十八話
しばし唖然とした俺は……とりあえず、近くにいたマーマンを殴りつけた。
「て、てめぇ何しやがる!」
殴られたマーマンが怒りの声を上げ、敵意が生まれる。それは拡散し、周囲の連中全員の悪感情を誘発した。
「決まっている。今ここでテメェらを皆殺しにして、俺が自殺すればイフィルニは助かるんだよ! その為にっ! ここで精神を消されろ!!」
罵詈雑言を蹴散らし、完全復活していた連中を片っ端から殴り殺す。レベルもステータスも一皮むけた初心者程度に落ちたが、今まで散々使い倒してきたプレイヤースキルは何も変わらねぇ。十分以内に殺しきる事だって出来よう――
あ?
テメェら……何イフィルニの方へ向かってんだ!!
「おい! まずはまったく動かないこのクソトカゲを殺すぞ!」
「ネブラはやると言ったらやる野郎だっ、さっさと殺さないと俺らが殺される!」
「悪魔に惚れられた奴なんか相手にしてられるか! またどんなチートを持ってるか分かったもんじゃねぇ!」
「俺らがもう終わりなら最後にクソチーターをどん底に落とさなきゃ気が済まねぇ!」
あの野郎共がッ!! 殺す! 絶対に絶対に、あの卑劣で情けないクソ野郎共はッ! この手で絶対ぶっ殺す!
空中都市にすら抱いたことの無い『害意』を抱き、イフィルニに纏わりつくゴミ虫を蹴散らす。連中の言う通り、イフィルニは動かない。まるで魂が抜けたように動かない。その様を見て、俺の中に在る草葉の血はネブラの意図を察知した。
あの女、どう転んでも俺が連中を蹴散らすよう仕向けやがったんだ。その後で俺が自害するかイフィルニを殺すか、そのどちらかを選ばせる為に!
この手のウイルスに引っかかった『人間の精神』を、アンチウイルスソフトがどう判断するか知った上で!!
「グォォォォォ!! ガァ! ガゥ! グラァァァァァァァァァァァァァァ!!」
無我夢中で人間を殺す。
拳で殴り、爪で裂き、牙で抉り、尾でしばく。右から来た剣をはじき返し、左から迫る金属槍を蹴りあげる。飛んでくる魔法や矢は潰れた右手で受け止め、ジャンプで沈黙するイフィルニの反対側へ行き、敵の槌を尻尾で跳ね除ける。大鎌を破砕し、鎖鉄球を受け止め、エストックをかみ砕く。その間にも俺の隙をついて、腐った連中がイフィルニの身体を傷つけて、穢して、弱らせてッッッ!!!! 死ね! 死ね! 死に晒せッッ!!
神官の回復魔法で傷付くイフィルニを回復させ続ける。その間も突き出された剣槍を砕き、振り下ろされる槌斧を弾き、飛び込んでくる矢魔を右手で阻む。クソっ、レベルが下がって神官が消えた!
ちくしょう、もう攻勢には回れないかっ。あとはもうひたすら守り続けるしか無い。被弾を抑えて、制限時間までイフィルニを守る! ご丁寧に設置された砂時計の残りは七割程度。すなわち七分。七分……守り切れるのか、俺は?
戦闘中に気弱を考えた愚の代償として、足を斬られた。仮想の血が噴き出し、痛い。
浅いとはいえステータスダウン中の今、これは……!
「おっしゃ! 俺がアポルのクソ野郎の足を切断してやったぜ!」
そこっ! 誇張表現はやめてもらおうか!
ピタリと連中の動きが止まった。
救いようのないゴミ共は一人の妄言者の言葉に眼の色を変え、イフィルニへ向けていた矛先を俺に向けた。
「マジかぁ! だったらこんなクソトカゲなんざどうでもいい!」
「俺らの恨みを直接食らいやがれ!」
「死んで詫びろ! 死んで詫びろ! ネトゲでもリアルでも死んでしまえ!」
「チーターだから悪いんだ! 悪いてめぇが代わりにくたばれ!」
クソがっ! 狙いがイフィルニから俺に変わったのは不幸中の幸いだが、この数を足が使えない状態で全滅させるのか!?
ちっきしょうッ!! 万全の状態なら、こんな奴らの千や二千っっ!!
