移送の途中
夜間、列車で移動する。
灯火統制をしているので、暗闇の中を低速で北に向って走っている。
列車での移送は、波国まで。
この先はパルチザンの活動が激しく、線路の爆破などがあるので、まともに鉄道は運行できない。
スターリングラードが奪還されて以来、ずるずると後退を続ける東部戦線。
コルホーズやソフホーズなどの、露国の生産拠点に独国移民を送り込んだのはいいが、今は後方に移送しないと守りきれないという段階に来ているらしい。
小さな入植者の村など、ゲリラやパルチザン等に襲われて、皆殺しなどの悲惨な事件が続発しているようだ。
我々、『ならず者小隊』は、後方移送される独国入植者を護衛し、安全圏まで逃がす任務につく。
場所はボリホフカという、波国国境に近い小さな村。泥炭の産地だった。
鉱山技術者の入植者がおり、それを逃がす。露国軍の攻勢が強まることに比例して、パルチザンの活動が激化していて、治安の危険度が増しているのだ。そして、その防備に向ける兵力がない。
もともと露国の軍隊は正規軍であっても山賊まがいの連中で、ましてやパルチザンなどの便衣兵などその程度は推して知るべしだ。
男は家畜の様に殺され、女は強姦されて殺される。非戦闘員であろうと、お構いなく。
欧州が疲弊しきった頃に、しれっと参戦した卑劣な米国の兵士も、各地で暴行事件や強姦事件を起しているようだが、露国の野蛮さはレベルが違う。十字軍の頃と変わらない。
糞露助ども、呪われろ。
単調な線路の響き。ガタン、ゴトンと。
貨物車の壁面の隙間から、冷たい月光が差し込んでくる。
波国の首都ワルシャワを過ぎると、ぐっと空気が冷え込んできた。
外套をきつく体に巻き付け直して、軍帽を目深に被り直す。
腰に当たる硬い感触は、ペンギンの指揮官だったシュトライバー大尉から貰ったワルサーP38。
死にたがりのシュトライバー。
気に入らない海軍野郎。
重傷だった彼の足の傷は癒えただろうか?
いつの間にかトロトロと眠っていたらしい。空気はさらに冷え、列車の速度が上がっていた。陽が昇ったのだろう。夜間は灯火統制で探照灯が点けられないので、ノロノロ運転だった。
我々は最後尾の貨物車に押し込まれている。俺は、その後部デッキに出た。
風景は、いかにも波国郊外という感じの、広大でなだらかな景色だ。
要するに、くそ田舎の風景。
背伸びをすると、バキバキと骨が鳴った。
『分け前』のラッキーストライクをポケットから出して、手で囲いながら紙マッチで火をつける。上等な細巻葉巻のダビドフは、コニャックと一緒に部屋に隠してある。無くしたらもったいない。
そういえば、かつての乗機P-07の機銃手、エーミール・バルチュ伍長は大量にこのタバコを隠し持っていたが、どこから調達していたのか?
くわえタバコで、放尿する。
風に向って真後ろを向くと、風が巻いてひどいことになる。
やや斜めになって、一定方向から風が当たるようにするのがコツだ。
これは、荒れるバレンツ海で学んだ知恵だった。
「なるほど、そうすればよかったのか」
いつの間にか誰かが後ろにいて、俺は跳び上がるほど驚いた。全く気配が感じられなかったのだ。
「シェーンバッハ中尉じゃないすか。おはようさんです」
大事なモノをしまいながら、朝の挨拶をする。
『ならず者小隊』の小隊長、サボゥ・シェーンバッハ中尉は、ボロ布でズボンを拭きながら、頷くことで答礼した。やっちまったようだ。
俺もペンギン上で、一度やらかしちまった。強風の中での放尿の仕方を教えてくれたのが、シュトライバー大尉だった。
「吹きもどってくるので、困ったよ。急には止められないしね」
ボロ布を放り捨てながら、シェーンバッハ中尉が笑う。気弱な学生みたいな顔。ヒョロリと背が高く痩せている。
とても、要注意人物とは思えない外見だった。
だが、眼は違う。
深い紫色の眼の奥には、グツグツ煮えた怒りがあって、そのせいで笑顔を作り物めいて見えるのだ。
「一本、いいかい?」
俺が、箱ごとラッキーストライクを渡す。
シェーンバッハ中尉は押し頂くようにして一本箱から取り出し、オイルライターで火をつけた。
くそマズい米国のタバコを吸いつけながら、シェーンバッハ中尉が昇りはじめた朝日に眼を細める。
「戦場に復帰できて嬉しい。君もそうだろ? うん?」
家族も住む家も全てこの戦争で失った男。
敵への憎しみだけを糧に、生きている男。
戦場しか、彼には残されていないのだろう。
故郷の貧民窟を捨て、軍に自分の居場所を見つけようとしていた自分とは、なんとなく似ているような気がした。
「そうすね」
言葉短かに、答える。
のどかな田園風景が、跳ぶように流れ去ってゆく。
「朝食後に、ブリーフィングをする。我々の初陣だな」
タバコを投げ捨て、独り言のようにシェーンバッハ中尉が言う。
なんとなく、話の接ぎ穂に困る男だった。
「了解っす」
俺は、やはり言葉短に応えたのだった。
塩辛いビスケットと塩辛い豆、塩辛いサラミの煮た代物と焦げ臭いだけの珈琲が朝食だった。
鉄道作業員の食事を分けてもらったものだが、温かいのだけが取り柄の食事だ。釜焚きでたっぷり汗をかく鉄道員ならともかく、単なる乗客の我々には塩辛すぎて、喉が乾くだけだ。
