2-1 清流の翼族界講座
ラムールのおかげで翌日からはいつもの日常が戻ってくる。
リトは嬉しさ半分、また勉強かと嫌気半分のモードのまま、陽炎の館に遊びに行くことにした。
仲良しの弓が学校で学べるのを心待ちにしているのを見れば、やる気もわくだろうと考えたのだ。
自分の部屋の扉から弓の部屋に行く。
「リトぉ!!」
その日、弓は急いでリトの手を引いて部屋を出る。
リトが階段の所まで来ると、リビングのソファーにぐったりと寝転がっていたアリドが嬉しそうに跳ね起きた。
「リト! 来たか!! 待ってたぞ!」
その態度たるや、心の底から心待ちにしていたよう。
「えっ? 私のこと、待ってたの?」
初めての積極的な態度に胸をときめかせてしまう。 が。
「リトちゃん!」
「リト、ここ、ここ!」
「やっと来たぁ……」
アリドだけではない。 羽織も世尊も来意も待っていましたとばかりに大歓迎。
「えっ、な、何?」
リトは訳も分からずリビングまで降りてくると、羽織がスッと席を立ち、来意がフワッとクッションを敷き、世尊がピシッとお茶菓子を差し出し、アリドがリトを優しくリードして、彼らが用意してくれた席につく。
「……?」
リトが訳が分からず正面を向くと、そこには笑みを浮かべる清流が一人。
「さぁ清流、リトが来たぞ。 思う存ー分、翼族界のことについて教えてやれ♪ オレはちょっと寝る」
「オレは義軍のおもりだぜ!」
「僕は未来を占うから、ちょっと席を外させてもらうね」
「俺は――弓の夕食作りを手伝う」
そう言いながらそれぞれが、爆弾から離れるかのようにそそくさとその場を去る。
「えー? なにー? みんなー? もう聞かなくていいのー?」
清流がつまらなさそうに声に出すが、みんなスルー。
「……ま、いっか。 何も知らないリトちゃん相手なら話し甲斐があるってものだね」
清流、にっこり笑ってリトをロックオン。
弓が良い香りのする紅茶をそっとリトの前に置いて、耳打ちした。
「みんな時間さえ空けば、ずーっと話を聞かせられて限界なの。 ごめんねリト。 がんばって」
なんて恐ろしい言葉。
「さて♪ まずはどこから話そうかなぁ?」
ハイテンションなままの清流の翼族界講座は、リトの白の館の門限ギリギリまで、休憩無しで行われた……。
翌日からは、まるで魔獣騒動なんか夢だったかのように日々の暮らしが始まった。
朝起きてオクナル家の手伝いに行き、それが終わったら白の館で勉強。 久々に会う通い組の女官達や、教授達とのひとときは、やはり騒がしくて楽しかった。
白の館の中では「こらっ、デイッ!」と叫ぶラムールの声も聞こえて、皆で目を合わせて笑った。
どこを見てもどこを感じても平穏そのものだ。
「あ、リト。 今日の夜、また手が空いたら陽炎の館に遊びに来てくれる?」
学びが終了した後、弓がいきなりそう告げる。
「いいよー♪」
弓に言われるまでもなく、リトは遊びに行くつもりだった。
というか、清流が「続きはまた明日」と締めくくったので行かなきゃならないだろうなぁと思ってはいたのだ。
清流の話は、リトにとってはとても新鮮で意外と興味のあることだらけだった。
昨日、清流はまず、翼族界の自然の事を話してくれた。
翼族界には陸が無い。 水の上に多くの神の樹が重なり合って浮かび、大地のかわりになって、美しい花や草を携えている。 繋がった木々の移動は歩いても可能だが、繋がっていない樹への移動となるとやはり翼を持って飛ぶしか無い。 翼を持つ異生物が自由に空中を飛び回り、伸び伸びと過ごす。
神の樹が長く根を伸ばす水中には、各種人魚族が棲んでいる。
勿論、人魚族は木の根元までは来られるが、それより上へは行けない。
そして、影族。
影族は翼族界の一番下、水中の底にいる。 人魚族、翼族が老いて死んだ時、遺体は水中の底へと沈められる。 その骸を食べる役割があるそうだ。
地底と水と空、その3つから出来ている翼族界。
その3つをつなぐ神の樹は枝を四方に伸ばし、通路や住まいを形作っている。
一番中央にある神の樹で造られた神殿は淡い光が常に溢れだして神々しい。
清流達はそこに案内された。
床は樹で造られているのに大理石のように白くつややか。 何個もの水の玉がまるで重力を知らないかのように空中を漂う。
翼族の者でも普段は入室することすら許されない部屋に清流と巳白は通された。
そこは、中央の間に造られた荘厳な玉座。
新世の席だった。
