冷たい雪 2
様々な出店が立ち並び、提灯の灯りに彩られた町の様子は、この間来た時とはまるで印象が違う。
行き交う人々は皆、祭りを楽しんでいるようだ。
明るく笑い、歌い、踊る。
「…………」
そんな町の様子を見て――大和は無言でため息をつく。
斬影に連れられ祭り見物に来た大和は、不機嫌そうに歩いていた。
腕には、斬影が出店で遊んで貰った景品が抱えられている。
(……要するに……)
大和は前方を機嫌良く歩く斬影を睨みながら、胸中で毒づいた。
(自分が遊びたいから俺をダシに使った訳か)
一人で来るのに抵抗があったのかどうかは知らないが、一人で来ている者は少ないようだった。
家族連れが多いように見える。
小さな子供を連れて居れば、こういった所では遠慮無く遊べるだろう。
その視線に気付いてか、斬影がくるりと振り返る。
「……そんな顔で見るなよ。ちゃんとお前にも買ってやってるだろ?」
「……別に俺はこんなのが欲しいなんて言ってない」
そう言って、大和は頭の横にずらしてある猫のお面を示す。
「分かってるよ! ちゃんと分かってる。だからそう睨むなって」
と、大和を宥めるように両手を挙げていた斬影が、ぱっと顔色を明るくする。
「おっ! 大和。ちょっとそこで待ってろ」
「……は?」
話の途中、斬影は何か見付けたらしく、大和を置いて人混みに紛れて行った。
「…………」
人混みに消えた斬影を見送って、大和は深々と嘆息する。通りから少し外れた場所にあった石の上に腰を下ろす。
暫し無言で町の様子を眺めていた――その時。
背後から声が聞こえてきた。大和は声のした方へと視線を向ける。
声は少し離れた、茂みの奥から聞こえてくる。
「……離して! 私、お母さん探さないと……」
「だから俺達がお母さんのトコロまで連れてってやるよ」
「いやぁぁぁぁっ!」
大和は大きくため息をついた。
こういうのには関わらない方が良いと、どこかで冷静な自分が告げてくる。
バシャンッ!――
「うわっ!? 冷てっ……何だ!? 水っ!?」
「…………!?」
少女の手を掴んでいる男目掛けて投げた水風船は、男の後頭部に直撃し、破裂した。
男は突然の出来事に目を白黒させ、辺りを見回す。
振り返った男の視線の先には、一人の少年が立っていた。
「……おい。ガキ。今のは……てめぇの仕業か?」
男は――、一言でいうなら激怒しているようだった。
大和は答える代わりに、持っていたもう一つの水風船を手のひらに乗せる。
「……別にお前らみたいなのがどこで何しようと関係無いけど……」
一拍置いて続けた。
「うるさいんだよ。やるなら静かにやれ」
「こっ……こンのクソガキィィィィィィッ!」
男は真っ直ぐ突っ込んで、大和に掴み掛かろうとする。
その時、周囲に居た別の男がはっと息を呑む。
「……あの髪……」
暗がりでよく見えなかったが、一瞬、月明かりに照らされたのは、白銀の髪を持つ少年――
「おいっ! 待てっ! そいつは――……」
男は、少年に突っ込んで行く大男に制止の声をあげる。だが、その声はあまりにも遅すぎた。
ドガァッ!――
見れば、彼は少年に足を払われ、体勢を崩された所に、背後から思い切り蹴りを食らい、目の前の木に激突していた。
蹴られた男は、ズルズルとその場に倒れ伏す。
「……あ……あぁ……」
それを見た男は、怯えたように呻き声をあげる。
「…………」
振り返った大和と視線が合うと、男は仲間の男達に震える声で告げた。
「おめぇらっ! 逃げるぞ! あのガキとマトモにやりあっても勝ち目がねぇっ!」
恐る恐る大和の横を通り抜け、気絶している男の足をひっ掴むと、男達は悲鳴をあげながらバタバタと逃げ出した。
