吉報の予感など微塵も感じられない。恐らく先ほどの件でさぞやお怒りになられているのだろう。視力が戻った時の彼女の形相を想像するだけで身体がこわばる。


 「桜庭寅」


 「ハイッ」


 突然のフルネームでの呼びかけに返答の声が裏返ってしまった。当然だ。寅の心持ちとしてはもう今すぐにでも逃げ出したい。


 というか何で俺の名前知ってるの。

 

 いや、そんなことよりも命の危機である。恐らく彼女は一撃目を食らい弱っている俺に二撃目を加えんと企んでいるに違いない。


 女性というのは恐ろしいもので、報復が一度だけとは限らない。特にデリケートな話となると狂気は何十倍にも増す。蜂が二度刺すのならば、女性はメッタ刺しというところだろうな。

 

 それにこの状況、おそらく目潰しだけでは済むまい。もしこの瞬間、彼女が寅に襲い掛かり羽交い締めを繰り出そうものなら、いくら男と女の対格差があろうともこの膝枕の体勢では圧倒的に寅の方が不利。あっという間に無意識の海に沈められるだろう。


 寅は見えない目をぐっと閉じて身構えた。だが、降ってきたのは鉄拳でも手刀でも、ましてやチョークスリーパーでもない。だがそれは、ある意味どの物理攻撃よりも寅に大きな衝撃を与えた。

 

 「桜庭寅さん、あなたは今日、死にました」


 残念でしたね、と軽々しく語った内容に、寅は硬直する。


 突拍子もない彼女の発言。冗談にしても悪質すぎる。これが先程の仕返しか。


 そう、悪い冗談。それで済むはずの彼女の言葉に、寅は核心を突かれたかのような衝撃を受けていた。まるで今まで忘れていたことを思い出したような。


 「どういうことだ」


 「あー、えっと、正確にはつい先程、道路に飛び出したところでトラックに轢かれてですねーー」


 なんだ、一体こいつは何を言っているんだ。


 「違う、俺は生きているじゃねぇか。ほら、目こそ見えちゃいないが、耳も聞こえる、手も動く。現にこうやってお前と喋ってるのはーー」


 「うーん、説明すると長いですけど、要するに生体リンクってやつです。今、桜庭さんは私の五感を使って、私の意識を借りて動いているんですよ。だから私が生体リンクを切れば桜庭さんの心臓はーー」


 「俺はまだ死んでねぇ!」


 自分に言い聞かせるように放った言葉は、虚しく空に消え去った。


 死んだ? そんな馬鹿な。俺は今日もただ普通に学校に行って、普通一人で過ごして、普通に帰宅したはず……。いや、思い出せない。高校三年の終盤、教育課程も修了し、いよいよ卒業が控えた頃だという確かな記憶はあるのに、その日が何の日で、何時何分だったのか、虫食いのように頭から抜け落ちている。


 記憶の糸を辿っても喪失した部分は曖昧で、どこからはっきりと覚えているのかさえも把握できない。


 でもだったらどうして今日なんだ。俺の特に何もない、何の変哲もない、素晴らしい日常に命を落とす要素などどこにもない。身体も至って健康だった。それがぽっくりと逝っちゃいましたなんてありえないだろ。そんな前触れもなく簡単に死んでたまるかよ。こちとら大学生活も控えてるんだぞ。


 次の瞬間、大きなため息を吐いたのは寅ではない。


 「はあー、めんどくさい」


 素に戻り呆れ返ったような彼女の言葉。そこからは想像つかないほど優しく透き通った声が、もう開けて大丈夫ですよ、と瞼の上に手を重ねる。すると、先程までの目の痛みが嘘のように消えた。


 「死んでるとか生きてるとか、どうでもよくないですか?」


 彼女の突拍子もない発言に、反論しようとした寅は次の瞬間、言葉を失った。


 光を取り戻した寅の瞳が捉えたのは、艶やかな黒髪が、毛先に向かって段々と銀色に染まり―—脱色していく姿——いや違う。気配や存在そのものが薄れていく彼女の姿だった。


 「おい、お前……」


 命が遠退いていく不気味な感覚に、反射的に起き上がって少女と距離を置く寅。

 

 だが寅の態度にも彼女の表情は崩れなかった。生気が失われるのに比例してより強調される凛とした姿が、寅の視線を掴んで離さない。

 

 「あーあ、私、黒髪けっこう気に入ってたんですけどねー」


 自分の銀色になり果てた髪を一つに束ねては解き、それでも彼女は飄々としている。 


 「お前、何者なんだ」


 声が震える。事態はいよいよ現実味がなくなってきた。彼女は少し考えるように空を仰ぐと、また口を開いた。


 「私は死神です」


 「マジで」


 「冗談です」


 「は?」

 

 これ笑うとこ? それとも怒っていいとこなの? おいやめろ、してやったみたいにニヤニヤするな。


 「あっはは、相変わらず、中身の方は全然怖くないですね」


 こいつ、絶対バカにしてる。


 「顔だけ怖くて悪かったな」


 「いえいえ、むしろ安心しましたよ。扱いやすくて助かります」


 上機嫌に笑う彼女は、背景に花でも添えられたかのように鮮やかに映った。これが俺に対する嘲笑でなければ、危うく惚れていたかもしれない。それが分かっている今、間違っても惚れるなんて絶対にないけれど。


