『山猫』の悪童たち
ベルリンの郊外。接収された酪農農家が練兵場になっており、そこで、パイパー戦闘団の第一大隊第C中隊第一斥候小隊……通称「ならず者小隊」の顔合わせと機体受領が行われる。
家畜は既に、全頭軍が買い上げており、牛舎が戦車の車庫になっていた。
梁や柱は鉄骨で補強され、クレーンなどが設置されていたが、まだオイルの匂いより、飼料や糞の匂いの方が強い。
俺は兵員輸送のトラックに便乗させてもらい、この牧場のはずれで降ろしてもらった。
道には、牛のクソが落ちていやがって、それを踏んじまった。せっかく、きれいにブーツを磨いたのに、最悪だ。
集合場所になっている牛舎の片隅に、飼料の残りらしい藁束があった。それを使って、ブーツの糞をこそげ落していると、がやがやと賑やかな一団が来た。
俺の事は気が付いているくせに、完全に無視している。軍規の厳しい武装親衛隊らしからぬ連中で、戦車兵の軍服をだらしなく着た四人だった。いずれも、若い。二十歳前後だろうか。大きく開けた胸元から、じゃらじゃらと金色の鎖が見え、そのうちの一人はピアスなんかしてやがる。やれやれだ。
「……でよ、その女のおっぱいのでっかいこと! 窒息するかと思ったぜ」
「ぎゃはは……、その女は、単なるデブじゃねーかよ」
などと、若い兵士共通の話題を、声高に話していた。自分にも覚えがあるが、こいつらの脳内は、女と酒とおふざけで出来ている。
行儀作法ってやつを、教えてやってもいいが、まぁこいつらは、俺の部下ってわけじゃない。でしゃばる事もないか。
「糞はとれたか? おっさん」
ピアスをした野郎が、ニヤつき俺の方に小石を投げながら言う。
ひょろっとしたノッポが、ぎゃははと笑った。
まったく、ガラの悪い連中だ。
「まあな」
相手にするのが面倒くさいので、適当に応える。
それにしても、まだ二十代半ばなのに、おっさん呼ばわりか。そんなに、俺は老けたかね。過酷な戦場にいると、シュトライバー大尉の様に老け込んじまうモノなのかも知れない。
「あんさんのこと、知ってるぜ。死んだって噂だったが、生きてたんだな」
このガラの悪い連中のアタマらしい男が、ナイフで爪の垢をほじりながら言う。
俺と同じ、ベルリンの下町訛りがあった。
「まぁ、あんさんが、ぶいぶい言わせていたときゃ、俺はまだガキだったからな。俺の事は知らんだろうぜ。だが、俺は、あんさんを知ってるぜ」
髑髏の意匠の柄のナイフを慣れた手つきで鞘に納め、その男が俺を見る。
俺が抜け出した故郷。ゴミ溜めみたいなスラム街に、こんな眼の男はたくさんいた。俺も、その一人だったが。
捨て鉢な獰猛さ。生きるより、死んだ方が救いになる生活。弱い者は踏みつけられ、強い者は喰らい合う世界。
「あんさん、『河魔通りの黒豹』っすよね?」
かっと、顔が火照るのが分かった。
もう十年以上前の俺のニックネームだ。しかも、こんなクソ恥ずかしい二ツ名なんぞ、自ら名乗った覚えはない。俺とツルんでいるということにすれば、相手が怯むかもしれないと思う連中がいて、そいつらが勝手につけた名前なのだ。
しかも、俺はそいつらとツルんだことはない。まったく、降りかかった災難みたいなもんだ。
俺が、いつの間にか、クソ恥ずかしい二ツ名で呼ばれていると気が付いた時は、もう下町中に広がっちまっていて、取り消すことが出来なくなっちまっていた。
「やめろ。馬鹿野郎」
いつもジクジクとドブ水は染みだす通りは『河魔通り』と呼ばれ、スラム街でも特に治安が悪い場所だ。そこが、おれの生まれ育った場所だった。
「マジか! 二十人相手の素手喧嘩して勝ったっていう……」
下品な笑い声のノッポ男が絶句する。
いや、だいぶ誇張されているな。相手は五人でしかも俺はボコボコにされたんだぞ。
「初代『黒豹団』の総長じゃないっすか! レジェンドっすよ!」
なんだそれ? 知らんぞ、そんな話。 『黒豹団』?
