ヴァーンジン
降りしきる雪の中、サイドカーが昼夜を問わず出てゆく。
このBMW・R75というバイクは、サイドカー側の車輪も駆動することから不整地での走行性が高い。
積雪で極端に足場が悪化しているも、果敢に敵の勢力圏内に踏み込んでゆく。
注意すべきは、地元の左派ゲリラだ。
本来、連合国陣営は反左派で団結していたはずなのだが、『敵の敵は味方』ということなのだろう。武器や資金の援助をしているらしい。節操のないことだ。
一日に、何度か我々に提供された掩蔽壕に、サイドカー隊が帰ってくる。
地図を広げ、第百機械化大隊の斥候隊と打ち合わせをし、かっこむ様にメシを食って、またバイクに飛び乗る。
その繰り返しだ。
全員の顔が黒ずみ、疲労で目の下に隈が出来ても、やめない。
眼を覆いたくなるような光景だが、今の段階で俺たちに出来るのは、戦車を万全の状態に保つこと。
それが、彼等の奮闘に応える唯一無二だ。
刻々と追加情報が加わってゆく地形を、頭に入れる。
等高線や地形図だけでは分からない情報を、精神と肉体を削るようにして偵察隊が仕入れてくれているのだ。
何度も、何度でも、地図を眺めて頭に叩き込む。
「ここは段差があるが、積雪で平地と同じになる」
「幅三メートルほどの無名の小川があるが、凍結していて渡渉が可能」
「猟師小屋あり。左派ゲリラの拠点の一つとみられる。作戦開始時に襲撃し爆破予定」
「赤土土壌の斜面。『山猫』以外は乗り越え不可能」
こうした書き込みのおかげで、かなり具体的に戦場となる場所をイメージすることが出来る。
敵中深く入り込んでいるスパイからも、情報が入ってくる。
やはり、積雪での遅延が発生しているらしい。
本来なら、物資集積基地になるビューリンゲンには一個大隊規模の歩兵が野戦築城して防備する予定なのだが、到着が遅れているらしい。
輸送部隊が先行して到着してしまった形だが、増援が遅延すると分かった時点で、後退が定石のはず。
だが、その場に無防備のまま留まっているのは、わが軍が殆ど抵抗らしい抵抗もせずに後退を繰り返していることによる『驕り』だ。
「どうせ、ジェリー(独国兵の蔑称)どもは、小便もらして逃走中さ、HAHAHA!」
などと、糞ヤンクスは嘯いているのだろう。
奴らは勝ち戦の時はすごい勢いだが、負け戦になるとガタガタに崩れる。
アフリカ戦線で、88ミリ砲に散々叩かれて、糞や小便をい漏らし、泣きながら逃げ回ったのは、ずっと不利なまま戦い続けたトミー(英国兵の蔑称)の第八軍ではなく、途中から横殴りしてきたヤンクスどもだった。
今回も、どっちが小便を漏らすことになるか、思い知らせてやるからな。
受傷の後遺症で、時々左目が見えなくなる操縦手のヨハン・リヒテンシュトーガ上等兵は、俺がその事を誰にも喋らなかったことで、感謝しているらしい。
彼は、天涯孤独の身で、「戦車が我が家」だと言っていた。
俺も、母親が病死したこともあり、故郷を捨てた。
通信士のロクス・メリエ伍長も、露軍の捕虜になっていた一年で、彼が死んだと勘違いした妻が再婚してしまっており、静かに身を引いたという経緯がある。
装填手のレヒャルト・テッケンクラート二等兵に関しては、実家もご両親も健在だが、テルオー・バッカード准尉もやはり、天涯孤独の身の上だった。
この世界への関わり …… 家族や、恋人や、戻るべき場所といったもの …… が薄い人間は、追い詰められると容易に死地に赴くという。
そこに、うっすらとヨーヘン・パイパー中佐の意図が透けて見える。
彼が欲しかったのは、獰猛で捨て鉢な戦士。
この『ならずもの小隊』の指揮官であるサボゥ・シェーンバッハ中尉がまず『失った男』なのだ。詳しくは調べていないが、おそらく彼の乗車ポルシェ・ティーガー11号車の乗員も、Ⅳ号442号車と同様、この世界への執着が薄いのだろうと予想出来る。
―― 死に物狂いで戦う
この作戦が、馬鹿げたモノだと理解しているエリートSS将校であるパイパー中佐が欲したのはそういうことだ。
東部戦線での実地テストは、最後の篩か。
結果、『ならずもの小隊』は合格。
槍の穂先の更に先端に抜擢されたというわけ。
先端は、最も遠くに行く。味方から離れる。深く敵中に食い込む。憎悪が糧のシェーンバッハ中尉にしてみれば、望むところだろう。
戦場を命がけの遊び場か何かだと思っている『山猫』どもも、願ったりだろうと思う。
では、俺はどうなのか?
居場所を作るために戦ってきた。
道程を振り返れば累々と死体が転がり、手は血まみれになっている。
多くの仲間の死を見て来た。
心の何処かに「こんなはずじゃなかった」という思いはないか?
あの、気に入らない海軍野郎のシュトライバー大尉の様に、死に倦んでいないか?
もう、終わりにしたいと、思っていないか?
この戦争が終わった時、俺は何をすればいいというのか?
俺は、砲弾が飛んできても、怖くない。
俺は、歯をむき出しにした敵兵が、着剣したライフルを構えて殺到して来ても怖くない。
だが、何もなくなった時の自分が怖くてたまらない。
人には許容量というものがあり、俺の『殺しへの耐性に関する許容量』は、限界に近づいているとでも言うのか。
アフリカで、最も多くの敵兵を殺した『砲撃の名手』。
凍えるバレンツ海で、数えられないほどの船員を殺した『砲撃の名手』。
それが俺だ。そして今、霧深いアルデンヌの森で、更に死を積み重ねるために、地図を頭に叩き込んでいる。効率良く敵を殺すために。
腰のワルサーP38のグリップを、無意識に撫でる。
俺にこれを託したシュトライバー大尉の戦争は終わった。
殺し合いのゲームから降りてしまった。
しんとした暗い影を背負っていた彼は、まるで憑き物が落ちたかのようになっていた。
俺もまた、そのようになることは出来るだろうか?
「襲撃の日が決まった。三日後の十六日の深夜。吹雪の予想だよ」
いつの間にか、俺の横に来ていたシェーンバッハ中尉が、地図を見ながら独りごとのようにつぶやく。
絶望的な作戦が、いよいよ始まる。
普段、物静かなシェーンバッハ中尉のハンサムな横顔に浮かんでいるのは、獰猛な笑み。
「さあ、殺したり、殺されたりしよう。ヴァーンジン、ヴァーンジン(英語のファックに相当)と喚きながら、撃ったり、撃たれたりしよう。戦争ではなく、殺し合いをしよう」
熱に浮かされた様な眼で、シェーンバッハ中尉が俺を見る。
いや、彼が見ているのは、俺ではなく別の風景なのかも知れない。
その風景の色は、いったい何色なのだろうか?