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青い空の下で

 『ラ・グレース村籠城戦』の緒戦は、大勝利だった。

 強行偵察の新型軽戦車一個中隊をあっという間に全滅させ、A陣地とB陣地が固める、ティーガー戦車を利用した仮設トーチカは、敵の機甲部隊を寄せ付けなかった。

 歩兵部隊は、戦車を盾に移動してくるので、肝心の戦車が撃破されてしまうと、足が止まるのだ。

 露軍の様に、肉弾突撃など、米英軍はしてこない。

 彼らの戦術規範ドクトリンは、物量を背景にした徹底的な遠距離攻撃。

 つまり、空爆と砲撃だ。

 地面が掘り返されるくらいに、砲弾や爆弾の雨を降らせ、迎撃する気すら起させないのが、奴らのやり方。

 今は、天候不順なので糞ヤーボは飛んでこないが、晴れ間があれば必ず来る。


 昼夜を問わぬ自走砲による砲撃。

 緒戦は、観測所の山猫とサイドカー隊が、自走砲陣地を探り当て、当方の自走砲によるカウンターアタックが功を奏した。

 今は、目まぐるしく位置を変えて撃ってくる。

 山猫たちが探り当てても、砲撃が終わると移動してしまうのだ。

 それに、日を追うごとに部隊は増強されてゆく。

 Z陣地の場所はバレていないようだが、A陣地とB陣地の場所は発覚してしまった。

 そこに集中して榴弾が降り注いでいた。

 天然の地形と土嚢を使った掩蔽壕を作り、そこに籠っているが、撃破される戦車や、負傷者は増える一方だった。

 Y字の地形の、両腕の間にある森林帯が、俺たちの割り当て区域になる。

 ここを抜かれると、A陣地とB陣地が側面から襲撃されることになり、苦戦を強いられてしまう。

 そこで、伐採した木材を運ぶ林道から、敵の部隊をⅣ号が引き摺り出し、ポルシェ・ティーガーが仕留めるという戦い方を繰り返してきた。

 敵は、入れ替わり立ち代わり、寄せてくる。

 俺たちは休む暇なく、出撃していった。

 疲労していた。

 もう二日間まともに眠っていない。ずっと、戦っている。

 このラ・グレースに籠る、パイパー戦闘団の生き残り全てが疲労困憊していた。


 一九四四年十二月二十四日に日付が変わった頃、クリスマスイブの日。主だった士官、下士官が、辛うじて砲撃を免れた村の教会に集まっていた。

 クリスマスを祝うためではない。

 援軍が望めないまま、圧倒的な戦力差を撥ね退けて戦ってきたが、それも限界に来ており、それで今後の方針が示されるのだ。

 『撤退』の文字が頭に浮かぶ。

 いつだって、そうだ。アフリカでも、海上でも、俺はいつだって負け戦の側に居る。まるで、呪いにでもかけられたかのように。

 牧師の教壇に立ったパイパー中佐の顔。皺が深くなり、なんだか年老いたようになっていた。

 自分の見た目が与える効果を知っている男なので、身嗜みには気を使っていたはずなのに、髪は乱れ、無精髭が口の周囲と顎を覆っていた。そして、目は血走っている。

「諸君、このような困難な戦ばかりで申し訳なく思っていることを、まずお伝えしたい」

 パイパー中佐が、深々と頭を下げる。

 聴衆は誰も何も言わない。眼ばかりが底光りしていて、まるで死霊の群れだ。

 定期便の様に、ズシン、ズシンと着弾する遠距離砲撃の地響き。

 黙りこくった俺たちの上に、埃が降る。

「再三、救援要請をしたが、最終結論として『救援不可能』という判断が下された。スタボローを奪い返され、それを再奪還すべく戦ってきたそうだが、止む無く撤退となったそうだ」

 さすがに、唸る声が教会に満ちる。我々と後続に間に打ちこまれた楔は時間を追うごとに増強され、楔は杭に、そして強固な柵に変りつつあるらしい。

 我々に駆けるだけ駆けさせておいて、何という不甲斐なさか。教会の中に怒りと絶望が渦巻いていた。

「我々は、負けていない。だが、弾薬もほぼ底をつき、燃料の総残量は数パーセントとなった」

 補給線は寸断されている。なので、手持ちの物資だけで戦ってきたのだ。

 水や食料はラ・グレース村から供出を受けていたが、この貧しい村から何かを受け取るのも限界に来ている。

 かといって露軍じゃあるまいし、住民をぶっ殺して掠奪するわけにもいかない。

「完全に包囲される前に、脱出しよう。武装親衛隊は『捕虜にする必要なし』の指令が下っている。このままでは、皆殺しになる」

 悔し泣きをする者がいた。放心する者がいた。そして、恐らくホッとしている者も……。

 横にいるサボゥ・シェーンバッハ中尉の顔を盗み見る。

 彼の顔に浮かんでいるのは、笑みだった。

 この状況を楽しんでいるのは、多分この男だけだろう。

「撤退を助けるために、殿軍でんぐんが必要だ。だが、私は命令しない。志願兵のみで構成するつもりだ。諸君らは、この話を受け持ち陣地に持ち帰って、話し合ってくれ。以上、解散」

 Ⅳ号とポルシェ・ティーガーの駐機場所となっている、林道脇の作業小屋に山猫の頭目グッテンマイヤー伍長とサイドカー隊の分隊長ブーニン軍曹が来ていた。

 観測所から、サイドカーに乗ってここに来たのだ。

 彼らも疲れ切った顔をしている。

 戦闘には加わらないが、一歩間違えれば嬲り殺しに遭う場所に潜み続けているのは、かなり神経をすり減らすのだろう。

 頬の肉が削げたようになり、眉間に深い皺が刻まれている。

「で、撤退っすか?」

 差し出されたココアを飲みながら、アウグスト・グッテンマイヤー伍長が言う。

「そうなるな。この作戦自体が、無茶なんだよ」

 まるで、他人事のようにサボゥ・シェーンバッハ中尉が言う。

「わ……私は、反対ですからね!」

 唐突に、テルオー・バッカード准尉が言う。

 降下猟兵出身のベテラン、サイドカー隊のブーニン軍曹がそれを見てフンと鼻で笑った。

「何がだい?」

 薄ら笑いを浮かべて、シェーンバッハ中尉がバッカード准尉に問う。

「あんた、どうせ殿軍に立候補するつもりだろう? 冗談じゃない、私は抜けさせてもらう」

 せっかく掴んだ尉官の道だ。退役後の年金のために戦っているバッカード准尉からすれば、生きのこることこそ最優先事項。まぁ、気持ちは分からんでもない。

「おそらく、『朝の定期便』でひと戦した後、撤退という流れになるだろうね。もう燃料も弾薬も無いから、徒歩で森の中を逃げることになる。この厳冬期に橋も無い川を渡って、凍えながら……ね」

 掌で包む様にして保温していたココアの入ったカップを煽りながら、シェーンバッハ中尉が言う。

 そして、居並ぶ疲れ果てた男たちを一人一人見て、

「そんな、脅えた豚の群れに加わるのは、まっぴらだ」

 と言い放った。

 ポルシェ・ティーガーの乗組員は、こうしたシェーンバッハ中尉の暗示のような、洗脳のような言葉をずっと聞いていたのだろう。殿軍として残ることに異存はないようだ。

 まったく、頭がおかしいとしか思えない。残れば、確実に死ぬ。この戦は『投降が許されない戦』なのだ。

「うちらも、残りますぜ。ですが、死ぬつもりもないっす。遅延させて、糞ヤンクスに嫌がらせをして、逃げ切る。これこそ、山猫の戦っすよ」

 まるで、戦争を巨大な遊び場と考えているグッテンマイヤー伍長らしい発言だ。

「我々は、役に立ちそうもないので、撤退に加わります。バイクを置いていくのは、心残りですがね」

 それが、サイドカー隊のブーニン軍曹の判断だった。

「君はどうしたい? え? クラッセン軍曹」

 皮肉な笑みを浮かべて、シェーンバッハ中尉が俺に言う。

 俺は兵士だ。軍隊という巨大な機械の歯車であることに誇りを感じている。やっとつかんだ居場所なのだ。

 だから、歯車として「残れ」と命令されれば残る。そしてベストを尽くす。

 一番困る質問が、『君はどうしたい?』という類の質問だ。

 本音を晒すのは、苦しいし、恥ずかしい。だが、正直に言わせてもらえば……

「こんな、糞みたいな戦場で、死にたくありませんね」

 ……だった。

 テルオー・バッカード准尉がほっとしたような顔をしている。

 これでⅣ号戦車442号車は撤退組に決まった。

「僕は、残りますよ」

 思いつめたような声で言ったのは、装填手のテッケンクラート二等兵だった。

「僕はマルメディで、非武装の米兵を撃ってしまった。なので、生きてこの戦場を出る気はありません」

 咳払いして発言したのは、通信士のメリエ伍長だった。

「露助に拷問されて、やっとの思いで祖国帰ってみたら、スパイ容疑でゲシュタポの野郎どもに拷問された。妻は、絶望して自殺。親にも縁を切られて、俺にはもう帰る場所が無い。だから、俺もここに残ります」

