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panic clover  作者: 夢月時雨
12/13

第十一話「日常-回帰」

ごめんなさーい!

また長いです!

────思えば、最初からそうだった。

記憶はないのに罪の意識だけが心を苛み、胸が熱くなっていた。

悲しみと悔悟に泣きたくもなった。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

何度謝ったって、きっと赦されはしないだろう。

それ位の罪を、犯したのだから。

喩え、刃が朱く煌めいたとしても、甘んじて受けよう。

開け放たれた鍵が全ての慟哭と戦慄と狂気と絶望を解き放ち、最後に何を残すかをこの身を以て知っているから。

喩え、鎖と首輪に束縛されても喜んで跪こう。

その足で踏みにじられ、無限と永劫の忠誠を誓わされようとも、従おう。

永久の従者として。

この身も心も捧ぐ。

何度、輪廻を繰り返そうと、その鎖は永遠にこの首輪に繋がっているのだから。

誓う。

何度裏切られようと。

何度引き裂かれようと。

何度殺され、狂わされようと。

この身を以て仕えよう。全ては、尊き御身が為に────。



「ふぃー‥‥つっかれたよぅー」

言いながら、下着姿でソファにどっかりと座る長い黒髪の少女。

大和撫子をするその容姿とは裏腹に、彼女は慎ましやかさというものが欠けている。

「こぉら! そんな格好で出歩かないの!」

テーブルについていたボーイッシュな茶髪の少女はタオルを片手に頭をはたき、苦笑しながら髪を拭いてあげる。

もう一人の少女は、それを見ながら申し訳なさそうに左右の私と神楽を見やり、俯く。

「ごめんなさい‥‥久し振りに安全だから、少しハメを外してしまって‥‥」

彼女は長い金髪を邪魔だからと一つに束ね、軽い夕食を終えた片付けを手伝ってくれていた。

「あははは、いいよいいよ、気にしないで。あれくらい元気な女の子も魅力的だからね」

神楽は気恥ずかしげな気配を笑い飛ばすと、なぜかは知らないが私に同意を求めてきた。

「え‥‥‥ん? それって私に訊くこと?」

一応、同性なんですが。そう返すと、彼は無言でただにこにこと頷くので、私はどう返したものかとただにこにことつられてしまった。

私達は今、拠点に────憩いの我が家に戻ってきている。

大和撫子なお茶目っ子こと三樹雪花と、そのお姉さん三樹微花。そしてビスクドールのようなお姉様キャラの遠藤燐。

私達を襲った三人を伴って、だ。

彼女等を招いたのはやはり例によって神楽だが、私も特には反論することもなく、久人君も若干おどつきながらもそれを承諾した。

因みに彼は、神経をすり減らしたからだろうか、今は二階で死んだように眠っている。

そもそも、どうしてこんな昨日の敵は今日の友的な状態にあるのかというと、まず、取り敢えず神楽マジックだとしか言えない。

あの時、神楽は誰かと仲間じゃないのかと指摘されて、明らかに機嫌を損ねていた。怒り、険悪さを声に滲ませていた。

筈だったのだが────

