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panic clover  作者: 夢月時雨
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第一話「平穏」

ジリリリリリリ。

目覚まし時計が耳障りな雑音を部屋一杯に響かせ、彼の意識を悪夢から引き剥がした。少年は、まだ少し暗い天井を見上げ、騒音に身を任せた。

時間は判らない。けれど、家が静かなところを見ると、まだ大した時間帯ではないのだろう。微睡みから完全に這い出した彼は、機能を怠る頭を抱えてベッドを抜け出した。

鈍痛をくるんだ頭の中は滅茶苦茶で、まともに働いている部位は一つか二つしかない。しかし、自分が目覚めていることを認識し、身体を動かすにはそれだけでも充分に賄えた。

少年は覚束ない足取りでふらふらと窓辺に近付き、閉め切った遮光カーテンを掴んだ。シャア、と軽やかな音を立ててそれを開くと、予想に反し、彼の瞳には受けきれない量の光彩が奔流の如く流れ込んだ。痛みにも眩しさが眼前を過り、世界が一瞬にして黒から白に塗り潰された。

冷たい窓に手をつき、数秒間をかけて目を光に慣れさせる。光を受けた頭は満ちていたもやが一気に霧散して、視界の情報を取り入れようと躍起になっているらしく、焦点は瞬間的に外に合わさり、その電気信号は何かがおかしいことをすぐに脳へと伝えた。

少年は違和感をぬぐいきれずに振り返り、日課を手早くこなした。今日が何月の何日かを思い出し、曜日を計算し、時計を確かめる。

「・・・・・・・・」

直立不動、終始無言。

彼は引きつった顔のまま頭が真っ白になる感覚に囚われ、現実を拒否するように硬直していた。

と。

「にゃあああああ!」

バンッ、とノックも何もなく、部屋の扉が破られんばかりに激しく開かれた。飛び上がった少年は暴れる胸の鼓動を抑えながらそれに視線を流し、キーンと耳をつんざいた声の主に向き直った。そこには、急いでいたのか胸のリボンが不恰好に傾き、長く細やかな髪を結いもせずに踊らせている、青ざめた陶器人形がいた。

「深雪・・・・・・?」

間の抜けた声でぽつりとその人形の名称を溢し、少年は再び時刻を確かめた。

八時二十分。本来、家を出る時間は遅くても十分。しかし、現状はそれから更に十分ほどの余分が加えられている。

「遅刻か」

深々とため息をつき、深雪と呼んだ少女を一瞥した。几帳面なはずの彼女も、少年同様に遅刻確定の時間に目を覚ましたようだ。焦りも焦り、鞄の中からテレビのリモコンらしきものが覗いている。「恵都、あなたいつまで眠っている気なの!?」

まだ寝ぼけ気味な深雪はせかせかと髪を結いながらそう声を荒げ、今にも噛み付きそうな目で戸口から恵都を睨み上げた。彼は少し呆れたように頭を掻き、酷くテンパっている深雪をしり目に落ち着いた動作でクロゼットを開けた。中にはいくらかの私服に混じって、パリッとした制服がある。

「着替えるから出てけ」

右手で必要なものを取った恵都に左手で追い払う仕草をされ、むっとする深雪だったが、時計を見るように促されるとやはり焦った風に階段に向かっていった。

「まあ、黙っとくか」

開けられたままの戸口を眺め、恵都は静かに呟いた。

制服に着替え、洗面台で身だしなみを整え、学校指定の鞄を持って一階のダイニングに着いたのは三十分。丁度、授業が始まる時間だ。これだけ遅れると流石に急ぐのも億劫になったのか、テーブルには、洋風の朝食をフルセットで用意している深雪の姿があった。テレビ前のソファに投げ出された鞄の横にリモコンがあるところを見ると、もう目は覚めたようだ。

「おはよ、深雪」

上着を背もたれに掛けて椅子に腰を下ろし、恵都は改めて朝の日課の一つをこなした。あいさつをして、椅子の脚に鞄を立て掛け、テーブルに置いてあったリモコンでテレビの電源を入れる。チャンネルはニュース番組に合わせてあり、キャスターが原稿を読み上げている映像が画面に映し出された。どこかの街で、死傷者の出た強盗事件があったらしい。

「おはよ。はい、コーヒー。砂糖は一つでよかったよね」

「うん、ありがと」

渡されたマグカップに少し口をつけ、恵都はテーブルの上を一望した。

トースト、スクランブルエッグ、サラダ。簡単ではあるが、今朝には充分すぎるほどにありがたい内容だ。美味しそうな匂いが食欲をそそり、恵都は口元を緩めてトーストの一枚を手に取った。かじってみるとサクッと小気味いい音がして、久しく忘れていたような味覚が口に広がった。

それから、朝食はそつがなく進行した。皿は空になり、コーヒーを飲み干し、暫くゆったりとした時間が流れる。時刻は四十五分。そろそろ家を出なければ、一限目の授業に出られない。

「行くか、深雪?」

「ん〜、ちょっと待って」

キッチンから返ってきたその声を聞くと、恵都は何ともなしにテーブルに向かったままぼんやりとしていた。その時。テレビから、聞き慣れた街の名と聞き慣れない人の名が流れた。キャスターは、続けて情報を読み上げる。

それが起きたのは先日未明。目撃者はなく、発見されたのは人気のない路地裏。

「殺人事件ね」

不意に背後から声がして、恵都は椅子から転げ落ちる勢いでびくりと飛び上がった。振り返ると、深雪がテーブルに手をついて身を乗り出していた。

「あ、うん。隣街だろ?」

殺人事件。それは隣街で起きたということだった。

被害者は一名、会社勤務の女性。彼女は繁華街で犯人と出逢い、路地裏へ転々と血が付着していることから、最初の傷を負わされた後は逃亡していたと見られる。路地裏に入ってすぐの袋小路に追い詰められ、遺体は無惨にも鋭利な刃物で解体されていた。それは、ここ何週間か続いている連続猟奇殺人の七度目の犯行だった。

「・・・・・ふん」

黙ってニュースに耳を傾けていた筈の深雪が、唐突に不快感を露に鼻を鳴らした。驚いた恵都がちらりとそちらを盗み見ると、その二つの瞳には言い知れない嫌悪が宿っていた。

「深雪・・・・・?」

焦燥感に近い不安感が胸に募り、それは抑えることも叶わずにいつの間にか彼女を呼んでいた。深雪は敵意の両眸をそのままに恵都を一瞥し、テレビを睨み付けた。

「理解できない。誰かを殺したいだなんて、狂ってる」

ぽつりと、彼女は憎々しげにそう呟いた。

「・・・・・・」

「? どうかしたの、恵都?」

少し青ざめ、恵都は俯いていた。その仕草は辛い吐き気や頭痛に耐える子供のように見えて、彼女は思わず心配そうに声を掛けた。彼はびくりと身体を震わせ、大丈夫だと告げながら椅子を立つ。瞬間、強い目眩がよぎり、反射的にテーブルに手をついた。

「ちょ、大丈夫!?」

余程危なく見えたのか、深雪が駆け寄り、恵都に手を貸す。しかし彼はそれを拒み、中にある不要物を払うように頭を軽く振った。その顔には、既に濁りはない。

「平気だって言ったろ。大丈夫、早く学校に行こう」

上着を羽織り、鞄を取って、恵都はすたすたと玄関に向かった。

「あ、ちょっと!」

テレビの電源をリモコンで切り、深雪はその後を急いで追い掛けた。僅かに残る、薄気味の悪い違和感を忘れるように。

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