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邂逅 7

 

 その日の夜。

 大和は眠る気になれず、窓際で頬杖をついて無言で外を眺めていた。

 雨は止むこと無く降り続いている。


「…………」


 その傍らで静かな寝息を立てる小夜を見て、大和は嘆息した。


(……明日死ぬってのに……よく眠れるもんだ)


 大和は再び視線を外へ向けた。

 村の周囲は、日が落ちてから強い妖気に包まれている。

 それは濃くて重い――大和には、はっきり分かった。

 村人は、妖魔に襲われる事を恐れて隠れているのだろうが、家から出ないというのは正しい判断だと思う。

 不用意に出歩けば、即座に狙われるだろう。

 屋内まで侵入して来る事はなさそうだが、村の周囲にかなりの数の妖魔がいる事は間違いない。それをいちいち相手にしていたのではキリが無い。

 ただ、これだけの妖魔が一箇所に集まるには何か理由があるはずだ。


(……生け贄を要求している妖魔……そいつの妖気に引き寄せられてるのか)


 恐らくはそうだろう。

 ならば、その妖気の源を断てば、妖魔は元の住み処に戻る。何より、その妖魔を斬らねば外へは出られない。

 大和は、ため息をつく。

 そして、雨音にかき消されそうなほど小さな声音で呟いた。


「……妖魔が人の願いなんか聞き入れるもんか」


 もし妖魔が人の願いを聞き入れるのなら……きっと、自分は今こんな風に旅をしていない。

 大和は目を閉じた。

 最後の瞬間は、脳裏に焼き付いて離れない。

 かぶりを振って、大和は意識を無理矢理追い出した。



 雨は夜明けと共に上がった。

 静かで穏やかな朝だった。


「……ふぁ~……」


 もぞもぞと布団から出て来て、小夜は大きく伸びをする。


「あっ」


 こちらに気付いて、小夜が笑顔で挨拶して来た。


「おはようございます♪」


「……ああ」


 窓際で外を眺めていた大和を見て、小夜は小首を傾げ、


「あの……もしかして……ずっと起きてたんですか?」


 訊かれて、大和はかぶりを振る。


「……少し寝た」


「そうですか。あっ! 私、朝ごはんの用意して来ますね」


 パッと表情を明るくして言う小夜に、大和は思わず声を上げた。


「ちょっと待て!」


「えっ?」


 引き止められて、小夜は疑問符を浮かべる。


「どうしたんですか?」


「それは俺がやる」


「えっ……でも……大和さんはお客様ですから、ゆっくりしてて良いんですよ?」


「いいから。俺に任せて、アンタはおとなしくしてろ」


「あ……はぁ。じゃあ、よろしくお願いします」


 いまいち釈然としない様子の小夜は無視して、大和は部屋を出て台所へ向かった。


「…………」


 大した物は無い――が、それでも彼女の作る吸い物よりはマシに出来るだろう。

 さすがにあの――嫌な意味で強烈な印象を与える――吸い物を、何度も食べる気にはなれない。

 思い出すと、苦いモノが込み上げてくる。

 大和はひとつため息をついて、調理を始めた。



「わっ。美味しい♪」


「…………」


 大和の作った吸い物を口にして、小夜は嬉しそうに笑う。

 食材その物が無いので、大した物は作れない。吸い物と、大和が非常食として持っていた干し肉等を適当に調理しただけだ。

 それでも彼女は、喜んでそれらを口に運ぶ。


「大和さんはお料理上手なんですね」


「……普通だ」


 彼女と比べれば、大抵の者は料理上手になるだろう。

 普段からアレを食べている彼女の味覚を素直に信じる気にはなれなかったが――そう言われて悪い気はしない。

 朝食を終えて、一息ついていた時。

 トントン……と、戸を叩く音がした。


「は~い。ちょっと待って下さ~い」


 小夜は、ぱたぱたと戸口の方へ向かい、戸を開ける。

 戸口の向こうから聞こえてきたのは、男の声だった。


「小夜」


「あっ。おはようございます」


「特に変わりは無いか?」


「はい。大丈夫です。私、昔から大きな病気もした事ありませんし」


「そうか。なら良い。今日は迎えが来るまでなるべく外には出ないようにな」


「はい」


「……ん?」


 男は当然村の住人だろう。

 小夜と話し終えて帰るのかと思ったが、こちらに気付いて、小声で話す。


「……小夜。あいつは?」


「えっ? ああ。彼は旅の方です。泊まる所を探していたみたいで、一晩泊めて差し上げたんです」


「……旅人?」


 男は怪訝な表情を浮かべた。


「そんな話は聞いて無いぞ」