「な、何を言ってるの‥‥‥!?」

問う側であった筈の彼女は、神楽の豹変的な声と言葉に思わずそう漏らした。

「どういう、意味?」

「どういう? だから、あれと一緒にするなと言ったんだ」

はっきりと告げる。

そこに、いつもの神楽らしさは全くなかった。

「ウザイ」

どん! と、完全に断崖絶壁に立った人間を後ろから突き落とすように、彼は能面のような無表情さで断絶的に告げる。

スイッチが入った。

腹這いに地に捩じ伏せられる私は、それより鮮烈に凍えた背筋の悪寒に、一気に意識を健常に正された。

ズキンッ、と左のこめかみから痛みが右に抜け、強制感もたっぷりに視界が晴れる。

全身の感覚が歪みながらも戻り、緩み切った筋肉に力がたわむ。

危うく漏れそうになった下半身を引き締めて、状況の理解と同時に行動を開始する。

「へ────きゃ!?」

私を踏みつける足に自分の足を絡ませ、寝返りを打つように上体を起こした。当然、絡んだ足も真横に引き込まれ、重力も加わって強烈に身体が落下する。

「────神楽ぁ!」

「ヤー!」

呆気に取られた空間に響く私の声に、神楽はいつも通りの調子で陽気に応えてくれ、示し合わせたように行動した。

大それたことを言う気はないが、命のやり取りを行う現場というのは、得てして運や奇跡や経験という数式化できない要素が深く絡んでくる。

史実に然り。

事実に然り。

「‥‥‥さぁ、形勢逆転だよ。どうする?」

奪ったナイフを彼女の味方の喉に突き付けて、私が言う。

神楽は久人君に声を掛けながら、両手に持った刃の先端を敵二人に向けていた。

「くっ‥‥‥」

ぎりっと歯軋りする少女は、場を見渡して辛そうに私を睨み付ける。

「ッ‥‥‥‥」

明らかな狼狽だった。

誰も、自ら進んで死を望んだりしない。

けれど選択権はなくて、あるのは呈示された二択を選ばされる強制。

ましてや、自分独りの命ではなく、親しいだろう人間の命までも自分の選択に掛かっている。

絶望と恐怖。

怒りを滲ませ、彼女は抵抗しないと首を振った。

「宜しい。‥‥神楽」

「ん?」

「それ、もういいわ。下ろしなさい」

「アイサー」

私の言葉に従い、神楽はくるりと両手の刃物を回して刃に持ち替えた。

私は少女を離し、きょとんとする三人を改めて見渡した。

「一体‥‥‥どういうつもり?」

三人がフロアの中央辺りに固まり、真ん中の彼女が言う。

神楽と対峙していたボーイッシュな彼女は右に、私と対峙していた大和撫子な彼女は左に。残る金髪の少女は、しがみつく二人を守るように私を睨み付けていた。

「どういうつもりも何も、人と対等に話すのに凶器は邪魔でしょう。それに、私達を認識して突っ掛かってくるのを殺すのは良心も痛まないけど、流石に勘違いで襲ってきて殺すのは、ねぇ」

わざとにっこりと笑んで見せると、怪訝としていた表情は更に困惑したようになり、予想通りに聞き返してきた。

「勘‥‥違い‥‥?」

「そう」

答えたのは、今まで久人君と並んで傍観していた神楽だった。

「か・ん・ち・が・い。勘違い。判る?」

「なッ‥‥‥!?」

馬鹿にしないで!

