白き鬼 8
鬼は狐の方を見やり、
『よくやった。狐。あの女を他の妖魔に喰わせるのは勿体無いからな』
『鬼様……お誉めにあずかり光栄です!』
久遠が涙ながらにそう言う。
その瞬間。
ガッ!――
『おっと』
鬼が視線を外した僅かの隙に、大和は鬼の刀を弾き、後方へ飛び退いた。
大して気にした様子もなく、鬼が呟く。
『少し余所見し過ぎたか』
小夜を背後に庇うようにして、大和は構え直す。
小夜は大和の背中に向け、小さく謝った。
「大和……ごめんなさい。私……」
「……もういい」
大和はかぶりを振って、刀を握りしめる。
逃げられない事はよく分かった。
まともに戦って勝てない事も。
(……どうすればいい)
大和が胸中で呻いた――その時。
鬼が意外な事を口にした。
『……まだやるのか?』
「……何?」
大和は眉根を寄せる。
鬼は特に構える素振りは見せない。こちらが何かの変化に気付いた時には、もう遅いのだろうが。
何にせよ、鬼は続ける。
『お前は俺に勝てない事を理解したのだろう? それなのにまだやるのかと訊いておるのだ』
「……このまま殺されてやるつもりは無い」
『そうか……』
鬼は目を閉じ、嘆息した。
『久遠』
『は……』
呼ばれて、久遠は一瞬ぽかんとする。
そして、感極まったように大声で叫んだ。
『お……鬼様が名前を呼んで下さったぁぁぁぁぁぁっ!』
喜びのあまり転がり回る狐を、鬼は蹴り飛ばす。
『いったぁぁぁぁいっ!』
「…………」
今度は痛みでのたうち回る狐。
大和が呆気に取られていると、鬼は半眼になって狐を見下ろす。
『煩い奴だのう。女を連れて、とっとと下がれ』
『は……はひ!』
久遠はのろのろ立ち上がると、鬼の側で宙返りした。
ぽんっ! と風船が弾けるような音がして、狐は白い煙に包まれる。
一瞬後――狐は大きな耳と尻尾の生えた、茶色い髪の小柄な少年にその姿を変えた。
鬼は狐の変化を確認すると、何の前触れもなく刀で大和を薙ぎ払う。
「――――っ!」
声にならない悲鳴をあげ、大和は吹き飛ばされた。
鬼は大和が飛んでいった方を見やり、不敵な笑みを浮かべる。
『……引く気が無いようだからな。少し遊んでやる』
「大和っ!」
小夜が大和の許へ駆け出そうとした時、その腕を久遠に掴まれた。
『お前はこっちに来い』
「嫌っ! 離して!」
『暴れるな! お前を安全な場所に連れて行くだけだ! 鬼様の遊びに巻き込まれて怪我なんかさせたら、俺が鬼様に叱られる』
それを聞いて、小夜は弾かれたように目を見開く。
「遊び!? あれのどこが遊びなの!? あんな……ひどい!」
久遠は嫌がる小夜の手を引きながら、
『もし鬼様が本気なら、あの人間は最初の一撃で死んでる。まだ息があるのは鬼様が本気じゃ無いからだ』
「でも!」
目に涙を浮かべ声を上げる小夜に、久遠は耳を伏せながら怒鳴った。
『煩いなっ! お前が行っても何も出来ないだろ!? 黙ってついて来い!』
「…………っ!」
言葉を詰まらせる小夜に、久遠はさもつまらなさそうに呟く。
『……何か知らないけど、鬼様はあの人間に興味を持ったみたいだ。だからすぐには殺さない』
「……えっ?」
『鬼様も何で人間なんかに……』
小夜の声は無視して、久遠はぶつぶつと溢す。
久遠に手を引かれながら小夜は振り返った。
「……大和」
「……っつ……」
大和は刀を突き立て、立ち上がる。
ギリギリのところで鬼の刀を受け止めたが、その桁外れの力にあっけなく吹き飛ばされた。
鬼はこちらを斬るつもりでは無いようだが、あんなモノをまともに喰らったら骨の二、三本では済まない。
と――
『まだ立つか』
「…………」
大和の思考を断ち切るように、鬼の声が響く。
『そうでなければ面白くないがな』
「……俺はお前を楽しませるつもりは無い」
大和は短く吐き捨てる。
『ふっ……』
鬼は軽く笑って、刀を振り下ろす。
大和は、なんとかそれをかわしたが、その直後――
「なっ!?」
地面まで打ち下ろしていた筈の鬼の刀が、目の前に迫っていた――それも、振り上げより遥かに速い筈の振り下ろしと同等の速度で。
大和は胸中で悲鳴をあげる。
(こんな馬鹿でかい刀……そんな勢いで振り回されたらかわせな……)
大地を抉り、土と一緒に大和の体は上空に投げ出された。
「うあぁぁぁぁっ!」
乱暴に地面に叩き付けられ、大和は息を絞られる。
「あっ……ぅ……」
呻きながらひどく痛む脇腹を押さえ、大和は顔を上げた。
鬼は刀で肩を叩き、
『どうだ? 引く気になったか?』
「…………」
大和は無言で鬼を睨み付けた。
膝を立たせようとするが、地面に叩き付けられた時の衝撃が体に残り、それを許そうとはしない。
「……殺すなら殺せ。なんだってこんないたぶるような真似を……」
『俺は無益な殺生は好まぬ。それにいたぶっているつもりでも無いな。そういうのは俺の趣味ではない』
大和は歯を軋らせる。
「なら……何であの退魔師は殺した」
『ん?』
鬼はきょとんと目を丸くした。
大和の口から、その言葉が出た事が意外だったのだろう。
『なんだ。知り合いだったのか? あれはまあ……成り行きだ。別に生かしておいて害になる訳では無いが、得にもならんしな』
「…………っ」
『そんな事より』
何か言いたげな大和は無視して、鬼は目を細めて言ってくる。
『俺はお前に興味がある』
「なっ……」
思いもよらない言葉に、大和は虚を突かれた。
鬼はこちらに歩み寄ると、しゃがみ込んで大和の顎を持ち上げる。
『その眼、その髪。そして……体内を巡る妖気。お前は俺によく似ている』
「…………!」
それを聞いた瞬間、大和はびくりと体を震わせた。
『お前……俺の血を引いているな?』




