夏休み!②
~佐藤家の紹介~
【ジョセフ】
佐藤家のアイドル。ゴールデンレトリバー。老犬。いつだって里香の味方。
【里香】
大学一年生。ジョセフに寂しい思いをさせないため、ニートになる。
【玲弥】
中学二年生。姉思いの優しい弟。自信過剰。
【パパ】
食品卸売会社勤務。娘のニート費用を稼ぐため、全身全霊でギャンブルに挑む。
【ママ】
お菓子メーカー勤務。玲弥にとことん甘い。
部屋で着替えを済ませて出てきた里香の姿を見て、海水パンツ一丁の玲弥が不思議そうに尋ねた。
「姉ちゃん、なんで水着の上にTシャツ着てんの?」
里香は弟の率直な疑問に、胸を張って答える。
「姉ちゃんはもう、おっぱいブルンブルンさせて走り回っていい歳じゃないんだよ」
「えっ……恥ずかしいの?」
「恥ずかしいとかじゃない。性的搾取から身を守るためさ」
「……なにその、セーテキ、サクシュって」
聞き慣れない言葉に首を傾げる玲弥に、パパが代わりに答えた。
「そりゃあな玲弥、女の子をエロい目で見るってことだ。お前も気をつけるんだぞ」
すかさず里香が鋭い視線を投げ、その「ありがちな誤解」をバッサリと切り捨てた。
「それは違うよ、パパ。……玲弥、街でお相撲さんが浴衣着て歩いてたら、ついつい見ちゃうだろ?」
「うん」
「そこには驚きとか、愛着とか、憧れの気持ちが入ってる。そうじゃない?」
「うん」
「でもな、世の中には女を『自分の性欲を満たすモノ』としか見ない不届き者がいるんだ。水着姿の私を見て『わあ、綺麗だな』っていう驚きや憧れを向けてくれるなら、私も嫌じゃないよ。おっぱいブルンブルンさせて歩いてやるさ。でも、ただの肉の塊として、性欲を満たす道具として舌なめずりするような目で覗き込んでくるからムカつくんだよ」
「なるほど……」
「要するにだ。フェミニズムってのは、『女を舐めんな』っていう至極真っ当な主張なんだよ。その『舐め腐り』が極まった先に、女なんて優しくすれば落ちる、強引にいけばヤれる、育児は女の仕事……っていうイカれた社会があるんだ」
いつの間にか熱のこもった説教に変わっていたが、玲弥は真剣に頷いた。
「……分かったよ、姉ちゃん。人のこと舐めてムカつかれるのは当たり前だもんな」
「そう。本音を言えば、フェミニズムなんて大層な名前はいらないんだ。『他人を舐めるのをやめろ』って言ってるだけなんだから」
「ところで姉ちゃん。言いそびれたけど、姉ちゃんはブルンブルンするほどおっぱいデカくないぞ」
「おいっ、そこは聞き流せヨッ!」
そんなやり取りを終え、一行はプールへと繰り出した。
泳ぎに慣れない小型犬たちが補助用の浮き輪を付けてパチャパチャ泳ぐ中、常連のジョセフは慣れたものだ。浮き輪なしで、水の上を悠々と突き進んでいく。
ゴールは里香の腕の中だ。「ジョセフぅぅ~~ッ!」
飛び込んできた大きな体を抱きしめると、ジョセフは満面の笑みで尻尾を振り、盛大に水を弾いた。それが玲弥の掛け声一つで、真剣な眼差しに変わる。
「ジョセフ! 気を抜くなッ!戦いは既に始まっているッ!」
ここからは休む間もない競走だ。「いくよーッ、それ!」
ママが動画を撮りながら投げたボールを、二人で追いかける。ボールを奪取したのはジョセフ。次のゴールはパパの胸の中だ。
「ジョセフぅぅ~~ッ!」
このラリーが、永遠かと思われるほど繰り返される。インターバルは、ゴールで行われるキスの嵐だけ。
「ママ、潜るやつ投げて!」
「あいよ~っ!」
玲弥が求めたのは、重りの入ったぬいぐるみ。遊びは潜水競走へとシフトする。これはジョセフの得意種目だ。
「姉ちゃん、バトンタッチ!」
「ヨッシャ! ジョセフ、次は私と勝負だ!」
玲弥、里香、パパが代わる代わるジョセフの相手をする。人間側はとうに限界を迎えていたが、誰もやめようとはしない。彼らは知っているのだ。ジョセフの体力はこんなものではないことを。
ジョセフをとことん遊ばせ、疲れさせ、ふかふかのベッドで泥のように眠らせる。そして赤ちゃんのような寝顔を動画に収める。それこそが、この旅の真の目的なのだ。
肺が悲鳴を上げようとも、やめるわけにはいかない!