かっと顔を怒りに染めて叫び、一歩前に出る真ん中の少女を左右の少女が抑える。

どうやら、彼女は見た目からは予想もできないほどの激情家らしい。それならさっきの半狂乱も、納得だ。

「ふぅ‥‥神楽。あなたは黙ってて。話がややこしくなるから」

「ぶーぶー」

神楽が判りやすく不満を露にしてくれるので、あえて流す。サラリと。

「取り敢えず、何よりもまず誤解を解きほぐしましょうか。ねえ?」

三人はまだ疑念の眼差しを向けてくる。

疑わしきは有罪。ではないけれど、そこはあれ。危険性がある以上、憂慮できることは全て疑いを念頭に置くのはあながち間違いじゃない。

ただ、それが一方的な誤解だということはこちらは判っているので、私にすれば面倒極まりなかった。

それに多分だが、彼女等は私や神楽とは違う。

独白すれば世話ないが、私達はかなり悪い方向でいい加減な人間だ。

軽く戦場を模すような状況でも軽口を叩けるのだから、それは相当だ。

しかし彼女等は、恐らく真っ当な人間────恐怖を恐怖と感じ、それに抗う為に憎しみを抱くのだろう。

「何が‥‥誤解なの?」

ふと、少女が落ち着き払って口を開き、怒鳴られることを覚悟していた私は驚いてしまった。

「‥‥? 何‥‥?」

「え? ‥‥ぁ、ああ、ううん。何でも」

自分が沈黙して少女に見入っていたことに気付いて、急いでそんな風に返す私を、彼女は怪訝と首を傾いだ。

「えと、それより誤解のことだけど。私達は、人を捜しにきたの」

「人‥‥?」

彼女が無言で訝りを深め、目を細めた。

肩を竦め、苦笑する。

「ええ。彼のお兄さんをね。だから、あなたが言ったような、誰かの仲間ではないわね」

久人君に視線を送ると、彼女だけでなく二人もそれを辿った。

「で、でも、その男は知ってるような口振りだったじゃない‥‥‥!?」

「だ、そうだけど、その辺どうなのよ神楽さん」話を振ると、彼は曖昧な表情を浮かべながらえへへと笑うだけで、否定も肯定もしない。

「‥‥愚問ね。答えてくれるなら、私はもう少しだけあなたを信用するのだけど」

これは脅しではなく、単純な事実の描写だった。

周囲がどう取ったのかは知らないが、神楽との間ではきちんと理解されたらしく、彼はごめんと儚げに謝罪した。

「‥‥‥神楽について、何とも言えない。ただ、確実なのは、彼もさっき言った通り、私達はあなたのいうものではないということ。信用して────というのは、無理かもしれないけど、理解はしてほしい」

「‥‥‥‥」

まるで私の心を見透かそうとするかのように口をつぐみ、彼女はまだ油断はしてないと言いたげに同意を示した。

「‥‥殺そうと思えば殺せるのに‥‥殺さない。‥‥判った。少しだけ、信じてあげる」

「ありがとう。これでやっと話が進む」

これで、一応の信頼の土壌を築くことが出来た。

何事もまず、話すことから始まるのだ。

敵意がすれ違えばすれ違う程、無闇に両手を赤く染める必要はないのだから。

「あなた達は、どうしてここに?」

今まで質問されてばかりだったので、今度は私が問う。

すると彼女は一瞬、目を見開くようにして、ちらりとだけ視線をリノリウムに落とした。

左右の二人は言葉もなく、悲しみ堪えるように唇を噛み締めている。

「あ‥‥‥と、もしかして、訊いちゃいけないことだったり‥‥‥?」

それがあんまりにも惨めなので、思わずそんな風に言って誤魔化す自分が可笑しかった。

彼女は首を左右に振り、小さく、ぼそりと、独り言のように本当に小さくぼそりと呟いた。

「‥‥‥復讐‥‥‥」

────至極単純で、純粋な殺意に満ちた、簡単な行動動機。

それを聞いた途端、最初に彼女等が私達を襲った時の捨て身と、半狂乱の意味が頭の中で一気に理解されて、私はああ、そうなのかとジクソウピースが組み合わさったような納得を覚えた。

