正体不明の敵
米軍を中心としたアルデンヌの森に展開していた各部隊が、決死の遅延戦闘を繰り広げる中、ついにパイパー戦闘団の足が止まった。
後方に大部隊が控えているのが分かっているので、連合軍は嫌がらせをしつつ、潰走することなくじわじわと後退すればよかったのだ。
そしてこの貴重な『時間稼ぎ』は成功しつつあった。
後続の遅延によって、先行しすぎたパイパー戦闘団は、強力な彼らをやり過ごす『浸透作戦』によって背後に回った米軍により交通の要衝であるスタボローを奪還され、完全に敵中で孤立してしまった。
ここは、ラ・グレース村。
どうやら、ここが俺のどん詰まりらしい。
雪が降りしきる中、靄までかかる林道の中に踏み入ってゆく。
随伴歩兵は無し。
肝心のポルシェ・ティーガーは、森の入り口で埋伏している。
足が遅く、小回りが利かない重戦車は、複雑な地形である森林帯は向かない。
広く戦場を見渡せる、斜面上の『観測所』から、次々と報告が入ってくる。
我々『ならずもの小隊』のサイドカー隊と『山猫』が進軍してくる連合軍を監視しているのである。
「連中、時間稼ぎの間、戦車をかき集めたみたいっすね。自走砲も来ています。M44コングの姿を確認したっす。歩兵は、多いとしか言いようがありませんぜ。やせ細ったうちらを潰すにしちゃ、大掛かりっす」
Ⅱ号戦車L型『山猫』から、そういった通信が入る。アウグストは、通信相手がパイパー中佐だろうと、俺だろうと、口調を変えない。
サイドカー隊はバイクを降りて徒歩で稜線を伝い、更に深く敵中に入り込んでいるらしい。見つかったら嬲り殺しだ。
パイパー戦闘団は初戦で勝ち過ぎた。過剰な兵力投入はその反動だろう。
『ラインの守り作戦』開始当初、主力はⅣ号三十両、Ⅴ号パンター四十両、Ⅵ号ティーガーⅠ十二両、Ⅵ号ティーガーⅡ七両、ポルシェ・ティーガー一両という陣容だったが、撃破されたり、故障して放棄されたり、燃料不足で擱座を余儀なくされたりして、兵力は三分の一以下になってしまっている。
もはや、我々に当初の勢いなどありはしないのだ。
スタボローの大量の燃料の備蓄を奪えなかったのが、いかにも痛い。
いや、そもそも現地調達という前提自体がおかしいのではあるが……。
無茶な作戦は、それだけ独国が追い詰められているという事。
ちょび髭伍長殿の発案らしいが、こんな馬鹿げた作戦で多くの命が失われるのは、実に虚しい。
「視界が悪いな……」
キューポラから頭を出して、テルオー・バッカード准尉が呟く。
照準器から見える風景も、木の幹の黒と、雪と靄の白しか見えず、操縦席のフラッペからは、もっと視界が悪いだろう。
「大丈夫か?」
操縦手のヨハン・リヒテンシュトーガ上等兵に話しかける。
これには二重の意味があって、時折彼は左目の視力を失う。頭部に受けた傷の後遺症なのだが、こいつはそれを隠している。
知っているのは、俺だけだ。
「大丈夫っす」
チラッと俺を見て、リヒテンシュトーガ上等兵が答える。
俺の質問の意味も分かっているのか、左目をわざと閉じていた。こっちも大丈夫というジェスチャーらしい。
「よし、待ち伏せ地点に到着した。林道から降りろ」
ガクン、ガクンとⅣ号戦車が揺れて、機体が傾く。
乱暴にちょっとした傾斜から着地する。
砲手席の座席は固いので、尻が痛い。
「機関銃寄越せ。設置する」
キューポラの脇ある銃架にグロスフスMG42機関銃を、テッケンクラート二等兵から受け取って、テルオー・バッカード准尉が自身で据え付けていた。
ドラム式マガジンを嵌め込み、コッキングレバーを引く。そのうえで、セーフティをかけている。我々には随伴歩兵がいない。敵歩兵を接近させないために、こうした小火器も必要になる。
この狭い道を辿れるのは、M3やM5といった軽戦車だけ。ずんぐりと図体がでかい主力のM4シャーマンは来られないだろう。
そして、兵員輸送のトラックが続くはず。物量に拠るごり押しは、米軍のドクトリンでもある。
それらを撃ち減らしつつ、Z陣地の砲列が待ち構える『死地』に誘うのが、俺たちの役割だ。
エンジンが切られる。
排気の蒸気で、居場所がばれてしまうから。
エンジンの熱気に暖められたエンジンルームの防護板が、キンキンと音を立てて冷えていった。
途端に冷気が忍びこんでくる。