 この『ならず者小隊』は食い詰め者が多い。こうした時に、捨て駒にしやすい男たちだった。パイパー中佐はそこまで読んでいる。指揮官であるシェーンバッハ中尉からして、捨て鉢なのだ。

「俺の居場所は、ここしかない。俺も残ります」

 操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵まで、そんな事を言う。

 彼もまた、天涯孤独の身の上だ。それに、いつ失明するかわからないという事実もある。

 失明すれば、戦車から降ろされる。それどころか軍籍も剥奪されてしまう。

軍隊しか知らない彼にとって、屈辱だろう。

 ならばいっそ……と、思う気持ちも、分からないではない。

 くそ、どいつもこいつも死にたがりばかりだ。

「馬鹿やろうども。まだ戦争は続く。だが、いずれ戦争は終わる。その先の事を考えろ」

 地面を見たまま、俺は残ると答えた三人の同僚にそう言った。

 目は合わせなかった。

 俺自身、先の事を考えていないから。説得の言葉は、都合のいい嘘なのだから。

「違うね、クラッセン軍曹。違うよ。ここが、どん詰まりだ。ここが終着駅だ。先なんてありはしない」

 資材を収めた木箱に背を預け、大きく伸びをしながら欠伸混じりにシェーンバッハ中尉が言う。

「明朝、また性懲り間もなく糞ヤンクスが押し寄せてくるだろう。そいつを殴りつけたら、君らはパイパーと一緒に尻尾巻いて去れ」



 榴弾の着弾音がする。

 運が悪ければ、直撃を受けて死ぬ。

 地面が揺れ、揺さぶられた作業小屋の屋根から、ぱらぱらと埃が降ってくる。

 地面からしんしんと冷気が染みこんでくる。

 それでも、トロリと眠気は来た。

 特殊戦闘艇『ペンギン』に乗り組んでいた頃の夢を見た。

 ノルマンディの直前、夕焼けの海に向って石を投げて遊んでいた少年兵たち。

 噴き出す炎の中、俯いて居眠りしているようなシルエットのバウマン大尉。

 両足が千切れ、蒼白となったボーグナイン少尉の顔。

 降り注ぐ月光の下、肩を組んで放吟しながら去ってゆくヘンセン少尉とランツクネヒト少尉の後姿。

 みんな死んでしまった。

 みんな死んじまった。

 彼らは死ななければならないほどの罪を犯していたとでもいうのか?

 枢軸国の人間だから、死んで当然の存在なのか?

 掠奪され、凌辱されて当然だとでも言うのか?

 市民が戦略爆撃で虫けらのように殺されている。

 街道の子供の焼死体を思い出す。

 名も知らぬその子が抱えていた焼け焦げたウサギのぬいぐるみが、胸に刺さる。

 俺は兵士だ。戦争の歯車だ。

 だから、考えてはいけない。でも、どうしても考えちまう。

 俺の育った『河魔ケルピー通り』は瓦礫の山になってしまった。

 母親は死んだ。

 俺もまた天涯孤独の身の上。

 戦争が終わったら、俺は何処にいけばいい?

 俺を待っている人など、誰も居ないというのに?

 だからシェーンバッハ中尉やメリエ伍長の気持ちは、痛いほどわかる。

 くそ、くそ、考えるのは苦手だ。

 ああ、シュトライバー大尉。気に入らない海軍野郎。教えてくれ。教えてくれ。


 「俺はどうしたらいい?」



 一九四四年十二月二十四日、早朝。

 俺は三時間ほど眠っていて、起床ラッパ代わりになっている自走砲による砲撃音で目が覚めた。

 念入りな砲撃。

 降り注ぐ榴弾。

 死の鉄片が撒き散らされ、独軍戦車たちは巣穴の中で身を竦める。

 たった三両の友軍の自走砲が反撃の砲弾を放つ。


 『我、屈せず』


 ただ、それだけを敵に伝えるために。

 敵が寄せて来るのは、小一時間も続く砲撃の後。二日間も叩かれ続けていれば、癖も読めてくるものだ。

 それまで、俺たちは掩蔽壕で、どうってことないという顔をしながら、煙草を吸ったり、小便をしたり、飯を食ったりする。

 どうせ、安全な場所なんてない。運悪く榴弾が直撃すれば死ぬだけの話。

 脅えたところで、救いなどないのだ。そして、ここには神も居ない。

 誰もが腹の中に怒りを抱えつつ、ラ・グレース村で戦っている。

 こんな馬鹿な作戦に狩りだされた怒り。

 道すがら見た、米軍の蛮行に対する怒り。

 我々を孤立させる原因となった、不甲斐ない友軍への怒り。

 こんなハズではなかったという思い。

 仄かに見える死の影を、怒りで撥ね退けようとする足掻き。

 おそらく、この戦場を楽しんでいるのは、ならずもの小隊の隊長サボゥ・シェーンバッハ中尉と、山猫どもだけだろう。

 前者はグツグツと煮えた昏い情念のはけ口として。後者は達成困難な命がけのゲームとして。まったく、頭がおかしい。

 宣言通り、サボゥ・シェーンバッハ中尉は殿軍に志願した。

 他にも志願者はいたようだが、パイパー中佐が欲しいのは、本当に死ぬまで戦う人物。

 そうなると、シェーンバッハ中尉が最適任だった。

 志願は受け入れられた。

 ほぼ生還は望めない任務だが、誰もその事を口にしない。

 降伏さえ、許されない戦。これは、米軍の正式な命令なのだ。正気の沙汰とは思えないが。

 通信士のメリエ伍長、操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵と、装填手のテッケンクラート二等兵が、予備のライフルや短機関銃を分解掃除していた。

 『朝の定期便』が終わったら、Ⅳ号戦車を降りて、ポルシェ・ティーガーの随伴歩兵になるつもりらしい。

 燃料が無く、車長も砲手も居ないⅣ号戦車など、単なる鉄の箱なのだから。


 砲撃が激しくなってきた。

 これは、間もなく敵が押し寄せてくるという合図。

 続々と補充される米軍は、新手を我々にぶち当ててくる。

 戦車も、輸送が簡単な軽戦車中心の編成から、たった一日でM4A3E2中戦車、通称「シャーマンジャンボ」と呼ばれる、米軍の主力戦車M4シャーマンの装甲強化型の戦車を配備するに至る。

