暗雲
敵の予想外の増援はあったものの、対処できた。
今は、続々とトラックが集積された物資を積み込み、後方へ運んでいる。
クリスマスが近かったので、宿舎代わりの掘立小屋には、ツリーとリースが飾ってあり、半裸の米国女性のピンナップが、卑猥なセリフのフキダシと共に張られていた。
タバコが大量にあった。
あのクソ忌々しいラッキーストライクだが、輸送トラックが通過する時、Ⅳ号442号車へ数カートン入っている箱が投げられた。
分捕り品の分け前だ。
俺はエンジンルームの上で、熱気に当たりながら、もらったばかりのラッキーストライクを咥えていた。
英語の叫び声と、サボゥ・シェーンバッハ中尉の怒鳴り声が聞こえる。
俺は、ペンギンでの長い航海、元・商船乗りのシュトライバー大尉から英会話を学んでいた。
誰にも英語が話せるし聞き取れると教えていない。余計な役目をさせられるのが面倒だからだ。
それでも、切れ切れに聞こえる声は耳に入った。
「本当だ。本当に知らない」とか「やめてくれ、撃たないでくれ」などといった、命乞いや尋問への回答の声だった。
それに続くのは、九ミリパラべラム弾の音。
ブツンと叫び声がそれで途切れる。
急襲だったので、この基地に居た輸送部隊兵士は殆ど抵抗できぬまま、投降することになった。
わずか一個分隊(十二名ほど)の人数。
全て、数珠つなぎで掘立小屋に繫がれていた。
その小屋に入ったのは、『ならずもの小隊』の小隊長、シェーンバッハ中尉と英語が堪能なうちの通信士ロクス・メリエ伍長。
皮の手袋をはめ直して、掘立小屋からシェーンバッハ中尉が出てくる。
げっそりした顔のロクス・メリエがそれに続く。
シェーンバッハ中尉は、雪明りで眩しい外に少し眼をすがめ、軍帽を目深に被り直す。
手には、押収した地図や資料や物資配送ルート。
それらを小脇に抱えたまま、器用にポルシェ・ティーガーに登ってゆく。
ロクス・メリエ伍長は、蒼白のままよろよろとⅣ号戦車の方に戻ってきた。
戦車から飛び降りて、出迎えてやる。
「どうした? ロクス?」
そう声をかけると、ちょっと待ってくれとでもいう様に、俺に向って掌を向け、小走りに藪に向う。
盛大にえずいて、吐く音が聞こえた。
俺は、拳で砲塔を叩き
「レヒャルト! コップと水筒を寄越せ」
と、装填手のテッケンクラート二等兵に命じる。今回は、居眠りこいていなかったみたいで、薬莢排出の小窓から、水筒とブリキのコップが押し出される。
ぺっぺと、唾を吐きながら、メリエ伍長が帰ってくる。
コップに水を満たし、メリエに渡す。
「こいつで、口を漱げ」
頷いて、メリエ伍長がうがいをする。それは、三度続いた。
「口直しだ」
例の上等なコニャックが詰められたスキットルを、尻ポケットから出して渡してやった。
「こいつは、上物っすね」
ふたを開けて、香りを嗅いだメリエ伍長が言う。顔色はだいぶ良くなっていた。
いただきますと言って、スキットルを傾ける。メリエ伍長の喉仏が二度上下した。
袖で、スキットルの口を拭って、返してくる。
そして深いため息をついた。
「何があった?」
今度は、ラッキーストライクを渡してやる。
一本だけ抜き出そうとしていたが、俺は身振りで「箱ごとやる」と言ってやった。
オイルライターで火をつけ、くそマズい米国のタバコを二人でふかす。
メリエ伍長は、しばらく口を開かなかった。
「うちの大将、捕虜全員を殺しやがった。家畜みたいに、一人づつ……ハジキを頭にぶちこんで」
何かこみ上げてきたのか、メリエ伍長はまた唾を吐く。
「激情に駆られてって訳じゃねぇ。チェスでもしているみてぇに、淡々と殺しやがった」
サボゥ・シェーンバッハの静謐には、何か違和感があった。
静かなのに空気が帯電しているかのような、不安定さ。
嵐の前の静けさともいうべきか。
「他には言うなよ。胸にしまっておけ。それに……」
ゴンゴンと砲塔を叩く。
「お前もだぞレヒャルト。他言無用だ」
排莢ようの小窓のところで、居眠り装填手が聞き耳を立てていやがることに、俺は気が付いていた。
「へ~い」
という、寝ぼけたような返事が、砲塔内から聞こえた。
押収物資の仕分けを手伝っていた、操縦手のヨハン・リヒテンシュトーガ上等兵と車長のテルオー・バッカード准尉が帰ってくる。
物資はあらかた運び出しており、トラックもケルン基地と、ここから約二十キロメートルの所に造った臨時の集積所との間を、ピストン輸送をしているらしい。