誰かの仇を討つ為に殺意を抱くのは、尊く清らかな憎しみなのだ。

「‥‥そっか」

「え?」

疑うでもなく、訝るでもない肯定的な言葉に、私を見る彼女達。

微笑みながら、頷く。

「それで? ‥‥その仇は、ここにいた?」

「え‥‥、ぁ、ああ、ううん。いなかった」

「他に人は?」

「いや」

「そう‥‥神楽」

私は、隣へと視線を移した。

彼は喉を鳴らすようにそれに応じる。

「ここに、他に人はいるの?」

「うーん、どうだろう。もういないんじゃないかな?」

「どうして?」

「だって、これだけ騒いだんだからとっくに逃げてるでしょ」

「‥‥‥それもそうね」

「うん。じゃあ、という訳でぇ‥‥‥」

にんまり、と神楽の笑みが三人の少女に向けられて、そのあまりな不気味さに彼女等はびくんと肩を浮かせて反応する。

「君達は、行くあてとかあるのかな?」

「へ‥‥‥?」

「行く‥‥?」

「あて‥‥?」

三人で仲良く言葉を綴りる彼女達。

神楽は、なぜか愉しそうにしながら、どこかで聴いたようなことを口にした。

「僕等の家で、お茶にしません?」

ぽかん。

とするのは、何も三人だけではなかった。

そのあまりの脈絡のなさ、そして無防備さには、私や久人君も流石に唖然とした。

いや、そもそも私達が一緒にいるのも彼のあんな言葉を受けてなのだから、私に言えたことではないか。

────そして、ほとんど完全になし崩し的に、彼女等はいつの間にか打ち解けてしまったというわけで。

「‥‥‥デタラメだ」

無駄だが、こうして追想していると突っ込みたくもなるというものだ。

何せ、その魔法のような話術を行使した彼は、今私の隣で鼻歌混じりに食器を拭いてらっしゃるのだから。

因みに真ん中の少女────遠藤燐は、やっぱり上機嫌にタオルでお皿を拭いていたりする。

「どうしたの雫玖、難しい顔しちゃって」

「ッ────!?」

ぬっと神楽が顔を覗き込んできて、私は思わず二、三歩後ろに飛び退いてしまった。

過剰反応のようにも見えるが、鼻と鼻を突き合わせるくらいに男の人の顔が近付いたら、誰だって流石に驚く。

「酷いなぁ。何もそんな引かなくたって」

「お、おぉお驚くに決まってるだろぉお!? ち、ちか、近、近すぎ!?」

不満そうに唇を尖らせる神楽だが、私の心臓はばくばくと大暴れで喉が詰まっていた。

「神楽さん、近すぎです。隙間が一センチもなかったじゃないですか」

燐さんが心を代弁してくれているが彼はやっぱりまだ不満そうで、またずいっと私に身体を寄せてくる。

「今更、この程度で恥ずかしがる仲じゃないじゃないの」

「え‥‥‥!?」

うわ、また勘違いされそうなことを真顔で‥‥!

