海の絵がある部屋
この作品は私が最初に書いた中編の前日譚のつもりで書きました
この頃のモチーフは「絵」でした。今は「写真」です
父の部屋に入ると、切り裂かれた絵が壁にかかっていた。
どうやらこの「海の絵」も父は気に入らなかったらしい。空っぽになった額縁だけがかかっている様子はとても寒々しく見えた。メタメタに切り裂かれた絵を片付けるのは私の仕事だった。
私は椅子にかけて静かな寝息を立てている父を起こさないように静かに絵を片付けた。
これで何枚の海の絵を片付けたのだろう。
何個の切り裂かれた絵の破片を集めたのだろう。
私はあと何枚の絵を手に入れなければならないのだろう。
画家の親を持つと苦労する。
「ヴァイオレット」父が目を覚ました。椅子に深くかけたままうっすらと目を開けている。
「ごめんなさいお父さん。起こすつもりはなかったの」嘘だった。私は父に起きて貰いたかった。自分が何をしたのか、自分の娘に何をさせているのか、それを判ってもらいたかった。でも父は判ろうとしない。ひょっとして理解する力がないのかもしれない。
「いや、私も起きようと思っていたところなんだ」私の思いとはまったく反対に父は緩やかな微笑みを浮かべていた。
「さあ」私は声に出した。「夕食の支度をしなくちゃ」逃げ向上だった。「今日は何をつくろうかなあ」これも声に出した。父が何も食べようとしないのは判っていた。私は切り裂かれた絵のかけらを素早く集めて残骸だけになってしまった額を外そうとした。早く逃げたかった。父の部屋から。できるだけ早く、何事もなかったように。
「ヴァイオレット」父が呼びかけてきた。
私は額縁に両手をかけたまま、父の方を向いた。
「もう、絵を探すのは止めよう」それだけ言うと父は椅子に深くかけると目を閉じた。
私は父に答えることなく額縁を外して部屋を出た。
父はもう長くはない。別段、医者に言われたわけではない。ただ、長年暮らしている親子のカンというものだろうか。
判る。父には生きるという意志が見えない。父に生き物の息吹を感じなくなってきていた。私も感じたことだけど、若い時は有り余る生命力の方が勝手に燃えて活力を与えてくれる。なんの目標もなくても人は走っていても苦にならない。
しかし、年をとると衰えた生命力が足を引っ張ってしまう。何か生きる糧を見つけないと生命力を燃やすことができない。老人になればなおさらそうだ。希望を見つけるよりも絶望の方を見つける方が簡単になってくる。人が簡単な方に走るのは若い時も年をとっても同じで、父は日に日に衰えていった。
その父の願いが「海の絵」が見たいだった。
それからというもの、私は世界を歩いて海の絵を探しては父の部屋にかけていた。
画家だった父は海の絵を得意としていた。世界的な名声を得た画家でもなく、天才的なものがあるわけでもない、ちっぽけな画家だったが、父の海の絵はとても魅力的だった。
「海は女だ」とは古今東西言われてきたことだが、父はその「女性」を魅力的に描くのが上手かった。海に向かって筆を執っている父はまるでデートを楽しんでいるようだった。母さえ嫉妬していたからおかしかった。
家族で世界中の海へ行った。数え切れない程の海を見てきて、父はその一つ一つをキャンバスに写していた。父も母も私も海が好きだった。そのくせ私の家は海の近くにあったことはない。町だったり山だったり、森に囲まれていたり。
小さな頃に、なぜ海の近くに引っ越さないの?と聞いたことがある。
すると父は、
「会いに行くからいいのさ、幸せは幸せ過ぎてもダメだ。幸せを求めすぎて結局は自分で全部壊してしまう」と言った。
それを聞いた時は父の言うことが良く判らなかったが、今は気持ちが悪いほど良く判る。
求めすぎて自分を壊してしまったのは他ならぬ父だった。
父が海の絵を描かなくなったのは突然のことだった。いつものように父はキャンバスを抱えて海から帰ってきた。しかしその額縁に絵はなかった。切り裂かれていた。父は自分で描いた絵を切り裂いて、そのかけらをご丁寧に持って帰って庭で焼いていた。それこそ形がなくなり灰になるまで、灰まで焼いてしまうのではないかと思う程に徹底的に焼いた。その様子が、恐ろしいくらい真面目で、父の目が気味の悪い色に光っていた。
父に何があったのかは全く判らなかった。何かがあったことは確かだけれども、それが何なのかは判らなかった。どうして父が海の絵を切り裂いたのかわからなかったが、父が狂ってしまったのは良く解った。
