1話 プロローグ
今日も今日とて退屈な授業を受け、知識を得る代わりに時間を消費していく毎日。
別に勉強が嫌と言う訳ではない。
だが、報われなかった時の虚しさは嫌と言う程知っていた。
そう…例えば抽選期間のすごく長かったゲームに結局当選せず入手するのを待つ間に無駄な時間と労力を食いつぶしてしまっていたあの時のように。
「……ん?」
部屋のテレビに向かいコントローラーをただ只管に操作し画面の中の勇者の育成に励む一人の青年がいた。
名を横島 明。
どこにでもよく居る一般的な17歳の高校生だ。
そんな彼の足元に置かれていたスマホが震えているのに気付き、彼はゲームをポーズ状態にする。
「……なんだこれ…? 出会い系かよ…」
スマホが震えていたのは、電話だからではなくメールが来たからだった。
見た事の無いアドレスだったが故に最初こそメールを見る気も起らなかったが、件名の所を見てスマホをスリープさせようとする指が止まる。
【こういう所、興味ない?】
明らかに怪しい広告だとか、開封するだけでウィルスがデータを食い散らかして行きそうな怪しさが漂う。
だと言うのに、なぜか彼はメールを見ずには居られなくなっていく。
「…風景…?」
メールには画像データが添付されていた。
これもまた怪しそうではあったが、気が付けば明はそのデータを開いてしまう。
中に入っていたのは、どこかの風景らしき画像だ。
草原の植物が風に揺られて、小鳥が飛び交うその光景はきっと壁紙にしてもいいだろうと思えるような一枚だった。
「……リーリカちゃんコレクション…?」
メールを送ってきた送り主のアドレスをそのまま読んでみると、そう書いている。
見た事も聞いた事も無いし知らないアドレスだったし、メールを閉じてネットで調べてみても出てくるのは昔のゲームのヒロインキャラや外国のファッショ
ン関係の会社名ロゴデザイン、商品ばかり。
その内に飽きてしまって、スマホを閉じるとテレビの画面へ集中する。
「えーと、どこまで行ってたっけか…」
画面の中の勇者が、ダンジョンの同じ個所をグルグルと徘徊する。
出てくるモンスターは悉く倒し経験値へと変えて行く。
好きだからとやり込んでいたら、いつの間にかステージの最終面だ。
後はこのステージの一番奥に居る魔王を倒してしまえばゲームはクリア。
シナリオの全てを攻略した事になって世界に平和が訪れる。
そんなシナリオだっただろうか。
「……」
遂にはボスとの一騎打ち。
このゲーム、シナリオが少し意地悪だからだろうか、途中で味方がバッタバッタと倒れて行く。
気が付けばゲーム内で最強スペックの装備一式で揃えられた勇者が一人しか残っていない。
出発開始時は田舎の宿屋娘だった主人公「カルディラ」が、ある日突然勇者に指名されて魔王の討伐を目指すというお話が、このゲームの概要だ。
ストーリーを進めて行く毎に金にがめつい商人やら途中で裏切る魔術師やらが仲間になって行き、ボスの居る魔王域まで来ると終盤に入る。
そこまで来ると難易度が一気に跳ね上がり、そこかしこに仲間が離脱してしまうイベントが配置されているのだ。
最終的に主人公一人にならなければ魔王に挑む事すら出来ないと言う事でゲームとしての評価はかなり低い。
ぶっちゃけた話、RPGの初心者にはオススメ出来ないであろう事は明白と言っていいだろう。
「……」
自分の知っている通りにコマンドを操作して勇者を動かしていき、圧倒的に優位なまま魔王の体力はどんどん減っていった。
一方、勇者の方は持続的に回復する魔法や攻撃を跳ね返したり吸収して無効化する魔法で防御を固めながら大火力で殴りかかる。
レベルを高くし過ぎたからだろうか、あっという間に魔王を倒せてしまったではないか。
