6-5 思考停止
城下町を行き交う人々が駆けていくリトの姿をギョッとしながら見つめていた。 無理もなかろう、綺麗なドレス姿の女の子が人混みをかきわけていく。 しかも髪も乱れて半泣き状態。 誰が見ても何かあったのは明らかだ。
――ああ、もうっ!!
リトは何度も、それより先の言葉を呟く事すら出来ずに繰り返した。
――ああ、もうっ!!
慣れないヒールで走り続けて踵が痛い。
心臓だって血液を送り出しすぎて悲鳴を上げている。
髪留めがずれて重心も狂い、ドレスや髪の毛が肌にぺたりとまとわりつく。
でも。
――ああ、もうっ!!
何度も足が着地しそこねて捻りそうになるが、足を止めることはできなかった。
――ああっ!!
リトは人目を避けるように目の前の角を一つ曲がった。 少し進むと小さな空き地に出る。 幸いにしてそこには誰の姿もなかった。
ホッとしたので気が抜けたのか、リトの足はついに小石を転がすように踏みつけてしまい、崩れ落ちるように地面に膝をついた。
「ああっ! だめっ! これ、借り物……っ」
リトは慌てて立ち上がったが鋭い痛みが右足首を飲み込む。
「いたっ」
リトはその場にうずくまった。
そしてそのまま肩で息をした。
呼吸をしても胸が痛い。
リトは手を胸にあててぎゅっと握った。
――ああっ、もう……
そして何度も繰り返した言葉の先をたぐり寄せる。
――どうしよう。 どうして? なんてことを? どうして? どうしよう? なんてことを?
それ意外に言葉が出てこない。
時間が元に戻ったらなんて考えは一切出てこなかった。 ただ、どうしよう、どうして? なんてことを? でも私は、のエンドレスだった。
清流を馬鹿にしたケルスの口調が許せなかった。
とはいえ、マーヴェの一生に一度の15の祝いの席でやるべきことではなかった。
マーヴェの祝いを目茶苦茶にした。
この手で。
どうしよう?
どうすれば?
等といくら考えても答えどころかヒントも出ない。 思考停止。 完全なる思考停止だった。
すると突然、喉元がヒクッと痙攣した。 それは凝り固まっていた神経をつなげ、涙腺を刺激する。
「~~~っ!!」
大粒の汗と同じように、目に涙が溢れる。
泣いたって、何の解決にもならないのに。
「ふ、うぅ~~っ……」
息を細く細く吐いて呼吸を整えようとするが、気管は勢いよく外の空気を吸い込もうと痙攣する。
「~~っ……」
胸と、気管が、苦しい。
涙がぼろぼろと頬を濡らす。
もう止めることが出来ずに、リトはしゃくりあげながら小さな声を上げて泣き始めた。
「ぇぇぇぇ……っ」
なんて愚かな姿なんだろう、なんて無様なんだろう、そう責めながらリトは涙をこぼした。
顔をごしごしと手で拭いながら何回目か、しゃくりあげたとき。
まるで雲の陰に隠れたかのように体に降り注がれていた暖かな日光が何者かによって遮られた。
すとん、と軽やかに地面に人の降り立つ音が響いた。
リトはただ、顔も上げず、うずくまって泣いていた。
「まったく」
降り立った者がため息まじりにそう呟くと、リトの肩がぴくりと反応した。
「本当に馬鹿なんだから」
その声は、清流だ。
清流はゆっくりとリトに近づくと、ゆっくりと告げる。
「まさかマーヴェリックルの15の祝いの最中に、リトちゃんから愛の告白をされるとは思ってもみなかったな」
――はっ?!