母が家を出て行くのに半年もかからなかった。私と父だけの暮らしが始まったが、父は衰弱していった。私は母になんども手紙を出した。「戻ってきて欲しい」と。しかし母は「あの人に必要な物は海だけ」という返事をよこしただけだった。
母の言うとおりだった。父が求めたのは「海の絵」だけだった。母の名前を呼ぶこともなかった。
メイドの話では父は別人のようにダイナミックに絵を壊していたらしい。その話が本当なのかどうなのかはどうでもよかった。切り裂かれた絵を見れば、父が全力で絵を破壊したことはよくわかった。そんな暮らしか二年も続いている。
日本にいる同僚から電話が来たのは冬の寒い朝の事だった。海の絵を見つけたという話だった。
「申し訳ないけど、写真だけでお願いできる?」
わざわざ時間をかけて東の果てまで行くのは、あまりに現実的じゃなかった。
海の絵を知り尽くした父の眼鏡にかなうような海の絵があるはずがないと私は最近判ってきていた。それにもう海の絵に対してあまり資金はかけたくなかった。父にとって絵の資産的な価値などどうでもよかった。それが良いか悪いかだけしか考えていなかった。だから、とても資産的な価値がある絵でも平気で切り裂く。絵のディーラーにしてみたらたまったものではなかった。
「大して資金はいらないんだ。一枚手に入れて送る」
「任せるわ」
正直、海の絵のことはどうでも良かった。同僚の好意はありがたかったが、同僚は哀れみでやってくれているのかもしれないとも思っていた。
「絵描きの娘が、狂った父親のために海の絵を探しているのは、あまりにも哀れだ」と。
別に私はどう思われていようとどうでもよかった。父が狂ってしまったのは事実だし、それをどうにかしようとして海の絵を探して世界中をかけずり回っていたのも事実だ。ただ、私はこれ以上絵が切り裂かれるのを見たくなかった。
私は父のように絵を描く才能を持たなかった。でも絵は好きだった。絵を描くことを生業としていないからこそ、絵を切り裂かれるのは大嫌いだった。これが私も絵描きだったのなら、画家が気に入らない絵を切り裂く理由が判ったかも知れない。出来損ないの絵が生きている姿こそ絵描きには辛くて見ていられないのだ。
海の絵のことを忘れた頃、日本から荷物が届いた。同僚からの海の絵だった。荷物には手紙が同封されていた。
「日本の路上販売されていた海の絵を送る。偉大なマスターに幸せあれ」と書かれていた。
路上で売られていたということは、大したことがないのだろう。どうせ無名の画家くずれの作品だろう。また一枚絵が切り裂かれるだけだ。まあ、父の部屋に飾らなければ済むだけの話だが。
とはいえ、同僚の好意を無にするわけにはいかないので梱包を解いた。なんなんだこれは。
絵が輝いていた。色使いがどうこうとか構図がどうしたという話ではなかった。海の絵には違いないのだが絵が輝いていた。私は、これと同じ輝きをした絵を見たことがあるのを思い出した。
父の絵だ。父が描いた海の絵だ。父が誇らしげに私に見せた海の絵と同じ輝きを放っていた。
海が好きな絵描きが描いた大好きな海の絵
私はもう一度、同封されていた同僚からの手紙を見た。
「路上販売」。それ以外に絵の出所を知る文面はなかった。私は絵描きではないが、ディーラーとしてそれこそ歴史的価値のあるものから、商業的価値が優先する絵まで見ることが仕事だった。絵を見る力は私はあると思っている。そうでなくてはディーラーなんてやってはいられない。
ディーラーの私に言わせると、つまらない表現しかできないのだが、この絵はダイヤの原石だった。原石でこれだけ光り輝いているのだから、磨けばどうなるのだろう?
輝きだけではなかった。この絵には恐ろしいほどの生命力が満ちあふれていた。尋常ではない生命力。とてつもない活力に溢れていた。マイナスのエネルギーがまったくない、すべてがポジティブなパワーが詰まっている。
私はすべての絵は芸術である以前に「見せ物」だと思っている。絵は見られるからこそ、多くの人に見て貰ってからこそ価値があると思っている。人に見られてからこそ絵は魅力を増していくものだとも思っている。あの「モナ・リザ」の魅力はどうだろう。一体どれくらいの人が彼女の見たというのか。多くの人に見られることで魅力を増してくるのは人も絵も同じじゃないだろうか。
私の興味は海の絵から、この絵を描いた人間に移った。もう一度同僚からの手紙を見たが「路上販売」以外の手がかりがない。
一体、日本という国はどういう国なのだろう。これだけ輝きを放つ絵を路上販売させているとは?東洋の神秘とはこのこと?