そしてここから、何度見たかも分からないイベントが始まるのだ。
『ぐぅっ! ま…まさか、この魔王ソロモンを倒すとはな…』
『ソロモン……お願い、目を醒まして! 貴方はこんな…っ!?』
『私はここで敗れ散る…だが、それで終わりと思ったか、勇者カルディラよ…』
倒れる魔王は、その間際に持っていた剣を勇者へ突き刺す。
完全に不意を突かれる形となった勇者は、その攻撃を避ける事も出来ただろうに、避けはしない。
『一緒に……来て…もらう…ぞ…』
『ソロ…モ…ン…』
相打ちとなってその場に倒れて消滅していく二人の姿を最後にゲームはシナリオクリアとなる。
後には世界が平和になっていく様子が少しテロップで説明され、エンディングが流れ、タイトル画面へと戻った。
だが、それは明にとって不満なのである。
「……あ~、まーたガセネタかよこんちくしょー…」
彼がこのゲームをやり始めた理由は少し特殊だったのだ。
元からこのゲーム、最近発売されたと言う訳では無い。
5年くらい前に発売されていた物を、面白い情報があるからと友人に教えられたので買ってきたのだ。
「なーにが裏エンディングだよ…」
友人から聞かされた情報によれば、確立と分岐によって裏エンディングが存在するというのだ。
だが、かれこれ5周も回っているがどれも同じエンディングにしか辿り着かない。
味方は全滅するし、主人公も魔王と相打ちで消滅して世界は平和になりましたとテロップが流れる。
もう見飽きたスタート画面に嫌気が差してテレビの電源を切りつつ、大きなため息を吐く。
「あーあ…全く、俺の半月を返せってんだ…」
学校から帰って来ては自分の部屋に引き籠ってストーリーを淡々と進める毎日。
それが今日でだいたい15日くらい続いただろうか。
流石に疲れ果てた明はコントローラーから手を離しそのまま布団に入る。
「えーと、明日は…そっか、日曜だからバイトあるじゃん……早く起きないと…」
疲れていたからか、そのまま明はすっと眠りに入ることが出来た。
今までこんなに早く眠れた事は無いんじゃないかと思う程だ。
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「……さいよ……起きなさいったら!」
「はぅあ!」
首を掴まれる感覚と、聞き覚えのない声に驚いて目が醒める。
起きたばかりの頭では状況把握すらままならない訳だが、一つハッキリと分かる事がある。
それは、目の前に見た事も無いような女性…それも痴女…が居るという事だ。
とても長い金の髪が揺れ、真っ赤な瞳がこちらを睨むように見つめていた。
顔立ちは整っていてお世辞とかを抜きに美女と言っていい。
ただ、纏う衣装はあまりにも露出が多すぎるのではないか。
それに何より、人間じゃない事を証明付けるようにある物が見える。
「やっと起きたわね? 全く、手間掛けさせないでちょうだいな」
「え…だ、誰…?」
「はぁ? メール送ったでしょ? 明日からよろしくねって動画まで添付して」
そんな物に心当たりはない。
送られてきた物があったとしても、なんか良さ気な草原の風景画像だけ。
動画なんて付いてきてはいない筈だ。
「よろしくねって…?」
「えぇ…まさかメール自体見てないのかしら? それならちょっとしょうがないけれど…無理矢理行かせてもらうわよ?」
「は…え、ちょっ?! 何して…うわあぁ!?」
その悲鳴は、高校生とは言え男が出していいような声では無かった。
誰かが聞いていたりしたら相当恥ずかしい事はほぼ確実だ。
だが、叫ばずには居られなかった。
服がいきなりドロリと溶けるように消えて行ったのを見てしまえば、誰だって驚きはするだろう。
