小隊長 サボゥ・シェーンバッハ中尉
灯火統制があるので、窓に分厚いカーテンをかける。
難燃性の薬品をしみこませた、キャンバス製のカーテンで、微かに刺激臭がして、気持ちがわるいのだが、規則なので仕方がない。
まだ、ベルリン市内に空爆はないが、郊外や沿岸地域は、爆撃があるらしい。
米英の爆撃機は我が物顔だ。
なにせ、撃退するための戦闘機がないのだから。懐かしいロストックの『幸運亭』は無事なのか、気になる。神よ、あの善良なる家族を守りたまえ。あと、三本足の英雄、リンツも。
部屋に備え付けのデキャンターに、上等のコニャックを注ぐ。
ダビドフと一緒に、パイパー中佐から帰り際に渡されたものだ。
フランスを転戦していた時に、分捕り品の分け前があったらしい。ノルマンディ上陸作戦前後は、各地のレジスタンスが蜂起し、熾烈な地上戦があったそうだが、その一環で備蓄品を強奪したのだろう。
カエル喰い(仏国人の蔑称)は、戦場にコニャックだの、上等のワインだの、チーズだのいろいろ持ち込む。だから、負けるのだ。伊公も、そんな感じだったが。足手まといの伊公め。呪われろ。
グラスになみなみとコニャックを注いで、ポットの珈琲をマグカップに入れる。
弾薬箱を利用した葉巻入れから、細巻きのダビドフを取り出して、葉の香りをひと嗅ぎしてから、そいつを咥えた。
書類鞄から、パイパー中佐から受け取った資料を開く。
それは、人事考査の資料だった。
本来、俺が見ていい資料ではないが、パイパー中佐は内部を監視するスパイに、俺を仕立て上げるつもりだ。
俺を含め『ならず者小隊』二十名。どんな野郎どもか、興味がないといったらウソになる。パイパー中佐の思惑に、まんまと乗ってしまうのは癪だが、俺はコニャックを一口味わい、資料を広げた。
第一SS機甲師団の先駆けがパイパー戦闘団。その更に先を往くのが、偵察小隊なのだが、『ならず者小隊』はその任を受け持つ。
構成は、試作戦車『ポルシェ・ティーガー』が一台。これが、指揮車になる。そして、独軍の使役馬ことⅣ号戦車H型が一台。そして『山猫』の愛称を持つⅡ号戦車L型が一台。そしてBMW・R75という、サイドカー付のバイクが三台。このバイクは戦場では伝令などで使われることがあって、よく目にするバイクだった。
サイドカーの車輪も、レバー操作で駆動することが出来、不整地走行性も高い。偵察部隊にはもってこいの機体であった。
そして、『山猫』は、戦車とは思えない身軽さで、平坦な道なら時速六十キロは叩き出す性能があった。車体の小ささで隠蔽性が高いこともあり、コイツも偵察部隊にはもってこいの機体だった。
後方に強力な88ミリ砲を備えたポルシェ・ティーガーが控え、Ⅳ号戦車が最前線のR75と『山猫』の通信を中継すると同時に、彼らが撤退する時には援護する……といった、戦い方になるのだろう。
部隊構成はともかく、問題はこれらを運用するメンバーだ。
他人のプライバシーを覗く罪悪感を押さえて、資料をめくってゆく。
パイパー中佐が心配するのも理解できる内容が、そこには書かれていた。
『上官侮辱』『窃盗』『風紀紊乱』『部隊内の喧嘩』『不敬罪』『命令不服従』と、あらゆる軍隊内の犯罪のオンパレードだった。
ただし彼等は皆、激戦地帯を生き抜いているので、戦場勘はいいのだろう。
多分、腕もいいはずだ。勲章を受けている者も多い。
特に、『山猫』のメンバー四人が、素行不良だった。
営倉入りの事由では、『喧嘩』や『上官侮辱』が多く、年齢も最年長が二十二歳の車長、あとは二十歳前後。見なくてもわかる、彼奴等は悪童どもだった。
