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パイパー中佐

 一番マシな軍服に着替えて、徽章をつける。

 武装親衛隊の徽章をずっと馬鹿にしていたので、なんだか妙な気分だった。

 手紙は、俺が所属する部隊である『パイパー戦闘団』という戦車を中心とした機甲部隊の指揮官ヨーヘン・パイパー中佐からの面談の要請だった。

 最年少で武装親衛隊の中佐に昇進したエリート中のエリート様が、俺みたいな地べたを這いずる一介の下士官に何の用事か知らないが、命令書ではなく手紙での要請というというところに興味がわいた。

 命を預ける指揮官の顔を拝んでおくのも悪くない。そんな事も、思っていた。

 シュトライバー大尉から譲り受けたワルサーP38を腰のホルスターに収め、第一SS機甲師団本部に向う。

 ベルリンの街は、ノルマンディー上陸を阻止できなかったその時から、ずっと騒がしい。

ベルリンが本丸なら、英仏海峡は外堀。それが、破られてしまった。俺はその現場に居た。雲霞の様に、押し寄せる連合軍を見た。それを、押しとどめようと海上を走る戦車……ペンギン……で戦ったが、僚機は皆撃沈してしまった。俺の乗機P-07も自沈した。

そして、重傷を負った指揮官シュトライバー大尉は、戦争をやめてしまったのだ。

 だが、俺の戦争は終わっていない。貧民街で生まれ、貧民街で育ち、そこから抜け出す野心だけを胸に、俺はここまで来た。帰る場所などない。

軍隊で、俺は誰かに必要な男になり、居場所を作った。

 軍隊が、俺のホームだ。

 あの日見た、青い空への道程が、戦車兵なのだ。

 腰にワルサーP38の重みを感じる。

 こいつは、シュトライバー大尉が背負っていた『死神』なのかもしれない。

 上等だ。戦場こそが、俺の棲家。どこまで行けるか、試してやろうじゃないか。


 第一SS機甲師団は近々、大規模な作戦に投入されるみたいだ。

 兵站や総務を担当する師団本部の喧騒が、それを裏付けしている。俺の様な、国防軍出身の兵も、武装親衛隊に組み入れていることも、その暗示だ。兵力をかき集めて、何をしようとしているのだろうか?

こうした待機中の諸雑事も、戦争の側面。ドンパチ撃ち合うだけが戦じゃない。兵力を整え、武器・弾薬・燃料をたんまり用意する。それが必要だ。軍隊とは、貪欲に物資を食い散らかす巨大な獣のようなものだ。

 問題は、わが独軍に兵力も武器も弾薬も燃料さえ欠乏していること。腹ペコの戦車など、単なる鋼鉄の棺桶にすぎない。

 パイパー戦闘団に割り当てられた、会議室に向う。

 そこには、この機甲部隊専属の事務方が詰め、作戦前の細々とした書類仕事を処理しているはず。

 事務所内は、戦場だった。

 機関砲の様にタイプライターが連打され、様々な決裁文や申請書や辞令などが作り出されてゆく。

 事務方は十人ほどで、全て女性だった。

 三人ほど、俺の母親みたいな年代の中年女性がいて、その他は若い娘ばかりだった。

 なんだか、場違いすぎて、困惑しか浮かばない。

 軍帽を手に、それを所在なさげにいじっていると、若い女性兵士が、事務仕事をしながらチラチラと俺を見る。

 思い切って、声をかけようとすると、さっと目を逸らしてしまう。

 ボフォース機関砲の銃口に睨まれた時より、俺は焦燥感を感じていた。

「あんた、何?」

 突然、目の前に巨体が立ちはだかる。

 白髪の混じった、淡いブロンドの中年女性だ。身長は、俺よりある。横幅は倍以上あるだろう。顔は、ゴツい。どっしり座った獅子鼻。乱暴に書きなぐったような太い眉。その下の金壺まなこは、氷河のような冷酷な碧眼で冷たい光を放っていた。


『間違って女に生まれちまったバイキングの戦士』


 俺の頭に浮かんだのは、そんな言葉だった。

 階級は、少尉。多分、このオバハンが、ここの首領なのだろう。

「あんたみたいな、ハンサムがくると、うちのたちの作業効率が落ちるの。用事がないなら、出ていってちょうだい、軍曹さん」

 なんだよ、こいつは売春窟の『ヤリ手婆ぁ』かよ……と思ったが、口には出さなかった。そんなこと、聞かれたら、朝食代わりに頭から塩かけられてバリバリ喰われちまう。

「あ~……失礼しました、少尉どの。パイパー中佐から面談の要請がぁ~ありましてぇ~、ディーター・クラッセン軍曹、こうして罷り出た次第でぇ~あります。はい」

 酒の席で、ペンギン部隊の副隊長を務めていたバウマン大尉が得意にしていた、バイエルン訛りの田舎者の物まねをしながら、敬礼する。

 クスクスという笑いが、若い娘たちから起きたが、バイキングの女戦士の一睨みで、沈黙する。

 女戦士は、不機嫌な顔のまま、俺に顎をしゃくってついて来いという態度をとった。

 彼女は、事務所を横切り、会議室の隣室の扉をノックした。

「パイパー中佐、来客であります。ディーター・クラッセン軍曹と名乗っています」

 扉の向こうから、返事があった。

「ああ、ご苦労さん。グレタ少尉。僕の客だよ。君は下がっていい」


 そこは、窓もない小部屋だった。

 黒檀の事務机があり、陰気な音を立てて換気扇がキコキコと回っていた。

 壁には、アルデンヌ地方の地図。

 絵画とかの装飾品は全くなかった。

 机には、木の書類箱があり、『既決』『未決』と書かれていた。

 未決と書かれた箱には、溢れんばかりに書類が詰まっていて、既決と書かれた箱には、半分ほど書類が入っている。

 部屋の中は葉巻の匂いがしていた。

 見れば、押しつぶされた葉巻と灰が、陶器の灰皿に山になっている。

「いやぁ、すまんね、君。気楽にしていてくれたまえ。こいつを確認だけさせてくれよ」

 書類から眼を離さず、この部屋唯一の家具であるソファーとテーブル周辺を、パイパー中佐が指差す。

 勇猛をもって知られる、新進気鋭の若手将校と聞いていたが、なんだか、大学の教授みたいな喋り方で、雰囲気も随分穏やかだった。

 一九四○年の西方電撃戦で一級鉄十字章、一九四三年の第三次ハリコフ防衛戦で騎士鉄十字章、同年七月から末まで、ムッソリーニ政権が崩壊した伊国での戦後処理で伊国全土を転戦し柏葉付騎士鉄十字章を授与されている。

 あのノルマンディでの戦いでは、機甲部隊の隊長として、カーンに布陣。英国軍と死闘を繰り広げ、初期の連合軍の快進撃を112高地という地形を使った拠点防御で八十台以上の敵戦車を撃破して食い止めたという功績もあった。

 華々しい戦績。どんないかつい軍人野郎かと思っていたが、ほっそりとしたシルエットの優男が、ヨーヘン・パイパーという人物だった。


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