 燃料不足から、機動力を封印してダックイン戦法を採らざるを得ない独軍によって、これと正面で撃ち合うのは、砲弾の消耗を激しくするだけだった。

 米軍の戦車ドクトリンは、あくまでも歩兵部隊の盾としての運用。

なので、なんとかこれを撃破することによって、自陣を守ってきたのだが、それも限界に達して来ていた。

 Ⅳ号戦車も、A陣地とB陣地の間に広がる森林帯に出撃してゆく。

 M24チャフィー軽戦車は、初戦以来見かけていないが、今はM5スチュアート軽戦車と、M4シャーマン中戦車との混成部隊と激突することが多い。

 ポルシェ・ティーガーが伏せている場所に、交戦しつつ引きずり出すのが俺たちの役目だが、敵もさすがに学習してきて、迂闊に追撃してくる者はいなくなった。

 殴っては引き、殴っては逃げながら、じわじわと引っ張るしかないのだが、それで敵の出足が鈍れば、A陣地とB陣地の側面を守るという役目は果たせる。

 敵を撃破したいサボゥ・シェーンバッハ中尉は不満だろうが。

 神経が磨り減る戦いだ。

 一発の無駄弾も撃てない砲手は特に。

 砲弾が命中するかしないかで、敵の釣れ具合が変わるのだから。

 地形を読み、速度を読み、敵の到達場所を予測する。

 集中しすぎて、敵の移動予測場所に幻影すら見える。

 その幻影を射抜くと、それに重なるようにして、敵戦車に命中するのだ。

 鋭い砲弾の唸り。

 焼け付く硝煙の匂い。

 ピリピリと泡立つ神経。

 眠れない俺たちは、内部から少しづつ壊れてゆく。

 林道に乗り上げようとしていた、M4シャーマンの側面を撃ち抜く。

 車長席から身を乗り出していた、米兵が車体から転げ落ちた。

 内部は鉄片が飛び散って、全員ミンチだろう。

 車長は鉄兜を投げ捨て、両手を上げた。

 降伏の仕草だった。

 逃げようとすれば、見逃した。

 敵兵一人を追うほど、俺たちはヒマじゃない。

 だが、この男は逃げない。

 それもそのはず、転落の時に足を折ったらしく、膝がありえない方向に曲がっていたのだ。

 照準器の中で、男が命乞いをしていた。

 そばかすが浮いた、くすんだ金髪の男だった。

 まだ若い。

 バレンツ海に沈んだ、ボーグナイン少尉と同じ位の年利だろうか。

 腰のM1911ガバメント拳銃も投げ捨て、両手を組み合わせて哀願する。

 いつの間にか、俺の指は引鉄にかかっていた。

 疲れ果て、精神が擦り切れかけた俺の脳裏に、映像がフラッシュバックする。

 夕焼けの海へ石を投げて遊んでいた少年兵。

 英国から命がけで情報を探り出してきた女スパイ。

 炎の中に浮かんだ黒いバウマン大尉の影。

 押し寄せる揚陸艇の群れ。

 波の音。

 凍ったバレンツ海の静けさ。

 のしかかる駆逐艦の巨大なシルエット。

 骸で出来た街道の、焼け焦げたウサギのぬいぐるみ。

 死にたがりのシュトライバー大尉の、諦めてしまったような笑み。

 高山植物学者の卵だったボーグナイン少尉の絶望に満ちた眼。

 谷間に咲く、可憐なアルペンローゼ。

 薄汚い故郷の貧民窟の窓辺に植えてあったエリカの小さな花。

 借金までして母が買ってきてくれた制服は、その日にボロボロにされてしまった。

「あたしが、こんなだから、アンタがいじめられちまって。ごめんよぅ、ごめんよぅ」

 泣きながら、破かれた制服を縫い合わせていた母の手は、アカギレで荒れていた。

 溢れたドブ水の中に叩きこまれながら、ビルの谷間から見た青い空。

 米兵はポケットから写真を出して、指し示す。

 家族の写真か、恋人の写真だろう。

「おまえらがぶっ殺そうとしている独兵にだって、故郷も家族も恋人もいるんだぜ」

 そう、声に出すと、脳内が灼熱するほど俺は頭に来ていた。

 掌が汗で滑る。


 ―― くそ、くそ、くそ、くそ、くそ、くそ、くそ


 じわじわと、指に力が籠った。

 このクソ寒いのに、汗が首筋を伝って流れる。


 ―― 兵士は歯車。感情をもってはいけない。憎しみで引鉄を引いてはいけない。


 俺の理性が叫ぶ。

 だが、俺は死を多く見て来てしまった。

 ああ、ああ、だからか、シュトライバー大尉は眼の前で四百人もの負傷兵が惨殺されるのを見ていたのだったな。

 やっと今、彼の気持ちが分かった気がする。

 照準器の中で、男が命乞いをしている。

 もしも、立場が逆だったら、この男はどうしただろうか?


「まぁ、こうするわな」


 俺は、引鉄を引いた。



 小一時間の戦闘で、敵は潮が引くように去っていった。

「通信機、使わせろ」

 俺は砲手席から身を乗り出して、通信士のメリエ伍長からマイクを受け取る。

 彼は何も言わず、俺にマイクを渡してくれた。

「シェーンバッハ中尉。俺です。砲手のクラッセンです。やっぱり、俺も残ります」

 そう言って、返事も聞かずにマイクを切る。

「どいつもこいつも、頭おかしいんじゃないのか? 俺は撤退組に加わるからな!」

 車長席で、バッカード准尉が毒づく。

 もう、どうでもいい。

 俺は居場所を求めて軍隊に入った。

 そして、ここが俺の居場所だと感じる事が出来た。

 しかし、俺は憎しみで引鉄を引いてしまった。

 もう、俺は兵士ではなく殺人者。

 今まで多くの人命を奪っておいて、今更だが、それは戦争という仕組みの歯車の回転に過ぎない。

 だが、今日、俺は俺の意思で引鉄を引いてしまった。

 憎しみで砲弾を放ってしまった。

 だからもう、俺は兵士ではない。

 故郷は瓦礫に変った。

 唯一の家族である母は死んだ。

 たった一つの居場所である軍隊を、俺は捨ててしまった。

 誰も俺を待っていない。

 どこにも帰る場所は無い。

ただ、疲れた。俺は疲れ果ててしまった。

 もういいだろう。俺は「俺」を、終わらせたい。

 命乞いをしていた米兵。

 そこに残ったのは、黒い窪みだけ。

 爆風で鉄兜がコロコロと転がって、ここに人が居たのは幻ではないと、無言で語りかけていた。


 撤収の準備が進められていた。

 生き残った戦車は全て廃棄することになる。

 燃料が底をついていた。

 少数の戦車で大軍を食い止めている。決して負け戦ではなかった。燃料と弾薬さえあれば、まだ戦える。そんな無念が爆破処理される戦車たちから滲んでいるかのように見えた。

 なけなしの燃料は集められて、殿軍となって追撃を食い止めるポルシェ・ティーガー11号車と我々のⅣ号戦車442号車、そして山猫に給油された。

 それでも満タンには満たない燃料しか我々には残されていない。

 戦場で連合軍に恐怖症さえ起させた精鋭中の精鋭の戦車兵たちが、徒歩でとぼとぼと雪の中を歩いてゆく。

 俺たちはそれを見送っていた。

 彼らの撤退の時間を稼ぐための小隊。

 恐らく生還は望めない。どんな顔をしていいのか、何て声をかければいいのか、彼らには分からないのだろう。

 バッカード准尉は、その群れに紛れて去って行った。

 目立たない様にしていたのか、彼の姿には誰も気が付かなかったようだ。

 まぁ、そもそも探していないのだが。

 残された砲弾を積めるだけ積む。

 村長が、我々に最後の食料と水を持ってきてくれた。

 米兵が乗り込んでくるとあって、少数の男衆を残して、全村民の避難を終えたところだった。特に、若い娘は危ない。米軍占領地における『自由恋愛』の被害のウワサは、ここにも届いていた。

 撤退する友軍の誰かが投げてくれたタバコを吸う。

 よりにもよって、あのクソまずいラッキーストライクだった。

 淡々と各々の準備を進める。

 操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵はエンジンの様子や、クラッチの利きを見る。

 通信士のメリエ伍長は無線機の調整をする。

 装填手のテッケンクラート二等兵は砲弾架にボロ布で磨いた砲弾を並べる。

 俺は、照準器の調整と砲塔旋回装置の整備を行っていた。

 我々に悲壮感はなかった。

 ずっと苦しい戦いをしていて、やっとそれが終わるという安堵の気持ちの方が強い。

 多分、俺たちは死ぬ。

 なんだか、それも現実感がなかった。

 叩かれすぎて麻痺してしまったのかも知れない。

「一度は、撤退と決めていたじゃないですか。付き合わなくたっていいんですぜ」

 通信士のメリエ伍長が言う。

「おまえら、俺がいねぇと糞もロクに出来ねぇだろうが。こいつは、介護みてぇなモンだ」

 俺はそう嘯いて、タバコを投げ捨て、砲塔に腰掛ける。

「ぬかせ、大砲野郎」

 へっへ……とメリエ伍長が笑った。

「クソ漏らすんじゃねぇぞ、ピーガガ屋」


 地形は選んであった。

 この『ラインの守り』作戦にもパンター戦車で参加しているエース戦車兵、エルンスト・バルクマン曹長が、パンター単騎で多数の敵を屠った通称『バルクマンの曲がり角』と似た地形をA陣地の近くに見つけてあったのだ。

 この際、B陣地側を抜かれると挟撃されてしまうので、戦車の爆破廃棄はB陣地で行い、そっち側の街道を塞いである。

 エンジンと砲の尾錠が壊してある、見た目はまともなティーガーⅡ重戦車が、その戦車の残骸に隠れるようにして、街道を掃射する構えを見せていて、戦車回収車両を寄せ付けない仕掛けを作ってある。まぁ、子供だましだが。

