偏差砲撃
パルチザンの死体を弔う時間的な余裕はなかった。
水陸両用装甲トラックLWSに牽引された橇を見送り、『山猫』とトラック三台の出発を見届けると、この炭鉱に残ったのは我々のⅣ号戦車のみとなった。
カルガモに例えられたLWSと橇は逆巻く放水路を渡り、最短距離で安全圏を目指している。
トラックと『山猫』は、我々が来た道を辿り、放水路に沿って下流へと向かっている。勢力圏内にある橋を渡るためだ。
通信士のメリエ伍長が、仮設橋を渡ったⅣ号戦車に追いつく。
手には、爆破起爆装置のスイッチとつながるコード。そのコードを伸ばしながら、ここまで来たのだった。
「よし、爆破しろ」
テルオー曹長が命じる。
メリエ伍長は、安全装置を外し、オルゴールの螺子みたいな鍵を鍵穴に差し込んで、それを捻る。
ズズンという地響き。
給水塔や事務所のバラックなどが、紙細工の様にグシャッと潰れた。
仮設橋も身震いをして橋脚が砕けると、自らの重みで自壊してゆく。
盛大な土煙が上がったが、大爆発という風ではない。
プロの発破とはこうしたものなのだろう。
メリエ伍長が、起爆スイッチを根げ捨て、Ⅳ号戦車によじ登ってくる。
そして、砲塔側面のハッチから身軽に通信士席に滑り込んできた。
「やべぇ、ちょっと興奮した」
と言って笑う。
彼は、一度露軍の捕虜となり拷問を受けたらしい。
決死行で脱出したものの、今度は露軍のスパイの容疑がかかり、秘密警察による拷問を受けたという。
軍務についているということは、疑いが晴れたのだろうが、以来メリエはめったに笑うことがなくなってしまったということだ。
まぁ、敵味方の両方に拷問を受けたのだ。心に深い傷が残ったはずだ。
なので、この笑い声はとても珍しいものなのだった。
「さて、我々も退散しよう。後方を警戒しつつ、来た道を戻るぞ」
砲塔を真後ろに向けて、放水路に沿って進む。
もうすぐ氷と雪に閉ざされる露国の冬。
この大地は、雪が降っていない現在、カラカラに乾燥していて、履帯によって巻き上げられた土煙が、後方へたなびいていた。
照準器を使って、監視しているのはこの土煙。
敵の軽戦車部隊は、全速力で我々を追尾しているはずで、土煙も盛大に上がっているはずだ。
それをテルオー曹長は双眼鏡で、俺は照準器で、探しているというわけだ。
さっき、笑っていたメリエ伍長は、通信士用のヘッドセルを装着すると、いつもの無表情に戻り、装填手のテッケンクラート二等兵は居眠り。操縦手のヨハン・リヒテンシュトーガ上等兵が時折忌々しげに唸るだけで、沈黙が車内を支配していた。
以前の乗機ペンギンなら、機銃手のバルチュ伍長がくだらないホラ話をひとくさりしている所だろうが、このⅣ号戦車442号車ではそんな事は起きない。
真面目な連中なのだ。居眠りしやがっているバカはいるがね。
ガラガラと鳴る転輪の音。
低く唸るエンジン音。
土を噛む履帯の鋼の軋み。
そして、俺の呼吸音。心臓の鼓動。
ここは、本当に露国の大地か?我々しか存在しない、奇妙な世界に紛れ込んでしまったかのようだった。
「十時の方向」
沈黙を破ったのは、テルオー曹長だった。
砲塔を動かして、言われた方向に砲塔を向ける。
見えた。遠くの白い空に、小さな染み。土煙だ。
M5A1スチュアート軽戦車とBT7が追いついて来たのだ。
「見たか、クラッセン軍曹」
双眼鏡から眼を離さず、テルオー曹長が言う。
「見ましたぜ」
そう答える。来やがったか、糞ヤンクスの戦車め。
「進路、速度、そのまま。追ってきたら、叩くぞ」
テルオー曹長が軍帽を脱いで、鉄兜を被る。
俺は、帽子を後ろ前にかぶり直した。
「目視。敵、M5A1スチュアート三台、BT-7四台を確認。交戦状態に入る。通信送れ!」
テルオー曹長に蹴られて、テッケンクラート二等兵が飛び起きる。
「起きろ、バカモン」
メリエ伍長が、敵の接近を『山猫』とポルシェ・ティーガーに送信する。トラック隊は増速したはず。
ポルシェ・ティーガーは、現時点では役に立たない。
遠距離間接砲撃は、軽戦車のような機動力のある機体には効果が望めない。
ひたすら逃げるトラックと、敵軽戦車の間に立ちふさがるのは、我々Ⅳ号戦車442号だけなのだ。
俺の照準器にも、ようやく敵影が確認できた。
角ばったシルエットはBT-7だ。ずんぐりとしたシルエットがM5A1スチュアート。
距離はおよそ千メートル。遠距離打撃戦の距離だが、敵の豆鉄砲は、こちらに届かない。
肩越しに、車長のテルオー曹長を振り返る。
心得たもので、テルオーが俺の視線を受けて、頷いた。
「ぶちかましてやれ」
「了解! 弾種徹甲! 装填急げ!」
照準器を覗く。
敵は増速したようだ。
前面装甲が軽戦車にしては厚いスチュアートがBT-7の前に出てくる。
陣形は、三台で三角を形成する『楔形陣形』。
その後方に、BT-7が四台、横に広がりつつ横隊を組んでいる。
支援砲撃の構えだ。
我々は無防備な尻を向けている状態。
接近しての殴り合いは避けたいところだ。
「出足をくじきますぜ」
宣言して、狙いを先頭車両に合わせる。
スチュアートのシルエットなのに、赤い星が描かれいる事に違和感がある。
仰角ハンドルと砲塔旋回ハンドルを微調整する。
横揺と、縦揺を不規則に繰り返していたペンギンと比べ、なんと狙い易い事か。
ただし、的は小さい。その分当てにくくはあるのだが。
バウンドした車体の動揺が収まった瞬間に、引鉄を絞る。
砲声が車内に響く。硝煙に噎せる。
照準器の中で、軽戦車どもがジグザグ走行を始めた。
地面から着弾の火柱。砲弾は、先頭を走るスチュアートの僅か左に反れた。
「至近弾! 応射くるぞ! ジグザグ走行開始!」
テルオー曹長から指示が飛ぶ。不機嫌な犬の様に唸りながら、ギアを切り替えながら、操縦手のヨハン・リヒテンシュトーガ上等兵が操縦レバーをガチャガチャと操作する。
チカッとスチュアートの備砲37ミリ戦車砲M6が瞬く。
この砲の通常徹甲弾の適正交戦距離は千ヤード(約九百メートル)。それを過ぎると、急激に初速は減衰して、着弾がブレる。
事実、彼らが放った砲弾は、大きく右に反れて着弾の土煙を上げた。
「次弾徹甲! 装填急げ!」
装填手のテッケンクラート二等兵に命じつつ、再度微調整をする。
敵はジグザグ走行しているが、その癖を読む。そして、到達予測地点に砲撃を行わなければならない。
これを『偏差砲撃』という。相手が動いている時は、これしかない。
こっちが停止していても難しい砲撃だが、走行間での射撃となるとグンと難易度が上がる。だから、闘志が燃えるのだ。