冷たい雪 3
あの少女の母親が見せた表情が、自分を捨てた女の表情と重なる。
自分を恐れている――あの顔に。
冷たい雪の中、女は一度だけ自分を強く抱き締め――そして、耳元で囁いた。
(……お前なんて――……)
大和は耳を塞いだ。
目を閉じる。
その先は聞きたくない。
周囲の音は聞こえなくても、頭の中で響く声だけは聞こえてくる。
と――その時。
「大和」
明瞭な声が頭の中で響く声を遮り、大和は顔を上げた。
見ると、斬影がこちらの顔を覗き込んでいる。
「どーしたよ? 具合でも悪くなったか? お前さっきの場所に居なかったからちょっと捜したじゃねぇか」
「……斬影……」
いつになく小声で呟く大和に、斬影は持っていた綿菓子を大和の前に差し出した。
「ほれ。お前が好きそうなモン」
「…………」
大和は差し出されたそれを、黙って受け取る。
「そんな荷物持ってたら、向こうの店まで行くの大変だろ? だから買って来てやった」
「……アンタが持たせたんだろ」
低く呻く大和に、斬影は笑いながら答える。
「仕方ねぇだろ。久し振りにこんな所に来たら俺も童心に返るっていうか……なぁ?」
「……知らん」
大和は顔を背け、石の上から下りた。
斬影は、大和に持たせていた荷物を大和の腕の中から引き抜く。
「……あ? 風船が一個無くなってんな」
「ああ。割れた」
それを聞いた斬影は、怪訝な表情を浮かべた。
ひとつため息をついて、大和に問い掛ける。
「……何にぶつけた?」
「頭」
斬影の問いに、即答する大和。
彼は軽く額に手を当て、
「お前……またそんな事」
「用も無くふっかけた訳じゃない。それに、そんなの一個無くなっても困らないだろ」
「そりゃまぁそうだが」
呻く斬影を横目に、大和は歩き出した。
「おい? 祭り。見て行かねぇのか?」
言われて、大和は足を止める。
「いい。祭りがどんなのか分かったから」
「他に欲しいモンねぇのか?」
訊くと、大和は先程渡された綿菓子を示し、
「……これでいい」
そう言ってまた歩き出す。
斬影はボリボリと頭を掻きながら、大和の横を歩く。
「……やれやれ。こういう場所に来れば遊び心のひとつも出るかと思ったが……」
大和は無言で隣を歩く斬影を見据える。
あの時も。
そして今も。
斬影の声はよく聞こえる。
あの日――斬影と初めて町へ来た日。あの日以来、昔の事を考えるようになった。
町で見た子供の姿。父と母と、その間で無邪気に笑う子供の姿。
どこかで羨ましいと思ったのかもしれない。
母と呼ぶべき女は、自分を捨てた。
実の父は顔も知らない。
「……ん? どうした?」
こちらの視線に気付いてか、斬影が訊いてくる。
大和は斬影の顔を見上げ、
「俺とアンタって親子に見えるのか?」
「はぁ?」
思いもよらない問いに、斬影は素っ頓狂な声をあげた。
「……そんな事言ってきたヤツがいた」
その言葉に、斬影は軽く頬を掻きながら、
「……さ~てなぁ。あんまり似てねぇしな。まぁでも、お前もこんな強くてカッコイイ親父が居たら自慢出来るだろ?」
得意げにそう言う斬影に、大和はポツリと呟く。
「……似てなくて良かった」
「何だとぉぉぉぉっ!? お前……自分で話題振っといてなんだそりゃっ!? 俺だってなぁ! お前みたいな無愛想なガキ……」
大和の言葉に斬影は思わず怒鳴ったが、その声は途中で途切れた。
「…………」
見れば、大和が斬影の着物の袖の端を掴んでいる。
その様子に、斬影は深々と嘆息した。
「……帰るか」
斬影がそう言うと、大和は無言で頷いた。
隣を歩く斬影を見て、大和は思う。
あの日。冷たい雪を払い、抱き上げてくれた腕は温かかった。
冷たい声も記憶も払い退けてくれる。自分の事を見てくれる。
ならば、自分が親と――父と呼べるのは斬影だ。
「また来るか?」
歩きながら、斬影が訊いてきた。
大和は綿菓子を口に運び――その甘さに綻ぶ表情を隠すように面を被る。
面の下から、くぐもった声で大和は答えた。
「……これ買ってくれるなら来ても良い」
「お面か?」
「違う」
「分かってるって」
斬影は笑いながら大和の頭を撫でる。
これまで気にならなかったが、今はその手が少しくすぐったい。
綿菓子の甘さとは別に表情が緩む。
冷たい声は聞こえて来ない。
冷たい雪は止んだ気がした。