空の涙 9
「…………っ!」
妖魔の顔が近付いてくる。
ほとんど息が触れる程に顔が近付いた――その時。
ドッ!――
『……くぅっ!』
「!?」
妖魔の顔が歪む。
見ると、大和を掴んでいる妖魔の腕に、太い角が突き刺さっていた。
先程、大和が倒した赤竜の角だ。
「……おいおい。いくらそいつが賢いっつっても……さすがにそういう事を教えるのは……ちっとばっかし早いんじゃねぇのか?」
「斬影!」
『……貴様……』
不快そうに顔を歪め、妖魔が低く呻く。
妖魔の意識が、自分から斬影に移った隙を、大和は見逃さなかった。
「離せっ!」
宙吊り状態の体を揺らし、思い切り妖魔の腹を蹴り上げる。
『ぐぁっ!』
蹴りの衝撃に苦悶の表情を浮かべ、妖魔はよろめく。
大和は、蹴りの反動で大きく後方へ飛び退いた。
斬影の許へ駆け寄る。
「斬影。大丈夫か?」
それを聞いた斬影が笑った。
大和の頭に手を乗せ、
「お前が俺を心配するなんてな……何ともねぇよ。大丈夫だ」
「…………」
そう言う斬影の顔には、脂汗が滲んでいる。呼吸も荒い。
斬影は笑みを消し、妖魔を睨み据える。
「それより……お前……早いとこ逃げろ。あんなのに捕まったら何されるか分かったモンじゃねぇ」
「…………」
大和は、真っ直ぐな眼差しで斬影を見据えた。
そして、
「逃げない」
そう言って、大和は刀を握りしめる。
妖魔の方へ向き直り、
「あれを斬れば良いんだろ」
「……それは……そうだが……」
斬影は、ゆっくり呼吸を整えながら呻く。
「……奴の移動速度は半端じゃねぇぞ。少なくとも……俺には微かにしか見えん」
見えたところで、体がその動きについていけない。
斬影は小さく息を漏らすと、大和に問い掛けた。
「……お前……奴の動きが見えるのか?」
「見える」
斬影の問いに、大和は即答する。
そう言われて、驚くでもなかったが――斬影は目を見開く。
(情けねぇ話だ……)
自嘲まじりに苦笑して、彼は刀を握る手に力を込めた。
『…………』
ゆっくりとした動作で、妖魔は自分の腕から角を引き抜く。
そして、その角を鋭い刃へと変化させた。それを、斬影の方へ向ける。
静かに――だが、はっきりと怒りの色を滲ませ、
『……気が変わった。やはり……貴様から殺す』
「!」
そう言うと、妖魔は恐ろしい速さで間合いを詰め、刃を振り下ろす。
ギィィィィンッ!――
『!』
「…………っ!」
「大和っ!」
鋭い金属音が響き、火花が散り、妖魔の放った重い一撃を、大和が受け止める。
『……退け。お前はこの男を始末した後、ゆっくり喰ろうてやる』
それを聞いて、大和は妖魔を睨み付けた。
「誰がお前なんかに喰われるか。ついでに……斬影は殺させない」
「……ついでかよ……」
斬影は、半眼になり呻く。
ひとつため息をつき、素早く駆け出すと、妖魔の脇腹を打ち据えた。
『……ぐっ!』
苦痛に顔を歪ませ、妖魔が後退する。
斬影は、ちらと大和の方へ視線を向けた。
「こんな時くらい素直になっちゃどうかね」
「…………」
大和は答えない。
斬影は微苦笑を漏らす。
「まっ、そのくらいがお前らしくて良いけどな」
『…………』
妖魔は、打たれた場所を軽く擦る。
だが、それ以上の変化は見られず、致命的な打撃には至らなかったようだ。
斬影が苦々しく呻く。
「……浅かったか。頑丈だな、おい」
『……小賢しい……』
妖魔は、僅かに眉を顰める。
――が。
『……ふふっ』
「……何だ? 気でも触れたか?」
「…………」
くすくすと笑って、妖魔は目を細めた。
『わざわざ手下を差し向けた甲斐があったわ。そうでなければ、私が出て来た意味が無い』
「何……?」
斬影は眉根を寄せた。
「……まさか……ここ最近妖魔が暴れ回ってたのは……てめぇの仕業だってのか……?」
妖魔は不敵な笑みを浮かべる。
『そうだ。先程まで貴様らを襲っていた奴等は、すべて私の下僕』
「……何だってンな事したんだよ」
斬影の問いに、妖魔は深々と嘆息した。
大和を指さし、
『知れた事……鬼の血を引く者の力を確かめる為に決まっておろう? 私が喰うに値するかどうか』
「なっ……」
妖魔の口から出た言葉に、斬影は息を詰まらせる。
妖魔はくつくつと笑う。
『少々遊びが過ぎたようだがな』
「……遊びだと?」
『鬼の血を引く者の力を調べて来いとは命じたが、他は何も命じなかったからな。随分と人間共を喰ったようだ。まぁ……私は人間の生き死に等に興味は無いが』
「……てめぇ……」
斬影は妖魔を睨み付け、低く呻く。
我知らず、刀を握る手にも力が入る。斬影が妖魔に斬りかかる――より早く、大和が妖魔に突っ込んで行った。
「なっ……!? 大和っ!?」
『……ふっ』
妖魔は大和の刀を受け止め、嘲笑う。
『鬼の血を引くとはいえ……所詮は子供か……』
「……お前は俺が斬る」
『!』
大和の刀を受けた妖魔が、徐々に押されていく。
(なんという力だ……これが鬼神の……)
妖魔がそう思った時だ。
ぴしっ……
その音を聞いて、妖魔がはっと息を呑む。
竜の角で造った刃に亀裂が生じている。
『馬鹿なっ!』
妖魔の顔に、ありありと驚愕の色が浮かぶ。
「……斬るって言っただろ」
その一言と共に、大和は刀を振り下ろす。
大和の刀は、竜の角もろとも妖魔の体を斬り裂いた。
「大和……」
真っ直ぐ振り下ろされた刀は、妖魔を深く斬り裂く。
妖魔は折れた角を投げ捨て、胸元を押さえ飛び退いた。
『……ぐっ……こんな……こんな事が……』
大和は、すぐさま妖魔との間合いを詰める。
『!』
大和が振り下ろした刀が妖魔を捉える――その時。大和の動きがぴたりと止まった。
「!?」
見ると、首を落とされた赤竜が大和の足首をしっかりと掴んでいる。
「こいつ……まだ生きて……!?」
その隙に妖魔は詰め寄り、すかさず長い尾を使って大和の手から刀を弾き飛ばした。
「!」
『残念だったな。お前の力なら後一太刀で私にトドメを刺せただろうに……』
そう言うと、妖魔は鋭い爪を伸ばす。
『安心しろ。私の爪には毒があってな。神経を麻痺させる。痛みはさほど無い……』
妖魔は大和の肩を掴む。
『さぁ……鬼の力を私に差し出せ!』
「くっ……!」
妖魔の爪が、大和を貫く――刹那。
大和の足首を掴んでいる束縛が解けた。
(……えっ?)
大和が混乱していると、何がなんだか分からないうちに、思い切り横に突き飛ばされる。
「…………っ!」
なんとか受け身を取って、大和は顔を上げた。
そして、その眼に映った光景に言葉を失う。
「……あっ……」
大和は叫んだ。
「斬影っ!」




