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panic clover  作者: 夢月時雨
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第六話「相違感」



――判った、

約束する――






――な、どうして!?

あいつは君を!――







――おいで、

ぼうや――






――人殺し!

人殺し人殺し!――







――いやぁあぁあぁ

あぁあぁぁ!――







――違う、僕じゃない、

僕じゃないんだ!――






――悠久の刻を越え、私達は再び巡り逢った――




――シュゼリア‥‥‥






「ん‥‥‥‥‥」

ちくりと首の後ろが疼いて、僕はベッドから身体を起こした。

今の感覚。昨日、廊下で感じたものに似ている。いや、あれよりは鋭さと毒気が抜かれているか?

足を下ろし、ベッドの縁に腰掛ける形で頭を抱える。

寝苦しかったのか、いつもとはどこか目覚めの感触が違っていて、暑くもないのにシーツが汗でぐっしょりしていた。頭は鈍く痛み、寒気もするようだった。

「‥‥‥‥‥風邪でも引いたのかな‥‥‥‥」

無意識に独りごちた自分自身の声で、はっと意識が覚醒した。

そうだ、今日は土曜日で、例の如くみんなが泊まりに来ているんだ。

いつからだろう。月に一度、週末にみんなが泊まり掛けで遊びに来るのが習慣付いたのは。

「て、あれ?」

引いてきた頭の痛みに顔を上げ、部屋を軽く見回したとき、妙な違和感が頭を掠めた。部屋は、いつもと変わらない。

廊下と繋がる扉の向かいにベッドがあり、僕から左手に四角い窓と勉強机、右手に本を並べた天井近い本棚。テレビは扉の開く側とは反対にあり、台の上に置かれている。そして泊まりに来ていた一人、上条久遠が寝ている布団が敷かれている。荒れていて、人の寝ていた形跡があった。

別に、部屋におかしな所は‥‥‥‥‥

「ん? 寝ていた?」

再びそちらに目をやる。そこにはあるべきものがなく、ただ形跡だけで荒れていた。

「久遠‥‥?」

彼がいないのだ。部屋のどこにも。

普通に考えれば先に起きて下に降りたのだろうが、生憎と僕の眠りはいつでも浅い。

人気か物音がすれば多分、目を覚ます。

しかし、事実彼はそこにいないのだから下に降りたのか。

立ち上がり、扉に近付いて取っ手を下ろす。廊下はシンと静まり返り、肌寒い空気がゆったりと流れていた。

「‥‥‥何、だ?」

言い様のない違和感に、緩い焦燥が身を焼く。

板張りの床に、その途上の左右四つの扉。階段の上から見えるタイルの玄関は閉ざされ、階下はまるで静寂としている。

一見するだけなら異変はないが、しかし一段一段下る度にはっきりとしてくる不安。

それは、永く人の踏み込むことのなかった空間に入るような、そんな敵意と悪意の滲む異様な雰囲気だった。

正体の判らない感覚を覚えたら、取り敢えず注意する。昔、そんなことを自分に言い聞かせた。それがいつかは、多分小さい頃の遊びで学んだのだろう。

そろりそろりと抜き足で階段を降りきり、耳を澄ませる。

やはり、人の生活の匂いがない。空気は微動だにせず沈殿し、鉄と錆の臭いが鼻孔を刺激すると錯覚させる。

「血の匂いか‥‥‥」

もうずっと久しいと言うのに、僕は思うよりもよくあの日のことを覚えているらしい。そんな自分が可笑しくて、思わず笑ってしまう。

ギシ‥‥ギシ‥‥ギシ‥‥ギシ‥‥。

歩を一つ進める度に床は軋み、その音は淡い闇に溶けていく。

一階の短い廊下はすぐに果て、閉じられた扉が目の前に現れた。

いつもと変わらない日常の光景。

それが、今はどうしてかとてつもなく重く、ただ取っ手を下ろすだけの単調で単純な動作が怖い。

まるで、自傷などしたくない筈なのに言葉巧みに操られ、自らナイフの刃を首に押し付けるような気分。

「馬鹿みたいだな‥‥‥‥‥」

自分の妄想が愚かに可愛くて、独りごちながら苦笑した。

冷たい、銀色の取っ手に手を掛ける。途端、意味の分からない本能の警告が音量を増し、甲高い耳鳴りが鋭く鼓膜に響く。治まった筈の頭痛がズキンズキンと振り返し、更に酷く脳が砕けそうになる程の痛みが暴れ回る。

肌が熱く熱を帯びるのが分かった。

これは、どうやら本格的に風邪を引いたようだ。

そんなどうでもいいことを考えながら扉を開き、僕は無防備に部屋に踏み込んだ。

「ぇ‥‥‥‥?」

何の心構えもなかった。その為に、思いがけないその部屋の光景に出し掛けた一歩が宙をさ迷い、声になり損ねた音が喉に詰まった。

扉を開いた音が、無性に淋しく朝日の差すダイニングに溶けていき、シンと静まり停滞する空気を僅かに動かした。

そこは、ただ静寂としているだけで誰もいない。

そう。泊まっていた筈の友人も、妹も、誰も。

まるで僕が独りで暮らしていたかのように、ほんの欠片も他者の気配がそこにはなかったのだ。

それはあまりに予想外なことで、僕は辺りを見回しながらおっかなびっくり部屋へと踏み込んだ。

「深雪‥‥‥?」

妹の名を呼んでみるが、しかし返事はなく、もう一度呼ぶとそれは虚空に飲まれた。

それから家の中を探り、妹や友人‥‥‥いや、人の姿を探した。

一階は隅から隅まで探し、二階へと上がる。扉を一つずつ叩いて回り、中を覗いては人がいないことを確かめる。

十分ほど探したが、最初の五分が経過してからは僕にはおかしな確信があった。この家に、人はいないと。

朝からあった違和感の正体は、これ‥‥‥‥?

