冷たい雪 1
それは、寒い冬の夜だった。
音も無く、ただ静かに雪が降り積もる。
(……お前なんて……生まれなければよかった――……)
――冷たい。
そう感じた。
それは雪だったのか、それとも――……
「…………」
大和はゆっくりと目を開いた。
もう幾度となく見た夢。
眠っている斬影を起こさないよう、大和は静かに部屋を出た。
まだ夜の明けきらぬ朝の空を眺める。
冷たい雪は、今も少年の心に降り続いていた。
◆◇◆◇◆
「……うーん……」
斬影は腕組みして眼前の少年を見据えた。
銀髪紅眼の少年――大和は、頬杖をついてぼんやりと窓の景色を眺めている。それは別に珍しい光景でも何でもないのだが、今日は少し様子が違っていた。
食事も摂らず、その場から動く気配を見せない。
「……どーしたよ? 今日はまた随分とご機嫌ナナメじゃねぇか」
朝から全く口を開こうとしない大和に、斬影は話し掛けた。
数日前、買い物に連れ出してから口を開くようになった大和。
その日を境に、少しずつではあったが、感情を表すようになっていた。それが朝起きてみれば、どういう訳か、以前と同じように感情を消している。
「……別に」
漸く口を開いたかと思ったら、素っ気なく言葉を断ち切る。
斬影は嘆息した。
「……何だ。悩み事か?」
「…………」
茶を啜りながら、
「あれか? 恋煩いか? こないだ町で見掛けた娘が気になるとか……」
その瞬間。
ガンッ!――
「あだっ!」
斬影の顎に、大和の投げた薪が直撃する。
まったく意識していない状態で受けた為、斬影はそのまま倒れた。
しかし、ガバッと跳ね起きると、大声で怒鳴る。
「てめぇ! ンなモン投げんじゃねぇ! 顎砕けたらどうすんだっ!」
大和は薪を投げた腕を引っ込めた。斬影の方には見向きもしない。
斬影は顎をさすりながらぼやく。
「……ったく。こっちも見てねぇのに命中率高過ぎるんだよ」
「そこに居るのが分かってるんだ。動いてないんだから見なくても当たる」
「ああそうかい。そりゃ大したモンだ」
斬影が投げやりにそう言うと、大和は無言で立ち上がった。斬影の横を通り過ぎ、戸口に手を掛ける。
「……おい。何処行くんだ?」
斬影が訊くと、
「……別に」
そう言って、大和は部屋から出て行った。
大和は無言で歩き続けた。
そこに行こうと思った理由は分からない。
暫く歩いて――やがて大和は足を止めた。
「…………」
そこは昔、自分が捨てられていた場所。
びっしりと雑草が生い茂った巨木の根元――そこに自分は置き捨てられた。以前は夢に見ても、それほど深く考えなかった。気分が良いモノでも無かったが。
大和はその樹に手を触れさせる。
どうして今になってこんなに気になるのか……
◆◇◆◇◆
斬影は長いつまようじをくわえ、虚空を見据えた。
「……ん~……何を考え込んでるのやら」
大和が出て行った戸口の方を見やり、ため息をつく。
訊いた所で、大和は口を割らないだろう。
と――
「おう。何処行ってたんだ?」
がらっと何の前触れもなく戸が開き、大和が顔を出した。
「……散歩」
斬影の問いに、大和は短く返事を返す。
「…………」
暫し考え──斬影は立ち上がると、立て掛けてあった木刀を手に取る。
そして、
「大和」
その木刀を一本、大和の方へ投げた。大和はそれを受け止めると、怪訝な表情を浮かべる。
斬影はニッと笑い、
「ちっと付き合え♪」
「……良いけど……」
「よしよし。んじゃ行くか♪」
斬影は、大和の頭を撫でると部屋を出ていく。
いまいち釈然としない面持ちで、大和は斬影の後について行った。
木刀がぶつかる度に、甲高い音が辺りに響き渡る。
大和と打ち合うのは、久し振りだった。
剣を握り向かい合うと、目の前の少年は、少年だという事を忘れそうな程に鋭い眼光を宿す。
背筋に冷たいモノが走り、斬影は胸中で皮肉げに笑った。
(本当に……末恐ろしいガキだぜ。コイツはよ……!)
