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わたしはこのチャンスを逃すものかと、我ながら驚くほどの執念で原憲太を追っていた。
昨夜、駅の改札口付近で彼を待ち伏せして尾行し、名前と住所をつきとめていた。そして今朝、勤めている会社を知り、原が退社後の今、本日二度目の尾行中である。
この二日間ですでに何年分かの仕事をした気分になっていた。それでも、成功してたんまり報酬を頂いている未来の自分のために、ほとんど寝ずに働いた。
しわの目立つグレイのスーツに身を包み、さっきからやけに遅い歩みで進んでいる原を追うのは、簡単そうで実は難しい。わたしは周囲のペースに合わせて歩き、彼に追いつかないよう何度も立ち止まった。 店があれば中を覗いたり看板を見るフリができるのだが、何もないところでは焦った。とりあえず電柱に隠れながら、『呑みスリ注意! 酔い潰れて道で寝るのは危険です』というポスターを読む人を演じた。しかしこれだけの文章を時間をかけて凝視するのはかえって不自然だ。機転をきかせて靴ひもを結び直したりした。滑稽だ、とふと客観視して口元が緩んでしまう。
そうこうしているうちに、原は一人でファミリーレストランに入っていった。そして何か注文したのをガラス越しに見届けてから、わたしも中へ。
「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」
「いえ、先に連れが来てるんで」
わたしは入口で店員をかわし、はやる気持ちを抑えてそのテーブルへと向かった。
「こんばんは」
にこやかに、そして堂々と向かいの席に座るわたしを見て、彼は一瞬硬直した。それから怪訝な顔で「なんですか。どちらさまですか」と攻撃的に訊いてきた。
わたしが曖昧に微笑んでごまかそうとすると、素晴らしいタイミングでわたしたちのいるテーブルにウエイトレスがやってきた。わたしにメニューを渡そうとするのを拒んでコーヒーを注文すると、「かしこまりました」とすぐに離れていった。
わたしは正面の男に向き直って言う。
「あなたとお話がしたくて来ました」
「僕たち、初対面ですよね。非常識ですよ」
彼の眼差しはよりいっそう鋭くなっている。さっさと本題に移った方が良さそうだ。わたしはわざとらしく店内を見回し、ごく小さな声で言った。
「あなた、一昨日の夜、本城かえでとお家デートしてましたね」
彼の表情がサッと変わった。
「な! 何を言って……」
「ああ、隠そうとしても無駄です。ちゃんと見てましたから」
わたしはショルダーバッグから大きめのカメラを取り出し、すぐにしまった。
しばらくの沈黙が続いた後、わたし達が頼んだ品を持ってウエイトレスがやってきた。立ち去るのを見届けてから、彼は独り言のように話し始めた。
「違う……僕はなんの関係もない。この僕に彼女との接点などあるものか」
「そうですね。赤の他人同士でしょう」
「……昨日テレビで、初めて名前を知ったくらいだ」
「本当に何もしなかったんですか?」
「してない! 僕は、僕には、その気はなかった。あるはずないだろ」
「そう。では、彼女から――」わたしは彼の耳に近づいて、ささやいた。「彼女が襲ってきたのか」
その途端、彼は顔を真っ赤にしてものすごい勢いで立ち上がった。そして、わたしを見降ろして怒鳴った。
「ふざけるな! あんた、何者だ? 彼女の部屋にカメラでも隠してストーカーしてたのか?」
どうやら図星のようだ。推理と想像とはったりだけを武器に、ここまで上手くいくとは正直思わなかった。
「まあまあ、落ち着いて。わたしは暴露したりしませんよ。あなたの奥さんと娘さんのためにもね」
原は目を見開いて、完全に力をなくしてソファにうなだれた。
「最悪だ。一体どうなってるんだ……どうしてこうなった? 俺が何かしたか?」
わたしは首を振ってから、相手をまっすぐ見つめた。
「先ほど申し上げたように、わたしはこの事実を一生誰にも話しません。なぜなら、あなたに同情しているからです。わたしはあなたの味方。ですから――友達になってくれませんか」
「は……?」
わたしはちらと店内の時計確認した。午後十時五分。
「おっと、そろそろ時間かな」
ポケットから取り出した携帯電話のテレビのボタンを押す。しばらく番組を流し見ていると、本城かえでが映った。原にも見えるように持つ角度を変えてやる。相変わらず、といった調子だ。
わたしは密かに優越感に浸っていた。わたししか知らないスクープなのだ。目の前の男はノーマークだ。
「まあ、いいですよ。そのうち仲良くなれるでしょう」
冷めたコーヒーを一気に飲み干して、わたしは席を立った。
「ごちそうさま、憲太くん」
その言葉で原の瞳にまた強い力が宿った。何が友達だ、と訴えているのがありありと分かった。