外出注意令 清流の章 1-1
基本、テノス国ってところは平和なところである。
深い森の中なんかに行けば、巨大な双頭猪だったり、ドラゴンだったり、それなりに魔獣と呼ばれるモンスターと遭遇することもあって。
たまーに旅人が襲われることも、あるらしい。
でも、魔獣は基本的に自然を好むので、好きこのんで人の多い村とか城下町にはやってこない。
結界も張ってあるらしいし。
「――って、思ってたんだけどぉっ!?」
白の館へと続くなだらかな道を、リトは本気で駆けていた。
「リトー! 頑張ってー!!」
白の館と教会の間にある通用門から女官達が顔だけ出して声援を送る。
頑張ってと言われても返事をする余裕なんて皆無だ。 ただひたすら走る、逃げる、駆ける!
気持ちの良い青空、穏やかな天気。 何も考えずに日向ぼっこするには抜群の日だが、道には誰も
出ていない。 リトだけが短距離走王者決定戦みたいな勢いで走っている。
「女官さん! がんばれー! あと少しだ!」
道沿いの家の上の窓から、見知らぬ人の声援まで飛ぶ。
そんな所から声援が来るとは思っていなかったので、思わず集中力が途切れてちらりと上を向いた。
すると、ずらりと並んだ道沿いの家のすべての上の階からみんなが顔を出してリトを見ていた。
――げっ、みんな、こんな髪の毛を振り乱しながら走る姿なんか見ないでっ!!
そんな事を考えたのが悪かったのか、リトの足がもつれて体が前に倒れる。
――こけるっ! しかもド派手に倒れちゃうっ!! そういえば前にこんな目にあった時、アリドが助けてくれたっけ?
アリド。 リトが仄かに想いを寄せている6本腕の少年。
――きゃーっ! 助けにきてー♪
倒れながらも他のことを考える余裕があったせいなのかどうかは定かではないが、あがいたリトの足が奇跡的にも再び地面をしっかりと掴み、リトの体は再び前に進み出す。
そのまま突き進んで白の館の通用門の中になだれ込む。
「やったぁー! リト!」
「すっごい!」
待っていた女官達が讃えるのと、地面に寝転がってリトが肩で息をするのと、黒い猿のような形をした数匹の魔獣がリトを追っていた勢いを殺せずに、通用門の結界にぶち当たり煙となって消えていくのはほぼ同時であった。
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今、テノス国ではこの魔物が所構わず出没しており、外出注意令が発表されていた。
外出注意令。
外出禁止令よりもランクが下の注意報である。
注意の対象は、ここ2週間ちょっとの間、テノス国各地で出没している危険度レベル極低の魔獣。
またこの魔獣が微妙なヤツで、はっきり言って弱い。 こちらが襲われて即死する危険性はまず無い。 本当にそこらへんにいる山猿レベルである。 本気で襲われたら大怪我するが一匹だけなら女子供でも棒振り回してれば撃退できるかも、みたいな。 早く走って逃げれば逃げ切れるぞって感じ。
だから外出時は猛ダッシュすれば魔物に捕まらないので外出できないレベルではない。
100メートル15秒以内で走れれば合格らしい。 まあ、人間と違って魔物は延々と100メートル15秒で追いかけてくるので走る距離が伸びるほど人間には不利なのだが。
という訳で、ここのところのテノス国民は、結界で守られているお互いの家から家までを猛ダッシュで移動して生活していた。
魔獣が国内を徘徊するなんて、ここはサクっと退治してほしいところだが、なんでも発展の気の入れ替えのためには、たまに悪いものが入り込んで気をかきまぜてくれた方がいいそうな。 20年とか50年とかスパンはバラバラだけど自然発火の山火事みたいなものだそうで。 よって、国は注意令を発令するにとどまっている。 期間はおよそ一ヶ月。
それで、テノス国の未来を担う女官達が何をしていたのかというと、実は魔物退治、なのである。
いいかげん外出時の猛ダッシュも飽きたし、比較的足の速いリトは、おつかいを頼まれてしまうので疲れるし。 だから魔物退治には大賛成だった。
最長1ヶ月もしたら十分気の活性化は計れるので、その後ですぱっと教育係のラムールが退治することになってはいたが、そこまで待てないし待ちたくない。 国民が術を使わずに魔物退治をしようと試行錯誤することは全然禁止されていなかった。
ところがだ。
この魔獣は弱いウチに攻撃を加えると分裂して数が増える。 人を襲いエネルギーを得るとパワーアップしていき、パワーアップした後は攻撃が効くという、なんとも面倒なヤツであった。
つまり退治するには退魔術で滅ぼすか、一度相手を強くしてから攻撃を加えるしかない。 強くした相手を倒すのは一苦労だから、結界の張られている空間に誘い込んで滅ぼそう、と提案したのが誰かは不明だが、では誰かが囮になって呼び寄せればよろしいのではなくて?と言ったのはマーヴェ。
それで白羽の矢が当たったのは、当然足の速い――リトだった訳で。
ていうか、足が速いと言っても標準ですからっ!!