1-6 違和感
「綺麗なもんじゃん♪ マジで根元からポッキリ折れてたのか?」
アリドが巳白の翼をつまんで見ながら感心すると、清流が誇らしげに言う。
「そりゃあ翼族界の治療方法は特別だからね!」
「ふーん、いいトコだったか?」
「最高」
当然とばかりに目を輝かせて清流が続ける。
「人間界と違って神々しいっていうのかな? 済んだ水と、荘厳な神の樹で造られた街と……」
「ち、ちょーっとストップ。 後できちんと聞いてやっから、さっさと陽炎隊を復帰させて魔獣退治しろって」
アリドが慌てて制する。 清流の話が長くなりそうなのはアリドでなくても分かった。
「えー? そう言っても、すぐアリドは旅に出ていなくなっちゃうじゃないか。 話させてよ」
「マジで後で聞いてやるからっ!」
詰め寄る清流に困ってアリドが逃げ腰になる。 そこでふと弓が気付く。
「もしかして、しばらくここにいてくれるの?」
「ん? あー、そゆこと。 まだ言ってなかったっけー?」
『本当?!』
みんなで一斉に声を揃える。
家出してからのアリドは、食事をちょっと食べに来てお茶をするか、泊まってもせいぜい一泊だった。
「ま、とりあえずジンの情報も行き詰まったし、新世さんと一夢さんの命日まで間もないから、それまではここにいよーかなーって思ってさ」
そう言ってアリドがウインクする。
「つー訳でオレの分のメシも頼むなー、弓」
「うんっ!」
弓が元気に頷く。
「みんな一緒だなんて久しぶりだから、なんだか嬉しい」
「ならさっさと羽織達に魔物退治を終わらせて暇になれって言ってやってくれ」
弓がアリドの顔から羽織に視線を移す。
「分かった、行こうみんな!」
羽織が速攻で立ち上がると世尊が慌てた。
「ダメだぜ! まだ活動休止解除の書類を出してない! 出さなきゃ勿体ない!」
――勿体ない?
リトにはその言葉の意味するところが分からなかったが、みんなは確かに、ああ、と戸惑っていた。
「書類を出すだけで良かったら、私が軍隊長かラムール様にお届けするけど?」
弓の部屋と繋がった扉を使えば簡単な話だ。
「あ、その手があったか、リト、お願いできるかな?」
来意がポンと手を叩いて胸元から書類を取り出す。
――あれ?
リトはまたここでも違和感を持った。 勘の良いいつもの来意だったら、あらかじめリトに書類を渡しておいて、もう書類はリトに渡したよとでも言いそうなものなのに。
しかしまぁ、考えても仕方がない。 リトは書類を素直に受け取った。
「じゃあ速攻で頼むぜ!」
と、世尊がひどく急かすのでリトは仕方なく弓の部屋に向かう。 久々に集まったみんなの輪に入ったままでいたかったが、そういう訳にもいかなさそうだ。
「全部退治するのに何日くらいかかるかしら?」
弓が尋ねていた。
「2日もあれば上等だって。 弓も義軍も、すぐに学校へ行けるよ」
羽織が言った。
――あ、そうか。 巳白さんがいなかったから、弓達は外出もできなかったんだ
そんな当たり前の事実に気付いて、リトはちょっと申し訳なくて歩みを早めた。
****
ラムールの事務室に着く前に、リトは彼が留守であることを知った。
なぜなら軍隊長がふて腐れた表情のまま、ラムールの居室に続く階段を下りてきたからだ。
「軍隊長。 ラムール様は居室にもいらっしゃいませんか?」
「ああ。 いない。 リトよ、変とは思わんか?」
「何が……ですか?」
リトはあえて分からないフリをした。
「何が……って。 教育係だ。 最近、様子がおかしい。 城で行われる行事という行事をすべてキャンセルしている。 まぁ、出なくても事は進むと言われればそれまでだが、このままでは国王陛下に対する忠誠心にかげりが見えるのではないかと疑い出している者もいる」
リトは黙っていた。
軍隊長は腹ただしそうに続ける。
「今回の魔獣騒動も本来ならば即結界を強めて退治しても構わんのだ。 発展の気の入れ替えになるとはいっても、時期的に効果は僅かだど皆が口を揃えて言っておる。 ラムールが頑として譲らなかったからこうなったが……おかげでいくらかの具合の悪い者や怪我をする者もいるし、商売だって大変だ。 おかしい。 おかしすぎる。 この国に害を与えたい訳でも……」
「あの、軍隊長、これ。 陽炎隊の活動休止解除の書類です!」
リトは慌てて会話を遮って書類を出した。 軍隊長の顔が一気に晴れる。
「おお! 陽炎隊が復帰か! これで数日もすれば魔獣どもは壊滅だな!」
喜ぶ軍隊長に合わせてリトも微笑む。
「早く許可印を押して下さい」
「おう、わかったわかった」
軍隊長はそう言いながらその場を後にした。
リトは一人になって、じっとラムールの事務室の扉を見つめた。
小さくノックをしてリトは事務室に入る。