「何よ、情けない声上げて」
「だ、だって服がドロッて溶けて…」
「そりゃそうよ。溶かしたんだもの」
はぁ?!と声を上げ驚くのを、何かが明の口を塞いで声が出てこない。
何に押さえられたのかは見ればすぐに分かる。
足だ。
足を口に突っ込まれているではないか。
「んっ…ちょ、キャンディじゃないのだから舐めるんじゃないわよ! まったく…」
「ぷっ! ぷぇっ! な、何するんだよっ!」
悟られる訳には行かない。
口の中に足を突っ込まれて、実は心のどこかで喜んでいる自分が居ただなんて事は。
気付かれてしまえば、その瞬間から目の前の少女は明の事を軽蔑の眼差しで見てくる事だろう。
「あ、もうバレてるから隠しても無駄だからね」
「か、隠すって…」
「アンタが被虐嗜好…マゾヒストだって事」
もうすっかりバレてしまっていた。
これでは隠す事も出来ず、このまま蔑視の眼差しで見られる事になる。
恥ずかし過ぎてもう、穴があったら入りたいくらいだ。
「分かってるじゃない」
「はぁ? どういう事だよ」
「馬鹿ねぇ、私が何に見える? ほら、答えて見なさい?」
見た感じは同年代の女性のように見える。
背中に生えたコウモリのような翼と悪魔の尻尾っぽい物、そして頭から生えた巻角以外は。
強いて言えば、およそ人間じゃないんじゃないかと言えるような美貌も以外の方に入るかもしれない。
そして明はこういった見た目をしているものの呼び名を知っていた。
最近のゲームだとちょくちょく見る機会があるんじゃないかと思う。
「さ…サキュバスってやつ?」
「うーん……まぁ、半分正解ってところかしらね」
半分正解、とはどういう事だろう。
サキュバスとは詰まる所、夢の中に現れる悪魔で絶世の美女の姿を持つ。
これが半分正解という事は、もしかしてこのサキュバスと似た「インキュバス」という悪魔だろうか?
因みにインキュバスとは簡単に言ってしまえばサキュバスの男性バージョン。
つまり、この少女は男…
「違うわよっ! 失礼しちゃうわねっ!」
思いっきり顔面を蹴られてしまった。
なのにあまり痛みを感じない辺り、あぁ夢なんだなぁと思い知らされる。
それと一緒に、彼女がインキュバスでなくて良かったと安堵する自分がいる事に気付いてゾッともした訳で。
「私をそんじょそこらのサキュバスと一緒にしないでって事よ。 謂わば淫魔たちの王女って所かしらね…サキュバス・ロード、それが私の種族の名よ」
「サキュバス・ロード…?」
そんな名前を、つい最近どこかで聞いたことがある。
確かあれは、やり込んでいたゲームだっただろうか?
魔王が率いる幹部の中に「カトレア」という淫魔の王が、終盤で立ちはだかったのだ。
自身を淫魔を総べる者と名乗り、魔法攻撃が非常に強力だったのを覚えている。
そして明の気にいっていたキャラクラーだった姫騎士の「リヴィエール・ド・エリシア」を闇討ちで殺した憎き奴。
ステータスは軒並み低く普通に戦って行く分には不必要なキャラなのだが、ある技を持っている故にパーティーにはいつも入れていた。
その名も「マジックリブート」。
魔法を使う為に消費するゲージを一度だけ全回復してくれるという技で、これがかなり重宝する。
しかもキャラの可愛さと担当声優が人気のある人物だったので「戦闘面以外では」人気の高いキャラだった。
まぁ、殺されちゃったんだけどね。
「ところで貴方、サキュバスがどんな悪魔なのか知ってるんなら話が早いわよね?」
「は? どういう……」
都合よく服だけ溶かされ素っ裸にされ地べたに転がる男と、それを見下ろすボンテージ姿のサキュバス。
そんな状況で伝わってくる意味など一つしかない。
…ヤられるっ!