 結局、この子は何なんだ。小生意気な態度、掴み所のない口調。姿形は俺と年のそう変わらない思春期半ばの少女である。


 だが観察すればするほど、彼女の気配は幽かにしか感じられない。確証はなかった。だが彼女の言動がはっきりと示す事がある。寅は一つだけ、確信していた。


 「お前は人間、じゃないんだよな」

 

 彼女はまた微笑を浮かべる。


 「まあ当たらずとも遠からずですね。死神が命を奪う者なら、人間は命を奪われる者。人間が命を失うはずの者なら、私は命を失った者。ただ、それだけの話です」


 彼女の解答に、別段驚きはしなかった。夢だ罰ゲームだとか言って、大抵の事に心構えをしていたからだろうか。いや、違うな。彼女は最初から、人間らしくなどなかった。 


 人間が持っているはずの、命への執着というか、生きたいと願う気概が、彼女にはない。生命に関心がないと言ってもいいか。


 人を「人」だと定義する方法はいくらでもあるだろうが、他人はおろか、自分の命すら蔑ろにする者を、人とは呼ばない。いつだってモノの価値が分からないのは、教養のない子供か、元々そんなもの必要ない「人以外」の者なのだ。そして彼女は後者。


 彼女にとって、人が生きるも死ぬも、「それだけの話」なのだ。


 しかし、ならば尚更分からないことがある。彼女が俗に言う「幽霊」であるとして、そこに俺たちが知り合う余地などあったのだろうか。


 「俺とお前は何処かで会ったことが――」


 「ぅんんーっ」


 寅の質問を遮るように、彼女は大きな伸びをし、ついでにあくびを一つかました。うん、話を聞く気がないのがよく分かったよ。


 「桜庭さん、あんまり細かく詮索する人は嫌われますよ」


 「余計なお世話だ。生憎、嫌われるような交友関係は持ち合わせてないんだよ」


 「それに女の子から距離を取るのもいただけませんね。あと、お前呼びするのもNGです」


 「ああ、それはすまん。って名前知らないんだから仕方ないだろ」


 彼女はちょいちょいと手を子招いた。なんだ、名前でも教えてくれるのか。


 後で思えば、自分も迂闊すぎた。あまりに普通の会話をするから、つい油断したのだ。


 寅は自ら彼女との距離を縮める。すると、彼女の方も膝を浮かし、少しまた少しと寅との距離を近づけた。そして気づけばお互いが正座し、対面する形に。なんだこの絵面は。


 顔が向き合う形だが、流石にまじまじと彼女の顔を見るのは忍びない。というかこんな近くで女の人の顔なんかまともに見れるか。


 そう思い、気恥ずかしさに目を背けた瞬間、またもや、視界は真っ黒になった。


 だが今度のは痛みは伴っていない。代わりに感じたのは、額に触れる柔らかいもの。それは微かに熱を帯びていて、その感覚は一瞬で消えてしまったが、その去り際に冷たい吐息を残していった。


 その正体が何なのか、寅が理解することと、どちらが早かっただろう。


 心音が高鳴る。脈動がリズムを早める。全身が高熱に侵されたように熱くなり、意識が朦朧とする。何かが額から流れ込んでくる。全身が自分ではない「何か」に浸食されていく感覚。だが不思議と不快感はない。


 ほどなくして視界が開けた。そこには、唇を人差し指で抑えながら悪魔のように意地悪げで、だがこれ以上ないほど満足気な彼女の笑顔があった。


 その笑顔に、しばらく呆然としていた寅は、しまった、と思った。

 

 慌てて額を押さえる。だがそこには、もう自分のものかも定かではない、僅かな余熱が残るだけだ。


 今、絶対何かされた。それも、とんでもなく最悪なことを。


 「ぱんぱかぱーん」


 聞き覚えのあるSEが聞こえる。俺にとっての恐怖のSE。


 「本日をもって、あなたは桜庭寅ではなくなりました」


 「そして只今をもって、あなたを私の人生代行に任命します!」


 彼女は高らかに宣言すると、勢いよく寅に人差し指を突き出した。


 「おい、ちょっと待って――」


 「それでは早速、元の世界に帰りましょう!」 


 まるで聞いちゃいない。今以上に女子に手を上げたいと思ったことがあったか。


 寅の制止もお構いなしに、彼女はおもむろに立ち上がり、胸の中心に両手で輪っかを作る。すると円の中央から光の玉が出現し爛々と輝き始めた。


 彼女が輪を広げるにつれ、光は段々と溢れて大きくなっていく。


 おいおい、冗談だろ。人間業じゃねえ。いや、こいつは幽霊か。


 って落ち着け、幽霊だからって光の玉作り出したり出来るのか。それにこれ、このまま俺に向かって打ち出して、消し炭になるなんてオチじゃないだろうな。作品間違ってるぞ。そういう事は幽遊〇書でやってくれ。


 考えている間にも、みるみる光は大きく、強くなっていく。 


 そして彼女が両手の輪を解いた瞬間、彼女の姿は見えなくなり、空気中、周り一体が白い光に包まれた。


 その時、何処か遠くで朧気な声が響く。


 「期待してますよ、寅さん!」


 幻想的な景色のなか、薄れゆく意識の中で寅は決意した。


 次に顔を合わせたら、こいつの腹に一発入れてやろう。と。


 

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