カンッ!――
一際高い音が響き――木刀が弧を描いて宙を舞う。
「…………っ!」
一瞬後、木刀は地面に突き刺さった。
大和はちらと木刀を見やり、ビリビリと痺れる腕をさする。
「……俺とはやらないんじゃ無かったのか?」
「おいおい。そこはお前、久し振りに師匠様が稽古つけてやったんだ。『ありがとうございます』と頭下げるトコロだろ?」
「…………」
斬影は木刀を肩に担ぐ。
大和はぷいっと顔を背けた。
「まっ、そんだけ元気がありゃ十分だ」
笑いながらそう言って、斬影は踵を返す。
「さてと。飯の支度しねぇとな。昼はおめぇも食うだろ?……つか食え」
「…………」
大和は無言で木刀を地面から引き抜く。
その場から動く気配をみせない大和に、斬影は軽く手を振りながら告げる。
「俺は先に戻る。飯が出来るまでには戻って来いよ」
「…………」
大和は、小さくため息を吐く。
斬影の背中を見送って――その背中に深く頭を下げた。
その日の夜。
斬影が、ふと思い付いたように口を開いた。
「おお。そうだ大和。明日、町で祭りがあるんだとよ。行くか?」
「……祭り?」
箸を止め、大和が聞き返す。
斬影は頷く。
「お前行った事ねぇだろ? せっかくだからな。その時しか見られねぇモンもあるし……お前が好きそうなのもあるぜ?」
「好きそうなのって……」
何の事か分からないというふうな表情の大和に、斬影は意味ありげに笑った。
「まぁあれだ。甘い物とか」
「!」
大和は一瞬、思い切り吹き出しそうになる。
「なっ……!」
言葉を詰まらせる大和の事は気にせず、斬影は続けた。
「お前、こないだ買った飴玉。あれ開けてその日のうちに空にしたろ? お前がそんなに甘い物好きだとは知らなかった」
「……あれは……」
大和は口ごもり、視線を逸らす。
「不味かったら食わねぇだろ、お前。で、行くか?」
「…………」
大和は暫し考え込んで、小さく呟いた。
「……行ってもいい」
それを聞いて、斬影は満足げに笑う。
「そうかそうか! じゃ、決まりだな♪」
と――ふと、斬影は大和の頭の上に居るそれに気付いた。
びしっと指さし、思わず声をあげる。
「……って、大和! お前……! それ頭っ!」
「……頭?」
斬影の言葉の意味が分からず、大和は眉根を寄せた。
頭に触れる。
すると、触れた先に何か温かくて柔らかい――髪の毛とは違う毛の感触を覚えた。
「ああ。こいつか」
大和は、頭の上にいた白い毛玉をつまみ上げる。
「軽いから気付かなかった」
その様子を見て、斬影が怒鳴った。
「妖魔に触るなって言ってるだろっ!?」
「……別にコイツは何もしない」
大和は毛玉を再び頭の上に乗せる。
白い毛玉はどうやら眠っているらしく、ぴくりとも動かない。
「いいから。そいつ外に出せ」
苛立たしげに、斬影が口を開く。
「お前にとっちゃ帽子みたいなモンだろうがな。そんなんでも妖魔だ。犬や猫とは違うんだよ」
「……大差無い気がするけど……」
ぽつりと漏らした大和の一言に、斬影は再び怒声をあげた。
「大差無いだとっ!? そいつはな……前に俺の刀かじって台無しにしたんだぞ!?」
「……何でも喰うんだな。お前」
言いながら、大和は毛玉を窓から逃がす。
大和の手を離れ、地面に落ちた毛玉は、ぴょんぴょんと跳ねながら姿を消していった。
「……ったく。いつも言ってるだろうが。妖魔に気安く触るなって」
「今のは連れて来ようと思って頭に乗せてたんじゃない。勝手に乗ってたんだ」
珍しく反論してくる大和に、斬影は嘆息した。
「……なんか知らんが、お前はああいうのに好かれるからな。だから余計に気を付けろって言ってんだよ」
「…………」
斬影は窓の外――大和が逃がした毛玉が消えて行った方へ、視線を向ける。
「妖魔に気に入られて、奴等に連れて行かれたら……人の世には戻って来られなくなる」
斬影は大和の方へ向き直り、
「お前も“あんなの”には付いて行くなよ。俺は人攫いよりそっちの方がよっぽど怖い。ま、人攫いに遭う心配はねぇだろうが」
「……行く訳ないだろ」
半眼で呻く大和の頭を、斬影はぐしぐしと撫でた。
「なら良い。ほれ、さっさと飯食っちまえ」