「ちょ、ちょっと待て俺は」
「はいはい、逃げようとしないの…《リストバインド》っと」
少し後ずさった明を見て、呆れ気味にため息を吐きつつ人差し指を向けると指先が輝きを放つ。
するとあっと言う間にその光は帯となって両手を掴んで明の動きを封じてしまった。
ちょっと遅れて更に追加された光の帯が今度は両足も縛って、気が付けば大の字でその場に固定されてしまう。
昔のヒーローモノだと、人体改造とかされちゃうパターンのアレだ。
だがこれはヒーローモノの撮影とかそういうのじゃない。
「フフフ……ナニされるのか分かった途端怖くなっちゃったのかしら?」
「こ、怖くなんか…」
ぶっちゃけた話をすると、死ぬほど怖い。
聞きかじり程度の知識しかないからアレだが、サキュバスってひとしきりヤり終わる頃には男の方死ぬとかって聞いてるんですけど?!
これはマズい、非常にまずい。
「声まで震えさせちゃって……誘ってるの?」
動けない明の身体をまたいで、屈んだかと思えばそっと手を頬に添えて悪戯っぽく微笑む。
「そうね……貴方、このまま私の糧になるか私に尽くして生きていくかだったら…」
「一生尽くさせていただきますっ!」
こんな所で殺されるなんてまっぴらだ。
…というのは建前での話。
本質的な事を言ってしまうと、彼女の声音が、頬に触れる指が、今にも腹に座ってきそうな尻が、明の思考をすっかり奪ってしまっていた。
抗いようの無い、というより抗える要素のカケラもない魅力の奔流に明はすっかり呑み込まれてしまう。
「ふぅん……建前だけでも抗えた事に敬意を表して、貴方は糧にしないであげる」
「じ、じゃあこのまま帰して」
「それは別よ? 尽くしてくれるって言ったじゃない。 でもそうね…労働力は足りているのだし、ちょっと特殊なコト…お願いしちゃおうかしら?」
そう言って微笑みを崩すことなく顔を近づけてくる。
一体何をしようかと言うのか?
なんて考える間もなく答えは突き付けられた。
「っ?!」
マシュマロみたいに柔らかな唇が、確かに押し付けられた。
どこにって?そんなの決まってるじゃないですか。
彼の唇にですよ。
「っ~~?!?」
仄かに甘く蕩けるような感覚を感じるのも刹那の間、明の意識はどこかへ飛んでいっているんじゃないかと思うような錯覚を覚える。
まるで身体がふわりと浮かび全身の力が吸い取られていくような。
そんな感覚に包まれながら、明は一瞬で意識を手放してしまうのだった。
「…ぷはっ……これからよろしくね、アキラ君…いや、私かな? ふふふっ…」
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「……う……ん…?」
目が醒めると、どこか見知らぬ部屋のようだった。
お金持ちのお嬢様とかこんな感じの部屋に住んでるんだろうなーって感じの天蓋付きベッドで眠っていたのだと分かるまで、ちょっと時間を要した。
とりあえず目が醒めたらやることはアレだ。
顔を洗おう。
頭がボーッとしていてどうにも身体が重い。
酒は飲んだ事も無いし酔った事も無いが、きっとこれが二日酔いって奴なんだろう事は分かる。
「…蛇口も洒落てるなぁ…」
部屋の隣にある扉を開けると、これまた豪奢な感じのバスルームに繋がっていた。
別に装飾が金で作られているとか金属類が金一色だとかする事はないのだが、キレイさを常に保っているかのような印象を受ける。
さて、顔を洗わなくては。
「…ふはー……ん?」
自分の声にしてはやけに高い。
これじゃ女性の声のようだ。
喉でも潰しただろうか?
というか、どこかで聞いた声のような。
「……ん?…んん…?」
それに、水を掬おうと前へ出した手が、やたら細くて白い。
まるで同年代の女性のような。
いや、流石におかしい。
「…………なんだコレ…」
なんじゃコリャーって驚きたくはあったが、残念ながら彼はそういうタイプの人間ではなかった。
ただ淡々と自分の姿を見て驚く。
鏡に映っているのは、意識が途切れる前に夢の中に出て来たサキュバスその人ではないか。
そして彼も、この状況を受け止める事は出来ても持ち続ける事は難しい。
「……なんじゃコリャーーッ?!」
だから、叫んでしまうのだ。
つづく