そこには机や床やテーブルの上にうずたかく書類が積まれ、だが、ひっそりとした、人の気配がない事務室。
ラムールが扱う書類たち。 しかしそれらも「緊急」の札がかかっているスペースに置かれているものだけが新しく、ほかはうっすらと埃がついたかのような手つかずの状態だ。
リトは「不要」と書かれているスペースに置かれている山のようなダイレクトメール等の葉書を手に取る。 これは勝手に処分をしてもよい。 いや、許可をもらったわけではないが、この手の書類は同じものが飽きるほど来るので勝手に処分しないと場所がなくなってしまう。
一抱えはあろうかという書類の束を抱えて、リトはふぅ、とため息をついた。
その時だ。
大きな窓をカツカツと何かが叩く音が聞こえてきた。
「ラムール様?」
リトは思わず声に出し、窓側に近付いた。
しかし窓の外にいたのは、一羽の黒いカラスに似た鳥だった。
その鳥と目が合う。 見覚えのあるその姿にリトは固まる。
カラスは前回同様、足に掴んでいた葉書を一枚、器用に窓の隙間から事務室の中にすべりこませた。
ひらり、と一枚の葉書が左右に揺れながら床に落ち、鳥はあざけるような目をしながら飛び去っていった。
リトは恐る恐る、その葉書を拾う。
やはりその葉書は前にも見たのと同じで、緑か灰色か分からない色で縁が飾られ、全体に何かの紋章が描かれている。 今度はきちんと紋章を覚えてどこの国か調べてみたいとリトは思った。
捉えどころのない不可思議な紋様。
眉をひそめながらじっとそれを見つめ、いけないと思いながらも葉書を裏返す。
そこにはやはり、メッセージが。
親愛なるラムール様
着々とあなた様を受け入れる準備は整ってきております。
もしお望みでしたら、予定の期限を早めて入国していただいても一向に構いません。
あなた様がテノス国の名を捨てて我が国のために尽くして下さるお約束、心より感謝致します。
リトの全身の血の気が引いた。
これはやはり、どこからどうみても、ラムールが引き抜きを受けて承諾した証拠だ。
――他の国に行くって……、じゃあ、テノス国はどうなるの? デイは? 陽炎の館は? 弓たちは?
真っ青になってリトは葉書を見つめる。
喉が渇いて気持ちが悪い。
「リト!」
その時、ラムールの鮮やかな声が部屋に響き、ふとリトは我に返る。
葉書を持ったままリトが窓に視線を向けると、そこには空に浮いたラムールがいた。
「ラムール様……」
葉書を隠すことも忘れ、リトはまるで夢で会ったかのようにラムールを向く。
ラムールはフワリと部屋の中に入り、指を鳴らす。 その音と同時に書類達が部屋中を動き回り印鑑が勝手に押されていく。
「リト」
ラムールは少し戸惑いながらリトに近付き、葉書をそっと抜き取り、裏に返して文章に目を通した。
リトはただ黙って立っていた。
ラムールが小さくため息をつき、リトの正面に立った。
リトはまっすぐ、ラムールの目を見つめる。 琥珀色の視線に吸い込まれる。
「この手紙のことを決して誰にも話さないように。 これは、命令です」
ラムールの声が鋭く細い針のように、リトの脳につきささる。
――また、術をかけられた。
リトはそう感じながら頷く。
ラムールはこの前もそうだった。
狂った翼族と言われた男を退治するために現れた時も。
ラムールは、自分が翼族調査委員会メンバーであることを、事件すべてを他言するなと術をかけた。
事実、リトはそれ以降、弓ともその話題には触れていない。
言論統制というのだろうか? 自らに不都合な事を術をもって強制的に消し去る。
そんな卑劣な人間ではないと信じたかったが、これが現実だった。
自分には何もできないことが歯がゆくて、リトは何かを言いたげにラムールを見た。
瞳で責めるリトに、ラムールも何かを言おうとして、やはり口をつぐんだ。
ふと、弾かれるようにラムールが顔を上げ、少し慌てて窓に向かう。
「私は、また、出かけます。 自分たちでできることは自分達で行うように」
そう告げるとリトの返事も聞かずにふわりと浮かんで窓から空へと消えていく。
そのままリトが、誰もいない窓際をじっと眺めていると、遠くからタタタタタ、と階段を駆け下りてくる足音が聞こえてきた。
「せんせー!?」
すると大きな声を上げて扉をぶち破らんばかりの勢いでデイが飛び込んできた。
「……っと、りーちゃん、かぁ」
デイはリトの姿を見るとあからさまに残念そうな顔をしてガクリと肩を落とした。
「ラムール様、また、出かけるって」
リトも申し訳なさそうに告げた。
デイは口をとがらせながらリトを見た。
「せんせー、どーしたんだろ? 絶対、おかしーよ」
しかしリトは、その問いに答えることはできなかった。