続く機動戦闘
土煙を上げて走る。
砂漠とは違うので、煙幕の代わりになるほどではないが、風下側の敵は多少狙いにくくなるだろう。
振動で細かく揺れる照準器を見る。
直射を避けて、スチュアートはジグザクに走っているが、微妙に各操縦手の癖がでるものだ。それを読む。
有効射程外なのに撃ってくる。
慎重に狙いをつけている75ミリKwK L/48 が怖いのだ。
シュルシュルと空気を裂いて、遥か頭上を砲弾が飛越してゆく。
敵の息遣いが分かる。恐怖の汗の匂いすら感じられる。俺の実戦の勘が戻りつつあった。
砲塔旋回ハンドルを僅かに動かす。
照準器の照星から、先頭のスチュアートがズレた。
距離はおよそ七百メートル。だいぶ距離を詰めて来ていた。
砲弾の飛翔時間と、相手の到達予測ポイントを、経験則から計算する。
―― カチリ
脳内の歯車が噛みあう音がしたような気がした。
気が付いたら、俺は引鉄を引いていた。
砲声。
硝煙。
廃莢するテッケンクラート二等兵の、歯を食いしばった呻き。
離れたこの場所でも、鋼を貫く鋭い音が聞こえる。
砲撃の震動が収まった照準器に、つんのめる様に動きを止めるスチュアートが映っていた。
上に間延びした様な車体側面の穴が開いていて、まるで蛇が下でチロリと舐めたように、火の手が上っている。
誰も車外に転がり出る者はいない。
状況はわかる。
方向転換しようとして、僅かに横を向いたその一瞬、75ミリ砲弾がエンジンルームを貫通したのだった。
長時間走り続けていた軽戦車のエンジンは高温になっていて、あっという間に気化したガソリンが車内から一気に酸素を奪って燃焼し、乗員を焼き尽くしたのだろう。
脳裏に浮かんだその映像を、切り離す。
俺は今戦争をしていて、兵士は兵士を殺すものだ。
―― 相手は人ではない
―― 兵士と言う名の仕組みの一つ
そう思わないと、心が毀れる。
「おほっ すげぇ!」
双眼鏡でこの砲戦を見ていたテルオー曹長が歓声を上げる。
俺は、その呑気にも聞こえるその声に、ムカついた。シュトライバー大尉なら、こんな馬鹿な歓声は上げない。敵にも敬意を払う男だった。
「次弾徹甲! 装填急げ!」
怒鳴る。俺の声の残響で、テルオー曹長の声をかき消したかったから。
僚機が撃破されても、ひるむことなく残りのスチュアートとBT-7が突っ込んで来る。
無防備な尻を晒しているので、近接戦闘は避けたいところだ。
チカチカとBT-7の砲塔が砲火を煌めかせる。
T-34が実戦配備されてから、BT-7は一線を退いたはずだが、その足回りの良さを買われて偵察車両として利用されることもある。
この四台はその手合いだろう。
備砲は45ミリM1934。ロスケの砲は優秀なのが多いが、こいつもそこそこ優秀な砲だ。
ズドン、ドスンと地面に着弾する。
火花を散らしながら、地面で跳弾する砲弾が見えた。
「当たるかよ、クソ野郎」
装填を終えたテッケンクラート二等兵が歯をむき出して、口汚く罵っている。
気持ちはわからんでもない。自機には有効弾が当たらないという暗示をかけたいのだ。
先頭車を撃破されて、更に大きく蛇行している後続のスチュアートを狙う。
大きく回避行動を取るということは、時間をロスしているということ。
俺たちが狙うのは、敵の機動部隊の遅延。いい傾向だ。
北から風が逆巻く。
砲身にからみついて、笛の様な音が鳴った。
チカチカと、またBT-7の横隊の砲塔が煌めいた。
飛越する砲弾の金切声。
地面に着弾したのは、なんと榴弾だ。履帯の破損を狙ったのだろうが、豆鉄砲では直撃でもしない限りⅣ号戦車は破損しない。
鉄片が火花となって散る。
砲塔の脇を掠めるようにして走る砲弾もあった。
集弾率が上がっている。敵も距離感をつかんできているのだろう。
そろそろ、当ててくるかもしれない。その前に……
照準器に、楔陣形の左を走っていたスチュアートに狙いを絞る。
コイツは、なんとかこっちに砲弾を当てようとしていて、砲撃の瞬間に減速して蛇行をやめる傾向があった。こいつの癖だ。
装填の間隔も読んだ。
今、撃ったので、およそ六秒後にもう一度撃ってくるはず。
