第三章 最終幕
「それで…どうしたんですか?」
もはや日も完全に沈み、周囲を照らすのは街灯の光と微かな月明かりだけになっていた。
「どうもこうもない。その後ボスに戦場で声をかけられて…そのまま『梟』に入った。その方が約束を果たすのに近道になると思ったからな」
約束。
人間三千人の救済。
「そんな約束、果たすことが出来るものなんですか?」
「あれから四年たつ。その間に救えたのは359人だ」
単純計算で、後36年かかる事になる。
だが、
「そんな風に戦い続けたら、約束を果たす前にアーサーさんが死ぬじゃないですか!」
「それが、望みだからな」
アーサーは、
ただ穏やかに微笑んで、
「この世は地獄だよ。俺はもう、姉さんがいないこの世界を、他ならぬ姉さんとの約束で生き続けなければいけない。救いがひとつもないとは言わないさ。お前や、ニコラスのような大切な人も居る」
でも、
「そんな程度じゃダメなんだ。姉さんを失ったという極大のマイナスは、そんな程度じゃまるで打ち消せない。だから俺は救う。救って救って救いの果てに、きっとある死を待ち望む。それが、俺の死ぬ唯一の方法だから」
西織は、
もう、何も言えない。
西織は愛する父をその手で屠った。
それなら西織は自分を責められる。罪をもつ、というのは罪がないより楽だ。
アーサーは、一瞬で姉の仇を殺してしまったと言う。
ならばその怨念はどこに向ければいい?
その憎悪は誰が受け止めればいい?
だからアーサーは自分を罪人にしたのだろう。
姉の約束と言う絶対の呪縛に侵され、生きることを強制され、
自分を憎み、蔑み、貶める。
そうすることでしか、きっとアーサーは生きられない。
あぁ、と西織は理解する。
(アーサーさんと私は、そこが違うんだ)
片方は復讐を果たし、片方は己に復讐する。
両者は結果的に大きなマイナスを背負ったけれど、復讐を終え、何かを憎む事すら許されない、というのはどれ程の地獄だろう。
生きているのすら苦痛だろうに、その原因たる姉との約束がアーサーに逃避を許さない。
逃げられず、死ぬまで生にいたぶられ続ける苦しみに、それでもアーサーは耐えている。
それどころか、
アーサーはそれを乗り越えた。ニコラスや海島といった親しいと言える人間関係を作り上げた。
失望の中にあってもーーー微かな幸福を手に入れた。
西織は感服する。
それを手に入れるのに、アーサーが振り絞ったであろう精神力に。
(良いな)
西織は素直に思う。
だから、
「私も…」
西織は、少しだけ勇気を出して見る。
「私も、自分に素直になれるでしょうか」
自分を責めながらも、素直に生を噛み締めることができるのか、という問いにアーサーは、
「それは、お前次第だ」
全くもってその通り、だが、
「少なくとも俺はーーーお前の味方だし、別に構わないと思ってるよ」
「…はい」
西織は俯いてそっと笑う。
素直に嬉しいと思った。まだ少し、父を思うと胸が痛むけれど、
「そろそろホテルに戻ろう。皆が待ってるだろうからな」
はい、と頷いて踏み出した足は、いつもより少し軽かった。
◇◇◇
ドバイ滞在から五日後。
バカンスを終えた『梟』メンバーはそれぞれ仕事に精を出している。
アーサーなどは帰宅初日に、何処かのテログループに占拠された建物の人質を救出していた。
ニコラスは海島に妙な機械の設計図を渡され、それを作成していた。朝方、完成品を海島に渡すといっていたので、また次の仕事を始めるのだろう。
ジークとヒルデは今のところ、アーサーの助手兼弟子のような扱いだ。仕事についていったり、訓練を受けたりしているらしい。
海島はいつも通り。ちょくちょく『梟』メンバーに無茶ぶりをしている。
そして西織はーーー
「んっ……」
パソコンをいじり、『梟』全体の資金管理や事務作業等をしていた。軽く伸びをすると、ぱきぱきと小気味よい音をたてて背筋が伸びる。
「ふぅ、これで大体終わりかな」
コーヒーでも飲もうと椅子から立ち上がる西織の胸に、キラリと光るペンダントがある。
ドバイで見つけたアクセサリーショップにオーダーメイドした梟の意匠のペンダントだ。海島が記念にと作ったもので、何と白金製らしい。なんとも無駄なところに金をかけたものだ。
(『梟』メンバーの証、か)
そっとペンダントを撫でて、コーヒーカップを部屋の食器棚から取り出す。
西織が電気ケトルの電源を入れようとして、
ズン…ッ!と不気味な振動が建物を襲った。
「え?」
ここは『梟』基地の中でもセキュリティがかなり強固な場所だ。核シェルターとまではいかなくても、ちょっとしたミサイルくらいならば簡単に防ぎきり、内部にはろくに衝撃も通らないはずなのに…
ここで、西織は間違ったのかもしれない。
直ぐに警戒して、逃げる準備を始めればーーーあるいは、もっと早く、部屋の外を見ていればーーー次の瞬間、部屋に扉を突き破って入ってきたものを見ずに済んだかもしれない。
それは赤い物体だった。
破れたボロ布のようなものがこびりついた胴体に、接続されているべき四肢は右腕一本しかない。
体はうつ伏せなのに、首の骨が折れ曲がっているせいでその顔が上を向いていてーーー
鋼色の瞳が、西織の方に向いていた。
アーサー・レッドフィールドの無惨な死体を目の前にして、瞳孔が最大まで開かれ、
西織は喉を潰さんばかりに絶叫した。