 『ならず者小隊』が守っていたA陣地とB陣地の間の林道には、榴弾を逆さにして植えて対戦車地雷を敷設した。

 幾重にも地雷原は仕掛けるものだが、これは一ヵ所のみ。時間的な余裕がなかったのである。

 敷設のための時間がなかったからだが、これで軽戦車がはしゃいで突っ込んで来るのを防ぐだけの意味合い。

「地雷原があるかもしれない」という疑心暗鬼を誘う事で、出足を鈍らせればいい。

殿軍の役目は遅延戦闘なのだから。


 自走砲と砲兵陣地による砲撃が激しくなってきた。

 このラ・グレース村には、住民以外は我々だけしか残っていないが、万遍なく砲弾を降らせている。

 執拗な砲撃は連合軍による『独軍戦車恐怖症』ともいうべき現象の副産物だ。

 一方的に弱い奴をぶん殴るのが大好きな米軍が、初めて受けた洗礼が独軍の戦車。

 奴らの撃つ砲弾はティーガーの装甲を抜けず、当方の88ミリ砲はスポスポとシャーマンの装甲を貫通する。

 コラテラルダメージを忖度しない砲撃と空爆は、この恐怖症を緩和する措置であった。

「来ますぜ、森から新型(M24チャフィのこと)十二両、B陣地方面にシャーマン二十四両、A陣地方面に三十両、随伴歩兵は……とにかく、一杯っす」

 我々はA陣地よりやや後方に下がった所に陣取っている。

 燃料を抜き、エンジンと砲身を破壊したティーガーやパンターで対戦車鹿砦を作り、敵の足が止まったところを砲撃する算段だった。

 これは、『バルクマンの曲がり角』の再現。

 それに、エンジンルームが大きすぎて、機体前方に砲塔や操縦席が集まっているポルシェ・ティーガー向きの地形でもある。

 曲がり角から、機体をちょっと出すだけで砲撃が可能だからだ。

 デリケートな機体であるポルシェ・ティーガーは、後部側面とエンジンルームが弱点だが、傾斜と地形でカバーできるのである。そして、全面装甲だけ見れば、ティーガー戦車より硬い。

 我々はそのポルシェ・ティーガーと平行に並ぶようにして、援護を行う。

 徒歩で逃げる友軍のため、時間を稼ぎたい。なるべく長く。

 降伏などない。

 俺たちが止まる時は、俺たちが死ぬときだけだ。

 米軍は「降伏をゆるさず」という恥ずべき指令を出した。

 もはや、これは戦争ではない。殺し合いだ。

 俺は、戦争と殺しを区別していたつもりだったが、もはや境界線が曖昧になってしまっていた。

 軍隊という俺の『居場所』すら、何か曇りガラスの向こう側にある様な気がしてならない。

「B陣地、接敵っす」

 B陣地に作った、戦車の残骸のバリゲードにシャーマンが到達したらしい。

「よし、いいぞ。ホルスト君、始めたまえ」

 街道を遮るように並んだ戦車が、実はエンジンも砲身も破壊された残骸に過ぎないことは、我々しか知らないことで、傍目には『豚飯の角度』に機体を傾け、砲塔を街道上に向けて密集隊形を採るティーガーの一団に見える。

 その砲身には、火薬の量を半分に減らした爆薬が仕掛けられていて、それが爆発すると発砲したように見えるようになっていた。

 これを、順番に爆発する仕掛けを、ポルシェ・ティーガーの無線手であるホルスト・レーダーマン上等兵が作動させたのであった。彼はもともと右派過激組織の活動家で、こうした手製爆弾の作成は得意らしい。

 ちょび髭伍長を称えるレーダーマン上等兵の声が無線機から聞こえ、爆発音が響く。

「あはは…… 腰抜けの糞ヤンクスども、B陣地に必死の砲撃戦を挑んでますぜ!」

 観測所から、この様子を観察していた山猫から通信が入る。

「そろそろ、こっちも来るな。諸君、健闘を祈る」

 笑みを含んだ、サボゥ・シェーンバッハ中尉の声。

 ガルルルン…… と、それに応える様に、Ⅳ号戦車のエンジンが咳き込んだ。

 雪が激しくなってきた。

 間抜けなB陣地方面のシャーマンの砲撃音が、まるで遠雷の様に聞こえる。

 バイクが走ってくる音。

 B陣地の仕掛けを作動させたレーダーマン上等兵が帰ってきたらしい。

 彼は奇声を張り上げ、上機嫌だった。

 山猫からも、Ⅳ号からも、彼を称える無線のクリック音を響く。

「ありがとう、諸君、ありがとう」

 万雷の拍手に応える役者を真似て、レーダーマン上等兵が無線に向って喋る。

「おふざけは、そこまでだ。来たぞ」

 キューポラから身を乗り出して、双眼鏡を覗いていたシェーンバッハ中尉が言う。

「状況を開始する。砲門開け!」


 先頭を走ってきたのは、三角陣形を組んだシャーマン三両だった。

 比較的硬い全面装甲を向けてソロソロと接近してきたにもかかわらず、爆破・放棄された戦車の残骸でどうしても横向きにならなければならない瞬間があって、我々はそこに狙いを定めていた。

 Ⅳ号戦車には、車長がいない。

 そういったタイミングは、俺が指示するしかなさそうだ。

 照準器を通じてではあるが、一番外を見る事が出来るのは、俺だから。

「ちょい、前出せ」

 喉に巻いたタコマイクに触れながら、操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵に指示を出す。

 曲がり角から、機体の前三分の一を出して、砲を構えているポルシェ・ティーガーを盾にするように、位置取りをしていた。

 雪が降る。

 紗幕の様に靄が流れた。

 黒くずんぐりしたシャーマンの影が浮かぶ。

 後進にギアを入れて、リヒテンシュトーガ上等兵がアクセルペダルに足をかけている。

 発砲したら、装填が終わるまで、曲がり角にひっこむ。

 装填が終ったら砲だけをちょっと覗かせて、撃つ。

 この繰り返しだ。

 敵は航空支援がない。

 戦車対戦車だけのまともな殴り合いで、地の利があれば、『バルクマンの曲がり角』の例を見るまでもなく、俺たちが撃ち負けることはない。

 照準器を覗く。

 なんでこの、糞みたいな戦場に残ってしまったのか? そんな雑念が、雪の中に白く溶けてゆく。

 米軍の民間人を狙った卑劣な戦術への憤怒も、こんな泥沼な戦闘に仕立てたシェーンバッハ中尉への疑念も、みな。

 これが、本来の俺だ。俺だったはずだ。

 戦車砲を動かす歯車の一つ。歯車は、懺悔しない。思い悩まない。

 それでいいはず……だった。


 戦車の残骸にぶち当たる金属音。

 ガリガリと機体側面を擦るようにして、シャーマンが頭を出す。

 敵の恐怖の息遣いが感じ取れる。


―― あれは、誘い。


 ほら、すぐ引っ込んだ。

 俺は撃たない。ポルシェ・ティーガーの砲手ザンク・ブルムガーテン軍曹も撃たない。

 露国の狙撃兵によって照準器をぶち抜かれ、そのガラスの破片を顔面に受けて、見るも無残な顔になったブルムガーテン軍曹だが、奇跡的に眼は無事で、経験豊かな腕っこきの砲手である。

彼もまた、こんな見えすいた誘いには乗りはしない。

 俺たちは沈黙を守る。

 戦場では、沈黙こそが恐ろしい。

 経験不足の米軍は、きっと痺れをきらすはず。

 それを待つ。

 ひときわ高いエンジン音。

 米軍のエンジンはパワーがあるが、楽団なみにうるさい。


 ―― 来る!


