小さな影 3
そんな大和の肩を、千乃が笑いながら叩く。
「まぁ、アンタそういう事出来なさそうだけどね」
「…………」
そういう彼女も、大概はっきり物を言っていると大和は思う。
尤も、そんな事を口に出した日には、痛烈な反駁が返ってくる事が目に見えていたので、それは胸の内に秘めておく。
千乃の存在は、小夜とはまた違う形で大和の苦手意識を煽った。
と――
「それよりさ。ちょっと店番頼んでいい?」
「……は?」
「どうせ客は滅多に来ないから。何かあったら呼んで」
「おい……」
そう言って、千乃は店の奥に引っ込んで行く。それを見送って、大和は無言でため息をついた。
世話になっているので、これくらいは仕方ない――と思った瞬間。
「あのぉ……」
「…………」
背後から声が掛かる。
振り返ると、一人の娘が立っていた。
「あれ……千乃ちゃん居ないのかな……」
(……滅多に客来ないんじゃなかったのか)
胸中でぼやいて、大和は娘に声を掛けた。
「……何か用か?」
「えっ!?」
娘は驚いて大和の方を見る。
「あ……あの……貴方は……?」
「今ちょっと店を任されてる。用があるなら聞く」
「あ……えっと……頼んでおいた薬を取りに来たんです……けど……」
しどろもどろに言う娘に、大和は一言告げた。
「……少し待ってろ」
「は……はい!」
上擦った声で返事をする娘をおいて、大和は店の奥へ向かう。
店の奥で何か作っているらしい千乃の背中に、大和は呼び掛けた。
「なぁ」
「あら。どうしたの?」
「薬を取りに来たって奴がいるんだが……」
「薬?……ああ。アレね」
千乃は手前の棚から、紙袋を手に取ると、それを大和に手渡す。
「はい。今頼まれてるのはそれしか無いから。それ渡してあげて」
紙袋を受け取りながら、大和が問い掛ける。
「……何やってるんだ?」
「薬の調合。じいちゃんの分と……小夜ちゃんの分ね」
「…………」
暫しその様子を見詰め、大和は店に戻った。
「ん」
大和は、店で待っていた娘に、薬の入った紙袋を手渡してやる。
「あ……ありがとうございます……」
娘は大和から紙袋を受け取ると、その袋で顔を隠す。
「あの……」
すぐ帰るものだと思ったが、娘が声を掛けてくる。
大和は視線だけ、彼女の方へ向けた。
「この店で働いてるんですか?」
訊かれて、大和はかぶりを振る。
「……違う。少しの間店番させられてるだけだ」
「……そうですか。あ……薬、ありがとうございました。千乃ちゃんによろしく伝えておいて下さい。また来ます」
娘はぺこりと頭を下げ、足早に店を出ていった。
「……よし。これで完成っと」
千乃は出来た薬を小瓶に移す。
目印を付けて、棚に置くと店へ戻る。
「……あれ? なんか店が騒がしい?」
店の奥から顔を出すと、千乃は驚いて目を見開いた。
「えっ!? 何これ!?」
普段、店はがらんとしているというのに、どういう訳か今日は人だかりが出来ている。
暫く呆然としていると、
「あっ! 千乃!」
一人の娘が千乃に声を掛けてきた。
「ああ……流香」
娘──流香は、千乃の店の近所に住む幼馴染みで、割と常連客でもある。
流香は千乃の肩を掴み、
「ちょっと! アンタ、いつの間にあんな人雇ったの!?」
「はぁ?」
一瞬、疑問符を浮かべた千乃だったが、ピンと閃く。
「あ。もしかして……」
店内にいるほとんどの客は若い女――その中心に、彼は居た。
彼――大和は、こちらに気付くと声をあげる。
「手が空いたなら早く代わってくれ」
千乃は大和の方へ歩み寄ると、呆れたように呻いた。
「何の騒ぎかと思ったら……」
複雑な表情で嘆息する千乃の着物の袖を、流香が引っ張る。
「ねぇねぇ。千乃ってば」
千乃は僅かに視線をそちらに向け、
「雇ったんじゃないよ。ちょっと訳アリだから泊めてあげてるだけ」
「えっ!?」
驚く流香を制し、
「それより……わざわざ見に来たワケ? どうせなら何か買ってってよ」
すると、流香は手にしていた紙袋を千乃の前に掲げた。
「もう買った。ここに居る客のほとんどは何か買ってるよ」
