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高くついたダビドフ

 俺を待たせたまま、パイパー中佐は、サラサラと書類にサインをして、ふうふうと息を吹きかけてインクを乾かしていた。

 「年々、紙の質が悪くなって、早く乾かさないと文字が滲んでしまうんだよ」

 そういって、俺に笑いかけてくる。

 代々の軍人一家。名門パイパー家の三男。兄二人は既に他界しているので、彼は名門の跡継ぎだった。

 あの馬鹿げた『優生学』とやらの具現である外見。

 輝く金髪、澄んだ湖のような碧眼、ギリシャの彫刻を思わせる彫りの深い顔立ち、スラリとした優美な体形。

親衛隊長官の威張り腐った狸オヤジが、彼を寵童のごとく副官として脇に侍らせていただけはある。

 『優生学』とやらが標榜する理想のアーリア人そのものが、この中佐の外見だった。

 ペンギン部隊の総司令官だったアルブレヒト・ホフマン大佐は、わざわざ金髪に髪を染めてこうした外見を繕っていたけど、所詮は貧相な偽物フェイクに過ぎない事が、本物を目の前にするとわかる。

 いかにもスラブ系でございという俺は、外見で苦労した。国防軍内部での『砲撃の名手』としての名声は、努力で勝ち取ったものだ。なので、コンプレックスなど感じないが、こうした中佐の外見にはそこはかとない反発を感じる。

 パイパー中佐が、勇敢で有能な指揮官であることは間違いない。戦歴がそれを証明している。だが、血筋といい外見といい、

「スタートラインが違うだろうがよ」

……と、いう思いはあった。


「待たせたね。葉巻吸うかい? ジノ・ダビドフだぜ」

 パイパー中佐が、『既決』の箱に決裁文書を入れ、俺がいる応接セットの向かいに座りながら言う。

 彼が差し出してきたのは、弾薬箱を細工したシガレットケースで、そこには銃弾のように細い葉巻がきちんと並んでいた。

「東部戦線での分捕り品の分け前だよ。露助野郎の共産党幹部が督戦に来ていて、そいつの陣地を縦に深く割った時、大量にウオッカとこいつを手に入れたのさ。反撃を受けて、我々は一目散に逃げたのだけど、誰もこいつを手放さなかったってわけ」

 そういって、からからと笑う。

 泥まみれ、糞まみれ、血まみれの戦線である東部戦線だが、この男が言うと、なんだか楽しげに聞こえてしまう。

 まれに、こういうタイプの男はいる。

 直近の上官だったシュトライバー大尉とは、全く正反対の性質。

 シュトライバー大尉は、理詰めで部下を引っ張っていくタイプだった。

このパイパー中佐という男は、カリスマ性で自然に兵士を惹きつけるタイプ。いわゆる『人誑ひとたらし』と呼ばれる人種だ。

「んじゃ、遠慮なく」

 俺は葉巻を一本取り、それを咥えた。

 ポケットからオイルライターを取り出そうと、腰を浮かそうとしたが、目の前に銀色のオイルライターがさっと、差し出されていた。

 パイパー中佐が、親指を使って器用に火をつける。

 俺は戦場での癖で、手でその火を囲いながら、葉巻を吸いつける。

 そして、もごもごと礼を言った。なんだか、急に愚鈍になった気分だ。

 パイパー中佐は身振りで「気にするな」というジェスチャーをして、自分も葉巻を咥える。

 俺たちは、ひとしきり、葉巻をふかしていた。

 まぁ、当たり前だが「ラッキーストライクの緑は戦場に行きました」とかいう、しゃらくせぇキャッチフレーズのアメリカのくそタバコとは、比べものにならない。この味わいは、まるでシルクだ。くそヤンクスのタバコがデッキブラシに思えるほど。

「パイパー戦闘団というのを、編成することになってね。第一SS機甲師団は、反撃の尖兵を担うのだけど、その尖兵の更に先端を固めるのが、我々というわけなのだよ。先駆けは、騎士の誉れ。どうだい? わくわくするだろう?」

 困ったことに、この男に言われると、本当にわくわくしてしまう。わが道を往くクラッセン軍曹ともあろうものが。

「だがね、実情は厳しい。伊公イタこうの後始末と、ノルマンディの戦闘で、わが師団はスカスカでね。君の配属もその一環なのだけど、部隊を再編しようにも人員不足なんだよ」

 くそ、この人誑しめ。何か、厄介ごとの予感しかしない。

 急に、ふかしているダビドフが重くなったような気がした。この葉巻は高くついたかもしれない。

「優秀な人材……もちろん、君もだが……集めたのはいいのだが、ちょっと素行不良なのも一定数混じっていてね、私の戦闘団にも何人か特に問題がある奴らが入ってきているんだ」

 ここで、パイパー中佐は言葉を切り、大きくダビドフをふかした。

 ゆらゆらと、紫煙が天井に向って流れ、換気扇に吸い込まれていった。

「素行に問題はあるけど、優秀なのは事実なのだよ。そこで、管理しやすいように、そういった連中を、私は一ヵ所に集めることにしたわけさ」

 パイパー中佐は、ダビドフを咥えたまま席を立ち、机から書類の束を持って俺の前に並べる。こいつは、人事記録らしい。

「パイパー戦闘団、第一大隊第C中隊の第一斥候小隊。通称「ならず者小隊」。君が配属される小隊だ。ここに素行不良だが腕っこきという連中を集める。君には、私の代わりに、極秘でこの小隊の監視を頼みたいのだよ」

 見れば、いかにも寄せ集めの小隊だ。

 部隊編成は、試作品のポルシェ・ティーガー一台(ああ、最悪だ)。俺が砲手を務めることになるⅣ号戦車一台。ルクス軽戦車一台。偵察用サイドカー付バイク三台という構成だった。

 俺が、ポルシェ・ティガーを見て渋面を作ったのを見て、パイパーが頭を掻いた。

「ベルリン中から、戦車をかき集めたのだよ。実験機も遊ばせている余裕はないからね」

 噂では聞いたことがある機体だ。なんでも機構がデリケートすぎて、実戦には向かない、病弱な重戦車らしい。通常走行中にエンジンが火を噴くとか言われている。

 だが、そんな事より、俺におっかぶせされそうになっている、本来業務以外の任務の事だ。この最年少のSS中佐は、さらりと言いやがったが、かなり面倒くせぇ事柄だぞ。

「俺に、仲間をスパイしろって事っすか? お断りしたいっすね」

 パイパー中佐は、ベルリンの下町訛り丸出しで、不遜な回答をした俺を咎めもせず、困った顔をして、腕組みをした。

 思わず、「すいません。やります」と言いそうになるのを、やっと堪える。くそ、この表情も計算なのか? 人誑しめ。まったく、こいつは、シュトライバー大尉とは別の意味でやりにくい相手だ。

「まぁ、そうだわな。正式任務でもないし、手当がでるわけでもない。だが、君という男を見込んで、私が頼んでいるのだ。頼む、話を受けてくれないか? 受けてくれれば、恩に着るよ」

 今をときめく、トップエリートのSS将校が、俺に向って頭を下げる。

 ああ、ちくしょう。きっと、俺は極秘任務を引き受けちまう。くそ、くそ。こうした甘さは、いつか俺を滅ぼすぞ。

「もう一本、ダビドフを頂きますぜ」

 せめてもの意趣返しに、貴重な葉巻を巻き上げてやる。

「一本と言わず、箱ごと進呈するよ。資料は持って帰っていい。頭に叩き込んでおいてくれ」

 相手の方が、一枚上手だった。


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