「うちら、同中っす、先輩」
やはり、こいつらは同じ地域の後輩らしい。資料を読んで、近所の出身だと思っていたが、俺の事を知っていたとは誤算だった。『同中』だと? 同じ学校の隠語か?
「というわけだ。俺の前で、先輩への無礼は許さねぇ」
こいつらの、アタマらしき男が、居住まいを正して、俺に敬礼する。
三人が、それに倣った。
本当に、勘弁してくれ。
この四人は、独軍の高速軽戦車『山猫』こと、Ⅱ号戦車L型の搭乗員たちだった。
偶然、同郷で固まった連中で、リーダー格が車長のアウグスト・グッテンマイヤー伍長。『山猫』は、主砲が機関砲で、その砲手を車長が兼任する。忙しいポストだ。
最初に俺に「おっさん」呼ばわりしてきた筋骨たくましい男が、ダグ・マルンベルグ上等兵。資料によると、元・カーレーサーという異色の経歴だ。操縦手を務める。
下品な笑い方をするひょろりとしたノッポが、ステファン・リンドベリ 二等兵。いかにも手癖が悪そうなツラだが、見た目の通り窃盗の常習犯だ。通信手を務める。
軽戦車は、偵察が主な任務になるので、大事なポストだ。
退屈そうな顔してスカしていやがるのが、装填手を務めるダーニィ・フェルベ伍長。出身は下町だが、美大に推薦入学で入った男だ。学徒出陣で学業半ばにして徴兵されたらしい。自動車窃盗の前科があるので、修理などもこなす何でも屋なのだろう。くちゃくちゃと糞ヤンクスみたいにガムを噛んでいやがる。
俺は、凍えるバレンツ海に沈んだP-09の車長、ボーグナイン少尉を思い出していた。
彼も学業半ばで学徒出陣した植物学者の卵だった。どちらかというと、お行儀のよかったボーグナイン少尉とコイツでは全く別物だが。
この四人が高速軽戦車を運用する戦車乗りたちになる。資料通り、問題児っぽい感じだが、まぁ、昔も俺はそうだった。奴らの腕はいいはずだ。経歴だけ見ると、いい戦車乗りだった。激戦区を無傷で生き延びたのがその証拠だ。
「輸送トラックが来たな。おまえら、山猫を受け取りにいってこい」
耳がいいのか、微かなトラックのエンジン音を聞きつけて、アウグスト・グッテンマイヤー伍長が三人に命じる。
「うす」
「ほーい」
「めんどくせ」
……と、三人バラバラの返事をしてダラダラと牛舎を出てゆく。
「ちんたらすんな、馬鹿野郎ども」
アウグスト・グッテンマイヤー伍長が怒鳴ったが、返ってきたのは下品なハンドサインだけだった。
「いやぁ、すんません、先輩。馬鹿ばっかりで」
アウグスト・グッテンマイヤー伍長が笑いながら、三人を見送る。
三人はまるで子犬の様にふざけながら、歩いている。
「お前らは、走って敵の居場所を暴いて後方からの砲弾を導くのが仕事だよ。俺の目になってくれれば、ヤンクスとトミーとカエル喰いに砲弾を叩きこんでやる。それ以外の時間は、馬鹿をやろうが、女口説こうが、何したっていいさ」
ただ、死んでほしくない。そう思っていたが、その言葉だけは飲みこんだ。不吉な言葉はまるで呪詛のように思えたからだ。
生死が一重の差である過酷な戦場にあった兵士は皆、縁起をかつぐようになるものだ。
努力とか、そういったモノが通用しないことがあるのを知っているから。
「あんさんが獲得した名声、『砲撃の名手』。あんさんは、河魔通りの底辺野郎どもの希望の星なんですぜ」
俺は故郷を捨てた。
二度と戻らぬ覚悟で、軍隊に入ったのだ。
居場所を求めて、いつか見たあの青い空の先へと。
ひたすら前を向いて進んでいたが、俺の後ろを走る者が出てきたということか。
「そんなんじゃねぇよ。運がよかった。それだけのことさ」
勇者は皆死んで、悪運が強いやつと卑怯者だけが生き延びる。俺は、命冥加なだけだった。
本物の勇者は、北アフリカの熱砂の中に、凍えるバレンツ海に、血まみれのセーヌ湾に、眠っている。
「いつか俺らも、誰かから必要とされ、尊敬される存在になることが出来る。そいつを教えてくれたのは、まぎれもなくあんさんなんでさ。一緒に戦えるのは、光栄っすよ」