「違う! 変なことを言うな神楽ぁ!」

ぎゃあぎゃあと喚き合うキッチンを、端から笑いながら眺める三樹雪花と微花の姉妹。

────と。その背後から、タオルケットを肩から羽織った少年の顔が、控えめに覗いた。

「ふわぁぁぅ‥‥お早うございますぅ‥‥」

大きく欠伸をしながら、彼は一人一人に律儀に会釈して目覚めの挨拶をしている。

「あれ、久人君もう起きたの? ‥‥て、ごめん。もしかして起こしちゃったかな?」

キッチンは二人に任せ、私は装着したエプロンで手をふきふきリビングへ入った。

さっきまで半裸だった雪花ちゃんは、微花さんの手で既に服を着せられていた。

久人君は眠い目をしばたたきながら、ふるふると頭を振った。

「もう起きてみゃしたかりゃぁ、大丈夫ぅ‥‥」

どうやら、まだ脳の三分の二はすやすやお休み中らしい。何とも可愛らしい口調になってしまっている。

私が苦笑しながら珈琲か紅茶を飲むかと訊くと、彼は珈琲が飲みたいと丁寧に答えた。

「────はい、お待たせ。雪花ちゃん、微花さんもどうぞ」

キッチンから持ってきた三つの珈琲とミルクをテーブルに並べ、カフェのウエイトレスよろしく恭しく会釈する。

端に置かれた砂糖のビンを、テーブルの真ん中に持っていってあげる。

三人は口々に礼を言いながら、自分の珈琲を好みの味に仕立てていく。

久人君はミルク少量に砂糖を気持ち加えてくるくるとかき混ぜ、早々にスプーンを受け皿の上に置いた。

微花さんはミルクを少し多めに加え、砂糖は一杯だけ。

そして、雪花ちゃんはというと────うわ、ダメだよあれは。彼女は、ミルクをタップリとなみなみと注ぎ、砂糖も二杯三杯、四杯五杯と淀みない仕草で投入していく。

うん、甘そう。傍らに立ってそんなことを考えていると、彼女の顔はほにゃりと綻んだ。

「雫玖」

ふと、背後から声がして振り返ると、神楽と燐さんが立っていた。

「ああ、ご苦労様。二人供」

洗い物が終わったのだと思い、そう声を掛けて道を譲り、あらかじめ用意しておいた残り三つの珈琲を取りに行く。

すると、戻ってみると、五人はテーブルについていて、私はカップを二人と最後の空席の前に置いた。そして、その空席に腰を下ろす。

それを合図にテーブルはシンと静まり、誰もが真剣な眼差しを作る。

何となくだが、これからどういう会話が行われるか予想は出来ていた。

恐らく、今後の事。

別の目的を持つ二つの集団が一つに集い、目的が二つになったのだ。これからどうすべきか。そして、互いの知り得る情報を呈示し相談するのは、何よりもまず行うべき事だった。

「一体‥‥‥この街に何が起きているんですか‥‥‥?」

恐る恐る気重い口火を切ったのは、やはり燐さんだった。

「いつも通りの週末だった筈なのに‥‥朝起きたら沢山の人が殺し合ってて、沢山の人が死んでて、警察でさえ壊れたように市民を襲ってた‥‥」

一番初め。

この<ゲーム>が始まって最初の、恐らく正気を保つ全ての人間が加速度的に、瞬間的に状況を理解した最初の出来事のこと。

私はずっと家にいたので知らないが、外は本当に大変だったらしい。

昨日くらいの雨で血は洗い流されているが、その時は見るに堪えない程辺りは鮮血で染まっていたと聴いている。

ぁ‥‥‥れ?

それじゃぁ何で‥‥街はあんな‥‥────

「これはゲームだよ。人間同士、互いの存在を賭けたゲーム」

神楽が至極当然と言い、その言葉には三人のみならず久人君さえぎょっとした。

私を除く、全員が。

私はそれまで自分の考えていたことをすっかり忘れて、一同を見渡した。

「信じる信じないはみんなの自由だよ。でも、実際問題、今回の事が始まって遊びに興じた人を何人も目撃した筈。笑いながら血を浴びて、笑いながら────平然と、人を殺す連中を」