 引鉄に指をかけた。

 シャーマン三両が飛び出して来た。

 ポルシェ・ティーガーの88ミリ砲とⅣ号の75ミリ砲の発砲は同時だった。

 距離は、二百メートルちょっと。

 戦車戦では至近距離に類する。

 88ミリ砲の重い砲声。

 75ミリ砲の鋭い砲声。

 甲高い、金属が弾ける時の音。

 発砲の衝撃で揺れる照準器の映像の中で、先頭で飛び出して来たシャーマンの横腹に二つ火花が散ったのが見えた。

 直撃だ。

 88ミリ砲弾は側面中央をぶち抜いており、75ミリ砲はエンジンルームがある機体後方を直射している。

 ガクンとつんのめる様に、先頭のシャーマンが止まった。

 そのシャーマンに追突して、後続の一両が停車した。

 最後尾の残り一両は、擱座、停車した僚機を辛うじて躱して、前に出る。

 救助の動きなどなかった。

 独軍戦車に側面を晒すということが、どんな事か、練度の低い糞ヤンクスでも理解しているということだろう。

「まだ、動くな!」

 指示を飛ばして、砲塔旋回ハンドルを回す。

 砲塔旋回速度は、Ⅳ号の方が軽い分速い。

 だから、ポルシェ・ティーガーは「停車した方を狙う」と、俺は踏んだ。

 こっちの獲物は、障害物を盾にしようと全力で突っ走る一両。

 砲塔を回しながら、狙いを定める。

 俺は、この作業を荒れるバレンツ海でやっていた。

 機体が停止している分、狙いは楽だ。ずっと楽だ。

 相手の移動速度、進行方向を加味しつつ、頭の中で弾道を計算する。

 相手の恐怖が分かる。伝わる。

 早く動けば撃たれないと、盲信しているのだろう。

 ランダムに速度を変えジグザグに動いた方が、生存率は高まるのだが、頭に血が昇るとそれを忘れてしまう。

 これが、経験の差というやつか。

 偏差射撃をする。

 直線的で読みやすい相手だった。

 ドンピシャで側面を撃ち抜く。

 弾薬庫をぶち抜いたか、内部から爆ぜる様にシャーマンが揺れた。

 砲塔が斜めにズレ落ちて、まるで俯いている様に見える。

「よし、下がれ、下がれ!」

 雪を蹴立ててⅣ号戦車が後進する。

 見れば、ポルシェ・ティーガーも下がるところだった。

 二度の発砲で加熱した砲身が、キンキンと音を立て湯気を上げていた。

 砲身にびっしりとついていた霜が溶けたのだろう。

 ドドンと地響きがする。

 A陣地とB陣地の間の地雷原に、軽戦車が侵入したのだろう。

 瞬発信管に調整された榴弾が逆さに植えられており、戦車のような重量のあるものがそれを踏むと爆発する仕掛けだった。

 これで、地雷を警戒して足が鈍るはずだ。

 目覚まし時計を使った簡易タイマーで、小銃弾が炭火の中に落ちる簡単な仕掛けが作ってあり、パン、パンと小銃の発砲音がする様になっている。

 工兵による地雷除去作業を遅延させるためだ。

 仕掛けの種明かしがされるまで、遮蔽物に隠れながらの地雷発見・除去作業になるはずで、時間稼ぎならそれで充分だった。

 間抜けな米軍が、無人のB陣地と交戦している。

 こんな子供騙しが通用するのは、根強い『独軍戦車恐怖症』があるから。

 彼等は、決死の戦いを続けてきた独軍の戦死者たちの亡霊と戦っているようなものだ。


「第二波、来ますぜ」

 観測所の山猫から通信が入る。

 探りを入れに来た三両があっという間に撃破され、指揮官は少し慎重になったようだ。

 B陣地や林道も、交戦していると思い込んでおり、想定より多くの部隊が殿軍を務めていると思ったことだろう。

 こうした場合、米軍のドクトリンは「更に大量の部隊を注ぎ込む」だ。

 『手強い』と、判断された我々のA陣地は雨のような支援砲撃に晒され、爆発音で耳が馬鹿になりそうだった。

 いくつも至近弾があり、飛び散った榴弾の鉄片がⅣ号の装甲に当たって、カカカカンと連打音を響かせる。

「生きてますかい? 敵接近中。随伴歩兵付き。森を通って、戦車に取りつく気ですぜ。シャーマンは前衛九両。後詰三両。部隊の半分をつぎ込んできましたぜ」

 山猫からの報告。

 そろそろ、彼らの伏せているポイントも、撤退を考えると危うくなってきた。

「Ⅳ号は、ポルシェのケツを守れ。機銃と榴弾で森林内を縦射。歩兵を寄せるな。シャーマンは、こっちに任せろ」

 シェーンバッハ中尉の指示が飛ぶ。

 Ⅳ号は後進して旋回。ポルシェ・ティーガーと背中わせの様な体勢になった。

「ロクス、グロスフス機関銃をキューポラに設置して、そのまま機銃手を務めてくれ」

 車長代行の俺が指示を出した。

 ロクス・メリエ伍長は通信士席から飛び降りて、機関銃を倉庫から取り出し、キューポラの銃架に設置する。

 下から、二百発入りのドラムマガジンを装填手のテッケンクラート二等兵が持ち上げる。

 キューポラの内側のフックに、予備のマガジンが吊られた。

 メリエ伍長は、ハッチを回して防盾代わりにする。

 銃の据わりを確かめて、あちこちに銃口を向けていた。

「とにかく、バラ撒け。露助とちがってヤンクスは無理押しして来ない」

 露軍は兵士の人命軽視が極端で、基本的に「使い捨て」だ。

なんでも畑から次々と人が湧いて出るから、いくらでも使えるという笑えないジョークもある。

 コルホーズとソフホーズの『人間畑』は呪われろ。


 背後をポルシェ・ティーガーに任せ、側面を傾斜で守りながら、砲塔だけを出して靄の流れる森を透かし見る。

 俺は頭の中に地図を展開していた。

 この森を視察し、調査したのは俺たちだ。

 これほど視界が悪くても、大まかな地形は分かる。

「弾種榴弾、瞬発信管」

 何十……いや、何百という歩兵が、木々に隠れながら、ここを目指しているはず。

 長年戦場で暮らしていると、伏兵の気配は分かる。

 敵意や闘志が帯電して空気をピリつかせるのを感じるのだ。

 ぶるっと、機関銃を構えるロクス・メリエ伍長の足が震えた。

 この白い靄の先に、敵は居る。

 仰角を下向きに調整する。

 俺の予測だと、思ったより接近しているはずだ。

「俺の発砲と同時に斉射を開始しろ。狙う必要はない。頭も出すな。狙撃兵がいる感じがする」

 そう、機関銃を握るメリエ伍長に指示を出す。

 彼は、首を左右に振って首筋の凝りをほぐし、親指を立てて俺に応えた。

 照準器を覗く。

 敵の姿は見えない。

 だが、奴らはそこにいる。

 引鉄に指をかけた。

 ポルシェ・ティーガーのエンジンが唸るのが聞こえる。

 先頭のシャーマンを擱座させるつもりだろう。

 戦車の残骸で、道は狭くしてある。

 一両でも擱座すれば、後続は止まる。

 あとは、順繰りに一両づつ相手すればいい。

 まさに『バルクマンの曲がり角』の再現だった。

 俺の相手は、森に隠れる歩兵ども。

 俺は引鉄を引いた。



 白い靄の奥に、砲弾が飛びこむ。そして、赤い閃光と爆発。

 バキバキと木が倒れる音が聞こえる。

 ポルシェ・ティーガーも砲撃を開始したようだった。

 地の利があるとはいえ、これだけの兵力相手に、たった二両の戦車で挑むというのだから、良く考えたら狂気の沙汰だ。

 手だけを出して、グロスフス機関銃をメリエ伍長が斉射する。

 俺は、同軸機銃のペダルを踏んでいた。

 靄を突き破って、赤い曳光弾が飛ぶ。

 歩兵が伏せていそうな斜面、ちょっとした谷間、そういった場所を撃つ。

 電ノコの様な、グロスフス機関銃の発射音。

 空薬莢が、ガラガラと砲塔を滑り落ちてゆく。

「装填完了!」

 装填手のテッケンクラート二等兵の声と同時に、引鉄を引く。

 榴弾は爆発し、死の鉄片をバラ撒く。

 チカチカとマズルフラッシュが瞬く。

 米軍の軽機関銃のタイプライターの様な音。

 M1ガーランドライフルのおなじみの発砲音。

 多い。まるで、赤い雲霞の群れの様だった。

 メリエ伍長が、奇声を上げて防盾代わりに立てたハッチの後ろに身を隠す。

 大勢の小人が砲塔に取りついて、ハンマーを乱打しているかの様なガンガンという音。

 分厚い鋼に銃弾がぶち当たって、火花を散らして跳弾する。

「装填完了!」

 この寒いのに、汗だくになった装填手のテッケンクラート二等兵が、騒音に負けじと声を張り上げる。

 マズルフラッシュを頼りに榴弾を叩きこむ。

 撃ちっぱなしの同軸機銃から、ガラガラと薬莢が落ちて、床のキャンバスケースに転がり落ちてゆく。

 銃身が焼けて、塗りこめたグリースが溶ける匂いがした。

「死ね! ちくしょうめら! 死ね!」

 物静かなはずのメリエ伍長が、口から泡を飛ばしながら、大声で喚き、機関銃を撃っている。

 ガンガンと着弾音。

 ライフル弾が、機関銃弾が、砲塔を叩き続ける。乱打する。

「同軸機銃、弾切れだ! 弾帯持ってこい!」

 俺は榴弾を装填し終えたテッケンクラート二等兵に怒鳴る。

 砲塔内の騒音は、まるで気違い沙汰だ。

