決戦
~佐藤家の紹介~
【ジョセフ】
佐藤家のアイドル。ゴールデンレトリバー。老犬。いつだって里香の味方。
【里香】
大学一年生。ジョセフに寂しい思いをさせないため、ニートになる。
【玲弥】
中学二年生。姉思いの優しい弟。自信過剰。
【パパ】
食品卸売会社勤務。娘のニート費用を稼ぐため、全身全霊でギャンブルに挑む。
【ママ】
お菓子メーカー勤務。玲弥にとことん甘い。
手術当日の朝、奇跡が起きたかのようにジョセフの体調は落ち着いていた。狂ったような徘徊は影を潜め、彼はソファーの上で静かに里香に抱っこされていた。
里香は、うやうやしくその頭を撫でながら、ジョセフの優しい目と真っ直ぐに見つめ合った。
「ねぇ、ジョセフ……今日は決戦の日だよ。とても難しい手術。もしかしたらジョセフは、手術をしている間に帰らぬ人になってしまうかもしれない……それだけ難しい手術なんだ」
(うん……分かった……)
里香の声に応えるように、ジョセフは静かに瞳をゆらした。
「だから……もし、意識がどこかへ行ってしまいそうになったら、私のことを思って。私もいつか年老いて死ぬ時、必ずジョセフのことを思うよ。愛し合った二人が、最期の瞬間に互いのことを想い合う。その約束が果たされた瞬間に、永遠の愛は完成するんだ」
(うん。必ず里香ちゃんのことを思う。約束するよ)
「ジョセフ……」
(里香ちゃん……)
「ずっとずっと、ずぅ~~~っと……」
(ずっとずっと、ずぅ~~~っと……)
「愛してるッ!」
(愛してるッ!)
そこへ、家族全員の想いが詰まった寄せ書きのランニングシャツを持ってママがやって来た。二人でジョセフの大きな体に、その白い布を通す。
「ジョセフ、姉ちゃん、こっち向いて」
玲弥がスマホのカメラを構えた。里香とジョセフは顔をぴったりと寄せ合い、レンズを見つめる。
「はい、チーズ! あっ、ジョセフが舌出した」
確認した画面の中、ジョセフは舌をペロッと出し、病気になる前のような満面の笑みを浮かべていた。これから生死を分かつ手術に挑むとは思えないほど、穏やかで幸福そうな表情。対照的に里香は、この数日の看病で痩せこけ、満身創痍の引き攣った笑みを湛えていた。
「私、酷い顔してんね……」
里香が自分の顔のあり様に思わず吹き出した。
「頑張ってる証だろ……。俺、……姉ちゃんがニートになりたいって言い出した時、何言ってんだかって思ったけど、今は姉ちゃんのこと、自分の人生を顧みず、社会のルールもガン無視で愛する人のために尽くす姉ちゃんを誇りに思ってるぜ」
唐突な弟の賞賛に里香は驚いて、その後すぐに嬉しくなる。
「やっと分かったか。遅いぜ」
「行こうッ! みんなッ!」
パパの号令が響く。家族五人の瞳に決死の覚悟が宿り、彼らは決戦の場へと出陣した。
――手術は、六時間に及んだ。
二階の資料室に案内された家族の眼下で、壮絶なオペが続く。時折CTスキャンを挟みながら、頭を切り開かれたジョセフが手術室へと戻ってくる。里香はずっと、指の関節が白くなるほど手を合わせ、祈り続けていた。
(神様……どうか無事に、ジョセフをお帰しください。ジョセフ、頑張れッ! 頑張れッ!)
手術が終わり、一階へと案内されると、診察台の上に、うつ伏せになったジョセフがいた。頭の毛はバリカンで剃られ、剥き出しになった皮膚には、痛々しい縫い目が刻まれている。
院長が、重い足取りで医療用キャップを脱ぎ、静かに告げた。
「……手を尽くしましたが、お力に及べませんでした」
その場に、泣きじゃくる者はいなかった。
ただ四人は、直立不動のまま、勇敢な最期を遂げた家族の亡き骸をじっと見つめていた。あまりにも静かな、けれどあまりにも激しい、戦いの終わりだった。
里香が、吸い寄せられるように一歩前に進み出た。ジョセフの体に覆いかぶさり、そのまだ温もりの残る頬に、そっとキスをする。
「頑張ったね~……いっぱい……いっぱい……頑張ったね~……」
か細い声で語りかける里香の目から、大粒の涙が溢れ出した。診察台の無機質な革の上に、ぼとぼとと音を立てて落ちていく。
「ジョセフ……いっぱい頑張った。偉いね~……いい子だね~……偉ッ……いねぇ……」
里香の震える肩を、天井の蛍光灯が白く照らしている。
まるで、真実の愛を全うした二人を称えるかのように。その光は、里香の背と、戦いを終えて安らかに眠るジョセフの顔を、いつまでも静かに包み込んでいた。