それを無言で見やり、大和は虚空を見上げる。
「……どっかで会ったっけ」
自分を知っているような口振りの男。
暫く考え込んで――漸く記憶が繋がった。
「ああ。斬影の財布スろうとした奴らか」
先程蹴った男に見覚えは無かったが、他の男は記憶の片隅に覚えがある。今回は自分に実害があった訳では無いので、わざわざ追い掛けてまで締め上げる気にはならない。
一人で納得して――大和は踵を返す。
と――その時。
「あ……あの」
呼び止められて、大和は足を止めた。
振り返ると、おだんご頭の小柄な少女が、ペコリと頭を下げる。
「助けてくれてありがとう。変な人に連れて行かれそうで困ってたの」
「…………」
大和は少女から視線を逸らし、
「……礼なんかいい。別に助けようと思った訳じゃないし」
それを聞いた少女は、首を傾げた。
「そうなの?……でも私は助かったから……ありがとう♪」
ニコニコと笑顔で礼を言う少女。
大和は短くため息をつくと、目を閉じた。
「……いいから行けよ。一人で居たらまた絡まれるぞ」
そう言って、大和は再び歩き出す。
少女はその後を付いてくる。
「あっ!」
少女はふと、気付いたように声をあげた。
ぱんと手を打ち、
「あなた、こないだ町で見掛けた……あの時の白い髪のコ!」
町の明かりが届く所に出て、大和の姿がはっきり見えると、少女はこちらの顔を覗き込んできた。
大和は、もと居た場所に戻ると石の上に座る。
この少女に見覚えは無かったが、彼女は何故かこちらを覚えているらしく、きょろきょろと辺りを見回し、
「一人? 今日はお父さん一緒じゃないの?」
「……お父さん……?」
少女の問いに、大和は眉根を寄せた。
少女は両腕をパタパタと振り、
「ほら。長い黒髪の――……」
言われて――大和は、ああと小さく呟く。
「……斬影の事か。どっか行った」
素っ気なく答えると、少女はまた小首を傾げる。
「……迷子?」
「違う」
大和は即答した。
少女はこちらの話を聞いているのか、いないのか――勝手に話し始める。
「私のお母さんも迷子になっちゃって……私、お母さん捜してたの」
母親が迷子になったのではなく、この少女が母親からはぐれたのではないかと思ったが、大和は敢えて何も言わなかった。
「……お母さん……どこ行ったのかなぁ……」
「…………」
少女はぽつりと呟く。
特にこちらに話し掛けている感じでは無いので、大和は何も言わない――というより、何を言えば良いのか分からない。
今まで斬影以外の人間と、ロクに会話をした事が無いのだから無理もないが。
と、少女はこちらを見上げ、唐突に話題を変えた。
「それにしても……凄く強いね。私、びっくりした」
「……別に。大したことない」
少女とは視線を合わせずに、大和は淡々と答える。すると、少女は不安げな様子で、こちらの顔を覗き込む。
「……何か……怒ってる?」
「別に」
「……でも……」
「…………」
小さな拳を口元に当て、少女は困ったような――今にも泣き出しそうな表情をしていた。
特に何を見るでもなく、前方を見据えていた大和は、軽く頭を掻きながら、少女に視線を向けた。
「……怒ってない。普段滅多に会話なんかしないから、何話せばいいのか分からないだけ」
「……そうなの?」
「……ああ」
少女は軽く息を吐いた。緊張していた表情を緩める。
「じゃあ、普段何をしてるの?」
少女の問いに、大和は視線を上に向け、
「……何かな……洗濯とか掃除とか薪割りとか……」
「……じゃあ、普段何をして遊んでるの?」
「…………」
少女は質問の内容を変えた。
その問いに、大和は沈黙する。
暫し考えて、
「……毛玉転がしたり、木刀振り回したり……」
