1-2 囮
だが、いくら足が速いからって、リト一人だけが延々と囮になる訳ではない。
「つ、次、ルティの番ねっ」
リトは呼吸を整えてやっと言葉を出す。
「まかせなよ」
ボーイッシュなルティが微笑んで門の前に立つ。
頑張って、という女官達の応援に頷き、ルティはゆっくりと門を出て歩き出した。 道には彼女以外、人も魔獣も何もいない。
「もうそろそろ聖水の効果が切れるんじゃない?」
誰かがそう言った時だった。
ルティより先の、少し離れた通路の隅にモゾモゾと黒い影が姿を現す。 影は姿は猿のようでも狼のように口がぱっくりと割れている。 トカゲのような鱗のついた尾をペチペチと振りながら魔獣は1匹、また一匹とどこからともなく集まってくる。
「ルティ、大丈夫そう?」
リトが体を起こしてみんなと一緒に門から顔を出して様子を窺う。
ルティにじりじりと近付いてきた魔物達が身をかがめた。
「ルティ、今よ! 逃げて!」
リトの言葉と同時にルティは振り返り猛ダッシュで逃げ始める。 魔獣達も一斉にルティを追う。 その数およそ10匹。
このまま先ほどのリトと同じように結界の内側まで走り込むのだ。
各建物には結界が施されているので魔物達は道路を追いかけるしかなく、人間を襲うのに夢中な魔獣は罠にかけられているのだと知らず必死に追いかけてくる。
しかし何度も何度も同じ罠にかけたせいか、魔獣も学習したらしい。
「あっ、あいつ!」
リトが一匹の魔獣を指さした。 その魔獣は一匹の仲間を手で掴むと、まるでボールのようにルティに向かって投げつけた。
「ルティ!!」
皆が叫んだ。 投げつけられた魔獣がルティの頭にのしかかり視界を奪う。 ルティは地面に倒れて魔獣を振りほどこうと必死に暴れる。
「いゃあっ、ルティ!」
「助けなきゃ!」
「聖水聖水!」
女官達はパニックに陥り、リトは慌てて近くにあった棒を手にして門を出ようとした。
「そこにいろ、馬鹿!」
しかし空からアリドの声が鋭く響き、リトは思わず足を止めて空を見た。
太陽に反射する金塊のような輝きの毛と、褐色の肌の鮮やかなコントラスト。 彼が来れば安心だと心が告げた。
アリドは何もない空からふわりと飛び降り、ルティの側に立った。 そして手にしていた小瓶から聖水を数滴、ルティにのしかかった魔獣に振りかけた。
『ア゛ア゛ア゛ッ!』
魔獣は絶望に嘆く蛙のように気味の悪い悲鳴を上げてルティから離れる。 魔獣達はアリドと対面してカチカチカチと歯を鳴らした。
「とりあえず、お前はさっさと行け」
アリドがルティに告げた。 ルティは頷いて慌てて走って結界が効いている門の中まで行く。
「さーって、と」
ルティが門の中まで入っていったのを確認すると、アリドはゆっくりと魔獣達を見回した。
そのとき。 魔物達が一斉にアリドに飛びかかった。 それぞれがアリドの6本の腕や足に噛みついた。
[アリド!」
リトが真っ青になって叫んだがアリドは涼しい顔をしている。 魔獣の牙がアリドの体にめり込んでいきその体にエネルギーを取り込んで少しずつ巨大化する。
だが、先に異変に気付いたのは魔獣の方だった。 ピクリと何かに反応して噛みついた牙を抜こうと口を動かす。 しかし牙はアリドの筋肉にがっちり捕まって抜けない。
「もー終わりかぁー?」
ひょうひょうとした口調でアリドは言うと一匹ずつ自らの足に噛みついた魔獣の首根っこを捕まえて引きはがす。
「よっ、と!」
かけ声とともに魔獣は宙に放り投げられ、アリドは鮮やかな回し蹴りで魔獣を真っ二つに切り裂き消滅させる。
キャーッ、すごーい、と女官達が黄色い声を上げた。
アリドは自慢げにちらりと女官達を見て笑うとまだ体に噛みついている残りの魔獣もサクサクと退治していく。
最後の一匹。
肩に噛みついていたその一匹を引きはがすと、アリドはそれを高く高く宙に上げた。
その魔獣は空中で、まるでマジックのように空間に消えた。
「え? 何? 何が起こったの?」
首を傾げる女官や窓から覗いていた住民を無視して、アリドは軽やかな足取りで通用門の所までくる。
「大丈夫か?」
アリドが真っ先に声をかけたのはルティだった。
「あ、ありがと。 平気」
ルティは慌てて返事をした。
アリドが頷いてリトに向き直る。
「絶対コケて魔獣に襲われると思ったんだけどな、よーく立ち直ったじゃん」
そう言いながら、リトの頭を撫でる。
「……見てたの?」
「変なことやってっから、心配で、な」
アリドがどうやって見ていたか、確認するまでもない。 変化鳥の背に乗って周囲に同化して見ていたのだ。
「たまたま見てたから良かったけど、アホな真似は止めておけや、お前たち。 リトに怪我させたらオレが黙ってねーからな?」
アリドは女官達に向かって言った。 女官達がしゅんとする。
まあ、いわずともがな。 リトは囮になったが、実際、こんな微妙な速度で走る魔物から逃げ切れる女官は他にも沢山いるのである。 ただ、怖いから自分は足が遅い等言い訳をしてやらなかっただけで。
「ゴメンね、リト」
みんなに謝られてリトは首を横に振った。
「ううん。 絶対やりたくないって訳じゃなかったから。 気にしないで」
「あらあら、あなた達、リトに謝るのでしたらルティと私にも謝罪するのが筋ではなくて?」
その時、仁王立ちしたマーヴェがみんなの前にズンと立ちはだかった。
実はマーヴェも囮になっていた。
スポーツだって万能でしてよ、と、自信満々で囮に立候補した彼女が、リトはちょっぴり好きだった。




