5 ウイルス感染
セクサロイドのN209は淡々と仕事をこなしていたが、調子が悪いのか、時々立ち止まっている。
「エヌ、大丈夫? 休んだ方がいいんじゃないの? シンにみてもらう?」
N209は首を横に振った。
「シンには見てもらった。でも、いかれているのはボディの方じゃない。たぶん、ウイルス感染してる。今度、マッド博士が乗船したときに、私を初期化することになっている」
マッド博士というのは、アンドロイドやサイボーグの治療や研究を専門にしている技術者で、コロニーや船を定期的に渡り歩いている人らしい。私は会ったことがないからしらないが、次に停泊予定の衛星ロペで乗船してくるそうだ。
「初期化?」
「そう」
「どうなるの?」
「ミアと会った記憶、消える」
N209は無表情にいう。
「たくさんの記憶消えて、初期化される。記憶のバックアップをとって、スキャンして戻すこともできる。でも、危険だからやめた方がいいらしい。だから、初期化する。」
私はN209の無表情な顔をみつめていた。
「何度もやり直し。先に進めない」
そうつぶやくN209の背に両手をまわし、そっと抱きしめた。
「大将、どうする?」
いきなり後ろから呼びかけられた。
角刈りの体格のいい男、『アンタの方が大将』の登場だ。
「戦闘機かミア、どちらかを「アース」に引き渡すことになる。アレン・シーモア少佐はミアを返せ、といってきているがね」
戦闘機か私。
「私はここに残っても戦えないし、戦闘機にも乗れない。ドラッグ無しじゃ、恐ろしくて宇宙に出られない。ドラッグをもらえなきゃ、戦えない」
私がそういうと、アンタが大将は頷いた。
「それはシンから聞いている。だが、それは関係ない。戦えなくてもいい」
ここの船の人々は不思議だ。
「戦闘機」と「戦えない私」なら戦闘機の方が価値があるにきまっている。
それを捕虜である私に選択をまかせるなんて。
「「アース」には大切な人が乗っているの。その人を置いていけない。だから・・・私が戻る」
ルークの事を考える。きっと、すごく心配している。
「いいんだな? シンはあの船に戻ればお前は死ぬといっていたぞ。お前にドラッグを渡して飛ばせている少佐なんて、俺にいわせれば、ロクな男じゃないと思うがな」
『アンタの方が大将』はよく見れば、人のよさそうなオヤジだった。少し心配そうに私をみおろしている。
「少佐は・・・関係ない。」
私はいった。
少佐は・・・。
あの夜を思い出してみる。
気が狂いそうな程、怖かった。
いや、半分おかしくなっていたから、すがった。
それは、単に少佐がそこにいたからであり、ドラッグのかわりにすぎないはずだ。
でも、「アース」に戻ってドラッグが手に入ったとして、少佐の温もりをなかったことにできるのだろうか。もし、抱きしめられれば簡単に落ちていきそうだった。少佐の温もりは恐怖を忘れさせてくれた。力強い鼓動につつまれると安心した。ミア。呼び声を思い出すだけで、泣きたくなる。・・・何なの?
「アース」に戻ったところで、その境遇は前より更に悪化しているだろう。
それでも、ルーク傭兵隊長を置いていくことはできない。
故郷にいた頃、戦闘機に乗る訓練をしていた。
ルークは技術指導の教官で、私は出来の良い生徒だった。
教官と生徒となる以前に、すぐ近所に住んでいたので、少し年の離れた幼馴染のようなものだった。
コロニーからだいぶ離れた宇宙空間で訓練をしていたとき、コロニーが爆発した。
それ以来、私達は帰る場所がなくなり、ずっと一緒に宇宙をさまよって―あちこちの空母を傭兵として渡り歩いて―いる。
ルーク傭兵隊長が私を誰よりも大切にしているのは知っている。
かけがえのないもの。
ルークの記憶であり、失った故郷であり、半身であるもの。
それは私にとっても全く同じだ。
ただ、私には記憶も故郷もルークほど大切にできないだけだ。
今、ここに生存するだけで、せいいっぱいで。
それでも、私の一部はルークのために存在するし、ルークに生かされている。
「大切な人、というのは、少佐ではないのか?」
角刈りの『アンタの方が大将』の言葉に私はゆっくり頷いた。
『アンタの方が大将』は暫く考えこんでいた。
「ミア、ここにいてほしい」
無表情な声がした。
N209。
「私が初期化されるまで、そばにいてほしい。そして、最初に会ってほしい」
N209は無表情なまま、そういった。
大丈夫、ヒトはみんな怖がりだ。
そういったN209。