「多分……選定が終わってから来たんだと思いますよ。その前の日には見掛けませんでしたし」


「……そうか……」


 深いため息をついて、男はじろりと大和を睨む。


「おい。お前……変な気は起こすなよ。小夜にもしもの事があったら……俺達が困るんだからな」


「…………」


 大和は不快そうに眉根を寄せる。

 男は小夜に向き直り、


「一応、交代で見張りをしている。何かあったらすぐ知らせろ」


「分かりました」


「じゃあな」


 男が立ち去って戸が閉まるなり、大和は低く呻いた。


「……何だ。変な気って……」


「悪く思わないで下さいね。村の人も気が立ってるもので……」


 苦笑しながら、小夜が言ってくる。

 大和は嘆息して、


「……文句言う割には、引き摺り出したりしないんだな」


「ええ。私が特に何か言わない限りは、余程でないと無理矢理に人を追い払ったりしないですよ」


 にっこりと笑い、


「儀式の当日は、何より生け贄となる者の意思が尊重されますから」


 どこまでも明るく――そして、その明るさに不似合いな事を彼女は口にする。


「何せ人生最後の日ですからね。大抵の我が儘は通りますよ♪」


「…………」


「あっ。勿論、無理なモノは無理ですけど」


 何故この娘は、こうも緊張感が無いのだろうか。

 まあ、悲壮な顔で泣き叫ばれても困るが。


「あの~……」


 大和が黙り込んでいると、小夜がこちらの顔を覗き込み、


「退屈でしたら外に出ても良いんですよ? 村の人は外に出ないだけで、出ちゃいけないって決まりがある訳じゃ無いですから」


「……いや」


 大和はかぶりを振る。

 ちらと窓の外を見やり、


「今出たら村の連中に睨まれるだけだからいい」


 壁に凭れ、目を閉じる。


「……それに……」


「それに?」


「…………」

 小さく漏らした大和の呟きに、小夜がおうむ返しで訊いてくる。


「……いや。何でもない」


 そう言って、大和は口を閉ざした。

 自分はあまり動かない方が良いのだ。下手に動けば、妖魔を引き寄せる。

 大和はあの日――幼い頃、妖魔に襲われた日――以来、自分の中に眠る鬼の力を制御する術を身に付けていた。

 とはいえ、まだ巧く扱えない部分が多い。

 今出来る事は、体内の妖気を外に出さない事。

 それと――もうひとつ。

 妖気を外に出さないだけで、近付いてくる妖魔の数をかなり減らせる。

 ただ、元々流れている鬼の血の匂いまでは消せないので、鼻の利く妖魔には気付かれる事がある。

 だから、あまり動かない方が良い。

 人が近くにいれば、それで匂いを誤魔化す事も出来る。万一襲われれば、周囲の人間が込まれるかもしれないが、家の中なら護るのはこの娘一人だ。

 面倒な事は少ない方が良い。


「あっ!」


 突然、小夜が声を上げた。

 大和は目を片方だけ開く。


「……何だ?」


「あっ、いえ。妖魔って人の言葉が通じるのかなって」


「…………」


「私、洞窟に住んでる妖魔がどんなのか見た事無いし……もしも言葉が通じなかったら願い事を聞いてもらえないじゃないですか」


「……そんな事か……」


「大事な事です!」


 拳を握って強く言う小夜に、大和は嘆息した。


「……言葉が通じても、こっちの願いを聞いてくれるとは思えないが……この辺りの雑魚を集めて従わせるだけの妖力を持つ妖魔なら……人の言葉は多分通じる」


「……そうなんですか?」


 拍子抜けしたように、声を落として小夜が訊いてくる。

 大和は続けた。


「妖魔に人の言葉が通じないっていうより……人に妖魔の言葉が通じないって感じだな」


「……えっ?」


 大和は僅かに小夜の方へ視線を向け、


「大抵の妖魔は人の言葉を理解出来る。人が妖魔の言葉を理解出来てないだけだ」


「へぇー……そうなんですか。じゃあ、言葉は通じるんですね。良かった」


「……というか……心配事はそっちじゃないと思うんだが……」


 大和は呻いた。

 どうもこの娘は、感覚が色々とズレている――ような気がする。この娘と話していると、時々物凄い脱力感を覚える。

 最初に会った時からそうだ。

 ――そして。

 彼女は今夜、生け贄として妖魔に喰われる。


(……今夜……か)


 大和は複雑な思いで小夜を見詰めた。

 今夜、生け贄になる者だという事をまったく感じさせない笑顔で、彼女は大和の前に茶を差し出してくる。


 実際、日が暮れるまでの時間は、穏やかに過ぎていった――



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