「違、違う! あれはそういう意味で言ったんじゃなくて!」
リトが思わず顔を上げると、そこには「顔を上げさせてしてやったり」な表情で見つめる清流がいた。
「だからリトちゃんは本当に馬鹿って言うんだよ。 そんなこと、分かってるって」
清流は軽く微笑む。
「……馬鹿だもん」
リトは拗ねるように睨みながらポソッと言い返すと清流は大きく頷いた。
「うん、本当に馬鹿。 あんな男の言うことに本気で怒るなんてエネルギーの無駄でしょ。 なに熱くなってんだか」
そうは言うものの、清流はどこか嬉しそうだった。
「気にしてなかったの?」
リトは恐る恐るたずねると、清流は頷きながら感心したように続けた。
「というか、やっぱりマーヴェリックル万歳、ってところかな」
「あっ! そう! マーヴェ! マーヴェに悪いことしちゃった! 私、謝りにいかなきゃ……!」
はと我に返り、リトは慌てて立ち上がろうとした。 しかし足首に激痛が走りよろけた。
「もー、ほんとに馬鹿」
清流がそっとリトの体を支えた。
「そんなグッチャグッチャの気持ち悪い格好で15の祝い会場に戻ったらそれこそ本当の嫌がらせだって。 上手い具合に場は収まったから、マーヴェリックルに謝るのは今度にすべきだね。 せっかくぼくが腕によりをかけて手伝ったのにこれ以上目茶苦茶にされたらたまったもんじゃない」
「収まったのっ???」
リトは声を裏返らせた。
「まぁねぇ。 彼女は凄いよ。 それはぼくも認める。 だからぼくからもお祝いがてらに【忠誠の証】を披露してきてあげた」
「【忠誠の証】っ? それって、あの、絶対服従を誓いますよっていう、あのっ??」
「うん。 マーヴェの差し出した扇子にね♪ あの【扇子】が、直 接 命 じ て くれるならぼくは何にでも従うよ♪」
「なーにーそーれーっ!!」
思わずリトは大きな声を出す。 清流は、あっはは、と軽やかに笑った。
「ついでにぼくの保護責任者がラムールさんだってことも暴露しておいたから、マーヴェリックルはかなり得したんじゃないかな?」
「ラ、ラムールさまの名を?」
リトはとても意外だった。 清流がラムールに頼ることがあるなんて有り得ないと思ったからだ。
「うん。 たまにはラムールさんも使わないと。 使えるときに。 少しはこっちの役に立ってもらわなきゃね」
「うーん」
つまり、ヒヤンカルサシス家はラムールと近しいとあの場に居合わせた者に勘違いさせた訳だが。 清流にとっては頼る、ではなく、利用した、という感覚らしい。
とはいえ、ちょっと不思議な感じが、する。
「あーあ。 リトちゃん、ホントに汚い」
清流がハンカチをポケットから取り出してリトの顔を拭く。
「化粧は崩れて髪も乱れて毛穴は開いて、最悪」
鏡が無いので自分で確認することはできないが、おそらくその通りなのだろう。
「そのまま外を歩いたら存在自体が社会の大迷惑だから、弓ちゃんの部屋から帰った方がいいよ」
――えっ?
驚くリトの頭を軽くポンと撫で、清流は空を向いて口笛を吹く。 すると、待機していたモモンガ犬がふわりと地面に降りてきた。 清流は空飛ぶ絨毯に乗るようにその背に乗り、リトに対して手を伸ばした。
「見苦しい姿のまんまでいさせる訳にもいかないから、ぼくがケアしてあげるからさ。 乗らない?」
その言葉をすんなり頭に入れることができなかったリトは、自分の手と清流の手を交互に見比べた。
清流は穏やかに微笑んだ。
「母さんにも紹介したいし」
――はっ??
更に言葉の意味を理解できず、リトが目を白黒させたものだから、清流はクスクスと笑い。
「ほら」
戸惑うリトの手を握って引き寄せた。 リトが背中に乗るとすぐにモモンガ犬がふわりと浮き上がる。
「ひゃあ」
不安定な足場とめくれあがるスカートの裾に驚いてリトはぺたりと座り込んだ。
それを見た清流はしっかりとモモンガ犬の背中に立ったまま、あはは、と、清流は声をあげてご機嫌に笑っていた。
++
陽炎の館のリビングでは相変わらずみんなが好き勝手にくつろいでいたが、そんな中、弓がとても思い詰めた顔をして考え込んでいた。 当然、羽織はオロオロとしながら弓の側にいる。
弓はもう一度、ソファーで新聞を読んでいるラムールに対して尋ねた。
「どうにかなりませんか?」
「無理ですね」
ラムールはあっさりと返事をする。
「でも、……私、きっとリトも会いたいと思うんです。 リトが駄目なら、私も止めます」
「弓がそう望むのなら仕方ありませんが、新世はガッカリするでしょうね」
「……だって……」
「残念ながらこんな機会は滅多にありません。 私は何があろうと会うことを優先します。 これは譲れません」
ラムールは一度も弓と視線も合わせずに返事をした。 しゅんと俯く弓の肩に手を置いて、羽織が「俺からも清流に頼むから……」と、励まそうとする。
その時、来意がため息混じりに見ていたカードを指で弾いた。
「――心配いらないみたい」
「えっ?」
弓の表情が少し明るくなるのと同時に、ガタガタと2階の清流の部屋から物音がして、中から清流が出てきた。
「弓ちゃーん」
その口調は疑うことなく明るく、階段を軽やかに下ってくる。
「弓ちゃんの服を適当に一着、ぼくの部屋に持って行ってくれる? リトちゃんがいるから着替えさせて」
「えっ?」
「ぼくは蒸しタオルとか用意してからすぐ戻ってくるから。 よろしくね」
ポカンとする陽炎の館のみんなに構わず、清流は上着を脱ぎながら洗面所へと進む。
「な……?」
「なんだ?」
「窓から帰ってきた……のか?」