 硝煙で汚れた顔を、汗と涙で斑にしながら、カクカクとテッケンクラート二等兵が頷く。

 恐らく、コイツの頭の中は真っ白だろう。

 だが、しごかれた分、体が自動的に動いている状態だ。

 反復の訓練を馬鹿にする若造がいるが、こうした時に差が出るものだ。

 テッケンクラート二等兵は、良くやっている。

「機銃、弾帯嵌めました!」

 そのテッケンクラート二等兵の肩を、車長席に立つメリエ伍長が蹴る。

「ドラムマガジン、お代わりだ。お代わり持ってこい!」

 ひーひーと悲鳴を上げながら、テッケンクラート二等兵が倉庫をひっかき回す。

 ガチンという鋭い着弾音と同時に、Ⅳ号戦車が揺れた。

 くそ! 携行対戦車ロケットだ。 米軍版『パンツァーファウスト』。

 バズーカ砲と呼ばれる、対戦車兵器。ロケット推進で飛来する砲弾に硬芯が仕込まれている。当たり所が悪いと、装甲を抜かれる事もある。今回は、弾いた。

 だが、至近距離から側面装甲や履帯を狙われたら、ヤバかった。硬い砲塔の前面装甲だから弾くことが出来た。

 また、バズーカ砲の一撃。

 火花を散らして、跳弾する。いいぞ、俺たちは運がいい。

 この射撃で、敵のバズーカ発射地点が知れた。

 砲塔を回す。

 走って逃げる米兵の姿が見えたような気がした。

 引鉄を引く。

 榴弾が飛んだ。

 爆発し、火花が散る。

 ダッダッダと、重機関砲の音がした。多分M2機関砲、通称『ミートチョッパー』だ。

 兵員輸送の装甲車が、この靄の奥のどこかに隠れている。

 大口径機関砲の弾が、ガチンガチンと砲塔に着弾する。

 Ⅳ号の機体が振動して、錆び止めのペンキと結露した水滴が俺たちの背に降る。

チラッと見えた機関砲のマズルフラッシュ。 

 それを頼りに、榴弾を叩きこむ。

 立て続けの砲撃に、砲身がキンキンと焼けた。

 雪はますます激しく降り、殆ど視界を得られないまま、殴り合いを続ける。

 そして、突然潮が引くように、散開していた歩兵が退いて行った。

 油断なく、照準器で観察する。

 狙撃兵が残っている気配もない。

 いったいどれだけの歩兵が押し寄せたのかしらないが、とにかくポイントを守り切った。

 だが、もう一度やれと言われても、やりきる自信は無い。

 ダックインしていた傾斜から、Ⅳ号戦車を引き抜く。

 砲塔は傷だらけだった。

 砲身は未だに焼けていて、雪が触れる度に水蒸気が上がっている。

 ポルシェ・ティーガーも傷だらけだった。

 前面装甲に、斜めに幾つも砲弾が擦過した痕跡があり、豚飯の角度でシャーマンの戦車砲を弾きながら、砲撃戦を繰り広げていたことが分かった。

「よくやった、Ⅳ号の諸君。これで、一時間以上時間は稼いだぞ」

 たった一時間。

 されど、貴重な一時間だった。

 観測所の山猫から通信が入ったのは、その時だった。


「やばい! やばい! やばい! B陣地の偽装がバレましたぜ。奴ら、戦車牽引車使って、バリゲードを解体してまさ。B方面の部隊がなだれ込んできますぜ」


 ふふ……と、シェーンバッハ中尉が浅く笑う。

「やっと気が付いたか、腰抜けヤンクス。では、A陣地を放棄。Z陣地まで引くぞ。Ⅳ号は、我に続け」

 Z陣地は斜面の上にある。

 すり鉢状の丘で、ここで斜面を使った最終防衛ラインを敷く。

 といっても、たった二両の戦車であるが……。

 シェーンバッハ中尉が行おうとしているのは、いわゆる『反斜面陣地』という戦法。

 敵の攻撃が集中しやすい場所に、観測を主体とする部隊を置き、それを潰そうと押し寄せてくる敵を、後方に下がった主力が叩くという古典的な戦法だ。

 この場合は、Ⅳ号が餌。ポルシェ・ティーガーが主力ということになるか。

 Z陣地を正面突破しようとする場合、斜面を乗り越える際に無防備な底面を晒す上に、砲身の仰角から敵をロストするという危険があり、防御側が圧倒的に有利とされている。

 外部から山猫が観測してくれている状況では、かなり当方に有利だ。

 ただし、この丘に退路はない。

 まさにドン詰まりの場所だ。

 開けた場所は正面のみ。

 左右は深い森で、戦車は通れない。

 問題は、歩兵がその両側面から押し寄せた場合だが、機関銃でなんとかするしかない。

 崖と深い藪、それに積雪がある現時点では、この攻略ルートは時間がかかるはずで、敵の遅延という目的は達成できる。

 我々を無視して通過する場面も考えられるが、その時は斜面上から砲弾が届く限り狙撃するまでだ。

 危険なほど機体を傾け、Z陣地の斜面を乗り越える。

 ポルシェ・ティーガーはこの陣地の一番奥へ。

 Ⅳ号は、斜面を乗り越えてすぐの地点で待機する。

 A陣地を攻略した部隊は、我々に叩かれすぎて、なかなか前に出てこない。

 がっちりと街道上を固めて、B陣地の部隊が背後をとるのを待つ算段だろう。

 作業車を使って、バリゲードと化した戦車の残骸が片づけたシャーマンの部隊は、A陣地へと向かった。

 我々がそこに残っていたなら前後から挟撃出来たのだろうが、今はもぬけの殻だ。

 B陣地攻略部隊の通信を受けたか、やっとA陣地攻略部隊が駒を進めてくる。

 主力のシャーマン戦車を十両も破壊され、部隊の三割を失逸したA陣地攻略部隊は、B陣地攻略部隊に合流することにしたらしい。

 そんな様子が、山猫から我々にもたらされる。

「ご苦労だった。諸君らは、この戦場を離れたまえ。最後の一戦に、ルクスでは火力不足だよ。そして、もはや偵察もいらん」

 それが、報告を受けたシェーンバッハ中尉の言葉だった。

 山猫は、燃料が続く限りまだ兵力を温存しているケルン方面に逃亡し、燃料が切れたらスキーで逃亡する段取りになっていた。

「そうすね、ここもそろそろ危ない。ほいじゃ、俺らは逃げます。またいつか、会いましょうぜ」

 それが、俺が聞いた山猫の頭領アウグスト・グッテンマイヤー伍長の最後の声だった。

 ブツンと無線が途絶える。

 敵に利用されない様に、無線機を破壊したのだ。

 折り敷いた古代の槍兵の様に、斜面の頂上のやや後方にⅣ号戦車が蹲る。

 ここが『ドン詰まり』だ。

 もう退く場所がない。

 多少撃ち減らしたが、五十両以上の敵戦車が、続々とA陣地とB陣地、そしてその間の林道を抜けてラ・グレース村に入って来る。

「さて、『雄叫び』でも上げようか」

 俺がそう言うと、操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵が、クラッチを繋げた。

 ガクンとⅣ号戦車が前に進む。

 斜面の縁を越えて、機体を晒す。

 一列縦隊を組んで、パイパー戦闘団追撃の構えをとっていた米軍が慌てるのが見える。

 仰角を最大まで下げたが、残念ながら照準に敵戦車を捕えることは出来なかった。

 だがいい。ここに我々が居ると知らせるのが目的なのだから。

 砲弾を撃つ。

 これは砲声ではない。


「俺はここにいるぞ、来い! 腰抜けども!」


 ……というⅣ号戦車の雄叫びだ。

 一斉に、シャーマン戦車の砲塔が廻る。

 左右の履帯を前後逆に動かすことによって、急旋回する『超信地旋回』をしている。

 蜂の巣にされる前に、跳び下がる様に後進した。

 斜面にシャーマン戦車の76ミリ砲弾が突き刺さり、雪の空にいくつもの砲弾が走る。

 『反斜面陣地』の利点は、僅かな動きで敵の射線から完全に逃げられる事。

 そのまま横に向きを変えて突っ走る。

 また、違う場所に顔を出して、自走砲による間接射撃の狙いを分散させるため。

 傾斜の反対側を走りながら、チラリと砲塔を見せる。

 車長席に居座った無線手のメリエ伍長がゲラゲラ笑いながら、卑猥なハンドサインを突き上げていた。

 地面が爆ぜる。

 自走砲による、虱潰しの砲撃。

 我々に出来るのは、足を止めないことだけ。

 鉄片が、地面の石礫が跳ね飛んで、Ⅳ号戦車の装甲を乱打する。

 砲塔のキューポラから、目から上だけを出して、外を監視していたメリエ伍長が、叫ぶ。

「シャーマンが、昇ってきましたぜ!」

 旋回ハンドルを回す。

「動き続けろ!」

 そう怒鳴りつつ、照準器を覗く。

 突入のタイミングはわかる。

 自走砲の砲撃が止まった瞬間だ。

 『畑で兵士は大量生産できる』露軍と異なり、米軍は味方戦車ごと地面を掘り返す真似はしない。

 兵士育成のコストを考えると、人海戦術は赤字とソロバンを弾いているのだ。

 鉄砲すら持ったことない者にロクな装備も渡さず、見せしめに背中から味方を撃って前に進ませる露軍とは思考がまるで違う。

 坂を上がる苦しげなエンジンの音。

 丘陵の頂上は、砲弾で穴だらけになり、そこをバウンドしながらⅣ号戦車が走る。

 砲撃が止む。

 むせ返るような硝煙。

 真っ白な雪が掘り返されて、斑になっていた。


 ―― 来る!