俺は、防寒用に首に巻いたマフラーを締め直し、冷たい空気が外套の隙間から入って来るのを防いでいた。
マルメディの事件のあと、すっかり無口になってしまった装填手のレヒャルト・テッケンクラート二等兵を見る。
余計な事をペラペラしゃべっていた頃はウザかったが、こうも静かだとちょっと心配になる。
「レヒャルト、大丈夫か?」
声をかける。
眼がうつろだった。
戦場の醜悪な面を見てしまったショックから、まだ立ち直れないでいるらしい。
こればかりは、自分で乗り越えるしかないのだが……。
「あ…… ええ…… 大丈夫です」
そう言って、初めてⅣ号戦車が停車していることに気が付いたようだった。
「冷えますね」
ほろ苦く笑う姿がかえって痛々しい。
通信機からは、続々と情報が入ってきていた。
敵の自走砲M44の砲列の準備が整ったらしく、砲撃が始まったら、その砲火で正確な陣地を割り出すべく、山猫どもが当方の自走砲フンメルの測量手と打ち合わせをしていた。
当方の自走砲はフンメル三両。敵は十二両のM44を用意しているらしい。
「一方的に撃たれちまいますね」
通信士のロクス・メリエ伍長が、誰にともなく言う。
「A陣地もB陣地も、斜面が庇みたいになっている場所に布陣しているし、Z陣地は反対側斜面に下りれば、射線から外れる。シェーンバッハ中尉は、絶妙なポイントを探り出したものさ」
耳敏くメリエ伍長の呟きを聞きつけて、テルオー・バッカード准尉が応じる。
バッカード准尉は、左右に双眼鏡を振って監視を続けていたが、ピタリと一点を見つめて動きが止まった。
「クラッセン軍曹、十時の方向に敵影。すまんが、ここに上がって、君も見てくれ」
双眼鏡の中、木々の間に小さな戦車の陰が見えた。
この悪路の中、かなり早い。
M5スチュアートかと思ったが、縦に間延びした独特のシルエットではなかった。
車体は、我軍のパンターを思わせる前面に急角度を付けた細身のデザインで、砲塔は露軍のT-34を思わせるツルンと丸い形状。
経弾傾斜を無視した米軍のデザインではなかった。
「見たことあるか?」
バッカード准尉の不安そうな声。
その声を聞いて、思わずぶん殴りたくなったが、堪えた。指揮官は部下の前で不安を見せてはいけない。
兵士は、自分の運命を指揮官の顔に見るから。
ペンギンの指揮官アルフレード・シュトライバー大尉は、ちっぽけなペンギン一機で、駆逐艦に立ち向かう時も、淡々としていたものだ。
「見たことないですね。多分、新型っす」
ペイントは丸に五芒星。米軍の識別サインだった。
物資が不足して、レンドリース法で兵器の供与を受けている国なら、見かけない戦車があっても不思議はないが、米国は自国の兵器しか使わない。
ならば、結論は一つ。米軍は新型を投入してきたのだ。
今回のⅣ号の動きは、仮想敵をM5スチュアートで組んでいる。
行動の修正が必要になるだろう。
「何か嫌な感じがします。移動しましょう」
チラッとみかけた限りでは、かなり足回りが良さそうだった。
それに我々はスチュアートの37ミリM6戦車砲を敵火力と想定しているが、それより強力な武装をしていたら、囲まれて滅多打ちに遭う。
「そ、そうだな、君がそう言うなら、移動しよう」
この期に及んで、万が一無許可の後退が問題になった時の責任を分散させる策を採るとは、この野郎の保身術には恐れ入る。
俺が砲手席に戻ると同時に、テルオー・バッカード准尉の声が響く。
「エンジン始動。ここから後退するぞ!」
操縦手のヨハン・リヒテンシュトーガ上等兵が、エンジン起動コックを操作する。
ガルルンとエンジンが唸った。
バッテリーに蓄電も開始されたはずなので、砲塔の旋回ターレットや仰角調整ギアが凍結していないか、ハンドルを回して確認する。どうやら大丈夫そうだ。
「ヨハン! 後進しろ! 林道に戻ったら、超信地旋回。逃げるぞ! ロクス! 新型発見の報告! 機体は……六両。 くそ、早いぞ!」
矢継ぎ早に指示を出しながら、テルオー・バッカード准尉が撤収の準備にかかる。
予想外の事態になると動揺する癖があるバッカード准尉だが、方針が決まると動きは早い。
「砲塔を後ろ向きにしますかい?」
撤退時に牽制射撃を行うために、真後ろに砲塔を向けるのは、撤退戦の定石だ。
「牽制は任せるよ、ティーター。正体不明の奴らを近づけるな」