アリド達も顔を見合わせ、巳白が尋ねる。
「清流、お前、マーヴェリックルさんの15の祝いは?」
「ぼく的には終わったよ、兄さん。 いい祝いだったんじゃないかな?」
「で、どうしてリトと帰ってきたんだ?」
「それはリトちゃんが馬鹿だから」
「はっ?」
「後で詳しく兄さんには話してあげるね。 ぼく、とりあえず汚いリトちゃんを普通に戻してあげなきゃ。 ……ああ、ラムールさん、礼服ありがとうございました」
「どういたしまして」
ラムールはポーカーフェイスのまま軽く返事をした。
「それと、ラムールさん。 ちょっと魔法の力を借りていいですか? リトちゃんが借り物のドレスを傷めてしまったから、あのまんまじゃクララさんに返せない。 怪我もしてるし」
「え?」
ラムールの顔色が変わる。 代わりの服、汚れたリト、痛んだドレス、怪我。 わざわざ玄関から入らずに窓からしか帰ってくることができなかった、つまり人様に会わせられない状況にリトが置かれたとすれば。
『リト!』
青くなったラムールと弓が同時に叫んで階段を駆け上る。
巳白達も少し青くなって清流を見ると、彼はクスクス笑いながら「デイがリトちゃんがいると面白いって言ってた訳が分かるなぁ」なんて言っていた。
+++
「すみませんすみませんすみません」
弓の服に着替えた後、清流のベットに腰掛けて足の捻挫を治癒魔法で癒してもらいながらリトは恐縮していた。 なんといってもラムールが床に片膝ついて、両手でリトの足首を包むように持ち上げてくれているのだ。 足の治療だから立ったままでは無理があると分かってはいるが、ラムールにそんな姿勢を取らせたことが女官達にばれたら、ものすごいブーイングが聞こえること間違いない。
「……はい、治りましたよ」
しかしラムールはそんなことは気にせずに優しく微笑んで手を離した。
うっわぁ、生足は汗くさくなかったかなぁ、手に臭いが移っていないかなぁ、早く手を洗いに行った方がいいんじゃないかなぁ、そんな事を思いながらもまさか言えもせず、リトは視線を泳がす。
「ほらリトちゃん、蒸しタオル持ってきたからそこに横になって」
そこに入ってきたのは数本の蒸しタオルを持った清流だ。 清流はリトのさまよう視線に気がつくと、ラムールにタオルを一本渡した。
――ありがとう清流くんっ!!
リトは心の中で深々と礼をすると、いそいそと喜んでベットに横になる。 なにはともあれ、何といっても清流のケアは気持ちがいいのだ、それは間違いない。
「えーと、それじゃ」
清流がリトの枕元に移動する。 と同時にラムールがリトの足下で椅子を一つひいて腰掛ける。 清流が苦笑した。
「やっぱりこのまま練習ですか」
「当然です」
――練習?
リトは訳が分からぬまま、清流の指示に従い目を閉じる。 ふわっと暖かな蒸しタオルが顔にかけられ清流の手がそっとマッサージを始めると――
「θβ――」
清流の口から聞いたことのない調べの音が流れ始めた。 それは呪文のようであり、歌のようでもある。 テノス語ではない、独特の節。
「Ψ――μλ――ゐφ――」
「はい、違う」
即座にラムールが駄目出しをした。
「ゐの発音ではなく、あと髪の毛一本分、声帯を縮めて、レの発音とハの発音を一緒に出すような感じで」
――レとハを同時に言えってこと?
耳だけしっかり傾けながらリトは一生懸命考えた。
「μλ―― φ――」
「違う。 ではなく・の音を更に軽くした感じで」
―― と・の区別も殆ど分からないんですけど、何してるのこの二人っ? 何の練習?
首筋に触れる清流の手がいつもより緊張して強張っている感じがする。
丁寧にマッサージをつづけながらも清流とラムールのその練習は続く。
「その発音は人間界には馴染みのない音だから手こずるのは分かるが、やってもらわないと何も始まらない。 これが行えるのは清流しかいないのですから。 ――ギブアップするのなら仕方がないから私が代わりに儀式を行いますが――」
「平気です。 ぼくがやります」
何度目かの駄目だしのあとのラムールの台詞に清流が反発する。
――儀式……の……練習……?
リトは清流の調べを聞きながら、ふぅっと意識が遠ざかっていくのを感じた。
――う、わ、ぁぁあ……。 マッサージ……、きも、ち、い、……
その極上の睡魔にあらがえるはずもなく。
……。
……。
「それです!!」
いきなり、ラムールのはじける声が耳に届いた。
「うきゃあっ!」
リトはびっくりして、思わず学びの最中に居眠りしていたのが見つかったかのように慌てて跳ね起きる。
「うわっ!」
「えっ?」
清流とラムール、こちらもびっくりした。
三者、顔を見合わせて、一番最初に笑い出したのは清流だった。
「あっはは。 ホントにリトちゃんといると飽きないや」
「……リト、寝ていたのですか?」
「あ~、は、はい……」
真っ赤になって俯くと、そこに綺麗になったドレスを持った弓が入ってきた。
「リト、大丈夫?」
「う、うん。 あ! ドレスありがとう! アイロンかけてくれた?」
「ええ。 もう大丈夫」
弓もにこりと笑う。 するとラムールが微笑みながら口を開いた。
「こちらも大丈夫ですよ」
「えっ?!」
「最大の難関の発音はクリアできました。 後は清流に呪文全文を暗記してもらえば済むだけです」
その言葉に弓の顔がぱあっと明るく晴れ、清流も自慢げに微笑んだ。
訳が分からずリトがキョロキョロしていると、ラムールが本当に楽しみであるような顔をして言った。
「これで新世に会えます」と。