 殺気が帯電してビリビリと肌に触れてくる。

 円を描くように走った。

 それに砲塔を斜面側に向ける様に、旋回ハンドルを回し続ける。

 照準器の中で画像が躍る。

 だが、横揺ローリング縦揺ピッチングを繰り返していたペンギンよりマシだ。

 それに相手は聳えるように大きな艦艇ではない。

 斜面を乗り越えようと、シャーマン戦車が無防備な腹を晒している。

 散開して一斉に乗り越えることで、少数を犠牲にして踏み込む作戦だろう。

 敵を待ち構えていた、丘陵の一番奥に隠蔽されていたポルシェ・ティーガーが火蓋を切る。

 狙い澄ました88ミリ砲弾は、左翼から乗り込んできたシャーマンをあっさりと貫通し、その機体は激突の衝撃にバランスを失って、斜面を転げ落ちてゆく。

 俺たちは、斜面の縁に沿って走っていた。

 狙うは行進間射撃。

 これだけ近いと、機体が揺れていても、外さない。

 引鉄を引く。

 薄い側面装甲を抜かれて、シャーマン戦車がガクンと擱座した。

 それを躱すようにして走る。

 後方で、またポルシェ・ティーガーの発砲音。続いて鋼が打ちあう甲高い音が聞こえた。

 斜面の縁からポルシェ・ティーガーが伏撃している場所まで、およそ百メートル。

 初速が速く高火力の88ミリ砲なら、シャーマン戦車の硬い正面装甲でもぶち抜く。

 次々とシャーマン戦車の斜面上に現れていた。

 次弾装填が間に合わない。

「ぶちかませ!」

 操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵に怒鳴る。

 今まさに斜面の縁を乗り越えようとしていたシャーマンの側面に、体当たりをかます。

 Ⅳ号戦車の履帯カバーが拉げ、シャーマン戦車の履帯が火花を散らして弾け飛んだ。

 ガラガラと履帯が滑り落ちる音が聞こえた。

 擱座したそのシャーマン戦車を通り抜け様、砲身を押し付ける程のゼロ距離で、75ミリ砲を撃つ。

 下腹を貫通したその砲弾は、上面装甲までぶち抜いて、上空に走ってゆく。

 撃たれた戦車の中は……想像したくない。

 ガンガンと立て続けにⅣ号戦車に砲弾が当たった。

 キューポラに叩き付けられて、メリエ伍長が悪態をついていた。

 鉄兜をかぶっていなければ、バックリと頭の鉢が割れていただろう。

 擱座したシャーマンを避けようと斜めになったことで、偶然『豚飯の角度』になったのか、この至近距離にもかかわらず、シャーマン戦車の76ミリ砲を弾くことが出来た。

「こなくそ!」

 雪を蹴立てて、Ⅳ号が急旋回をする。

「装填完了!」

 さっきの衝撃でどこかにぶつけたのか、額から血をにじませたテッケンクラート二等兵が、叫ぶ。

 我々の動きに合わせて砲塔を旋回させているシャーマン戦車を照準器に捉える。

 彼我の砲撃は同時だった。

 違いは、シャーマン戦車側は砲手が撃ちやすいように足を止めていたこと。当方は、半円を描くように動き続けていたことだ。

 シャーマン戦車の砲弾は、空気を切り裂いて、我々を擦過していった。

 我々の75ミリ砲弾は砲塔のやや下をぶち抜いている。

 斜面の縁を乗り越えたばかりで前につんのめった形だったので、避弾経始ひだんけいしが役に立たなかったということもある。

 もう一両の砲身が、ピタリと我々に向いていた。


 ―― 撃たれる!