ドワーフが横から振り被るグレートアックスを足が痛むのも構わず踏みつけ、後ろから突き出されるミリタリーフォークを尻尾で逸らしてドワーフに流し、右から迫るライトブレイドを魔法消しで散らし、ややずれた右から来るサーベルを使い物にならないようで後先考えなければ意外と使える右手で受け止めて、間髪入れずに左から迫った長弓の矢を左爪で断ちばらす。その勢いでチャージランスの穂先を受け止め、頭を勝ち割ろうと迫るボール・アンド・チェインへぶつける。死角から右目を狙ってきたパルチザンを牙で受け止め、
それが限界だった。
左からレイピアが俺の左胸を突き刺し、右から振るわれたハルバードが右肘から先を断ち切り、ロングソードが真正面から俺の左目を撫で斬り、左腰はクリスを捻じ込まれ、右耳をサイズが両断し、左足の関節に矢とボルトが六本生え、顔面に叩き込まれたウォーハンマーが何本もの牙を圧し折り、ファルクスの曲がった刃先が左肩を斬りつけ、同じ場所をシーウォータ・ライフルバレットが穿ち浸み、幾本ものライトニングが俺の身体のみを焼け焦がせ、ククリが爪の無い右の指を全て切断し、グレートソードが尾の先をぶった切る。
痛みでどうにかなってしまいそうだ。ピロンという音が耳を壊し、絶叫が血泡に吸収され、無傷で残った左手の感覚も消えた。
ザグッ、グシャ、ザシュ、ドッ、ザッ、グシュ、ドンッ、メキッ、ギュチ、ギャリ。
剣を、斧を、槍を、矢を、魔法を、槌を、嘲りを、この身体が削れて無くなってしまうのではないかと空寒い思いを抱くまで受け続けた。無事だった左手も最早原型を留めず、血にまみれていない場所など悪い夢を見せられ続ける右目だけだ。痛む度にレベルもガンガン下がり、俺の身体を重力に抗わせているのは、既に俺じゃなく連中の武器の衝撃だ。
サンドバッグより酷い扱いを受けた。
そんな事は些事だ。砂時計を見れば……はは、まだ四割すら超えてない。
イフィルニを助けたい。
イフィルニを無事に元の世界へ帰したい。
俺が消えても、イフィルニだけは残してみせる。
例え亡霊に堕ちたとしても、必ずやこの憎き連中を道連れにしてやる。
……こんな時に、イフィルニとの楽しい日々が脳裏に浮かぶ。
初めて出会った時。イフィルニはまだクリーム色の飛竜で、俺は調教師にすらなっていなかった。
五度目の再会で、俺はイフィルニのテイムに成功し、直感的に、名付けた。
テイムして二か月は、口も聞いてくれなかった。それが嫌で必死にドラゴン語を習って、リアルに影響が出るまで一生懸命覚えた。
五か月目の最初の日、イフィルニが俺に獲物を持ってきてくれた。五メートルの毒蛇で、チラチラ期待するような視線に耐えきれずその場で(生で)食し、死に戻りかけた俺を見てあたふたと薬草を探しに行って、通りすがりのプレイヤーに毒消しを分けて貰ったせいで無駄足になって、むくれちゃって……その姿がとても可愛いな、と思って。
出会って半年で、ようやく背に乗せてくれた。某小説のように、身体のあちこちが鱗に削られて、死に戻りかけた。けど初めて見た空の景色は何もかもが爽快で、失明一歩手前まで目を見開いていたくらいだ。直後のグリフォンとの初空中戦の、スリルと一体感が忘れられない。
あの時俺は、誰かと一緒になるって事の心地よさを知り、イフィルニに恋をした。
一年目。竜の里を訪れて、エレティカ嬢を預かった時の優しい表情。
二年目。青の飛竜に進化して、共に祝った時の嬉し涙。
そして三年目。俺の事が好きだと告白してくれた時の、幸せな抱擁。
俺とイフィルニはずっと一緒だった。相棒のルナナよりも、トカゲとシャナの夫婦よりも、トーラやシュバルツの旦那や一番弟子のコウイチよりも。それどころか、関係の密度で言えば家族や小学校の同期や保護者より、イフィルニと共に過ごした時間の方が多い。
誰よりも大切な友で、誰よりも愛しい竜で、誰よりも大好きな、ドラゴン。
精神をアンチウイルスソフトに消される可能性を、俺はもう受け入れた。
『ドラゴンアポスル』と共にゴミを道連れにする『禁術』も、じき準備は終わる。
ぁあ……でも、でも最後にせめて、最愛の竜に、俺の名前を、呼んで、欲しかった。くたびれた人生の最後、幸せを抱いて、妹と同じ眠りに――
イフィルニ、イフィルニ、イフィルニ、イフィルニ、イフィル……ニ、イフィ、ルニ……いふぃるに……イ、フィ……ルニ…………イフィ……る……に…………ぃ、ふぃぅ、ぃ――――
「キィィィリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!」
儚い絶望の光に溶けかけた意識が、冷たく温かい闇に引き戻された。
『ドラゴンアポスル』の死を覚悟しない限り使えない自爆技を密かに企んでいた俺の耳に、寒く冷たい『流れる氷』の絶叫が届いた。
潰れた痛みも動かす激痛も忘れ、俺は塞がりかけた右目と射かけ塞がれた左目をかっ開き、ゾクゾク走る寒気を帯びた、千年氷の如く神々しさとも禍々しさとも違う竜独特のオーラを今、この眼に焼き付ける。
イフィルニが戦っていた。
先ほどまでの沈黙が悪い冗談だったかのように、イフィルニは混乱極めるゴミを貫き殺し、斬り殺し、打ち殺し、凍て殺していった。
子供を殺され人の町に災厄を齎した地竜の薬師、サリヴィヌのように。
高潔な竜柄で有名だった騎士竜ラビゴッドが妻の仇の国を滅ぼした時のように。
卵を守るために動けず、常にその身に傷を負い続ける、孤高のドラゴンのように。
イフィルニもまた、弱体化していた。
「ぃ……イィィフィルニィィ! 無茶をするな! お前だけでも逃げろ!」
動きがのろい。勘が鈍い。鱗の使い方が成ってない。あれは、あれはイフィルニの本来の強さではないっ! 野性のドラゴンにも劣るっ。あれはそう、まるで以前介錯した造竜実験の被害者のような……
あるいは、幼いドラゴンのような動きっ!!
