修行と葛藤
俺がベイリーフ家に来てから7年とすこし経った。
あれからも、旦那様が教えてくれることはなかった。
ただ、あの夜、ダフネと、奥様が言った言葉だけを信じて、毎日稽古と仕事に明け暮れた。
盗賊団を気が付かないうちに、倒しているのだから、きっと強くなっているのに違いない。そうは思った。
でも稽古相手がおらず、指導もしてもらえず、己の強さの実感がわかなかった。
そして、ダフネの婚約の話が持ち上がった。
ダフネの年から考えると、普通のことだった。
相手は旦那様が剣を教えている中級貴族の息子アインだった。
家柄的にも申し分なく、間違いなく良縁だった。
そして、剣の腕も、ダフネを除く子弟の中ではもっとも強かった。
ただダフネは言った。
「家柄が良くても、自分より弱い男と結婚する気にはなれないわ。武道会の優勝者なら婚約を考えてもいい」
貴族というのはプライドが高い。ここまで言われたら、絶対に実力で手に入れてやると、通常の指導に加え、アインは旦那様に多額の報酬を支払い、個人レッスンを依頼した。
武道会まで1年。アインは毎日2時間のレッスンを受ける事になった。
うらやましいな。金があるというのはいいなとそんな風に思った。
そして奥様から
「ローリエ。お前も武道会に出場しなさい。エントリーはしたから」
と言われた。
ちゃんと指導も受けてない俺が、武道会に出ても、勝つことなんてできないと思ったが、この間も結局自分でちゃんと戦った感覚すらなかったので、強さの証明みたいなものにはなるかとは思った。
稽古の内容は特に変わらなかった。
ただ丸木の本数は増え続けた。
ついていけるようになったと思ったら、すぐにハードモードになる。
この繰り返しだった。
そんなある日、旦那様がすれ違いぎわに、
「足運びの際に、足で地面を掴むような感覚で動け」
と言われた。
たった一言だったが、見てくれていると思って、うれしかった。
そこから、足運びの際に、足で地面を掴むような感覚を持ち始めた。
すると、上のほうに上がっていた感覚が、下のほうに下がり、地面と身体が一体化したかのような感覚になった。
気持ちが冷静になり、呼吸が落ち着いた。
それができるようになってから、丸木の稽古は楽になった。
そして、不思議なことに、普段から視野が少し広がる感覚になった。
この世界とつながっているというか、切り離されていないという安心感があった。
仕事のほうは、雑用の仕事が減り、挿し木の苗作りを手伝うようになった。
まずは、挿し木用の砂を鍋で熱する仕事からだった。
挿し木は、木の枝を鋭利な刃物で斜めに切り、それを砂にさして、水を与えるが、病気を持った砂だと、木が上手く育たない。
だから火で熱して、その病気の元をなくすのだと説明を受けた。
砂は重く、砂をかき混ぜるのも重労働だった。
そして、挿し木を斜めに切る仕事も教えられた。
とくに刃物は鋭利でないと、挿し木がうまくできないので、刃物の研ぎ方を徹底的に叩き込まれた。
挿し木の担当をしている使用人に、
「これができるようになれば、どの時期に、どの木のどの部分を切ればいいかを教えてやるから、今のうちから、どんな感じか覚えておけ」
と言われたので、木の別に挿し木を行った時期をノートにつけるようにした。
挿し木はこれまでの肉体労働とはちがい、細やかな神経が必要な仕事だった。
もちろん、挿し木の時期は期間的に短いので、肉体労働の雑用のほうが、まだ多かった。
俺は歩くときには、常に足運びと、足を地面で掴む感覚を忘れないように注意した。
ダフネはちょこちょこ。お菓子を差し入れてくれた。
手作りのクッキーや、アップルパイなんかも作ってくれた。
始めは形が悪かったけど、徐々にキレイな形になって、買ってきたものかと思うくらいの出来になった。
「これ買ってきた奴なの?」
と俺が聞くと、
「すごい上手でしょ。私の手作りなのよ」
と自慢げに答えた。
ダフネのそういうところが、可愛いな。
と思った。
アインと結婚するのかな。と寂しい気持ちになった。
自分の身の上を呪いもした。
そして、まぁ身分の差なんか、埋まるわけないなと、お腹の辺りがきゅっと掴まれるような感覚によくなった。
そのことからか、時折丸木がアインの顔に見えるようになった。
叩くとスッキリはするが、モヤモヤが残った。
一年ほど前まで、剣のことと、強くなることだけ考えていたらよかったのに、今はいろいろ考えてしまうようになっていた。
この気持ちはなんなんだろう。俺はどうしたいのだろう。
そんな風に考えた。
俺はどうしたい。
剣が強くなりたい。
お腹が空いたら、腹いっぱい食べたい。
眠くなったら、眠りたい。
そんな事はすんなり出てきた。
そして、俺は驚いた。
すっかり復讐の事を忘れていたことに。
俺はナイフを取り出し、両親を思い出す。
そういえば、自分の生きたいように生きて。
と言ってくれてたな。
その事を思い出していた。
もし今目の前に仇が現れたらどうする?
そう俺は自分の心に聞いた。
怒りの気持ちが沸き上がってきた。
あぁやはり、怒りの気持ちは忘れていなかった。
俺はその事に安心をした。
そして武道会まで3か月を切ったある日、
「ねぇ。ローリエ。私アインの事が嫌いなの、武道会で私をアインから守って」
そうダフネに言われた。
「守れるかどうかはわからないけど、全力を出すよ」
と俺は言った。
腹の中で何かが叫ぶ声が聞こえた。