「‥‥‥‥‥違う」

誰もいない不安からか、せめて空間を響かせて安心しようと無意識に声が出て、考えた。

違和感の正体がこれではないことは確信できた。しかし、その代わりを提案することは僕にはできず、頭がぐるぐると渦を巻いて全く無関係な所に思考が傾く。

「腹へった」

誰に言うわけでもなく口から出た言葉は僕にそれを再認識させ、ぐぅー、と腹の虫を鳴らした。

そしてその生理的欲求は一度思い出すと忘れることができず、頭の中は食べ物で一杯になった。

そう言えば、ダイニングを基点に探索を始めたから、ダイニング自体は調べていない。隠れる場所はないが、メモ書きくらいはあるかも。再び扉を開き、傍のスイッチを入れて電気をつける。

ざっとテーブルの上を見るがメモ書きのようなものはなく、その足でそのまま冷蔵庫に向かい、中を覗いた。

可動音がやけに大きく聴こえるのは、気のせいではないだろう。他に音がないのだから、当たり前と言えば当たり前だが。

冷蔵庫の上段右に、駅前の店のプリンが置いてある。これは深雪が好きなものだ。つまり、深雪は実在する。馬鹿なことだが、さっきちらりと考えたことは否定されるわけだ。

中段下段と視線を滑らせる。見た目にめぼしいものがないので、冷気に手を浸して探った。

納豆。豆腐。いんげん。黒豆。おいおい、豆系多いな。別に好きでもないくせに‥‥‥と、いいもの発見だ。

下段の豆腐の影に、昨日の余りだろうものを見付けた。僕が少し多めに作りすぎた、野菜炒めだった。

流石にこのままは頂けないので、それを電子レンジに放り込んだ。少し待つと、あの音が静寂に響く。

それにしても、目が覚めたら誰もいなくなっていたのに、いやに冷静な自分に驚く。確かに少しばかり世間一般から逸脱した体験をしているが、それにしても冷静すぎる気がする。

或いは既に限界を越えたのかもしれない。

皿の上が空になって、コップに注いだ水も飲み干した。軽い満腹感に体を反らせてノビ、突き上げた組んだ両手をそっとテーブルに乗せる。

きしりと椅子が軋み、心地好さから涙が出た。

さっき私服に着替え終えた僕は、テレビもつけずに無意識に次のことを考え始めていた。

誰もいなく、誰も帰ってこない。違和感はやはり募るばかりで、その正体を明確に明かそうとはしてくれない。なら、次はどうする。

そう考え、取り敢えず外に出てみようかと思い至る。

その瞬間だった。

緩みきっていた空気が張り詰め、何ともつかない甲高い音が外から聴こえてきた。それが悲鳴だと気が付く頃には僕はまた無用心に玄関へと走り、飛び出していた。

玄関の扉を開くと新鮮な朝の空気が吹き込み、眩しい太陽がその鋭い光を注いだ。くらりと目眩が過り、視界の端にそれが飛び込んだ。

「ッ‥‥‥!?」

視覚的には理解できた。しかし、その分析には理解が及ばなかった。

二つの人影があり、小柄な影は路面に尻餅をついて後退り、もう一つの大柄な影はじりじりとそれににじり寄っている。二人はこちらには気付いていない。

手には鋭い銀色が光り、これがどういう状況なのかと思考が巡る。

しかし答えは出ず、時は刻々と進み行く。男は少女を追い詰め、その手にあるものをゆっくりと振り上げる。

そのとき、ふと少女と視線が重なった。

涙に潤む、恐怖に怯えた瞳と、目が合った。

「がッ!?」

凄まじい衝撃が肩から全身に行き渡り、不意に、そんな情けない悲鳴がした。キンッ、とナイフの刃が地面にぶつかる。

僕は、少女にナイフが振り上げられたのが見えた瞬間、駆け出していた。身を低くし、男が気付くと同時にそのがら空きの脇腹に、突き上げるように体当たりをした。

男は頭を打ったらしく地面に伏して呻き、少女は驚いたような安心したような曖昧な表情をする。僕はそんなものには目もくれず、少女の手を取って踵を返した。

「な‥‥‥!? 待ちやがれ糞ガキ!」

背後から男の怒声がして、それが更に僕達の足を加速させた。

どこに向かう訳でもなくでたらめに走り、普段は通らないような小道や脇道ばかりを選んだ。

そして目の前の角を右に曲がり、初めて立ち止まって振り返った。

もう、二人とも息は絶え絶えで、まともに会話ができない。

「もう、大、丈夫?」

荒い息の合間に、熱っぽい少女が声を発した。

程好く発汗した首筋と、上気してほんのりと赤い頬に、思わず動悸が激しくなる。それを悟られないようにしながら、もう一度ちゃんと彼女の顔を見る。

「多分、大丈夫か‥‥‥と‥‥‥‥‥‥」

「え‥‥あ、れ‥‥!? 桐宮、恵都‥‥‥君!?」

自分と手で繋がった少女の姿がはっきりと視界に映り、あまりに予期せぬ出会いに呆然としてしまった。

「久遠寺‥‥‥美百合さん‥‥‥?」

「な、何か自信なさげな言い方だね」

呆れたように朗らかに笑む久遠寺美百合は、息を整えながら額の汗を袖で拭う。

「えと、久遠寺さん」

「あ、美百合でいいよ。ぜひ呼び捨てて。私もそうするからさ、恵都」

歌うように僕の名前を呼ぶと久遠寺さん改めて美百合は、離した手で僕の背中をばしばしと叩く。僕はあまりのことに呆然と、それに体を揺られるのだった。


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