「やべ~ジョセフ! 老犬ってマジかよッ!」
諦めて歩きながら玲弥が叫ぶ。
けれど、みんな感じていた。去年のジョセフはもっと強かった。プールの暴君、ブルっこキングと呼ばれたあの圧倒的な勢いに比べれば、今のジョセフは確実に老いてきている。
「ブルっこキング、体力どんくらい? 半分減った?」
玲弥の問いに、ジョセフは「うーん、八分の一くらいかな」という涼しい目を返す。
「へへ……まだまだここからが本番ってか」
息切れしながら、里香が提案した。「……ね、フォーメーション、やろ」
「……それしかないっ!」
ママが満を持してプールに入り、里香、玲弥、パパの「フォーメーション」が始まった。
ママとジョセフを囲み、ボールをパスで回す。ママがカットして水に落としたボールを、三人が先に取るか、ジョセフが取るか。
本気のジョセフはボールに勢いよく噛み付くが、誤って家族の手を噛むことは絶対にない。どんな時でも気遣いのできる、優しい犬なのだ。
何時間戦っただろうか。ジョセフの瞳は濁ることなく、むしろ戦いが始まった時よりも美しく輝いている。
「……もー……フゥ……さすがに……フゥ……いいだろ……」
パパの途切れ途切れの宣言で、ようやく戦いは幕を閉じた。
家族全員でシャワールームに入り、プールの塩素を洗い流す。里香が持参したお気に入りのシャンプーでジョセフを洗い始めた。
「良かったねぇ、ジョセフ。大満足だね」
泡まみれのジョセフが、舌を出してニコニコと里香を見上げる。
「あっ、ジョセフが舌出した! 疲れたのかも!」
里香の報告に、玲弥が疲れ切った笑みで顔を覗き込んだ。
「そりゃあ……舌くらい出してくれないと困るよ……あんだけ泳いだんだから……」
ドライヤーで乾かし、櫛で丁寧にブラッシングする。大量の毛玉が取れたら、仕上げに指を毛の中に押し込み、丹念にマッサージを施す。ジョセフはドライヤー台の上にペタンと腹ばいに寝そべり、目をトロンとさせて至福の表情だ。
「姉ちゃん、まだマッサージすんの? 腹減った」
「ここでしっかりほぐすかどうかで、部屋でぐっすり寝てくれるかどうかが決まるの。先に戻ってていいよ」
「いーよ。姉ちゃん、女になっちゃったんだろ?」
ママが意図を察して補足する。「玲ちゃんがボディーガードってわけね」
「そそ。俺がいれば、姉ちゃんも舐められずに済むだろ」
「あんたなんかに守られなくたってヘーキよ、姉ちゃんは強いんだから」
強がりながらも、里香の胸は喜びでいっぱいになった。
(弟よ……さっきの話を聞いて『だったら俺が姉ちゃんを守る』って結論に至ったんだね。なんて可愛い弟なんだッ!)
「じゃあ、ここは玲弥に任せて、俺たちは酒でも買って部屋で一杯やってるか」
「いいね。そうしましょ」
「里香、玲弥、後でな!」
手を挙げて去っていく両親を見送り、残された子供二人。玲弥は早くもシュッシュッとシャドーボクシングを始めた。
「やる気満々だな」
「ッタリ前だろ!」
「玲弥、喧嘩なんてしたことないでしょ」
「ハッ? 姉ちゃん、俺を誰だと思ってんの。合唱部だぞ」
(剣道部とか柔道部なら決まるセリフなんだけど……)
里香は心の中で盛大にツッコミを入れつつ、「うん。……だな」とだけ返しておいた。