「俺も、人の事は言えねぇけどな」
そうつぶやいて、資料を読み込んでゆく。
手が止まったのは、小隊長を務めるサボゥ・シェーンバッハ中尉の資料。
彼は、士官学校をトップの成績で卒業し、士官候補生として露国侵攻の嚆矢となった『バルバロッサ作戦』に参加。
強力な露国戦車と数々の死闘を繰り広げ、レニングラード包囲戦で、包囲を破ろうとした露国の『鬼戦車』ことT34中戦車十二台(一個中隊規模)を、Ⅳ号戦車三台で迎撃、隊長機が撃破されたのちに指揮官を引き継ぎ、死闘の末撃退。
後方の工兵隊を守った功績で、第一級鉄十字章を受けている。
中尉に昇進したのち、乗機の損傷から後方に送られ、ノルマンディ上陸作戦時は、カレーに駐屯していた。
ここまでは、優秀なエリート士官だが、そこからキナ臭くなってくる。
ボロボロになって後退してくる友軍を助け、戦線を維持する活動をしていたが、捕虜の殺害で度々軍法会議にかけられているのだ。
その場で射殺していい便衣兵であるレジスタンスなどは数に入っていないが、投降してきた連合軍兵士を裁判記録だけで四十七名も殺害していた。
いずれも証拠不十分で、不起訴処分となったが、所属していた部隊からは放逐され、予備役の士官となった。それを、パイパー戦闘団がスカウトしたという経過だった。
添付資料はサボゥ中尉の身上書で、それに目を通して、彼の憎悪の理由がわかった。
彼の父親はオーダーメイドの自転車を作るマイスターで、フランスに移住して店を構えていたのだ。
第一次世界大戦に出征した彼の父親は熱心なナチス党員で、ちょび髭伍長殿の信奉者だった。
どうやらゲシュタポの協力者もしていたらしく、ノルマンディ上陸作戦前夜のレジスタンスの蜂起の際凄惨なリンチを受け、まだ十五歳だった弟と母親ともども殺害されていた。
身重だった、サボゥ中尉の妻は、その時フランスの彼の実家を訪れるため、列車で移動中だったのだが、米国軍の空挺部隊に列車が占拠され、拘束されてしまった。
スパイかどうかの尋問の後、民間人は釈放されたが、彼の妻は行方不明になってしまっていた。
彼女が見つかったのは、その三日後。
暴行された痕跡があり、ボロ屑のように道端に捨てられていたそうだ。
こうした非戦闘員へのレイプ事案は、特に露国の戦場がひどかったが、米国軍支配地でも多発しており、米軍MPは全く取り締まりをしないことで有名だった。
一瞬で、全ての肉親を失ってしまったサボゥ中尉は、それでも気丈に前線に立っていた。
ただし、どちらかというと、朗らかでユーモアセンスがあった男ではなくなっており、ゲシュタポ顔負けの冷酷な男になっていたらしい。
レジスタンスと思われる者は、即時射殺していた。
少しでも抵抗の素振りを見せたら、戦時捕虜でも即時射殺だった。
「パイパー中佐の一番の懸念は、こいつか……」
苛烈な捕虜の扱いを除外して考えれば、有能な指揮官なのだ。人員も物資も不足している現状では、エリート集団である第一SS機甲師団といえども、贅沢は言っていられないということか。
それで、部下同士相互監視させて、綱紀粛正を図りたいのだろう。
露国軍は粗暴きわまりない凶暴な猿ばかりだが、米国軍もサカリのついた野良犬なみに粗暴だ。
「一介の軍曹には、荷がかちすぎますぜ。パイパーさんよ」
明日は、機体の受領と、第一小隊の部隊編成式がある。
訓練も始まるだろう。
久しぶりに戦車に乗れるのは嬉しいのだが、気が重い。
舌打ちとともに飲み干したコニャックが、なんだか苦かった。