11 マッド博士
セクサロイドのN209は私の手を握っていた。
「エヌ、大丈夫? 怖いの?」
N209をみても、その表情からは何も読み取れない。
「大丈夫。・・・初期化すれば、怖いという概念も消えるはず」
昨日、永世中立衛星ロペに寄港した。
荷の積み下ろしや人の行き来で船は活気づいている。
トラベラーズのマッド博士が乗船し、セクサロイド、N209の治療を行うことになっている。
治療といってもウイルス汚染されている彼女を初期化するだけだ。
マッド博士ときいて、「ちょっと逝っちゃった系の壊れた科学者」を想像していたが、物腰の優しい美しい男だった。若いようにも中年のようにも見える年齢不詳の男だ。科学者らしい白衣ではなく、安っぽい迷彩色のシャツとズボンを身に着け、プラチナブロンドの髪を後ろで束ねている。恰好と雰囲気がちぐはぐで激しく浮いている。
私とN209は手をつないだまま、ぼんやりとマッド博士をみていた。
「おや。どちらがN209かな?」
マッド博士は悪戯っぽい笑みを浮かべ、私達を見比べた。
セクサロイドに似ているといわれるのが嫌で、自分の容姿が大嫌いだった。けれど、本物に出会ってからは不思議とそういった負の感情は消えている。
N209は無表情のまま私をみたけれど、それが人間の感情で言うところの「不安」であることはわかった。
N209をみてうなずき、手を ぎゅ、と握る。大丈夫。
そんな私達の無言のやりとりをマッド博士は興味深そうに見守っていた。
「エヌの記憶、消えちゃうの?」
私がマッド博士に尋ねると、博士はうなずく。
「本来N209の「記憶」は所有者であるマスターのためのものであって、N209の生存には必ずしも必要ないのだよ。もともと所有者が替わる度に初期化する設定になっている。今回はどこで拾ったのかウイルス感染してしまっているからね。最近多いんだよ。アンドロイド排除を訴える狂信的な宗教団体がいて、アンドロイドを狂わせるウイルスをばら撒いている。暴走して自爆したアンドロイドもいる」
マッド博士は顔をしかめていった。
「それでも、アンドロイド達が壊れれば壊れる程、ヒトの感情に似てくるのは皮肉だね」
そういわれて、私とN209は顔を見合わせた。
「じゃ、はじめようか」
N209はぎゅっと私の手を握った後、離した。
さよなら。
小さな声でN209はそういった。
初期化とやらはあっけないほど、簡単に終わった。
時間にすれば一時間程度だろうか。
横になっていたN209が目を開ける。
澄んだグリーンアイズ。
最初に会ってほしい、といったN209の言葉を思い出して、そばに行く。
いつも無表情だったN209は、微笑んだ。
完璧な洗練された笑顔で。
もう、無表情だったN209はどこにもいないのだろう。
でも、私は無表情なN209が好きだった。