翼族界の話をする清流の顔は恍惚としていた。
彼は調度品や飾りが、どのように洗練され鮮やかな美しいかを語った。
まるで青い色をした空気と呼ぶに相応しい、水の透明さを語った。
翼族界にいた多くの翼を持つ異生物の美しさと聡明さを語った。
「うわぁ~。 行ってみたい~!」
そんな言葉をリトが言ったものだから、更にご機嫌になって語ってくれた。
翼族界には太陽がなく、太陽の代わりに天に大きな珠が浮かんでいる。 シャボン玉のように常に揺らめきながらフワフワと浮くそれは、聖なる光を発して翼族界を照らす。 一定の時間が過ぎると今度は漆黒の光を放ちだし、その時間は闇に包まれ人間界でいうところの夜となる。
夜になると昼間に沢山の聖なる光を吸い込んだ神の樹たちが、翼族の求めによってその葉っぱから優しい光を放ち足下を照らす。
人間界とは違って、自然との調和が見事にとれている。
それが翼族界。
リトは清流の話を思い出しながら、軽い足取りで学びの後の仕事であるクリーニングの集配をしていた。
もうダッシュして走り回る必要もない城下町は、いつも以上に賑やかで明るい。
陽炎の館に遊びに行くついでに、差し入れのお菓子をチョイス。
ショーウインドウに映る、分かりやすいほどウキウキしている自分の顔を見て照れ笑い。
会いたいな、と思っていても不定期にしかやってこない彼だからこそ、 館に行けば必ずアリドがいると思えば頬もゆるむ。
別に二人は彼氏彼女という関係ではない。
ただ、アリドに会えると嬉しくて、なぜか胸がワクワクする。 もっと話をしてみたい、もっと彼の事を知ってみたい、そんな気がする。
恋と呼ぶにはまだ具材が足りなくて未熟すぎる感情。
世界の違う近所のお兄ちゃんに憧れるような感じだろうか?
ただ、きっといつか、自分の中の何かが変化して、何かが起こりそうな、本能的な予感。
でもまだ今は、くすぐったいワクワク感だけで、十分。
無意識にそんな事を感じながら、リトは城下町を後にした。
アリドと城下町でデートしてみたいなぁ、なんて夢みながら。
++
陽炎の館では、しっかりと清流がリビングのソファーに特等席を設けて待ちかまえていた。
とりあえずリトに話せることが確定しているからか、今日は昨日と違ってアリド達も同じリビングで好き好きに雑誌を読んだり剣の手入れをしたり、ゆったりと過ごしていた。
「いよぅ、リト、サンキュ。 すまねーな♪」
一番最初にアリドが気付いて声をかける。 手に持った雑誌は各国のグルメマップ。
「アリド、グルメマップなんか読むの?」
リトが思わず尋ねる。
「あー、何分以内に食べ切れたらタダみてーなイベントやってる店を覚えとくと、旅の途中でハラ減った時に役立つからなー」
納得。
「この前行ったポロナーム国のな、チキンピカタでか盛り丼ってのが激ウマで、ハーブソルトが効いてるの何のって。 しかもチキンは丸ごと乗っかってくるんだから見た目のインパクトでは今のところ5位」
「5位って……。 見た目のインパクトで1位は何なの?」
興味しんしん。
「あーそれはオルラジア国の裏料理界バトルってのを見に行った時に……」
「もぅ! アリド! リトちゃんと話をしたら、ぼくの話ができないよ。 後にしてよ、後にぃ」
清流が口を尖らせて話の腰を折る。
「リトちゃんは、ぼくの話を聞きたくてここまで来てくれているんだよ?」
全部そういう訳でもないがと思いつつ、アリドに視線を向けると、彼はリトをあやすように小さくウインクをする。
――アリドと目で会話しちゃったあ♪
そんな些細なことでもリトは上機嫌になる。
リトはニコニコとしながら清流が勧めるままに席につく。
「それじゃあ、特別に美味しいハーブティーを入れてくるから、リトちゃんは待ってて」
上機嫌なリトに気をよくした清流が、厨房へと向かう。
その時だった。
陽炎の館の扉が開いて、誰かが中に入ってくる。
今、ここにいないのは巳白だけだった。
だからリビングの扉が開いて、そこに巳白がいても何ら驚くこともなく。
「兄さん? おかえり。 今から特製ハーブティーを入れるから……」
清流が尋ねた。
巳白は嬉しそうに応えた。
「ああ、いるいる。 俺の分と、ラムールさんの分、追加な?」
ラムール、と聞いて、みんなの動きが一瞬ぎこちなく揺れる。
しかし巳白は気にせずリビングの中に進んだ。
巳白がいなくなったリビングの入り口には、ラムールが視線を逸らして立っていた。