 そう思った瞬間、そのシャーマン戦車が内側から爆ぜる。

 ポルシェ・ティーガーの88ミリ砲が、正面装甲を抜き、砲弾庫を誘爆させたのだ。

「さすが、88(アハト・アハト)だぜ!」

 安堵のため息をつきながら、操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵が呟く。

 一瞬の接敵で六両のシャーマン戦車が撃破された。

 だが、米軍は引かなかった。

 こっちが少勢だとバレてしまったようだ。

 数をたのみに擂り潰しにくるのは、想定の範囲内。

 そのために、この地形を選んでいる。

「止まるな! 走れ! 走れ!」

 敵の練度は低い。

 連合軍はノルマンディの上陸作戦で損耗したベテラン勢は再編中で、今は後続の補充部隊が中心だ。

 だから、戦車兵は教科書通りに砲撃の際は足を止める。

 米軍の戦車は、もともと『歩兵支援』がコンセプトで、戦車同士の殴り合いを想定していない。なので、『重戦車』という概念がないのである。

 追加装甲と、砲を強化したシャーマン……通称『シャーマンジャンボ』……が配備されつつあるが、しょせん応急品だ。

 Ⅳ号戦車もシャーマンと似たような状況だが、潜り抜けてきた実戦の数が違うし、砲も優秀。

 まともな殴り合いなら、負けない。

 だが、数が違い過ぎる。

 ジグザクに走って、狙いを定めさせない。

 そして、こっちは『行進間射撃』で反撃する。

 米軍は

「足を止めたら、88ミリ砲弾に狙われる。動いていたら、砲弾を当てられない」

 という状況に陥っていた。


 下手な鉄砲でも数を撃てばいつかは当たる。

 それもまた真理だ。

 仕留めても、後から、後から、シャーマン戦車は乗り込んできて、地雷原をやっと抜けてきた新型軽戦車チャフィまでが攻撃に加わり、俺たちはジリ貧になってきた。

 M4シャーマンは、味方の残骸を盾に。スチュアートや新型軽戦車は自慢の快速を武器に動き回り、前線は膠着する。

 ポルシェ・ティーガーの伏せている地点もバレ、敵の自走砲の弾雨に追い立てられるようにして、前線に引きずり出される。

 敵と近接することによって、自走砲を避けるしかなくなってしまったのだ。

 そうなると、重戦車の鈍足がネックになる。

 様々な方向から、76ミリ砲弾を受け、装甲で辛うじて弾くという苦しい戦いが続く。

 止まれば、あっという間に蜂の巣にされる我々Ⅳ号は、動き続けるしかない。

 足回りに勝る新型軽戦車チャフィに翻弄されているが、相手の砲撃の未熟さゆえに、互いに決め手を欠きつつ神経だけがゴリゴリと削られてゆく。

 故障もせずに頑張ってくれていたポルシェ・ティーガーのエンジンが、ついに黒煙を吹いた。

 今まで故障が無かったのが、奇跡だったのだ。

 ガクンとポルシェ・ティーガーが停止する。

 この特殊な機体は、ガソリンエンジンを二基積載し、それで発電機を動かし、モーターエンジンで駆動する仕組みだ。合計十両作られている。

 なぜ、こんな複雑な機構にしたのか判然としないが、おかげで新型重戦車としては採用されなかったという経緯がある。

 ならず者小隊のフラッグ機ポルシェ・ティーガー11号機は、修理用の予備のパーツを集めてでっちあげた、幻の十一両目の試作戦車。

 それゆえ、代用パーツも多く使っているので、故障は宿命のようなものだったが、肝心な今になって発生してしまった。

 砲塔旋回のため、バッテリーは節約しなければならない。だから、足を止める。

 ポルシェ・ティーガーは擱座したM4シャーマンで左側面守り右側に砲塔を回した。

 その擱座したシャーマンの反対側に、我々のⅣ号戦車が張り付いた。

 互いの側面を守る構えだが、この兵力差では長くは持つまい。

 群狼に追い詰められた野牛の群れが円陣を組んで角を突き出して防備する事があるが、それが今の俺たちの立場だ。

「俺は、ずっと死にたかった。だから、悔いは無い。クラッセン軍曹には、突き合わせてしまって、申し訳ない気分ですよ」

 キューポラから、滑り落ちる様にして砲塔内に戻りながら、通信士のロクス・メリエ伍長が言う。

 顔面が蒼白だった。

 第一SS機甲師団の制服は黒。

 だから、目立たなかったのだが、彼の腹部はぐっしょりと血に濡れていた。

「破片をくらっちまった。もう助からん。治療なんざ、いらない。タバコを一本頂けますかね」

 救急箱を持ってこようとした装填手のテッケンクラート二等兵を制してメリエ伍長が言う。

 俺は、ポケットからラッキーストライクを取り出し、メリエ伍長に差し出した。

 だが、目の前のそれを、彼は認識できないらしい。

 俺は、オイルライターでタバコを吸い付け、メリエ伍長の口にそれを差し込んでやる。

 タバコの先が、赤く光る。

 そして、メリエ伍長がムラムラと口から煙を吐いた。

「くそ不味ぃな」

 ふっふと小さく笑った。

 その口から、ポトリとタバコが落ちる。

 血だまりに触れ、ジジジ……とタバコが消えた。

「泣くな!」

 俺は怒鳴って、装填手のテッケンクラート二等兵に気合いを入れる。

「砲身が焼けるまで、弾が尽きるまで、抗ってやる」


 俺たちの足が止まったのを見て、シャーマンと新型チャフィが遠巻きに俺たちを包囲する。

 再び、シュルシュルと空気を裂いて、自走砲の榴弾が着弾し始めた。

 米軍は無理押ししない。

 安全な場所から、砲弾を送り込んでくる。

 水平射撃を受けるところは、装甲の厚いポルシェ・ティーガーが受け持ってくれていた。

 傾斜装甲が、砲弾を弾く音。

 次々と地面に突き刺さる榴弾の爆発。

 撒き散らされた鉄片が、装甲を乱打する。

 チカチカと小さな火点。

 ついに歩兵も崖を昇り切ったらしい。

 底面の脱出用ハッチを開けて、操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵が地面に腹ばいになる。

 手にはMP40短機関銃。

 もう操縦手の出番はなしとみて、対歩兵用に戦車を掩蔽壕に見立てて、応戦するつもりらしい。

 歩兵が散兵線を敷いて、銃弾を撃ちこんでくる。

 小銃弾、戦車砲、そして自走砲の榴弾の爆発。

 重いⅣ号戦車の機体が、グラグラと揺れた。

 砲弾を込め、撃つ。

 同軸機銃のペダルは踏みっぱなしだ。

 ガチン、ガチンと、砲塔の防盾に着弾。シャーマンの狙いも正確になって来た。

 ジワジワと歩兵たちが距離を詰めてくる。

 既に、同軸機銃の弾は撃ち尽くした。

 軽快な連射音は、機体の下に潜り込んだリヒテンシュトーガ上等兵のMP40の音だ。

 88ミリ砲の轟音。

 75ミリ砲の鋭い砲声。

 排気弁が故障したのか、硝煙で砲塔内は煙る。

 雪が降っていた。

 M4シャーマンの数多の残骸に、白く雪が被さる。

 十数台の敵戦車を撃破した。

 だが、それが何だ?

 滅びゆく独国のため、なにが出来るというのか?

 もう、うんざりだ。

 こんなクソみたいな戦争は、早く終わればいい。

「弾切れです。撃ち尽くしました」

 滝の様に汗をかいた、装填手のテッケンクラート二等兵が、ほっとした様な声で言う。

 彼もまた、やっとクソみたいな戦争が終わると思っているのだろう。

 この戦場で、捕虜はない。

 生か死か、二択なのだ。

 88ミリ砲も沈黙していた。

 ポルシェ・ティーガーも、弾切れだろう。

 俺は、ホルスターからワルサーP38を抜いた。

 『死にたがりのシュトライバー大尉』から譲り受けた拳銃だ。

 スライドを引いて、初弾を薬室に送り込む。

 最後に、照準器を覗いた。

 ライフルを構え、米兵が接近してくるところだった。

 床面のハッチを見る。

 ピクリとも動かないリヒテンシュトーガ上等兵の背中が見えた。

 確かめなくても分る。彼は死んでいた。

 これでもう彼は、失明の恐怖におびえる事も無い。

「前を向こう。べそべそ泣きながら死ぬなんざ、独軍軍人じゃねぇ」

 車長席のキューポラのハッチを開ける。

 そこから見える空が割れて、青の色彩が広がったような気がした。

 今は無き『河魔通り』で見た、青い空。


「遠い、空が遠いよ」


 そっと呟く。

 俺は拳銃の安全装置を外して、外に飛び出た。



======



 森が近づいてきた。

 かつて、激戦が繰り広げられたアルデンヌの森だ。

 ケルンにある大聖堂は、米軍の戦略爆撃を奇蹟的に生き残り、今では観光名所になっている。

 宿泊していたケルンを早朝に出発する。

 目指すのは、ラ・グレース村だ。

 かつては国境で検問があったのだが、EUという仕組みのおかげで、加盟国内部は自由に移動することが出来る。

 大戦中、一キロメートル前進するのに、血を吐くような努力をしたことが信じられない思いだ。

 車窓から流れる景色を眺める。

 かつて、Ⅱ号戦車L型、通称『山猫ルクス』に乗って、ここを走ったはずなのだが、その面影はない。

 そもそも、鉄道が敷設されていなかったのだ。

 徒歩で逃げたパイパー戦闘団の生き残りは、凍った川を泳いで渡ったりして、命からがらケルンまで逃げ戻った。

 生き残った戦車は、俺が乗っていた山猫だけという有様だった。

 そして、間もなく敗戦。

 パイパー中佐は、『ラインの守り』作戦中、マルメディにおいて米軍捕虜を虐殺したとして、死刑を求刑されて裁判にかけられた。

 だが、その証拠はなく、米軍の言いがかりであるとして、結審。

「捕虜の投降を許さず」という命令が下された不名誉だけがピックアップされる結果となった。ただし、戦勝国なので、この件で誰かが裁かれることはなかった。

 糞ヤンクスめ、くたばれ。


 服役後、パイパー中佐は釈放され、名前を変えて仏国内にて隠遁生活を送っていたらしい。

 独軍稀代の英雄もこうなってしまえば惨めなモノだが、最後はもっと惨めだ。

 頭のおかしい左翼かぶれの若造に、刺されて死んだという。

「こいつは、ナチだから、殺されてもいいんだ」

 その犯人はうそぶいたそうだが、当時の仏国人は拍手喝采だったらしい。

 カエル喰いの糞野郎ども、くたばれ。


 街道の交差点、ラ・グレース村に到着した。

 風力発電の風車などが、Z陣地が敷かれた斜面で回転していた。

 俺はこの村の『戦争記念館』に来たのだ。

 中庭に、ポルシェ・ティーガー11号車が、錆びに朽ち果てながら展示されており、それに会いに来たのだ。

 村の片隅にぽつんとある記念館は、小さな民家ほどの大きさで、内部には気合いの入ったジオラマなどが展示されているらしい。

 まぁ、興味はないが。

 中庭に向う。

 砲身がへし折れてしまったので、適当にくっつけたという砲身が錆びを浮かせて虚空を睨んでいる。

 うっすらと、『11』という機体ナンバー。

 『ならず者小隊』のエンブレムである小さな山猫の絵は錆の中に消えてしまっていた。

 イワヒバリが囀りながら、上空を飛んでいる。

 ひらひらとモンシロチョウが飛んできて、砲身の上で羽を休める。


「ド底辺から、EUの盟主に独国はのし上がったぜ。おまえらのおかげだよ」


 錆びた砲身に、大事にとってあった俺の認識票をかける。

 その認識票には、「アウグスト・グッテンマイヤー伍長」と書いてある。


 あれから六十年。


『ならずもの小隊』の最後の生き残りが、俺だった。


拙作「ペンギンの海」で砲手を務めたディーター・クラッセン軍曹の物語が終わりました。

終え方に悩んだ挙句、迷走に迷走を重ねて、最後の一話だけで2万5千文字になっちゃいました。

まぁ、これは私の自己満足みたいなもので、お読み頂いているモノズキな方はそうおられないと思いますが、最後までお付き合い下さりありがとうございました。

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[一言] 楽しませていただきました。 ありがとうございます。
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