「あらそうなの?」
千乃は何か考え込むような仕草の後、さっと手を挙げる。
「大和。せっかくだからもう少し手伝ってよ。アンタ人気者みたいだしさ」
「な……」
千乃の言葉に、大和は彼女に詰め寄る。
「何言ってんだ。少しの間だけって言っただろ?」
「言ったけどさ。まさかこんなに客が来るとは思わなかったから」
「あのな……」
「良いじゃない。身の置き所に困ってたんでしょ?」
大和の言葉を遮り、千乃が口を開く。
黙り込む大和を見て彼女は笑った。
「アンタが店番してくれると、私も安心して小夜ちゃんの看病出来るわ♪」
ぱんと手を打ち、
「それじゃもう少しお願い♪」
満面の笑みを浮かべ、千乃がまた引っ込んでいく。
「ちょ……」
大和は千乃を引き止めようと手を伸ばしたが、その手は買い物客に引き止められる。
「あの……これ下さい♪」
「…………」
千乃が去り際に一言、どこか面白がるように言った。
「そうそう。お客様には笑顔を忘れずにね♪」
「……ぅん……」
小夜は目を開いた。
薬が効いたのか、随分体が楽になっている。
小さく欠伸をして、起き上がった。
「あれ? 目が覚めた?」
と、その直後。
千乃が部屋に顔を出した。
「千乃さん」
「千乃でいいよ」
千乃は小夜の側に座り、
「起きてて平気なの?」
「あ……うん。千乃の薬のおかげかな。だいぶ楽になったよ」
「そう。良かった」
千乃は嬉しそうに笑う。
小夜の額に軽く手を当て、
「でも、まだ熱があるから寝てなきゃダメ」
そう言って、小夜に布団を掛ける。
布団から少し顔を出し、小夜が口を開く。
「……ずっと寝てると退屈で……」
「そりゃそうだろうけどね」
「あの……大和は?」
「ん? 今、店番してもらってるよ。おかげで繁盛してる」
「……大和が店番?」
小夜は首を傾げる。その姿は想像出来なかった。
小夜の知る大和の姿は、凛凜しくて、力強い。どんなに巨大な妖魔にも臆する事なく、立ち向かう勇気を持っている。
その背中は頼もしい。
まだそれほど長く彼と行動を共にしている訳ではないが、少なくとも商売人に向いているようには思えなかった。
小夜が不思議そうな顔をしていると、千乃は笑いながら、
「ほとんどの客は大和目当てで来てるみたいだけどね。ここいらで、あんな若くてかっこいい男居ないからさ」
「……えっ?」
それを聞いて、小夜は複雑な表情を浮かべる。
「心配しなくても大丈夫。大和が気に掛けてるのは小夜ちゃんの事だけみたいだから」
気にするなというように、千乃は軽く布団を叩いた。
「それよりさ。大和とはどこで知り合ったの?」
千乃が身を乗り出して訊いてくる。
「えっ? えっと。大和とは私の住んでた村で知り合ったの。大和は旅の途中で、村に立ち寄ったみたい」
「村で?」
小夜は頷いた。
「うん。私の住んでた村では毎年生け贄を捧げる儀式があって、儀式の前日に大和が村へ来たのね。で、その生け贄に私が選ばれたんだけど、妖魔に食べられそうになった時、大和が助けてくれたの」
にこにこと笑顔で語る小夜に、千乃は引き攣った笑みを浮かべる。
「……へぇ。それはまた……随分と……アレな出逢い方をしたモンだね」
「大和が妖魔を倒してくれたから、村では儀式をしなくても良くなって、村も私も救われたんだ♪」
「そうなんだ」
ふと思い付いて訊く。
「でもさ。村が平和になったなら、何で大和と一緒に居るの?」
すると、小夜は頭を掻きながら、
「私、生け贄の儀式の前日に家財……ってほどの物は無いけど、使えそうな物は全部村の人にあげちゃって……で。どうせやり直すなら村から出た事ないし、大和に付いて行こうかなぁと思って」
「……思い切りが良いのね」
千乃は腕を組む。
「それで? 大和は大和で、あなたが付いて来る事を受け入れた訳?」
「最初は断られたよ。でもなんとか食い下がって……私には他に行く所が無かったから」
「行く所が……?」
言いかけて、千乃は口を噤んだ。
彼女には身寄りが無い――そういう事だろう。