狙いを悟られないため、別の機体を狙っているように偽装する。
同時に、俺は時間を図っていた。
―― 四秒
―― 三秒
―― 二秒
―― 一秒
来た! 37ミリ戦車砲の鋭い砲声。
同時に、俺は砲塔旋回ハンドルを回していた。
ガチンという着弾音。
砲塔の防盾から火花が上がり、斜め上に37ミリ砲弾が弾かれている。
衝突のエネルギーが熱に変って、寒風に冷え切った防盾から水蒸気が上がった。
俺は、真正面にそのスチュアートを捕えていた。
目標の履帯からは盛大に土が巻き上げられていて、超信地旋回(左右の履帯を前後別の方向に動かし、急旋回すること)で方向を変え俺の射線から逃れようと焦っているのが見えた。
引鉄を引く。
軽戦車の割には、正面装甲が厚いスチュアートだが、貫通力に優れる75ミリ砲弾を防ぐことは出来なかったようだ。
正面装甲を抜かれて、ガクンと停車する。
「次弾徹甲! 装填急げ!」
相手の速度はスチュアートは時速六十キロメートル。BT-7は時速六十キロメートル弱。Ⅳ号戦車は、時速四十キロメートル前後というところ。
距離はジワジワと詰められているようだった。
砲兵ではないから測距義はないが、照準器に映る敵影と経験則からすると、およそ五百メートルといったところか。
そろそろ尻を向けていると危うい。
残ったスチュアート一台がウザい。
迂闊な動きはしないし、射撃も正確。ベテランの動きだ。
まるで機敏な犬の様に、俺の偏差射撃を躱しやがった。勘もいい。
「次弾榴弾! 瞬発信管! 装填急げ!」
そう指示を飛ばす。
徹甲弾を、砲弾架から取ろうとしていた装填手のテッケンクラート二等兵が、
「え!? 榴弾?」
と戸惑う。
「早くしろ、バカモン!」
俺がイラついて怒鳴ると、アタフタと『瞬発』にダイヤルを合わせて、砲弾を装填する。
それを見ていたテルオー曹長が操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵に指示を飛ばす。
「機体反転! 超信地旋回開始! 砲手、榴弾放て!」
そろそろ、敵に正面装甲を向ける頃合だと思っていたが、その通りだった。
『山猫』の悪童の頭、グッテンマイヤー伍長は、このⅣ号戦車442号の車長を問題ありと指摘していたが、今のところ普通に有能な戦車兵だ。
「履帯切れるなよ!」
と、縁起でもないことを呟きながら、リヒテンシュトーガ上等兵が急制動をかける。
ズ、ズ、ズ……と車体が横滑りし、転輪が軋む。
俺は、車体の流れる方向に合わせて、砲塔を回転させ続け、常に敵の方向に砲身が向くようにしていた。
残ったスチュアート一台は、すかさず側面を衝こうと加速の構えを見せた。
「させるか! イワン(露国兵の蔑称)め!」
スチュアートの方向に、榴弾を放ってやる。
端から命中させる意図はない。敵の鼻先に榴弾をぶち込み、怯ませるのが目的なのだ。
テルオー曹長はそれを読んでいた。背後を取られるのが嫌だったので、転回の機を測っていたのだろう。
俺の意図とテルオー曹長の意図が合致したのだ。
テッケンクラート二等兵はそれを読めなかった。もう少し経験を積まないと、そこまで行けないのかも知れない。今は、素早く命じられた砲弾を装填するので精一杯といったところか。
照準器を覗く。砲塔を動かしつつである上に、車体も旋回しているので、酔っ払って眼を回したような視界だったが、なんとか急加速するスチュアートの影を捕える。
相手はベテランだ。こっちの状況を見て、ろくに狙えないと踏んでいる。最短距離で、いいポジションにつこうとしていた。
狙えないのは、相手の読み通りだ。それゆえ、『榴弾』という選択。
引鉄を引く。
スチュアートの十メートルほど前方で、榴弾が炸裂した。
飛び散る鉄片の嵐の中に、敵は飛び込む様な形になった。
スチュアートのずんぐりした車体から、バチバチと火花が上がる。よほどの幸運がないと車体に被害は出ないだろう。
砲塔脇に機関銃手用の銃座があるのだが、そこから誰かが転げ落ちるのが見えた。
照準器から見えるその人影には、首が無かった。