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砲手の時間

 砲手を務めていると、時間が停止しているような感覚に捕らわれる事がある。

 あの海上を走る戦車……ペンギンでの勤務中でも度々あったことだ。

 凍えるバレンツ海で。

 血まみれの英仏海峡で。

 照準器を通じて、敵の息遣いが聞こえる。

 恐怖の感情が流れ込んでくる。

 憎悪の感情が流れ込んでくる。

 時が歩みを止める瞬間がそれだ。

 音すら消失するのだ。

 俺は、ホロリと発射の引鉄を引く。

 運命によって死の砲弾が発射される。そこに俺の意思はないと、自己暗示をかける。

 それが、殺しを生業にする我々兵士が、自分を守るための秘訣なのだと教わった。

 現実に引き戻すのは、硝煙。そして、つんざく砲声。

 パルチザンの機関銃座。砲撃の瞬間、パルチザンの下士官らしき髭面がこっちを見たような気がした。

 その一瞬の後、榴弾の炸裂。

 土煙、火花、地面をビリビリ震わせながら放射状に伝わる衝撃波。

「次弾榴弾! 瞬発信管! 装填急げ」

 ガンガンという鋼が打ちあう鋭い音。

 砲撃で居場所がバレたⅣ号戦車に銃口が向けられたのだ。

 テルオー曹長が、体をずらしてキューポラの中に頭を隠す。狙撃兵対策だ。

「狙いがつきしだい、撃て!」

 指示が飛ぶ。言われんでも、やってやるさ。

 ガチンと大口径の銃弾が当たる音。

 パラパラと錆び止めのペンキが車内に散った。

「対戦車ライフルだ! クラッセン軍曹、なんとかしろ!」

 テルオー曹長が叫びながら、キューポラのスリットから、四方を索敵する。

 斜面で車体を守っているとはいえ、至近距離で側面を撃たれると、装甲を抜かれる。


 ―― どこだ?


 俺も砲塔旋回ハンドルを回して、照準器で索敵する。

 その間にも、ガチン、ガチンと砲塔に対戦車ライフル弾が二度当たった。

 狙撃手は二名。おおよその見当はついた。移動していないなら、銃火で居場所が特定できる。

 わざと、微妙にズレた方向に砲を向け、照準器の視界ギリギリに潜伏場所を捕えておく。

 エルアラメインの砂漠で使った、トリックだ。居場所が特定されていると悟られると、移動されてしまう。

 すぐ砲塔を動かせるよう、砲塔旋回ハンドルに手を掛けたまま待つ。

 チカッと銃火が瞬き、砲塔側面の追加装甲シェルツェンに穴が開く。砲塔はわざと微妙に角度をつけてあったので、追加装甲で初速が減衰した銃弾は砲塔装甲で弾かれ、もう一度追加装甲に当たって跳ね返り、激怒したスズメバチの羽音を立ててあらぬ方向に消えてゆく。

 砲塔旋回ハンドルを回す。

 どこを狙えばいいのか、既に分かっていた。

 狙撃手のスコープには、自分の方を向く七十五ミリKwK L/48戦車砲の黒い砲口が見えているだろう。

 逃げる。その気配があった。

 そうはさせない。

 砲軸機銃のペダルを踏む。カタカタカタと機銃が鳴る。排出された薬莢が、側面装甲に当たって転げ落ちる音まで聞こえた。

 曳光弾が、狙撃兵が隠れているあたりの地面を沸騰させたかのように、泡立たせる。

 狙撃手は地面に伏せたはず。

 砲撃。

 狙撃手が隠れていた岩が土煙と火花の中に埋没する。

 風に吹き払われたその地点は、窪んだ地面しか残っていない。

 この寒い中、汗みずくになって装填手のテッケンクラート二等兵が硝煙を漂わせる空薬莢を引き出し、排出用の小窓から投げ捨てる。

「次弾榴弾! 瞬発信管! 装填急げ!」

 もう一人の狙撃手を探す。

 ガチンという着弾音。

 細かく照準器の画面がブレた。

 狙撃手は、照準器を狙って狙撃してきたらしい。

 レンズは無事だったが、その周辺に当たったということだろう。

 照準器をぶち抜かれた場合、俺の頭部は無くなる。今回は、運があった。そういうことだ。

 照準器を狙える位置。砲塔が向いている方向のどこか。そこに狙撃手がいる。


 ―― さあ、撃ってこい。


 動揺して索敵している風を装いつつ、照準器に狙いを絞らせないために、細かく砲塔を左右に動かす。

 移動したか? そう思った瞬間に、チカッと銃火が見えた。

 間髪入れずに、砲身根本の防盾に銃弾が当たって、ガキンという鋭い音がした。

 砲塔旋回ハンドルを回しながら、仰角調整ハンドルも同時に回す。

 敵の狙撃手は、ちょっとした放水路の河岸段丘の上から撃ってきたのだが、さらにその頂上まで移動していた。

 同軸機銃を撃つ。

 照準器の先で、相手が怯んだのが感じられた。

 七十五ミリKwK L/48戦車砲の引鉄を引く。

 つんざく砲声。河岸段丘に着弾する榴弾。瞬発信管に調整されているので、着弾の衝撃と同時に、炸裂した弾頭が死の鉄片を撒き散らす。

 火花と土煙。それが晴れた後に、狙撃手が隠れていた河岸段丘には、ごっそり抉れた穴だけが残った。


「対戦車ライフル、排除!」


 砲塔を旋回させて次の獲物を探しながら、報告する。

 ズシン、ズシンと、その間にもポルシェ・ティーガーの88ミリKWK36による榴弾は着弾していて、包囲していたはずのパルチザンは、逆包囲を受けた形でⅣ号戦車とは反対側に退却を始めていた。

 ただし。その方向は軽戦車ルクスとサイドカー部隊が埋伏している場所だ。

「皆殺しだ。戦車前パンツァー・フォーへ!」

 ガルルンとエンジンが唸る。

 履帯が斜面の土を噛み、危険なほど傾きながら、Ⅳ号戦車が傾斜を乗り越えた。

 小銃や機関銃を撃ちながら、パルチザンが算を乱して逃げてゆく。

 砲撃中止の通信を終えた通信士のメリエ伍長が、車体の固定機銃席に着いていた。

「追撃戦に移行する。山猫の方向に追い立てるぞ」

 カチカチという了解のクリック音が、山猫から通信されていた。

 通信士のメリエ伍長が固定機銃を撃ち始めた。

 俺も、同軸機銃を撃つ。

 榴弾が必要なほどの密集した敵がいないのだ。

 歓声が上がっていた。

 苦しい籠城戦を続けていた守備隊の方からだ。

 鋼鉄の使役馬が駆ける。舌舐めずりして待ち構える山猫の方へと敵を追い立てながら。

 藪を突き破って、山猫が飛び出た。

 パルチザンを先導していた下士官が、ボロ屑の様に跳ね飛ばされるのが見える。

 チェーンソーという仇名のグロスフスMG47機関銃が逃亡しているパルチザンを斉射していた。サイドカーの備砲だ。

 前後を挟まれたパルチザンは、まるで擂鉢の中の胡麻の様だった。


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