まさかイフィルニ、お前は――
「キィィィ! キリ!」
やはりっ! ドラゴン語にもなっていない! まさかあのネブラとかいう野郎、イフィルニの記憶を消しやがったのか!? ああもう、草葉の一族だから分かりやがるよ! 確かに苦悩する登場人物を見るには最適なシチュエーションだっ。
「キリュ、キ、キリィィ!」
クソっ! 速く動け! もっと! 早く! イフィルニの! 元へ! レベル一桁がなんだというのだ! もう二度とっ! 隣で誰かが潰れる姿なんてッ!!
冷静な俺は分かっていた。
間に合っても、勝てる要素なんてない。いくら訓練しようと、チワワじゃオオカミは倒せない。病床の武芸者がゴーレムに勝てないのと、同じ。
それを都合の良い根性論で打ち消して、愛情って名のスパイスで臭みを誤魔化して。
俺はイフィルニを助けたい……その感情だけで動いていた。
実を伴わない身勝手。俺がこの世で特に嫌悪する幾つかの状態の一つ。
心底から嫌悪する状態に自分から陥っておいて、奇跡なんか起こせる訳無かったんだ。
『――電子型ウイルス及び精神型ウイルスを補足。これより殲滅を開始します。関係者は接続を切断し、速やかに仮想空間より離脱してください』
それをシステムという神が知らしめた。
鉛と入れ替えられたんじゃないかと疑う程に鈍く、思い通りにならない身体を必死になってイフィルニへ近づけて、イフィルニを襲うゴミを片付けようと手を伸ばした直後、俺のVR機に入っているアンチウイルスソフトが行動を開始した。
端の壁から崩れ、解れ、消えていくホール。その進みを悟らせるのは、どこまでも熱く光る眩い光。全てを拒絶し、攻撃し、無に帰す無数の光球が俺たちに迫る。
ゴミが絶叫を上げて逃げ惑う。光球に当たって消えるゴミもいれば、ゴミを盾にして逃れるゴミクズもいる。イフィルニは関係ないとばかりにゴミをかみ砕き、流れる氷の餌食にしていった。
俺はもうどうすればいいのか、考えに考えすぎて思考がごっちゃになって、意味が分からなかった。ただ、このままでは死ぬ。警告なんて無意味で、そして、イフィルニを助けたい。それだけが頭の上でずっと巡っていて、気付かなかった。
俺にも光球が迫っていた事。
同時、イフィルニに近寄る光球へ体をぶち当てようと、した瞬間。
青い翼で包み込まれた。
「――イふぃ、ルニ?」
親が死んで妹が眠っても漏らす事の無かった情けない声が、耳に障る高音で漏れた。
イフィルニは蘇っていた。二つ前の抱擁の記憶は、あまりにも哀しげなイフィルニの切ない表情に掻き消されて――
「キルゥ、リィ」
愛して、いる――
それだけを残して、イフィルニは消えた。
ゴミと違い、魂を彼岸へ導く死神に連れ去られるように、イフィルニの身体は流れる氷の姿に変じ、天へ昇って、いき……
不協和音と空間の歪む音とソニックブームを同時に聞いた。この世が終わったと覚えた俺の意識は、歪んだ視界と涙を最後に、消え。
トーラが『使徒』を引き連れて俺とイフィルニを助けに来る、ほんの数秒前の事だった。