ブリーフィングは、我々が住居区として割り当てられた貨物車の中で行われた。
壁面に地図が張り出される。
波国と露国の国境近くにあるポリホフカという場所の『第二十七協調炭鉱』とかいう糞ダサい名前の泥炭採取所が、我々の作戦場所らしい。
炭鉱技術者とその家族百二十名を安全な波国側の鉄道駅に避難させるのが任務になる。
「今は、我々が置かれている状況を説明するだけだ。明朝もう一度ブリーフィングを開くが、意見具申がその時に承る」
そう、前置きして、シェーンバッハ中尉が地図に書き込みをしてゆく。
地形は、南北に流れる放水路と、平野。
放水路の名前は『第十七労働放水路』というダサい名前らしい。
くの字に曲がっているのは、急峻な水流を弱めるためなのだが、土木の常識すら露国の収賄まみれの役人は知らないらしい。抵抗なく流れるよう、真っ直ぐにすることぐらい、素人の俺でも知っているんだがね。
おかげで、この地域は雪解けの春の増水時期にはかなりの頻度で洪水に見舞われるそうだ。
独国入植者が工事したのは、放水路の放水路を作る事。馬鹿な露助の尻拭いを、我が国が行ったわけだ。
おかげで、『第二十七協調炭鉱』は放水路に囲まれた中世の平城みたいな地形になっている。
「それゆえ、少数の守備隊だけで包囲を凌げているともいえる」
撤収の準備のため、歩兵一個分隊と放水路に囲まれていることもあってラントワッサーシュレッパー(通称:LWS 水陸両用装甲車)一両が差し向けられたのだが、蜂起したパルチザン百名規模に包囲されているらしい。
ロクな武装もないパルチザンを凌くことは出来るのだが、問題は露国の主力重戦車KV-1を中心とした機甲部隊が接近していること。
中隊規模の部隊だが、これらが到着すれば『第二十七協調炭鉱』はひとたまりもない。
かといって、パルチザンの包囲を破る兵力もない。
そこで、我々『ならずもの小隊』の出番となる。
包囲の背後から襲いかかり、パルチザンを潰走させ、入植者の避難誘導が終了するまで、敵機甲部隊を食い止めるのが、作戦の骨子。
時間との勝負だ。快速がウリのルクスの腕の見せ所だろう。
くの字に曲がった放水路の上流側と下流側に各一つ橋が架かっていたらしいが、今回の戦闘で止む無く爆破したらしい。
今は露助の馬鹿役人の尻拭いで作った『放水路の放水路』に架かる仮設橋だけが『第二十七協調炭鉱』に到達できる唯一の手段になっており、パルチザンとの戦闘もそこが中心になっている。
足が遅い指揮車のポルシェ・ティーガーは後方待機で、自走砲の真似事。
サイドカー隊と軽戦車ルクスが攻撃。我々Ⅳ号戦車は、ポルシェ・ティーガーと攻撃隊の中間に陣取って、援護射撃と万が一敗北した時は撤退を助けて殿軍を務めることになる。
なるほど、強行偵察隊らしい任務だ。
冬の反攻作戦に向けて、各部隊に実戦を経験させておきたいというパイパー中佐の思惑が透けて見える。
ノルマンディーで損耗した第一SS機甲師団は、今や寄せ集め部隊なのだから。
問題は、炭鉱技術者たちを輸送するために用意したトラックが半数以上破壊されてしまった事だ。
ラントワッサーシュレッパーと予備のトラックを使って、ピストン輸送するしかないのだが、そこまで時間の余裕があるのか? という問題がある。
それに、一時的にだが、敵地の真中に無防備な輸送部隊を送り出すことになる。
ルクスやサイドカー部隊が護衛につくが、守り切れるかどうか……。
「どう思う?」
地図と資料を見ていた俺に話しかけてきたのは、Ⅳ号戦車の車長テルオー・バッカ―ド曹長だった。
なぜか配下が戦死することが多く、その割には自分は無傷で生き残る男だ。ルクスの悪童の親玉アウグスト・グッテンマイヤー伍長は「うさんくせぇ」と言っていたが、訓練中でも普段の交流でも不審な点はなかった。卓抜した指揮官ではなく、堅実なタイプというだけだった。
まぁ、堅苦しい人物なのでルクスの悪童どもと相性は悪いのだろう。
「くの字の放水路を渡る手段が欲しいですね。ラントワッサーシュレッパーがあるので、なんとか工夫出来ないかと、考えているっす」
俺の横にテルオー曹長が並んで、地図を眺める。
「橋を落としてしまったのだろう? ムリだよ」
強固な造りの橋は、いざという時に爆破に失敗することがある。
そのため、パルチザンに包囲された際に、真っ先に落としてしまったのだが、これで波国側に逃れる手段がなくなってしまっている。
十数人で百名近い山賊どもと対峙しているのだがら、仕方がないことではあるが……。
「ここは、古い炭鉱っすよね。橇や樽はいっぱいあるはず」
俺の頭にはペンギンの事があった。
浮かばないはずの戦車を、フロートつけて無理やり浮かべた代物で、軍艦と殴り合った経験があるのだ。
「つい数年前まで、馬を使っていたそうだからね。泥炭を運び出すための橇は残っていると思うよ」
この戦は、民間人を無事に安全圏に送り届ければ勝ちだ。
ならば、後詰に来る強力なKV-1戦車と殴り合うことなく、終結させればいい。
「確認したいことがあるんで、『第二十七協調炭鉱』と連絡をとれるかシェーンバッハ中尉に確認を取ってもらえんすかね?」
テルオー曹長がニヤリと笑う。
「何か、思いついたのか?」
俺は、コクリと頷いた。