「────!」

全員が急に口をつぐみ、記憶を思い出すようにテーブルの表面に視線を落とす。

それは無言の肯定。

否定したくともできない既成の事実。

誰もが、苦しいくらいの絶望を感じていた。

その沈黙を破ったのは、雪花ちゃんだった。

「どうして‥‥‥‥こんなことが‥‥‥?」

「ドウシテ‥‥‥か」

ブラックの珈琲を啜り、聴こえないように小さくぽつりと繰り返して、神楽は苦笑した。

それはまるで、何かを思い出してするようなそんな笑い方だったが、彼はすぐにいつも通りに言葉を続けた。

「そうだね‥‥‥」

悲しみを交えるように、つつけば散ってしまう花のような笑みを浮かべて、彼は自嘲気味に肩を竦めた。

「君達は巻き込まれただけだ。‥‥自己中心的で残酷な、身勝手な連中に」

「巻き‥‥‥込まれた‥‥‥って‥‥‥」

当惑する場の中、小間切れに言ったのは雪花ちゃんだった。

「は、はは‥‥悪い‥‥冗談‥‥」

「だと思うかい?」

困惑に対して、微笑みながらだめ押しの一言。

それは決定的にして、突き放すように、この場の全員に彼自身の言葉が真実だと、知らしめた。



‥‥夜。

鉛色に浸された帳が沈み込むように空に降り、シュレッダーのような雨は森々と降り注いでいた。

まるで、みんなの抱える暗い闇を禊ぐかのように清らかに、眠気を誘うように窓を叩く。

私は自室にいた。

所謂コールタールをぶちまけたような暗闇に身を浸し、ベッドに仰向けになってタオルケットを被っていた。

あの後。

結局、誰も最後まで口を開くことはなく、神楽が解散しようと言うまで延々続くのかと思うくらいに固まって、その後も何の音もなく辺りは闇に包まれた。

真っ黒な天井を眺める。

それはスクリーンのように平らな暗闇で、私の目はものの輪郭程度は読み取れるくらいには慣れてきていた。

何て言ったっけ。こういうの。

「‥‥‥‥ああ、暗順応か‥‥‥‥」

ぽつりと、無意識に思考が口から漏れて、淡白な静寂の四隅に寂しく反響した。

そして、苦笑する。

人が光の乏しい環境に適応する事を指す暗順応という現象。

人が、だ。

笑ってしまう。人じゃない私でもそれはオナジなのだ。

いや、そもそもその現象自体は人に限らず生物が持ちうる適応だから、言い様によっては私がそれを出来ても何もおかしくない。

だが、可笑しかった。

誰もいない部屋で、独りでベッドの中で身を捩って笑いを噛み殺すくらいに、それは苦笑からもう抑えようの効かない所まで進行していた。

「く‥‥くくっ‥‥は、あはっはっははっ‥‥」

到頭、自分でもイカれていると思う笑いを、愉悦を、快感を、私は堪えられず洩らしてしまう。

窓を叩く雨が、吹き荒ぶ風が、その不協和音が、不意にシンフォニーよろしく聴こえて仕方がなかった。

私は額に手を当てて天井を振り向き、零れ、頬を伝う涙を感じた。

別に悲しい訳じゃない。

ただ可笑しくて、馬鹿馬鹿しくて、どうしようもないくらいに笑えてしまって、だから涙が零れてきていた。

「‥‥‥入っておいで。────神楽」

私は嘲笑を細やかに噛み砕きながらベッドの縁に腰掛け、静まる扉の向こうに────息を潜めて立っていた気配に、声を掛けた。

「‥‥お邪魔するよ」

控えめに、しかしバレたことを驚く風でもなく堂々と、そこにはやはり神楽が現れた。

私はやおら手を伸ばし、ベッドヘッドのライトをつけた。

淡い光に姿が浮き彫りになる。

「‥‥‥」

少しだけ、神楽の視線が私の身体のラインをすっと辿った。

今の私の格好は、上はワイシャツに下は下着。

普通ならこんな無防備な格好で誰かを部屋に招き入れたりしないが、しかし彼には気にする必要はなかった。

彼は、例え酒に酔ったとしても、媚薬を盛られたとしても、決して私を襲うような事はない。

根拠もないのに直感で、心底からそんな事を確信している。

「ごめんね、こんな時間に‥‥」

しずしずと言われ、時間の感覚が欠落していた私は時計を確認した。

余程、ぼんやりと天井を見ていたのか。或いは、気付いていないだけで仮眠くらいは摂ったのか、時刻は深夜三時。

それも、既に四分の三が過ぎているのでほとんど四時だ。

もういい加減、朝と言っていいかもしれない。

「‥‥大丈夫。起きてたから。それで、どうしたの?」

後ろ手に扉を閉めてから、彼はその場にとどまりこちらを見据えていた。