『ならずもの小隊』は、輸送用に徴発されたSd Kfz251半装軌車から降りた歩兵たちと一緒に、この仮設集積所を守ることになっていた。
同時に、燃料を補給する。
この戦闘で、積んできた燃料はほぼ空になってしまっていた。
移動と、一会戦で腹ペコとは、この先大丈夫か? という不安を感じる。
もう一つの標的である『スタボロー物資集積所』は規模も大きく、ガソリンも大量に備蓄しているらしい。我々が押収した『ビューリンゲン物資集積所』の燃料とあわせれば、だいぶ楽になる。
Ⅳ号戦車とポルシェ・ティーガーが殿軍となって、ビューリンゲン物資集積所を後にする。
我々の後方を進んでいたポルシェ・ティーガーが不意に停車した。
また故障か? と思っていたら、砲塔が旋回しはじめる。
ほぼ真後ろを向いたと思ったら、88ミリ砲が火を噴いた。
尋問し、射殺した兵士の死体が詰められた、掘立小屋が跡形もなく吹き飛ぶ。
瞬発信管に調整された榴弾だった。
虐殺の証拠を隠滅したのだろう。
通信士のメリエ伍長と目が合った。彼は、まるで間違って酢でも飲んでしまったような顔をしている。
ポルシェ・ティーガーは、何事もなかったかのように、砲塔を戻して、進発した。
「パルチザンが居たように見えたのだろう」
問わず語りで、テルオー・バッカード准尉がそんなことを、わざわざマイクで言う。「そういう事にしておけ」という無言の圧力だ。
仮設の物資集積所の護衛任務につく。
時を同じくして展開したスタボロー方面の戦闘の様子が、暗号無線で伝わってくる。
状況は芳しくないらしい。
急襲が気取られて、いきなり乱戦になったようだ。
こっちは、雪と靄が有利に働いたが、スタボローでは逆の効果が出てしまったといこと。
こっちでも、敵兵力の情報に誤りがあった。
おそらく、スタボローでも同様の事があったのではないかと推測できた。
ペンギンに搭乗中、諜報員『カエル』と何度か会話する機会があったが、敗色が濃くなると、寝返るスパイが続出し、独軍の諜報網は機能不全に陥ってしまっているらしい。
それが、巡り巡ってノルマンディ上陸作戦を隠蔽する欺瞞作戦が遂行されてしまった。
その贋情報に騙された我が国は兵力を分散させられた結果、独軍は元の国境まで押し込められてしまったのである。
銃で撃ち合う以外にも、戦争はある。
その戦争で我が国は負けつつあり、実際の戦闘も影響を受けている。
「敵が備蓄している燃料頼み」という、この馬鹿げた作戦も、なんとか失地を回復したいという願望の表れなのだろう。
まぁ、願望だけでは戦争は出来ないが……。
仮設の物資集積所に集められた膨大な押収品の輸送は終わった。
雪は降り続け、Ⅳ号戦車の砲身には溶けた雪が凍ってつららが出来ていた。
最後の歩兵分隊が、押収品と一緒にトラックに乗り込んだのを見届け、撤収の殿軍を務めるⅣ号戦車が暖気運転を始めた。
暗号通信で、もう一つの標的『スタボロー物資集積所』の戦況が送られてきていて、俺たちはそれを固唾を飲んで見守っていた。
奇襲に失敗したスタボロー急襲部隊は、物資集積所を守っていたM4シャーマン部隊との壮絶な撃ち合いになったらしい。
強力な備砲をもつわが軍に対し、守備隊の要M4シャーマン一個中隊十二両は、地形を利用したダックイン戦法で対抗。
『ダックイン戦法』とは、戦車用塹壕を掘り、そこにすっぽり胴体を隠して、疑似的な野砲陣地を作ること。
それを、四ヶ所陣地を作って、互いに側面と背面を守りつつ、わが軍の足を完全に止めたという。
ダックイン戦法で野砲陣地を作り、広いエリアを方陣で守ったということか。
『方陣』は、英国軍伝統の歩兵戦術で、強力な騎馬の突撃や重厚な弾雨から少数でエリアを守る古来よりの戦法だった。
どこから攻撃しても、最低ニ箇所の火点から側面攻撃を受ける仕組みである。
米軍の兵士は蛮族の様に野蛮で勇敢だが、防御戦には弱い。だが、優秀な士官に率いられると、パイパー中佐選りすぐりの部隊でも退けるということ。
劣勢でかつ火力も見劣りするM4シャーマンが、ダックインと方陣を組み合わせた戦法で稼いだ貴重な時間で、物資集積基地の指揮官が採った行動は、
『全てのガソリンを燃やす』
……だった。
これには「独軍に燃料を渡さない為」と「撤退の為の炎の壁を作る」の二重の意味があり、部隊はほぼ無傷で撤退を完了させた。
膨大なガソリンで作られた人工の川は三日三晩燃え続け、燃料は一滴も残らず灰燼に帰してしまった。
この作戦失敗が、パイパー戦闘団に……いや、『ラインの守り』作戦全体に垂れ込めた、最初の暗雲であった。