日本には何度も行った事がある。日常会話にはなんの支障もない。しかしこれだけの絵描きを隠しているとはあなどれない国だった。早いウチのこの絵を描いた人物と接触をしたいと思った。もっとも、父がこの絵をどう見るかが判ったからでも良いのかも知れない。
私はいつものように絵を父の部屋に、父が寝ている間に、そっとかけておいた。これだけの輝きを放つ絵でも気に入らなければ、何をやってもダメだと思いながら。同時に、近いウチに日本に行くようになるかなとも思った。この絵がどうなろうとも。私の興味は海の絵から絵を描いた人間に移っていた。
父は眠っていた。その様子は死んでいるようだった。
忙しいことは良い。雑多なことから解放されていることを実感できる。それが家に帰ったとたんに、雑多なことに気を使わなくてはならないから、家というのが心休まる所なのか伺わしい。
メイドの話だと、私が留守の間、いつものように部屋から一歩も出ないし、誰も入れようとしなかった。でも食事だけはきちんと取っていたらしい。しかも足りないと言って追加を頼んだという。
何かが変わっていた。メイドも自分が作った食事が食べてもらえたのが嬉しかったらしく、楽しそうに話していた。
家の雰囲気が変わっている。温度が変わっている。ここ数年、家に入ると感じる冷たい空気ではなく、家の中に南風が吹き回っている。こんな雰囲気に包まれている家にいるのは、いつくらいぶりだろう。
気が付くと私は自分から父の部屋に行こうとしていた。一応メイドにも付いてきてもらった。ドアは閉じている。耳をそばだててみると音が聞こえなかった。ノブに手をかけると鍵がかかっている。当たり前だが父の部屋は外から鍵はかからない。つまりは父は自分の意志で内側から鍵をかけたということになる。最近はいつもこうだとメイドは言った。ノックをして食事をドアの前に置いておく。するとすっかり空っぽになった食器が置いてあるということだった。
やはり何かが変わっている。
私はドアをノックした。
「お父さん私です。ヴァイオレットです」
「おお、おかえり。ちょっと待ちなさい」と父の声がしてから、ガラガラと何かが崩れる音がした。久しぶりに聞く父の声は、とても死にそうな人間のものではなかった。だいだい父がノックに返事をしたことなんか記憶にない。
私は辛抱強く待った。ごそごそとなにやら音がドアから聞こえてくる。そのごそごそ音が聞こえなくなった。
ガチャリ。ドアが開いた。
「すまんな散らかっていて」
父が起きあがった姿など見られるとは思っても見なかった。父は何事もなかったようにドアを大きく開けて私を招き入れた。
私は父の部屋を見て本当にビックリしてしまった。腰が抜けてメイドに寄りかからなくては立って居られなかった。
散らかっていた。父の部屋は画家のそれだった。どこから持ってきたかは判らないがキャンバスだらけだった。
どのキャンバスも父のものと判るタッチの絵の具で埋め尽くされていた。描きかけの絵がイーゼルの上に置いてある。
「お父さん?これどうしたの?」バカな質問だった。父の絵は誰よりも判っているのは娘の私なのに、気が動転している時にはこういう質問しかできないんだなと思った。
「ちょっと描きすぎてしまってな」父はバツが悪そうにいった。まるでいたずらがバレてしまった子供みたいな顔だった。父の顔はとても血色が良く、ふっくらしていた。明らかに別人で、エネルギーに溢れていた。
私は部屋の壁を見た。そこには切り裂かれていない、日本から送られてきた海の絵が掛かっていた。
「お父さん、その絵」私は海の絵を指さした。
「おお、とても良い絵じゃないか」父は誇らしげに言った。まるで自分が描いたとでも言いたげだった。父は「良く見つけてきたな」とも「誰が描いたのだ」とも言わなかった。ただ「良い絵」としか言わなかった。
「母さんにも見せたいな」父は笑顔で言った。
熱かった。ほっぺたが熱かった。頭が火照っていた。涙が止まらない。
父の笑顔を見ながら母に手紙を書こうと私は思った
読了ありがとうございました。