何を考えるのか、それは読み取れなかった。

彼は、沈黙している。

「‥‥かぐ────」

「雫玖」

急かそうと名を呼ぼうとした時、ほとんど小さな動きだけで彼は私の言葉を遮った。

「────、何」

少しむっとして答える。

ごめん。彼は、俯き気味に謝罪した。

「どうして謝るの」

「さっき────昼間のこと‥‥‥」

「‥‥ゲームについてかしら?」

いきなりに核心を突いた自覚はある。少し位は驚いてくれることも期待した。けれど、彼は一瞬小さく息を呑んだだけで、さほどの驚きも見せずにこくんと頷いた。

「そうね。あなたは、まだ彼女達に隠していることがあるし、私にも。‥‥そうでしょう?」

「否定は、しない」

「騙せると思ったの?」

「いや‥‥‥」

「みんなはどうか判らないけど、少なくとも私とあの子は気付いてるよ」

「だろうね。‥‥読みが深いというか、勘が鋭いというか」

暗がりで自嘲気味に苦笑して、まるで闇に酔ったように扉を背を預ける。

「参ったな‥‥‥覚悟はしていたけど、突き付けられると辛い」

彼の中で、それで一応の区切りが話についたのだろう。

────けれど。

「で。そんな建前は置いといて、そろそろ本音を明かさない?」

「え‥‥‥?」

私は徐にクッションの下に手を忍ばせ、そこに隠されたものを掴み彼に向けた。

「もういい。もう、いいわ。いい加減、ハッキリしなさい。私を殺そうか迷ってるんでしょう」

カチリ。親指で撃鉄を軽く撫ぜる。

「そん‥‥な、身も蓋もないなぁ」

「身も蓋もある筈ない。第一、現実を誤魔化した所でそんなのは所詮、その場凌ぎに過ぎないじゃない。下らない」

私は、いつまでも撃てる状態でそれを────久人君を助けた際の戦利品を、彼に向け構えた。

神楽は、氷のように無感情な瞳を細め、北風よりも冷たく身を裂く風のような眼差しでこちらを射抜いている。

「酷いな。これでも葛藤してるんだよ? 君を殺すかどうか、ね」

「それで。どうするか決まったの?」

「‥‥君が後少し、僕を信用してくれればそれで済むんだけど‥‥ね」

私がどう返答するのか判っていながら、神楽はそう問うてくる。

だから。私も、あまり考えず即答する。

「無理ね」

「だと思った」

彼は、肩を竦めた。

「嘘つきは信用するな。よく言うじゃない───‥‥?」

不意に。

ゾクン、と背筋が冷たく疼き、何か不安感のような感情が胸を過った。

それが、直感だと気付いた瞬間。

彼は、嘲笑うかのように口を開いた。

「くすくすくす‥‥‥嘘つきは、ね。くすくすくす‥‥‥じゃぁ────君、は?」

「────!?」

突き破りそうな程に、心臓が大きく鼓動する。

鋭く、熱したコールタールを流し込んだような激しい頭痛に容赦のない吐き気がして、反射的に肩を抱えて口を覆う。

「───君も、僕に隠し事をしてるよね‥‥?」

ゆっくりと、神楽が近付いてくるのが判るのに、胎内を、皮膚を、骨を、神経を這い蠢動する嫌悪感に、意識が硬直する。

「ね‥‥してるよね? ん?」

細く冷たい彼の指が私の顎を軽く持ち上げ、抵抗する気力もない私と無理矢理に視線を絡める。

まるで、話をするなら目を見て話せと言われているように。

「ねぇ、雫玖。君は本当は────」

「やめて!」

思わず私は声を荒げた。

感情を塞き止める全てを振り切り、身体の奥底にまで新鮮な空気を取り込む。

「お願いだからそこから先は言わないで‥‥!」

彼の腕を掴む私の手が、小刻みに震えているのが自分でも判る。

彼は、俯いた私を包み込み、子供をあやすように囁く。

「大丈夫。判ってるよ。でもね、君に知って欲しかったんだ。僕の隠していることは、君の隠していることと同じなんだ。‥‥‥‥ね?」

その優しさと、耳元に掛かる吐息の温かさが気分を落ち着かせ、やっと自分の言葉の残酷さを理解した私は、頬を涙が伝った。

「ごめん‥‥なさい。私、酷いこと言ったよね‥‥」

「大丈夫だよ。‥‥こっちこそごめんね。君の傷を深く抉った。ごめん。ごめんね‥‥‥」

背中を撫ぜられるその心地好さに、私は次第に微睡み、ゆっくりと、闇が降りてきた。

「お休み‥‥‥」

最後に、彼の言葉が耳に届いたような気がした。

再々読了感謝!

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