「……ふ~ん……?」
遊びと言えるのか分からないが、家事以外でやっている事は他に無い。
曖昧な様子で相槌を打つ少女に、大和は嘆息まじりに口を開く。
「俺の事より……お前……母親捜してたんじゃないのか?」
大和が問うと、少女は表情を曇らせる。
力無くかぶりを振り、
「……だって……お母さんどこにいるか分からないし……」
少女はしゃがみ込んで、顔を伏せる。
何となく気まずい雰囲気に、大和は居心地悪そうに身じろぎした。
とりあえず、黙っているのも何なので、思った事を口にする。
「……その……家が近いなら先に帰るとか。祭りが終われば帰って来るだろうし」
言うと、少女は再びかぶりを振る。
「……暗い道……一人は怖いから……」
「…………」
少女の声はくぐもっていて、よく聞き取れなかった。もっとも、聞き逃す事もなかったが。
大和は無言でため息を落とす。
「……なら、もっと目立つ場所か、帰り道の何処かで待つしかないだろ。下手に動き回ったら余計捜しにくい」
大和がそう言うと、少女は顔を上げた。
「ここ……この道。帰りに通る道なの」
「だったら、そのうち通るだろ」
他に気の利いた言葉も思い浮かばず、大和は少女から視線を外す。
少女は暫し大和の方を見詰め――やがて、その視線を通りへと向けた。
「……じゃあ待つ」
それから暫くの間、口を閉じていた少女がこちらに顔を向け――沈黙に耐え兼ねたのか――話し掛けてきた。
「あなたの髪……本当に真っ白ね」
そう言ってきた少女に何と返せば良いのか分からず、大和はただ沈黙する。
「触ってもいい?」
「…………どうぞ」
大和がそう言うと、よほど気になっていたのか――少女は、ぺたぺたと大和の髪を触る。
「元々こういう色なの?」
「……ああ」
「凄いね! こんな白い髪……ウチのおじいちゃんくらいしか見た事ない」
「…………」
いつだったか、斬影に言われた言葉が頭を過る。
何やら複雑な気分で、大和は低く呻いた。
「……もういいか……?」
「あ」
大和は少女の手を払い退ける。
「お母さんがね。白い髪の子供は妖の子だから近付いちゃダメだって言ってた」
それを聞いた瞬間――大和は強く拳を握りしめた。
目を閉じ、深い吐息と共に言葉を吐き出す。
「……なら……どうして俺に構うんだ……?」
「だって……あなたは私を助けてくれたから。それに悪い人に見えないし」
「…………」
にっこりと笑いながらそう言う少女に、大和は言葉を失う。
大和が何も言えないでいると、少女が再び口を開いた。
「あのね――……」
少女が何か言おうとした――その時。
「綾那!」
突然聞こえてきた声に、少女が振り返る。
「お母さん!」
少女――綾那は、声の主を見るや否や、そちらに駆け出す。
「勝手に歩き回ったら駄目だって言ったでしょう!?」
「ごめんなさい……」
綾那の母は彼女を叱る。
しかし、すぐに彼女の頭を優しく撫で、
「……でも良かった。無事で……」
「うん。あの子が助けてくれたから」
「……あの子?」
問うと、綾那は大和の方へ視線を向ける。
綾那の母もこちらに顔を向け――その表情を強張らせた。
「……あれは……」
「変な人に連れて行かれそうになったんだけど、あの子が助けてくれたの。スッゴク強いのよ」
「綾那っ!」
綾那の母は、先程にも勝る声量で叫ぶ。
彼女は、綾那の手を引くと、足早にその場を去ろうとする。
「痛っ……お母さん、手が痛い」
「帰るわよっ!」
母親に手を引かれながら、綾那はこちらに手を振った。
「えっと……またね!」
それには答えず彼女らを見送って、大和は顔を伏せた。
祭りの明かりを視界の端に見ながら、一瞬脳裏に浮かんだ光景を思い返す。